【 やすらぎは六年後に 】
◆RikiXMX/aY




80 名前:No.21 やすらぎは六年後に 1/5 ◇RikiXMX/aY 投稿日:07/12/30 23:48:36 ID:Sc9eEBrb
 人から褒められたためしのない俺の話だけど、まあちょっと聞いてくれよ。嫌な顔しないでさ。
 こういうときってまず生い立ちから語ると決まってて、それも大抵絵に描いたような不幸人生なんだよな。でも俺の家は大して
不幸な訳じゃねえんだ。親だって両方揃って元気だし、兄貴たちもそこそこの高校行ってるし、ネタにするほどビンボーって訳で
もない。住んでるとこだって埼玉の亀島だし、東上線一時間も乗りゃあ東京だって普通に行けちゃう。まあ俺はあんま行かない
けど。とにかく俺はほんっとに普通なんだよ。でもしいてあらを探すなら頭が悪いってことかね。
 ぶっちゃけ俺、小六まで自分の名前漢字で書けなかったんだ。いや、苗字の青木は余裕だよ? 問題は名前の英憲。という
か「憲」の字。あれ超ムズい。しょうがないからテストでも自分の名前書かないで出したんだよ。ひらがなはやっぱダサいし。そし
たらびっくりすることに、0点。八割がた解答用紙埋めたのに、0点。親に叱られながら「これはひでえ!」って子供ながらに思っ
たね。まあ今も子供だけど。
 とにかく俺は褒められたことが無い。だからこっちもだんだんやる気なくすし、人から褒められてる奴とか見ると死ねとか思う。
感謝? 何それ食えんの? 人への思いやり? 思いやられたことない俺にどうしろと。
 そんな感じで普通の家なのに無駄にひねくれて育っちまって今では中学二年。兄貴の大学受験とかもあって親も神経質気味。
あげく俺にまで「進路どうするの」とか言う始末。知るかよそんなの。俺は音楽聞いて寝てりゃそれでいーの。ちなみに好きなバ
ンドはトラスト。一回聞いてみ、超かっこいいから。正直、暗い趣味だけど。
 でもそんな俺ものんきに音楽なんか聞いてらんないことになった。亀島西中の恒例行事、「3デイズチャレンジ」。八月の三日
間どっかの仕事場行って仕事してくるって企画。学校行事が片っ端から嫌いな俺だけど、中でもトップ3に入るなこれ。しかも俺
の希望だった近所の暇な「スーパー」はくじ引きで落ちて、当たったのは「老人ホーム」。ほんと、何が悲しくてこの年からジジイ
の面倒見なきゃならねえんだよ。しかも夏休み返上して、だぜ? 勘弁してくれ。
 嫌だ嫌だっつってても時間は過ぎ、問題の日はやってくる。ていうか今日だ。俺は話したことない女子二人と自転車こいで林
の中へ。そして着きました「特別養護老人ホーム やすらぎ」。もう帰りたいよ俺。
 でもここでびっくりサプライズ。どうせ俺たちみたいな中坊の相手はこの道二十年、ベテランのおばさんだろうと踏んでいたが、
予想を覆し期待に応える事態発生。なんと俺の担当職員がすっげえ美人。てか美少女。背とか俺より低いし。ほんのり茶色が
かった黒髪にかかるウェーブが、俺におじぎする時にふわっと揺れるんだ。こう、ふわっと。「はじめまして。私も今年の四月に
専門学校出たばかりだけど、一緒に頑張ろうね」って、にこっと。自然な笑顔がまぶしい。惚れる。
 で、仕事なんだがこれが思ったよりキツい。モップがけとか昼飯運んだりとかなんだけど、これが使ってないどころか存在すら
知らなかった筋肉を酷使するんだな。あーもう、学校の掃除とかマジメにやっときゃマシだったのかね。まあ耐えるしかないか。
それに――俺の目の前には慣れた仕草でてきぱきと仕事を続けるさっきの美少女ヘルパー、結城綾乃さんがいる。話によると
まだ二十らしい。今からこんな仕事してて、恋愛とか結婚とかどうすんだよ。他人事なのに真剣に考えてしまう。というかマジで
可愛いよ天使だよこの人。この人ずっと笑顔だもんな、俺なんかと違ってさ。
 でも次の日、結城さんはあっさり泣いてしまうんだ。よりにもよって、俺の前で。

81 名前:No.21 やすらぎは六年後に 2/5 ◇RikiXMX/aY 投稿日:07/12/30 23:48:49 ID:Sc9eEBrb
 きっかけは二〇三号室のクソジジイだ。十五年近く前からここに居座ってる竹下というジジイ、頑固で素直じゃなくて回りに当り
散らすから、入所者の間ですら「二〇三の竹ヤブには近づくな」とか言われてるらしい。実際、昨日そいつの担当だったうちの中
学の女子が帰り際泣いてたよ。俺はそいつの名前すら覚えてないから同情もしないけど。
 まあとにかく二日目もせっせとモップがけやってたんだよ俺は。でもまああれだ。なんていうか、ここは空気が澄んでるね。国
道とか高速のインターとかあって空気もそれなりに汚い亀島市だけど、何かこの老人ホームだけは違う。独特の明るさというか、
温かみに包まれてる。爺さん婆さんの笑顔や窓から射すやわらかい日差しに包まれて、自分の家より居心地がいいなとか思っ
た。そしてすぐ近くにもいつだって笑顔の結城さんが――って、あれ?
 結城さんは、泣いていた。
 二〇三号室の前で、しくしくと。
 俺、バカだし空気も読まずに聞いちゃったのさ。何かあったんですか、って。そしたら結城さん話し出したんだ。溜まってたこと
全部吐き出すように。
 発端はほんとにくだらないことだった。結城さんが二〇三号室の掃除をしてたとき、窓のそばに飾ってある赤ん坊の写真を落
としちゃったらしいんだな。その時も不機嫌そうにしてたらしいんだけど、結城さんは「お孫さん、会いに来ないんですか」とか言
ったんだって。そしたら竹ヤブがマジギレして。よけいなこと言うなー、おまえ職員って資格あんのかー、って。それだけにとどま
らず竹ヤブはあることないこと責め立てたんだって。お前には老人の気持ちがわかってない、子供は学校に帰れとか。まるで存
在否定だ。ひどすぎる。
 すると結城さんは不意につぶやいた。「いつも私明るくしてるけど、こういうときって、暗い曲とか聞きたくなっちゃうんだ。トラス
トとか」
 びっくりしたよ。結城さんみたいな明るい人が、あんなの聞いてるなんて。デビューアルバムで自殺願望ある彼女の首絞めて
殺す歌とか出しちゃうバンドだぜ? 信じられなかった。けど結城さん、ライブとかも行ってたようで。
「あぁ……私、向いてないのかなあ。私、五歳の時おじいちゃんいなくなっちゃって、それから会ってないの。お母さんに聞いても
居場所最期まで教えてくれなかったし。自分のおじいちゃんも知らないのに、介護なんて、ねえ……」涙ながらにそう漏らす結城
さん。見てられなかった。
 俺は二〇三号室のドアを開け、ジジイの部屋に飛び込んだ。ベッドのジジイが目だけで睨んだ。何だお前は、さては昨日の中
学生の仲間か、まったくガキはどいつもこいつも礼儀の知らぬ……そこまでジジイが言いかけたところで俺はジジイの顔をはた
いた。そして叫ぶ。
「それが人に世話してもらう態度かよ! いい加減にしろ! お前みたいに誰に何されても当然とか、ちょっとのミスあげつらっ
て全否定とか、そういう態度だから老後孤立するんだよ! 世話してる方は一言『ありがとう』って言われるだけで救われるんだ
よ! なのにお前は……もういい、そのまま一人寂しく過ごせ! でも孫に会いたいなら素直になれよ!」
 気付いたら足元に破り捨てた孫の写真。何も言えないジジイ。……ごめん、これは逃げるしかないって。空気的に。

82 名前:No.21 やすらぎは六年後に 3/5 ◇RikiXMX/aY 投稿日:07/12/30 23:49:02 ID:Sc9eEBrb
 その後のことはよく覚えてない。とりあえず老人ホームから飛び出して自転車乗って家帰ったらしい。家着いて事情を聞こうと
する母親無視して自分の部屋に駆け込み、カセットウォークマンを取り出した。聞くのはもちろんトラストだ。暗い気分の時は、
あえて暗い曲聞いてどん底に落とした方がいいからな。でも……そんなに救われなかった。
 こんな気分初めてだ。自分で正しいことしたつもりだったのに、小さい頃憧れたみたいに好きな女の子のため悪に立ち向かっ
たはずなのに、返ってきたのはこの胸糞悪さだ。冷静に考えれば結城さんだってそんなの望んでなかっただろう。なのに俺は、
結城さんのためとか思って――いや、違う。これは自分のためだったんだ。自己満足で、人を傷つけたんだ。どこまでバカなん
だよ、俺は。孤独や絶望を歌うトラストの歌すら、俺だけを責めてるように聞こえた。
 結局仕事を脱走した俺は先生から電話があり、帰ってきた親父にこっぴどく叱られたけど、正直何も考えてなかった。頭の中
でずっとトラストの曲が鳴っていた。数時間前、少しでもいきがった俺を殺して欲しいと思った。

 次の日、職業体験最終日。先生からの電話でもまた叱られた俺はうんざりしながら自転車で「やすらぎ」に向かう。全く、ちっと
もやすらがねえよこっちは。途中に広がる広い田んぼ道を、トラストの曲と共に走り抜ける。もうほんと、どうやって謝ろう。他の
職員にも迷惑かけたんだ。とりあえず結城さんには土下座しかない。そうだ、土下座しよう。憂鬱なこと考えてるのに、空は鬱陶
しいぐらい晴れ渡っていた。いっそ雨でも降ってくれ。雨に打たれたいんだこっちは。罰として。
 俺は老人ホームに着き、朝礼で職員が集まっていたところですぐに頭を下げた。
「ごめんなさい、ひどいことしました! 最後の日は一生懸命頑張りますから許してください!」
 言ってから、顔を上げた。そこに結城さんの姿は居なかった。
 午前の作業をしながら今日の俺の担当のイケメン職員、山野さんが言っていた。結城さんは心労の為休暇を取ります、とのこ
と。絶対俺のせいだ。本気で申し訳なく思ったけど、どうすることも出来なかった。そしたら山野さんに、言われた。
「ここだけの話、僕は君が必ずしも間違ってるとは思わないんだ。一言の感謝の言葉がうれしいのは本当だし。確かにお孫さん
の写真を破くのはやりすぎだと思うけどね。だけど結城さんにとってもいい経験になったんじゃないかな」
 それに、と付け加える。
「感謝は伝わるけど伝えるものなんだって、あの人も気付いたんじゃないかな」
 はっ、と俺は気付いた。一番謝らなきゃならない人がいる。やっぱり俺はバカだ。けど気付けてよかった、まだ間に合う。俺は
一言断ってモップを山野さんに預け、その人の元に向かった。二〇三号室。当然だ。
「昨日はすいませんでしたっ!」
 ドアを開けるなりそう叫んで頭を下げた。
 昨日の爺さん、竹下さんは――いなかった。
「ああ、竹下さん、昨日のうちに『大切な用事がある』って出かけられたんだ。また近いうち、来なよ」
 後から来た山野さんに言われた。つまり、間に合わなかったってことだ。俺は頭が悪い。

83 名前:No.21 やすらぎは六年後に 4/5 ◇RikiXMX/aY 投稿日:07/12/30 23:49:16 ID:Sc9eEBrb
 最終日に起きたことなんて、それぐらいだ。その後もお年寄りにできるだけやさしく接してみたつもりだけど、無理してんのが自
分でもわかって、逆に嫌になった。「気張らなくていいのに」って山野さんに笑われた。仕方ないだろ、俺はこういうのに慣れてな
かったんだ。結城さんもはじめはこうだったのかな、とか考えながら俺の職業体験は終わった。
 あの後結城さんや竹下さんに会いに行こうと思ったけど、結局思うだけだった。そのうち俺は東京に転校することになって、亀
島市から離れた。もともと気の合うやつなんてそんな居なかったから別れは寂しくなかったけど、もう「やすらぎ」には来ないんだ
な、と思うと少しだけ胸がきゅっと締めつけられたんだ。それだけ。

 で、ここで時間は大きく進む。六年経って、俺は二十歳。
 都立高校に行った俺はその後も「やすらぎ」のことをたびたび思い出した。その度、言えなかった言葉が溢れてどうしようもな
かった。だけどその言葉、年を取るにつれて変わってきたんだよ。はじめは土下座して謝るイメージしかなかったけど、だんだん
と、こう嬉しいって感じがしてきたんだ。俺がこういう風になったのはあの人たちのお陰だ、みたいな。
 その気持ちが捨てられなくって俺は大学に行かなかった。行ったのは東京の介護専門学校。バカなりに必死で勉強して、何と
か介護福祉士の資格取ったんだ。でも俺は他にやってることがあったから、というか自分はまだ修行中だと思ったから、老人ホ
ームには、まだ帰らない。
 あの日自転車で駆け抜けた道を今度はバスで過ぎながら、あの日も聞いてたトラストの曲を聞いていた。トラストは二〇〇三
年、俺が高校に入った年に解散した。高校生だったけど、青春の一シーズンが終わったなとか思った。夢も希望もない歌だった
けど、俺の中学時代にトラストがあってよかったと思ってる。だからなのか、今では俺もロックバンドをやっていた。介護福祉士
の資格を持つギタリスト。笑うだろ?
 着いた。「やすらぎ」は今も昔と同じように、静かに建っていた。そして同じように澄んだ空気を味わいながら、結城さんを呼ん
でもらった。結城さんは、今も元気に働いていた。けど少し、太ってないか?
「よかった! 会いたかったのよ、本当」あの時と同じ笑顔で結城さんは言った。
「まだ働いてるんすね。本当、恋愛とか結婚とか大丈夫なんですか?」俺も笑って、あの時と同じようなことを言った。
「あ、私結婚するの。もう婚約しちゃったし」
 うげっ。
「それに、妊娠三ヶ月なの」
 げふっ。俺の初恋の人があっ!
「あ、ちなみに相手はここの山野さん」
 うがっ。ちくしょう、あのイケメン野郎め!
「あ、そうそう。君に話さなきゃいけないこと、たくさんあるの」
 本気で落ち込む俺をまだいじめる気かと覚悟を決めたが、話してくれたのは意外なことだった。

84 名前:No.21 やすらぎは六年後に 5/5 ◇RikiXMX/aY 投稿日:07/12/30 23:49:30 ID:Sc9eEBrb
 六年前のあの日、竹下さんは俺の言葉に落ち込んだらしく、すぐに行動に移したらしい。遠い昔、老人ホームに押し込んで以
来疎遠にしていた娘の家を、突然訪ねたそうだ。娘と孫はかなり驚いた。驚いてる二人を前に、竹下さんは土下座して、「今ま
で悪かった」と謝ったそうだ。「あの時はほんと、びっくりしたよ」と笑いながら当時の孫、結城さんは言った。結城さんこそ竹下さ
んの孫だったのだ。というかあのジジイまで結城さんに土下座したのか。考えてること同じだな、とか俺は笑った。
 それから竹下さんは孫に介護され、二〇〇三年に安らかに亡くなった。余命を笑顔で過ごせたようで、俺も安心したよ。
「それでね、渡したいものがあるの」
 結城さんは手紙を取り出した。
「これ、おじいちゃんが死ぬ一ヶ月前に書いたの。君に、って」
 俺は開き、読んだ。

「お前のような子供に言われることじゃない。
 わかっていた、そんなこと。
 言われて初めて気付いた、なんてことはないからな。」

 思わず俺は笑ったよ。
 孫との仲を取り持ってやったんだから、最期ぐらい感謝の言葉を書けよ!
 でも何故か、俺は報われたような気がしたんだ。
 山野さんの言葉を思い出しながら、俺は少しずつ視界がぼやけるのを感じた。

     了



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