【 サイレンと呼ぶ声 】
◆O8rQxle5/Q




87 名前:時間外No.02 サイレンと呼ぶ声 1/1 ◇O8rQxle5/Q 投稿日:07/12/31 01:54:11 ID:rHZOWD0d
 父親の顔は覚えていない。母親は俺を産んですぐに死んだ。施設で育った俺は誰にも愛されずに育ってきた。
 こんな生い立ちをわざわざ考えたりするあたり、俺はもうすぐ死ぬんだろうなと実感してきた証拠だろう。
 腹のあたりがやけに熱い。さっきまではひどく痛んでいたが、その痛みもいつの間にか鈍いしびれへと変わってしまった。
 走馬灯というやつだろうか、過去のことが次々と頭に浮かんでくる。いじめられていた時、暴れ回っていた時、少年院に入っていた時、初めて拳銃を持った時……
 ロクでもない思い出が目の前をよぎっていく。俺は誰からも愛されなかったし、誰も愛さなかった。そんな一生のどこにいい思い出なんかがあるものか。
 そろそろ腹のしびれもなくなってきた。そして、目に見える光景もだんだん薄くかすれてきた。
 もういい。このままあっさりと死ねるならそのほうがいい。
 そう思ってもを閉じようとすると、遠くのほうからサイレンの音が聞こえてきた。人様の人生の幕切れに何て不愉快な音を出してくれるんだ。怒鳴ってやろうと思ったが、どうにも体が動かない。
 そのサイレンは次第に近づいてきて、我慢できなくなるほどうるさくなったところで急に鳴り止んだ。そして、しばらくもしないうちに俺の体が激しく揺さぶられた。
「大丈夫ですか! 死なないでください!」
 甲高い女の声が耳元で響く。この手の女の声は苦手なんだが、今はもう耳元で子守唄でもささやかれているようにしか聞こえない。
「私、あなたにお礼をしなくちゃいけない。だから死なないでください!」
 ……お礼? 何を言っているんだこの女は。俺がいったい何をしたんだ?
 と、そこまで考えたところで、車にはねられるところで突き飛ばした女がいたのを思い出した。その車は明らかに俺を狙ったものだったが、たまたまそこに出くわした女が邪魔で突き飛ばした。それを助けてもらったと勘違いしたんだろう。
 その勘違いで不愉快な救急車のサイレンの音を聞くはめになったし、こうして居心地の悪い車の中で揺さぶられている。まったく迷惑な話だ。
 薄れていく意識の中で、俺は愛されずに育ったことを心から感謝した。

―― 了 ――



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