【 同じ顔 】
◆7BJkZFw08A




26 :No.07 同じ顔 1/5 ◇7BJkZFw08A:08/01/06 17:21:02 ID:CdIEAEgc
ガタタン  ガタタン
僕を乗せた列車は車体を揺らしながら線路をなぞる。
いつも思うことだが、朝日に側面を照らされた建物はひどく不自然に見える。

家を出た時、外はまだ暗かった。しかし藍色の空を淡い光が遠慮がちに照らし始めていることは、朝が近づいてることを感じさせる。
今日の朝はどんな朝だろう。いつもの朝は嫌な朝だ。でも今日は少し違う。
いつもよりもっと嫌な朝。それとも、喜ぶべき朝だろうか。
僕はちぢれた雲をオレンジ色に染め上げて昇って来る太陽を見ながら、列車に乗った。
目的地は……一応、決めてはいる。でもそこは、まあ目的地と言うより、通過点と言ったほうが正しいような気がする。
真の目的地はその先だ。地と言う言い方もおかしな気はするけど。
列車が走りだした。太陽が昇るにつれて、光は赤から白へと移り始める。

「ここ、空いてますか?」
突然声をかけられた。見れば白いコートを着た若い女性である。朝も早いというのに眼は眠たげなくパッチリと大きく開き、腰に届きそうなくらい長い黒髪もきれいに整えてある。
「ええ、まあ」
僕は三人掛けの席の真ん中に座っていたので、一人ぶん横にずれた。彼女は、僕の隣に座った。
(一人ぶん、空けて座れば良いのに)普段、僕はそうする。他の人だって、知り合いと一緒に座るのでもない限りそうするはずだ。
「どこへ、行かれるんですか?」
電車の中でいきなり話しかけてくるとは、ずいぶん馴れ馴れしい。僕はそう思った。
「ええ、まあ」僕は曖昧に言葉を濁す。そらした目を外に向けたとき、外の建物のガラス窓に反射した光が目を焼いた。どうやら今日も良く晴れそうだ。
僕は晴れが嫌いだ。なんとなく気分が落ち込む。雨も嫌いだ。濡れるのが嫌だからだ。曇りの日も、別に好きじゃない。
「嫌そうな顔、してますね」女が言った。
ええ、嫌なんです。もう話しかけないで下さい、とは言い返せない。気が弱いとかじゃなく、そうずけずけと物を言うもんじゃない。
しかし返事をするのも面倒なので、黙っておいた。

電車は駅に着くと止まる。その度ごとにドアが開き、朝独特の澄んだ空気とともに、何人かの人間が電車から出たり入ったりした。
僕と彼女はしばらく黙っていた。
「知って、ますか?」
その沈黙を先に破ったのは彼女だった。最も、僕から沈黙を破るつもりは毛頭なかったのだが。

27 :No.07 同じ顔 2/5 ◇7BJkZFw08A:08/01/06 17:21:22 ID:CdIEAEgc
「あなた、私の弟に似てるんですよ」
そんなこと知るか。
「だから……話しかけてきたんですか?」
「そう、と言えばそうです」微妙な言い回しを使ってくる。
「僕があなたのいなくなった弟さんに似てるから話しかけてきた、とかじゃあないでしょうね」
少し冗談めかして言ってみた。しかし彼女は、
「ええ、まあ」と、僕の冗談を肯定した。
「残念ですけど、僕はあなたの弟さんじゃあありませんよ」嘲るような響きを混ぜて、僕はそう言った。
「それは、わかっています」諦めと憂いを帯びた微笑みを浮かべながら彼女は答えた。

あれはいつのことだっただろう。
昔、蛙を捕まえたことがあった。捕まえた蛙は茶色のガラス瓶に入れた。
親に見せると、そんな汚いもの拾ってくるなと怒られた。僕は蛙を逃がそうと思ったけれど、結局2日ほどそのまま忘れていた。
気づいた時には蛙は瓶の中で干からびていた。瓶を開けるとものすごい臭いがした。
泣きながら親のところへ持って行ったら、何と言われたか忘れたが、気持ち悪いとかなんとか、とにかくこっぴどく怒られた。
……どうしてこんなことを思い出すのだろう。。
ああ、そうだ。そういえばあの頃から、僕には怒られた記憶しかない。蛙を死なせたのは確かに僕が悪かったのだけれど。

終点に着いた。ぷしゅう、と安堵のため息のような音をたてて電車が止まる。
もうこれ以上僕を乗せて走るつもりは無いらしい。
「少し、歩きませんか。私と一緒に」立ち上がりながら彼女が言う。
「いえ、行くところがあるので」当然僕は断った。
「そう言わずに、お願いします」悲しげな微笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる彼女に気圧されて、思わず
「はい」と言ってしまった。

「良い天気ですね」彼女がそう声をかけてくる。
太陽が空の高いところからその光を目いっぱい降らせているおかげで、彼女の着ている白いコートは一層柔らかな色になっていた。
僕は彼女の言葉には答えず、代わりに何故あなたは僕にいろいろと干渉するのか、と尋ねた。
「あなたの顔が、弟の顔に似ていたからですよ」彼女は答えた。
「そんなに似ているんですか」

28 :No.07 同じ顔 3/5 ◇7BJkZFw08A:08/01/06 17:21:42 ID:CdIEAEgc
「顔と言っても、パーツのことではなく、顔つきというか、表情と言うか……」
彼女は次の言葉を継ぐのを少しためらっているようだった。しかし小さな溜息を一つつくと、こう言った。
「弟がいなくなる寸前の顔と、良く似ているんですよ」
ああ、なるほど。僕はやっと合点が行った。なるほどそういうことか。
彼女はそれで……
「あなたは、僕の事が心配なんですか?」
しかしそれに対する答えは、僕が予想したものと少し違った。
「いえ、違います」
僕は少しわからなくなった。
「では、どうしてなんですか? 何故僕に関わろうとするんですか。放っておいてくれれば良いのに」
「同じ顔をしている人と、少し話してみたくなっただけですよ」
僕が誰と同じ顔をしているって言うんだ。

茶色のガラス瓶の中の蛙からは、外の世界が全て茶色に見えたことだろう。僕の場合は灰色に見えた。
両親と僕の関係は、いつからか悪くなっていった。何かあると八つ当たり気味に僕に怒鳴り散らした。
僕は何にでも意欲的に取り組まなかったから、何か上手い結果を出したことは一度としてない。
僕の妹は僕とは正反対に、いい結果ばかりを残した。妹は一見性格も良かったから、両親がどちらを可愛がるかと言えば、妹に決まっている。
でも僕は、妹がたまに他人を見下すような眼をすることと、陰でクラスメイトの誰かをいじめていることを知っていた。
僕は僕の家族が嫌いだった。

「私、もう家族がいないんですよ」彼女が出し抜けにそう言った。
「弟はいなくなっちゃったし、父親も借金で首が回らなくなったから、母と一緒に首を吊ったんです」
「私もそのせいで怖い人たちにつきまとわれちゃって、怖くなったから逃げました」
彼女は目を細めて滔々と語る。
「僕に、可哀そうだねとでも言って欲しいんですか」僕は彼女の身の上話に興味はない。
「いえ、別に。ただ、私が話したんだから、あなたのわけも聞かせて欲しいな、と」
「あなたが話したのは、あなたの勝手でしょう」
「でも聞いたでしょう? 少しでいいんですよ」

僕の世界はガラス瓶の中とそう変わらない。ごく狭い範囲の中を行ったり来たりするだけの、そんな生活。

29 :No.07 同じ顔 4/5 ◇7BJkZFw08A:08/01/06 17:21:59 ID:CdIEAEgc
学校に行けば、良くないことが待っていた。僕の机は落書きだらけで、時々上履きに画鋲が入っている。もちろん自分でやったことじゃない。
ある時学校に行くのが嫌だったから、学校に行かずにその辺をうろうろしていたら、警察に見つかった。
いつの間にか親に連絡され、ひどく怒られた。家に帰ってから、学校に行かなければ飯はやらんと言われた。
仕方ないから学校に行ったけど、僕の分の食事が机の上に現れたのは一週間後のことだった。

僕は彼女に僕の事を話した。少しだけのつもりが、気づくと色々な事を話していた。
彼女はそれを黙って聞いていた。
太陽は空のてっぺんを越え、ゆっくりと落ち始めていた。

ガラス瓶の中の蛙は、外に出ようと必死でガラスを叩いたことだろう。
しかしガラスは蛙の力では割れない。だんだん皮膚が乾いてくる。腹も減って苦しくなってくるが、水も食べ物もない。
蛙はガラスを叩くのをやめることはできない。ガラスを叩く体力が尽きても、息絶えるその寸前までみじめに手足をバタつかせたことだろう。
割れないガラスを叩かずに外に出るにはどうすればいいのか。
それを選べる点が、僕と蛙の少し違うところだった。

「そんな所ですよ」僕は大体のことを話し終えて、そう結んだ。
彼女は僕の話を黙って聞いていた。
聞き終えると、彼女は突然笑い出した。
「あははははっ! そんな所、ですか」
無理に絞り出したような、乾いた笑い声が響く。
「何が、おかしいんですか」僕は少しムッとした。
「あははは、いや、面白かったです。人の不幸を聞くのはやっぱり面白いですね」
「あなたは……!」
彼女は立ち上がり、両手を広げてこちらを向いた。
「私に弟はいないんですよ。両親? 借金? うその話ですよ。人の不幸は蜜の味って、本当ですね! 聞いているだけで優越感がこみあげてきましたよ」
声は甲高かったが、震えていた。
彼女はまっすぐこちらを見ている。口元は楽しげだが、目は笑っていない。
「全部……嘘の話、なんですよ」
消え入るような声でそう呟いた。
彼女の眼の奥に暗く濁った、悲しげな光が見える。

30 :No.07 同じ顔 5/5 ◇7BJkZFw08A:08/01/06 17:22:23 ID:CdIEAEgc
その眼は僕に何か語りかけていた。僕はそれを受け取った。きっとこれは、僕にしかわからない。
彼女はくるりと背を向けて、そのまま歩いて行く。僕はその瞬間の彼女の顔を、一瞬だがはっきりと見た。
僕は鏡を持っていなかったけれど、きっと彼女はその瞬間、僕と同じ顔をしていた。
彼女のいなくなった、僕と同じ所を目指し、先に到達したのだろう彼女の弟と、同じ顔をしている僕と、同じ顔……

僕は彼女を追わなかった。彼女はそのまま行ってしまった。
彼女はなぜ僕に話しかけてきたのだろう。僕と話をすることで、明日の朝日を見ることを望んだのだろうか。
しかし彼女は途中でそれを自ら拒絶した。悲しげな眼の光だけを残して。
彼女は僕と同じ顔をしたまま、去っていったのだ。

あたりはすっかり夕方である。薄紫色の空に、沈んでいく太陽が最後の光を投げかけている。
明日もよく晴れそうだ。僕には関係ないことかもしれないが。
あるいは彼女が、僕ではない誰かに話しかけていたら、彼女はどうなっただろう。
いや、誰でも同じだったのかもしれない。明日の朝が来る前に、誰かと少し言葉を交わしたかっただけ。
僕でなくとも、彼女は同じ道を選んだだろう。
夕暮れ時の太陽は、朝よりも大きく輝いているような気がする。
沈んでいく太陽をじっと見ていると、そのまま吸い込まれそうだ。心地よささえ感じる。
彼女は明日、朝日を見るだろうか。明日の朝日はきっと眩しいだろう。
僕の目の前に広がっている黄金色の海は、明日の朝も同じように光るのだろうか。
僕は――――





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