【 そんなもの捨てちまえ! 】
◆PaLVwfLMJI




61 名前:No.17 そんなもの捨てちまえ! 1/5 ◇PaLVwfLMJI 投稿日:07/12/30 23:38:57 ID:Sc9eEBrb
 各学部の棟が立ち並ぶ区画から少し離れた場所にサークルボックスはある。その一室、軽音部に当てられた部屋で、俺と後輩の
林部は駄弁っていた。大学がはじまり新入生が見学に訪れる時期なので、誰かが部室に詰めていなくてはならない。といっても、
当番制で人員を配しているわけではない。講義がなく空き時間になると、幽霊部員を除くほとんどのメンバーが決まって顔を出し、
一種の溜まり場として機能しているので、この機材と楽器で溢れかえった部屋には常に誰かがいる。夏などはここで寝泊まりする
輩も出る始末だ。
 その日も俺が「ういーす」とドアを開くとベースを弄んでいた林部がいた。そして、そのままいつもの如く「新入生に美人はい
るか」や「車校で金ないんで教科書譲って下さいよ」などと閑話に花を咲かせたという次第だ。
「しっかし、先輩―。誰も来ませんねー」
 林部が、即席椅子の上でもぞもぞと尻を動かした。それは、どこからか拾って来たビールケースに座布団を敷いただけのもので、
座り心地は最悪だ。ちなみに、俺はドラムの椅子に座っている。いくら緩いとはいっても上下関係はある。ビバ年功序列。
「高校時代にドラムやってたヤツでも来てくれるとありがたいんだけどな」
 九人もメンバーがいるというのに、まともにドラムを叩けるのは林部しかいなかった。
「そもそも、ギター人口が多すぎるんっすよ」
「オレは譲らんぞ」
 ベースに転向させられた者や、無理やりにドラマーに仕立て上げられ目下教育中の後輩を思い出し俺は声を大にして言明した。
「なにいってんすか、先輩が一番速弾き上手いんすから。先輩には誰も頭上がりませんよ」
 林部が、俺の自尊心をくすぐる言葉を並べ立てる。
「まーな、オレが居ないとうちの部はが成り立たないよな」
 むんと胸を張り腰に手を当てポーズを決めていると、水を差すように我が軽音部の門戸を叩く音がした。
「すいませーん」と覇気の感じられない男の声。
 俺が立ち上がろうとするのを手で制し林部は戸口に向かった。
 ドアが開かれ現われたのは、吹けば飛ぶようなという言葉そのままの風貌をした青年だった。痩身にして色白。腺病質なのかと
疑いたくなるほど軟弱な体つきだ。生っちょろさを浮き彫りにするためなのか、ご丁寧にも黒いジャケットにブラックジーンズと
いう装い。
 そして、なによりその存在感を希薄にしているのは、金というより白に近くなるまで脱色された金髪だ。
 俺は金髪が嫌いだった。碧眼金髪の西洋人を差別的視線でもって毛嫌いしているわけではなく、東洋的な平坦な顔立ちと金髪と
いう組み合わせを嫌悪しているのだ。西洋的な彫の深い相貌に、生糸のように細くたおやかなブロンドヘアーであれば憧憬の念さ
え抱く。
 のっぺりした印象に芯を加えているのは黒髪だというのに、自らその竜の睛を取り除いているのだ。在るべき芯を失い、胡乱な

62 名前:No.17 そんなもの捨てちまえ! 2/5 ◇PaLVwfLMJI 投稿日:07/12/30 23:39:11 ID:Sc9eEBrb
輪郭がより曖昧になり発散していくだけだというのに。まるで歪ませ過ぎたギターの音色のようだ。
 同じ脱色でも茶髪であればアクセントとしての役目を十分に果たすので良い。だが金髪ではそうはいかない。
 さすがに一時期に比べれば街中や大学構内で金髪を見かけることも減ったが、それでも目にすることはあり、俺はその都度不快
になる。たとえば、濃い顔をしていて似合っていれば文句も出ないだろう。だが、大抵の場合あまりにも不釣り合いだ。客観性が
欠如しているとしか思えない不相応な恰好が俺を苛立たせる。
 だから、入室してきた青年に対し俺が好印象を抱くはずなどなかった。バイアスでもって青年のイメージは最悪なものへと変容
していた。
「見学?」と訊く声は自然と棘を含んだ口調になる。
「あっ、はい」
 申し訳なさそうに会釈をするのがまた鼻についた。
 林部がアンプの置いてある辺りを探っていた。シールドをよけ、アンプヘッドを移動させて取り出したのは、クッションのへた
ったパイプ椅子だった。うちにそんな備品があったようには思えないので、どこかのサークルから拝借してそのままになっていた
物だろう。
 再び「すいません」と頭を垂れ、金髪青年が恐縮するように縮こまりパイプ椅子に着いた。
「新入生? えーと名前は」
 林部が即席椅子に座りバイトの面接官じみた口調で訊ねた。俺は少し離れた位置にドラム椅子を移動させ二人の様子を眺めるこ
とにする。
「……伊香、あ、伊香保です。工学部の一年です。」
「伊香くんか。何か楽器弾ける?」
「はぁ、ギターを少々」
「ギターかー」と林部が意味ありげに俺を一瞥した後「試しになんか弾いてみなよ」とスタンドに立ててあるテレキャスターを指
差した。
「あっ、はぃ……」
 もごもごと語尾を濁し頷き伊香がテレキャスを構える。
「たぶん、チューニングは大丈夫だと思うから」
 林部がピックを手渡した。伊香の指は女性のように細く白かった。そんな手でギターを弾けるのだろうかと疑問になる。
 チューニングを確かめる伊香をよそに、林部はシールドをミニアンプに繋ぎ着々とセッティングを進めていた。軽音部員は皆ラ
イブハウスで機材搬入のアルバイトを経験しているし、学園祭などでも舞台裏で奔走しているのでこの種の作業はお手の物。
 ぷっ、と微かな音が鳴りミニアンプに命が吹き込まれる。
 伊香の右手が緩やかな弧を描くストロークで振られる。ゲインを効かせたコードのうねりが室内に充満した。抜けるように広が

63 名前:No.17 そんなもの捨てちまえ! 3/5 ◇PaLVwfLMJI 投稿日:07/12/30 23:39:24 ID:Sc9eEBrb
るメジャコード。
 いつの間にか俺の隣に来た林部が、腕を組み壁に凭れて伊香の指先に視線を投げかける。コーチを気取るのか、あるいは先輩風
でも吹かせたいのだろうか。お前は三下がお似合いだという本音を俺はかろうじて飲み込んだ。
 ウォーミングアップも終ったらしく、伊香は深呼吸をして「行きます!」と気合を入れた。その声もどこかなよなよしている。
 しなやかに四指が蠢きネックを縦横無尽に這いまわる。小手慣らしなどそこそこに、歪んだギターの高音が溢れた。音の洪水だ
った。次から次へと旋律が奏でられるが、決してそれは攻撃的などではなく潮騒に似た心地よさがある。軟弱な指に隠されたエネ
ルギーを吐き出すように弦を叩きハマリング。素早く指がハマリングとプリングを繰り返す。音の連鎖が小さく揺れ動く波を描く
――トリルだ。高速で弦を押さえる左手。安定したピッキング。
 速い。あまりにも速かった。頭を振って、たぶん俺よりも速いのでないかという考えを打ち消す。
「なんか適当に弾いてますよ、先輩。あんなのなら誰でも出来るっしょ」
 そう耳打つのを聞き、俺は林部の顔をまじまじと見つめた。冗談を口にしている様子もなく、どちらから言うと伊香を鼻で笑っ
ていた。
「おい、あれは『24の奇想曲』だぞ」
 そう、ヴァイオリンの鬼神と呼ばれたパガーニが作曲したヴァイオリン独奏曲だ。あらゆる演奏技法を盛り込んだ難曲としても
名高い名曲だ。もちろん、その音数の多さからギターで弾いても難しいことには変わりない。
「へー、そうなんっすか」気のない風に言った林部が「さすがっすね先輩は」と付け加えた。
 さすが、か。唇を動かし声に出さずに呟く。
 俺の家は母がピアニスト、父がチェリストという音楽一家で幼少時代からヴァイオリンを習わされていた。中学に入りギターを
手に取ったのは、ささやかな反攻のつもりだったのだろうか。今となってはその動機を想起することも叶わないが、中高とギター
に明け暮れ大学では軽音部に所属したのだ。
 伊香の四指は相変わらずのスピードでネックというフロアを舞っている。
 俺は闘争意欲に火を付けられ、ソフトーケースからSGを取り出すとセッティングを開始した。
 アンプの電源を入れチューニングを終えて伊香を一瞥すると、了解したというようにCGFのスリーコードを弾いた。彼に抱い
た軟弱なイメージなどすっかり消し飛んでいた。
 小さく息を吐き出した。これは音楽のキャッチボールだ。俺はピックを弦にかけ左手いつでも動かせるよう構えた。
 追いつけるものなら追いついてみろ。俺は闘志むき出しにし初っ端からフルスロットルで駆け抜けた。走れ走れ走れ。速く、も
っと速く。己の限界の速度で指を奔らせる。染めろ! 俺の音で。塗りつぶせ! 俺の旋律で。攻めろ。攻撃は最大の防御だ。左
手はスケールを刻み、右手は高速でピッキング。速く、速く駆け抜けろ!
 三弦十二フレットで突っかかった。ダメだ。気負いから右手に力が入りすぎている。音が固い。チョーキングを決め右手を弛緩
させると、そのまま俺は第一球を投げた。

64 名前:No.17 そんなもの捨てちまえ! 4/5 ◇PaLVwfLMJI 投稿日:07/12/30 23:39:37 ID:Sc9eEBrb
 全速力だった。持てるテクニックを駆使した豪速球だった。
 だというのに。
 伊香はオクターブのカッティングを返した。それは、ホームランを予測し全身全霊を込めた最速の直球を投じたのに、送りバン
トをされてしまったようなものだ。
 馬鹿にしやがって。完全に舐められている。
 同じく俺もカッティングで返した。ミュートを絡めた高速カッティング。伊香よりも速く。切れの良いリズムで。外角高めのス
ライダー。
 しかし。
 伊香の返球はストライクすら狙っていなかった。牽制球。あるいは、ボークかデッドボールだろうか。日本人なら誰もが耳にし
たことのあるこのフレーズは――
「笑点のテーマかよ」林部が隣で突っ込んだ。
 俺は気がつけば笑っていた。視線を上げて伊香を見ると彼もまた口元を綻ばせていた。本当に楽しそうにギターを弾いていた。
 それを契機にギターバトルはジャムセッションの様相を呈し始めた。リードギターとリズムギターのように、伊香が十六部でリ
ズムを刻めば俺がソロを、俺がグリスを多用したベース風にルートを取れば伊香がギターを鳴かせる。いつしか林部も加わり、ベ
ースレスの変則スリーピスを組み、音を紡ぐ。もちろん、俺がドラム椅子を使用しているので彼はビールケースなのだが。
 それぞれに触発されるように弾き続けセッション開始から三十分程経過した頃。林部が席を立ち上気した頬で興奮気味にまくし
たてた。
「二人ともすごいっすよ。オレこんなギター聴いたことないです。熱いっす。マジ熱すぎます二人とも。オレ感動してるんっすよ。
マジこの場所にいられただけで感動というか、もうこの体験を一生の宝物にしたいくらいっすよ」
「まーオレくらいになると当然だな」
 俺はちょっと不遜に過ぎるのではないかという口調で鼻を鳴らした。林部が「適当に弾いてるだけ」と伊香の演奏を称していた
事実には触れないことにする。
「ちょっと飲み物買いに行ってきます」
 二人のオーダーを聞き林部が部室を発つと、室内には俺と伊香二人だけになった。
 ギターをスタンドに立てパイプ椅子に座りなおした伊香に「ありがとう」と礼を言いかけて、止めた。
 果たしてそんなにおざなりな言葉で良いのだろうか。
 情けは人のためならずなどという常套句があるが、感謝を口にするのは人間関係を円滑に行うための一つの手段であり、ありが
とうと口にすれば礼節を弁えた人という印象を人に与えることが出来るだろう。しかし、所詮それはお為ごかしだ。

65 名前:No.17 そんなもの捨てちまえ! 5/5 ◇PaLVwfLMJI 投稿日:07/12/30 23:39:52 ID:Sc9eEBrb
 真摯にその言葉を口にするのであれば、相手を認めなければならない。地位や階級など関係ない。一人の人間が、身分など殴り
捨てた一個人として感謝をするのだ。
 伊香の才能を俺は間違いなく認めている。だが、未だに俺の方が……という思いもあった。プライドが邪魔をして、たった五文
字を口にすることが出来ずにいた。
「先輩……」
 伊香の呼びかけに顔をあげ、はたと思い至る。
「名前言ってなかったな。俺は阿久津。阿久津大輝。それでさっきのが林部な」
「阿久津先輩」伊香が噛みしめるように呟いた。「先輩のギターすごかったです」
「そうか。でも伊香も上手かったじゃないか」何故かすんなりと言葉が出た。
「いや、僕のはダメです。手癖で機械的に弾いてるだけなんですよ。それに比べて阿久津先輩のギターは思いがこもってます。情
熱っていうんでしょうか。力強さがあります」
 セッションを通し再認識したことがある。俺はギターが好きだ。音楽が好きだ。
 それはテクニックなんかより重要なのではないか。音楽をしたいという、バンドをしたいとう意思こそが俺を突き動かす原動力
だ。それこそが伊香のいう情熱や力強さなのだろうか。
 俺は感謝している。音楽を愛していると再び気付かせくれた伊香に。そして、なによりこの一級のギタリストとの出会いに。
 そして、それを伝えなければならない。感謝の気持ちを。俺の本音を。言葉にしなければ伝わらないのだから。
 プライドが縛り付け邪魔をするのであれば、そんなものは捨ててしまえばいいのだ。
 俺は伊香に手を差し出した。
「ありがとう」の五文字に全てを込め。
「こちらこそありがとうございます。あの、僕軽音部入ります」
 俺は伊香と握手を交わした。
「これからもよろしく」
 手を振ると伊香の金髪がさらさらと揺れた。嫌悪していたはずのそれが輝いて見えたのは、窓から差し込む春茜のせいだけでは
ないのだろう。

   <了>



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