【 交番ヒーロー 】
◆ecJGKb18io




66 名前:No.18 交番ヒーロー 1/5 ◇ecJGKb18io 投稿日:07/12/30 23:41:04 ID:Sc9eEBrb


「なんだってまたこんな日に仕事なのかねえ……」
 今年で四十を迎える柏木巡査長は淹れ立てのお茶を啜りながら溜め息を洩らした。
今日は十二月の三十一日。たまたま勤務日だった今日は何の因果か、今年で一番の寒さ
を記録している。いくら交番の中といえども、年の瀬独特の哀愁も相まってひどく寒さ
を感じていた。
 時刻は午後六時。山に囲まれたこの片田舎では、陽が落ちるのも随分早く、すっかり
夜の帳をおろしている。
「お……雪かな」
 柏木は革張りの古びた椅子から立ち上がり、ガラス戸の向こうへ目を凝らした。暗闇
を照らす街灯のうっすらとした光の中に、ふわふわと呼ぶにはいくらか相応しくない速
度で落ちてくる小さな白い塊。
「こりゃ寒いはずだ」
 外へ出てみようかと思ったが、結局柏木はまた椅子に腰を据えた。今頃、この地域の
子供達ははしゃいでいるだろうが、同じように柏木がはしゃぐには幾分歳を取り過ぎて
いた。
 それでも、室内のストーブでぬくぬくとしながら冬の風物詩を眺めるのは悪くない。
早いうちにパトロールを終わらせておいて良かったなと思いつつ、そろそろ夕食の準備
でもしようかと考えた矢先、不意にガラス戸の向こうに人影が見えた。

67 名前:No.18 交番ヒーロー 2/5 ◇ecJGKb18io 投稿日:07/12/30 23:41:17 ID:Sc9eEBrb
 紺色のジャンパーにフードを被っている人物は、ノックもせずに慣れた様子でガラス
戸を引き開けた。
「失礼しますよっと。おお、あったけえ」
「なんだ、武田さんかい」
 熊のようにがっしりとした体格をした男は、フードに薄く積もった雪を払いのけて言う。
「や、なんだってことはねえだろ。こんな寒い中来たんだからよ」
「ああ、雪降ってるからなあ」
 柏木は給湯室へ行き、武田のためのお茶を淹れた。お茶を手に戻ると、武田はちゃっ
かりと『来客用』の椅子に座っていた。そして、湯飲みを差し出すと同時に勢いよく言
った。
「お茶なんかいいから話を聞いてくれよ、駐在さん」
「なんか問題でも?」
 柏木がそう訊ねると、武田はお茶をしっかり一口啜って頷いた。
「大根泥棒が出た」
「大根泥棒? パトロールに行った時はそんな事言ってなかったじゃないか」
 パトロールに行ったのは午後三時くらいだ。その途中に、武田の畑の近くを通るから
柏木と武田が会うのは、今日二度目だった。
「あんときは気づいてなかったんだ。畑仕事も終わってさあ帰ろうって時に、大根があ
 るとこ見たら、見事に引き抜かれてんのよ」
「まあ、あんたの所の畑は広いしな。そんでいくつ取られたんだ」
「一本だけだ」
「そりゃ、奥さんが夕食に使おうって抜いたんじゃないのか」
 柏木がそう言うと、武田は怒ったようにムキになって言う。
「もちろん確認したとも。確認してそうじゃなかったから来たんだ」

68 名前:No.18 交番ヒーロー 3/5 ◇ecJGKb18io 投稿日:07/12/30 23:41:40 ID:Sc9eEBrb
「そうかい。そんじゃ一応届け出を出そうか」
 柏木は机の引き出しから盗難届けの書類を取り出して、すらすらとペンを走らせる。
こんな田舎じゃ、被害者の住所など聞かなくても既に暗記していた。
 武田は大根を盗まれたのがよっぽど悔しかったのか、それからしばらく愚痴を洩らし
続けた。柏木は「うん」とか「悪い奴がいるもんだなあ」などと適当な相槌を打ちつつ、
耳だけを彼の方へ傾けた。
 田舎の交番勤務の仕事は地域の安全を守るだけではない。暇を持て余したおばあちゃ
んや、喋りたがりの主婦、この武田のように些細な事件の被害者になって腹が立ってい
る人々の話し相手になることだって、仕事の一つなのだ。事件で忙しい都会ではそうも
いかないが。
 柏木が書類を一通り書き終えて、武田に証明の捺印をさせた頃には、武田もすっかり
愚痴を吐き出したのか、いくらか表情も柔和なものになっていた。
「それにしても、駐在さんも大変だね。こんな年末にも働かなきゃならないんだから」
「この村の人々を守るのが仕事だから」
 柏木の糞真面目な言葉が面白かったのだろう。武田は声を出して笑って、
「ありがとうな」と雪の振る中、帰って行った。さっきまでの怒りはどこへ行ったのか
と問い詰めたくなるくらいに満足したようだ。
 柏木に話すことで、盗難事件の怒りを忘れるのであれば、それはそれで一つの解決だ。
 この寒い年の瀬。事件など忘れて年末を楽しんでくれればいいなと柏木は思った。
 
 武田が帰って行ってから、しばらく経って、今度は一人のおばあちゃんがやってきた。
柏木は既に夕食の調理に取り掛かっていたが、その手を止めて対応に回った。
「よいしょっと。駐在さん、失礼するよ」
「あ、吉田のおばあちゃん。どうぞどうぞ、座って下さいな。どしたの、こんな時間に」
 時刻は午後七時。この村ではほとんどの人が家の炬燵でみかんでも剥きながら
テレビを見て笑っている時間帯だ。
「もうちょっと早く来ようと思ったんだけどねえ。お店の片付けしてたら遅くなっちゃ
 った。 駐在さんの夕食時に来てごめんなさいね」
 おばあちゃんはそう言うと、ゆっくりとした動作で『来客用』の椅子に腰掛けた。

69 名前:No.18 交番ヒーロー 4/5 ◇ecJGKb18io 投稿日:07/12/30 23:44:43 ID:Sc9eEBrb
「言ってくれれば、店にだって家にだって行くのに」
「いやあ、わざわざパトロールでも来てくれてるのに、悪いからねえ」
 吉田のおばあちゃんはパトロールの順路でもある県道の脇で、小さなお店をやってい
る。この地域で取れた野菜や手作りの惣菜。それから、おにぎりに漬物などを原価に近
い価格で売っているのだ。
「それでどうしたの?」
 柏木はおばあちゃんにお茶を出して、自分も座った。
「それがねえ。なんだかお店の商品が盗まれたみたいで」
「盗まれた?」
「そうなのよ。後で数えてみたら、おにぎりが盗まれたみたい。
 全然気付かなかったんだけど、トメちゃんが駐在さんに言ったほうがいいって言うか
 ら」
 トメちゃん、というのは吉田のおばあちゃんの友達で、一緒に店を切り盛りしている
人だ。おばあちゃん同士で二人はとても仲がいい。
「ああ、売り上げが合わなかったんだ。いくつ盗まれたの?」
「一パックだけ。まさか、このへんの人が盗むなんて思ってもみなくて……」
 そう言って、おばあちゃんは目を伏せた。おばあちゃんにしてみれば、近所付き合い
も深く、見知らぬ人はいないというほどのこの地域で、そんな事をされたのが信じられ
ないのだろう。
「そっか。じゃあ一応届け出を出しとこうか」
 柏木は今日二度目の盗難届けの用紙を引き出しから取り出して、記入していく。吉田
のおばあちゃんはやはり残念な様子で、お茶を啜っては「冷えるねえ」としきりに繰り
返していた。
「おばあちゃん、年末はどうするの? お孫さんは帰ってきた?」
 柏木がそう訊くと、おばあちゃんはやっと嬉しそうに笑う。
「そうそう。すっかり大きくなってねえ。もう抱っこも出来ないくらいに」
 それから、おばあちゃんは堰を切ったように喋り出した。やはりこのくらいの年代の
人々は孫の話をするのが一番楽しいらしい。

70 名前:No.18 交番ヒーロー 5/5 ◇ecJGKb18io 投稿日:07/12/30 23:44:57 ID:Sc9eEBrb

「それじゃあ孫も待ってるし、そろそろおいとまします。ありがとうございました」
 それからしばらく雑談に興じた後、吉田のおばあちゃんは微笑みながらペコリと頭を
下げて帰って行った。その姿はまさしく『いいおばあちゃん』で、柏木は妙に安心感を
覚えた。今日は十二月の三十一日。出来れば、良い気持ちで新年を迎えて欲しい。
 おにぎりが盗まれただの大根が盗まれただの、ほんの些細な出来事で気分を悪くする
など馬鹿馬鹿しいではないか。今年一年を無事に過ごせた事を感謝して、家族とともに
また新しい一年を始めるのだ。悪い事など綺麗さっぱり忘れてしまえばいい。
 そして、自分にその助けが出来たのならば素直に嬉しい、と柏木は思う。


 時刻は午後の七時半を少し過ぎた頃。外は雪が深々と降るだけで、一切の物音は存在
を潜め出す。
 給湯室で先ほどから弱火で温めていた鍋の火を止め、器を用意した。じっくりと煮え
たそれは火を止めると、一層良い良い匂いをして柏木の鼻を擽らせる。
 それにしても、と柏木は思う。田舎とはいいものだ。食べ物は旨いし、人々は情に溢
れている。故に事件も少ない。以前、務めていた都会の交番ではひっきりなしに電話が
鳴り、ゆっくり椅子に腰を据える暇もなく駆り出される。それと比べれば、ここの交番
は天国のようなものだ。
 柏木は湯気の立ち昇る器と皿を持って、自分の机に戻った。今日はこれ以上誰かが被
害を訴えに来ることもない。二枚の用紙がくしゃくしゃに捨てられているゴミ箱に、割
り箸の袋を投げ捨てた。
 未だ降り続く雪を眺めながら、ゆっくりと食事をとろう。柏木は今の自分の境遇に感
謝しながら、大根の味噌汁とおにぎりを食べた。   
                                     <了>



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