【 Morning Tide 】
◆LBPyCcG946




31 :No.08 Morning Tide 1/4 ◇LBPyCcG946:08/01/06 22:00:31 ID:gp3+6sJH
 私は、一般的な会社員である。少なくとも、地球においては。
 地球から約12光年離れたこの地、惑星コーラシュ。私がここに単身赴任してきてから、地球時間で、1ヶ月と10日が過ぎた。そして、1ヶ月と11日目の今日、一度目の朝がやってきた。
 現地では高級マンションに分類される住まい。実際、地球にいた時よりも広い部屋が三つある。更に、家事をこなす手伝いまで雇っている豪華な生活である。
 だが、文句を挙げればキリが無い。まず天井が、頭の天辺ぎりぎり収まる程度に低い所だろうか。決して私の背が特別高い訳ではない。
 ベッドも私には小さく(これでも現地の家具屋で一番大きなサイズなのだが)、真っ直ぐに寝ると足が飛び出るので、縮こまって寝ざるをえない。小さなベッドの軋む音を聞きながら立ち上がると、私はわずかにかがみながら、部屋の小窓から外を見た。
 あの太陽によく似た恒星の名前を、私は知らない。この星に生きる者達は、あの星の名前を口に出す事は禁忌とされているらしい。最も、私にとってあれは太陽でしかないのだから、特に知りたいとも思わない。だから私は太陽と呼ぶ事にしている。
 リビングに行くと、既に朝食が出来上がっていた。パン、ベーコンエッグ、ミルク。オールドスタイルだが、私はこれが一番好きだ。シンプルで良い。手伝いの者には、朝食時に別の部屋で仕事をするように言いつけてある。
 なぜなら、あの気味の悪い青色の顔と、朝っぱらから顔を突き合せたくないからだ。それに言葉も大して通じない。ベーコンエッグの焼き方を教えるのに一苦労した程だ。
 地球から送信された、3日前のニュースデータを、ポッドでチェックする。情報の送受信にも、往復で1週間近くかかるこの辺境の地では、地球の情報は、ほんの些細な事ですら記憶にとどめておくべき重要事項となる。
 しかし、あまりのんびりもしていられない。もうすぐ工場は始業の時間を迎える。一応、工場の最高責任者である私は、あの息の詰まりそうな部屋の席に、腰を下ろしておかなければならない。
 自宅から工場へは、車なら5分もかからないが、徒歩で行くと20分程はかかる道のりである。別に車が買えないという訳ではない。私に合うサイズの車が存在しないだけだ。
 通勤する彼ら(地球人からすれば、コーラシュ人という事になる)の、奇異の視線を受け流しながらも、私は会社へと歩みを進める。彼らの平均身長は、大人でも130cm程度。小柄な女性は100cmを下回る事もめずらしくない。
 全身青い肌に、鳥の口ばしのような口、眉毛が無く、白目も無い目は、私にとっては到底愛着の湧くような物ではない。逆に、彼らにとってみれば、地球人の方が気持ち悪く感じるだろうという事は、理解しているつもりだ。
 工場に到着する。もう太陽は随分と傾いている。この点が、地球との生活との最大の差である。惑星コーラシュは、その公転の周期が、地球よりもおよそ3倍程短い。簡潔に言うと、ここでの一日は、地球での約24時間。つまり、ここでの3日間が、地球での1日となる。
 『最高責任者室』と、ネームプレートだけは立派な部屋を開けると、中では秘書が私を待っていた。彼女ももちろん地球人ではない。

32 :No.08 Morning Tide 2/4 ◇LBPyCcG946:08/01/06 22:00:54 ID:gp3+6sJH
「おはようございます」
 コーラシュ人にしては饒舌な、我が母国語である。彼女が高学歴だからだ。コーラシュ人の平均知能レベルは、地球人の10歳〜13歳程と一般に言われている。他の惑星の言語を使えるだけでも、インテリと言えるだろう。
「ああ、おはよう」
 包み隠さず率直に話そう。私は2週間程前から、この秘書と不倫関係を結んでいる。妻は12光年離れている。この事を知るはずはない。
「今日は?」
「明日、ですよね。大丈夫です」
 彼らの生活リズムは、地球人からすれば特殊に映るだろう。通勤を含め4時間働いたあと、帰って眠り、そしてまた起き、4時間働く。そのサイクルを繰り返す。この星に住む生命体にとっては、あくまでもそれが普通なのである。
「楽しみに待っております」
 と、グロテスクな笑みを浮かべる彼女。
「ああ」
 私達はその会話を最後に、各々の仕事へと取り掛かる。
 仕事といっても、私がしなければならない仕事なんてほとんど無い。そもそもこの役職は、言ってみれば島流しみたいな物なのだ。会社の工場に、責任者として最低一人は社員を置いておかなければならない。
 誰がそのような損な役回りを、自ら買って出るだろうか。現に私自身、自分のミスの責任を負わされる形で、この惑星へと左遷されてきた。上司に嫌われるというのは、万死に値する罪なのだろうか。
 私は、最高責任者室の小さな窓から、ぼんやりと外を眺めた。工場の庭で食事を取る彼ら。1回の量は驚く程に少なく、食べる時間は短い。中にはボールを使って遊んでいる者達もいるようだ。始業してから1時間半程しか経っていないが、既に休憩時間なのだ。

33 :No.08 Morning Tide 3/4 ◇LBPyCcG946:08/01/06 22:01:16 ID:gp3+6sJH
 お気に入りの音楽を聴きながら、絶望するだけとわかりきっている考えを繰り広げる。
 先ほど述べたとおり、私は秘書と不倫をしている。異星人と浮気なんて、滑稽に思えるかもしれない。私自身、ここに来る前はそんな考え微塵も持っていなかった。が、しかし、思いとは無関係に、男にはどうしようも出来ない『性欲』という物が存在するのである。
 妻の事を愛していないと言えば、それは嘘になる。愛しているか、と聞かれれば、私は口をつぐむだろう。が、秘書の事を愛しているといえば、それもまた嘘だ。私にある唯一の真実といえば、我が故郷、地球に帰りたいという事だけだろう。
 うつらうつらとそんな事を考えながら、この惑星の言葉で書かれた書類(単語程度しかわからない)を眺めていると、もう太陽は沈み始めている。その時、終業のベルが鳴り響いた。私にとっては、一日の仕事の折り返し地点である。
「それでは、お先に失礼します」
 秘書が部屋を出る。彼女にとっての明日、は休日である。私にとってはアフター5だ。
 ふと、沈み行く夕日を眺めながら、私がここに単身赴任してくる前に、この役職についていた人物の言葉を思い出した。
「ようは慣れだよ。最初の一年は無理だろうな。3年目あたりからはこっちの方が自分の体に合ってくる。まあ、がんばってくれ」
 今の私は、彼の言葉を信じられない心境だ。睡眠時間を細切れにし、無限に思える暇な時間を過ごし、そして異星人の言葉を喋り、理解し合う。まるでサーカスの曲芸のように思えてならない。
 あっという間に太陽は沈み、もう外は真っ暗だ。今工場に残っているのは、夜勤の警備員と私くらいのものだろう。こうして、眠くならない夜が始まる。
 夜は、昼にも増して仕事が無い。私は好き勝手にパソコンをいじくり倒した後、地球にいた時では絶対にできないような事ばかりをする。下らない絵を描いたり、工場のペンでダーツしたり、あと折り紙もよくする。正直、仕事ではない。
 馬鹿な事をしなければ、とても保てないような精神状態なのだ。
 そうこうしている内に、朝日が昇ってくる。本日二度目の朝である。私は散々散らかした仕事場を元に戻し、何事もなかったかのように工場を出た。今から出勤する彼らとはひたすら逆方向へ。
 彼らを見て私が思うのは、私達地球人は、業の深い動物であるという事だ。何千年も昔から戦争を繰り返し、宇宙を縦横無尽に動けるように技術が発達すれば、すぐさま他の惑星へ侵略を進める。
 侵略された本人であるこの星の生き物達は、「侵略された」とは微塵も感じていない。私達は彼らに、テクノロジーという餌を十分に与え、地球人にとって理想の労働力へと教育していく。私は、その罪を償っているように思えてならない。
 過去には、同等か、それ以上の技術を持った知的生命体に遭遇した事もあるらしい。が、戦争において我が種族は完全敗北を喫した事が無い。そうして侵略した資源の多い星は、新しい母星へと改造される。元いた生き物は、かわいそうだが皆殺しにされるのだ。

34 :No.08 Morning Tide 4/4 ◇LBPyCcG946:08/01/06 22:01:33 ID:gp3+6sJH
 それに比べれば、彼らはいくらか幸せなのかもしれない。私達に見つかりながらも、こうして新しい生活を享受できているのだから。
 私は自宅には戻らず、そのまま秘書のマンションへと向かった。このマンションは、私が買い与えた物である。私の部屋に負けず劣らず豪華な部屋だが、値段は私の一ヶ月分の給料の10分の1程度である。それほどに、地球と比べて物価が低い。
 私が部屋のチャイムを押す前に、彼女はドアを開け、私を中へと引き入れる。彼女には地球の服を着るように言いつけてある。この惑星の民族衣装に、私は性的興奮を覚えないからだ。
 とはいえ、服がいくら地球の物であっても、その肌や目は決定的に違う。最初は、自分自身を奮い立たせるのにただならぬ苦労をした。が、性欲とは恐ろしい物で、大抵の問題はなんだかんだでクリアしてしまう。
 秘書との行為にふけっている間、ずっと私は考え事をしている。一つ、秘書は私の事をどう思っているのだろうか。私は秘書を気持ち悪い生き物としか見ていない。秘書も内心、その点は同じかもしれない。金という関係で結ばれた、ただれた関係でしかない。
 そして二つ、もしこの行為を、地球にいる妻が見たらどう思うか。単身赴任が決まった時、「がんばって」とすぐ突き放した非常な妻である。なんとも思わないかもしれない。いやむしろ、嘲笑の対象になるだろう。
 遠く離れた惑星で、気持ち悪い生き物相手に必死に腰を振っている男。最低としか言いようが無い。行為は地球時間にして30分程度だったが、彼らにとっては、随分と長いらしい。
 疲れきって眠った彼女の横顔を見て、吐き気を催しながらも、それを必死にこらえる。食うのに困らない生活、欲しい物は何でも手に入る生活、どこまでも自由で、時間のある生活。そして、惨めで仕方が無い生活。
 私は今、この辺境の惑星で、絶望の淵に立っている。目を瞑れば、我が故郷、地球が写る。閉じた瞼から、水が零れ落ちた。両頬と、鼻筋を伝って落ちたそれを、私の赤い手が受け止める。
 目を全て開けると、目の前には鏡があった。そこには、元から赤い肌を更に赤くし、頭から伸びた触角を震わせながら、3つの眼から涙を流す、情けない地球人の姿が映っている。
 本日三度目の朝がやってくる頃、私は深い眠りについた。






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