【 騎士の捧げし供物は 】
◆D7Aqr.apsM




107 名前:No.27 騎士の捧げし供物は 1/5 ◇D7Aqr.apsM 投稿日:07/12/23 23:15:15 ID:hy1aglLm
 石畳が敷き詰められた街の広場は王家の旗で飾り立てられていた。所狭しと屋台が立ち並ぶ中、祭りの
メインステージは大きな天幕が張られ、その前にはひときわ大きな人だかりができていた。地面よりも一段
高く積まれただけの、噴水前の石段が舞台になっている。
 今、その場所は夕日に照らされ、落ち着きのないざわめきの中にたたずんでいた。
「どうしたのかね?」
 この舞台を仕切る教会の人間が、黒いケープに身を包んだ王立学園の一団に声をかけた。
チャリティとして募金を募るためのものとはいえ、年に一度の晴れの舞台はオーディションが行われる
程の競争率を誇っていた。募金の集まり具合にも影響が出るため、空の舞台をさらしておくことは
運営側としても避けたいところだった。
「オルガンが――」
 ベレー帽をかぶった女生徒が、青ざめた顔で振り返った。みればオルガンのペダルが無惨にも
壊れていた。
「ここまで運ぶ途中で倒してしまって」
 次の出し物は王立学園の有志によるコーラスだった。
「直せるのかね? オルガンなしで歌うことは?」
 じりじりとした様子で、進行係が周囲に集まる子供達を見渡した。
「伴奏がないと――。五分だけ待っていただけませんか?」
 生徒の中から、一人の少女が歩み出た。一目で最年長とわかる大人びた雰囲気。あごのラインで
切りそろえられた栗色の髪。はっきりとした意志を感じさせる瞳は、まっすぐに進行係を見つめている。
「ああ、イリヤ君か。わかるだろう?五分も舞台を開けるわけにはいかないんだ」
「次の演目を先にしてもらうのは、無理ですね?」
「そうだな。次の演目はオペラだ。上演が終わると八時近くになるかもしれない。それはまずいだろう?
今年は我慢して、来年頑張ろうじゃないか。それでいいね?」
 イリヤと呼ばれた女生徒は黙り込んだ。高等部の生徒はともかく、幼年部の生徒にオペラが終わるまで
待たせるのはつらい相談であることは確かだった。そして、最高学年の自分たちにとっては、この舞台が
王立学園の学生として立つ最後の舞台であることも。
「五分、間を持たせたら、そのまま歌わせてもらえますか?」
 顔を見合わせ、涙ぐむことしかできずにいる学生を見渡し、イリヤは進行係に詰め寄った。
「ああ、そりゃあかまわんがね。オーディションで落とされた人たちの事も考えた上でやってくれ」
 学生だからといって、適当な事をするな。言外にそう言い残して進行係は舞台を示した。

108 名前:No.27 騎士の捧げし供物は 2/5 ◇D7Aqr.apsM 投稿日:07/12/23 23:15:32 ID:hy1aglLm
 イリヤの後に立っていた赤い髪の少女があわててイリヤの肩をつかむ。
「ちょっとイリヤ、何をするつもり?」
「これ、もらってもいいのかな」
 ケープを翻し、舞台裏のゴミ箱に打ち捨てられていた演劇の小道具であったものであろう模造品の剣をイリヤは
手に取る。鞘から引き抜くと、刃引きされてはいるものの、鉄の刀身が鈍く光った。赤毛の少女は、普段は穏やかな
イリヤの目がいつになく厳しい色に染められているのを見て取った。
「一人でやる気?」
「アリシアちゃん――ギター、弾いてくれる?」
 半ば予期していたように、アリシアと呼ばれた赤い髪の少女は頷いた。

「昔々のお話です」
 舞台の中央に歩み出たイリヤは、剣を体の前に、柄の上に手を添えて支え話し始める。コーラスが始まるものと思っていた
観客は、少し首をひねりながらも、イリヤを拍手で迎えた。段取りが伝えられていない照明係があわててイリヤにライトを向ける。
「ある国に、騎士の石像がありました。ちょうどここと同じような広場に。石像は、剣を携え国を見守っていました。邪悪な、
黒い怪物があらわれる時、その騎士は神の命を受け戦う。――そんな言い伝えがおとぎ話として伝わっていました」
 大人向けの出し物ばかりで退屈そうに舞台の前に座り込んでいた子供達が、いきなり物語を始めたイリヤを呆然と
見上げていた。
「そして、それはおとぎ話でもなんでもなく、本当の事でした。神様は、人を守るため、黒い怪物を倒し、その魂を天に
還す為に、その騎士を使わしたのでした。黒い怪物はしたたかで、負けそうになると、人の弱い心の中に逃げ込みます。
そうなると、騎士は手出しができませんでした。人に逃げ込んだ怪物を倒そうとすれば、入り込まれた人も一緒に傷つけて
――殺してしまわなければなりませんでしたから」
 アリシアはイリヤの後ろ、少し離れた場所で木でできた小さな椅子に座り、ギターを抱えて待っていた。何を弾くの? と、
尋ねた言葉に、イリヤは『まかせるわ』とだけ答えた。それなら、その期待に答えよう。そう思いながらアリシアは
イリヤの背中を見つめていた。
「怪物が人に逃げ込むと、騎士はまた石像に戻り、怪物が出てくるのを待ちます。何年も。何十年も。神の命に応える為に。
人々がすっかりそんな事を忘れてしまったある日、とうとう怪物が、目を覚ましました」
 アリシアは思い切り、ピックを持った右手を、弦に叩きつけた。マイクが軽くハウリングを起こしながら不安げな音をスピーカー
からあふれさせた。最前列の子供が驚き、びくっと体をふるわせた。幼年部の生徒よりも小さい男の子の背中に、女の子が
隠れる。兄弟だろうか。

109 名前:No.27 騎士の捧げし供物は 3/5 ◇D7Aqr.apsM 投稿日:07/12/23 23:15:48 ID:hy1aglLm
「怪物は、街を襲いました。次から次へ、心の弱さにつけ込んで、人を襲います。怪物に魅入られた人は、憎しみをもって
他の人に接し、傷つけます。憎しみの心が街にあふれる度に、黒い怪物は大きく、太っていきました。しかし、街の人々には
怪物の姿が見えませんでした。そんな言い伝えは、忘れてしまっていましたから。同じように、騎士の事も」
 舞台の中央に立ち、話をしていたイリヤはゆっくりと歩き始めた。観客席の最前列。子供達の前に。
「誰も、騎士の事を思い出しませんでした。それでも――それでも、騎士は、目覚めました。神様から受けた使命を果たす為に」
 子供の目の前で、イリヤは剣を掲げ、すらり、と抜きはなった。古風に、顔の前で剣を立てる。イリヤの体からすると少し
大きすぎる剣を、体をくるりと回しながら横薙ぎにした。大きく踏み込む。石畳の上で、黒いケープが広がる。スカート姿では
あるものの、思い切った踏み込みと、その音は、騎士を思い浮かべさせるのに十分な迫力があった。子供達の歓声があがる。
 アリシアは、ギターを鳴らした。ゆっくりとしたテンポで始まる、フラメンコの為の曲。イリヤの動きを追いながら、曲をつま弾く。
「騎士の戦いに最初に気づいたのは、子供達でした。言い伝えを覚えていましたから、子供達は騎士が闘う姿をすぐに見る事が
できたのです。騎士は、逃げ回る怪物を広場におびき出すと、決戦をしかけます」
 一撃、また一撃とイリヤは剣を振るう。怪物からの攻撃を剣でかわし、圧倒されながらも、それでも騎士は怪物に立ち向かっていく。
形勢は騎士に不利だった。二撃、三撃と立て続けに、怪物の攻撃を受け、ついには膝をついてしまう。
「怪物の力は、恐ろしいほど強くなっていました。その街の人の憎しみの心は、信じられないくらいに大きかったのです」
「がんばれえっ!」
 客席の子供達から声援が飛ぶと、どっと笑い声が起こった。アリシアはギターを弾きながら、それでもその子供達が、
拳を握りしめているのを見て取った。瞳は、騎士の対峙する怪物をにらみつけている。
「それでも、騎士は、闘いをやめる事はできませんでした」
 ばさっとケープを翻し、イリヤは立ち上がった。しかし、剣の切っ先は力無く地面に引きずられている。イリヤは肩で息を
していた。両手で剣を支えようとして、さらによろける。アリシアから、イリヤの表情は影になって見えなかった。
 曲調を変えるべきか、アリシアが迷ったその時、客席から女の子が舞台の上に走り出すのが見えた。さっきお兄ちゃんの
背中に隠れた女の子だった。必死に、イリヤの剣に手を添え、持ち上げるのを助けようとする。男の子もそれに続いた。
 イリヤは、子供達に薄くほほえむと、彼らを背中にかばい、剣を振るった。
 大人が止めるのも聞かず、わっと子供達がイリヤの背後に集まる。客席から、そのほほえましさに笑い声と拍手があがった。
 しかし、子供達の真剣な瞳に大人の笑い顔は写っていないだろう。アリシアはギターを弾きながらそう思った。
「騎士は、少しずつ、人々の力を借りて、闘いました。一撃」
 剣が振り下ろされ、舞台である石にあたり、硬い音を響かせる。
「また、一撃」
 子供達から距離をとり、再び、剣が振り下ろされる。舞台の石畳を打ち据える音が響く。
 その剣戟の重さに、舞台に上がった子供達が凍り付いた。そして、イリヤはひときわ大きく踏み込み、体ごと切り込んだ。

110 名前:No.27 騎士の捧げし供物は 4/5 ◇D7Aqr.apsM 投稿日:07/12/23 23:16:04 ID:hy1aglLm
 舞台を叩き割ろうとするかのような一撃に、観客が黙り込んだ。
 怪物が倒されたのか、イリヤは立ち上がり、片手に剣を下げたまま、地面を見据えていた。
「騎士は、怪物を倒しました。怪物の魂を、天に還す時がやってきました」
 歓声をあげ、周りに集まろうとする子供達を無視して、イリヤは地面に執拗に剣を突き立てた。まるで、怪物の腹を
えぐるかのように。何かに憑かれたかのように。
 金属が石に打ち付けられる音が、あたりに響く。夕暮れの赤に染められて、イリヤの体は血塗れのように見えた。
 ふと、イリヤの動きが止まり、剣が横に投げ出される。跪いたイリヤは、執拗に斬りつけていたあたりに手を伸ばし、
そして、そこから何かを引きちぎるように掴みあげた。いつもはほっそりとして、柔らかく優しい指が、鍵爪のように何かを
つかんでいる。
 イリヤはそれを高々と天に差し出した。
 怪物の体から抜き出したそれは、心臓だっただろうか。
 ギターを弾くことも忘れ、アリシアはイリヤの手が掴み、天に差し出したものが静かに消えていくのを見守っていた。
持っていたものがなくなった、という風にイリヤの腕が下げられると、舞台にあがっていた子供達の顔にも安堵の表情が
広がった。観客席から、感心したような声とともに、拍手が起こった。
 しかし。
 その拍手を拒否するかのように、イリヤは突如胸を押さえ、崩れ落ちた。
 ようやく半身を起こす。胸を押さえていた両手が、何か大切なものをこぼれさすまいとするかのように、おずおずと開かれる。
イリヤは信じられないものを見るように、自分の手の中をみつめた。
「怪物を倒せば、騎士の役目は終わりでした」
 ぽつり、とイリヤがつぶやいた。
 怪物にしたのと同じように、イリヤは自分の胸からこぼれ出た魂を、天に差しだそうとして――その手を止めた。
「これまでの闘いのことを、騎士は思い返します。人の憎しみや、弱さに怪物が逃げ込む度に、石像になり闘いの時を
まつ年月。闘うためだけに存在する時間。――いっこうになくならない怪物の力の源は、自分が守ろうとしていた人に
ありました。騎士は思います――何のために、自分は闘ってきたのだろうか」
 イリヤは舞台に叩きつけられ、曲がった剣を片手に、よろよろと立ち上がった。ぎくしゃくとした動作で、子供達を振り返る。
色白の、整った顔立ちは、今は逆に恐怖を感じさせる程に冷たいものに見えた。
 わあっ、と悲鳴を上げて、子供達が逃げ出した。
「騎士を助けようとして集まった子供達は逃げ出しました。しかし――」
 舞台の中央に、男の子が立っていた。その背に、妹であろう少女をかばって。両方の腕が広げられる。

111 名前:No.27 騎士の捧げし供物は 5/5 ◇D7Aqr.apsM 投稿日:07/12/23 23:16:19 ID:hy1aglLm
「男の子が残っていました。妹をかばって。怖さに、足がふるえています。逃げたい。けれど、逃げれば妹が危ない。
だから、男の子は踏みとどまりました」
 石でできた舞台の上を、鉄の剣が引きずられる。その音が静まり返った客席にまで響き、人々の背筋を凍らせた。
「そして、その瞳を見て、騎士はわかりました。――自分が闘ってきたのは、神のためではなく、このためだと。
人の、大切なものを守ろうとする、その気持ちのために、勇気のために闘うのだと」
 剣が放り出された。イリヤは男の子の前に、騎士が自分が仕える王にするように跪いた。男の子と女の子の手を取り、
両方の手に、今は小さくなってしまった、自らの魂を握り込ませる。イリヤがにっこりと笑うと、女の子の頬に涙がつたった。
 そして、突然、イリヤはその場に崩れ落ちた。
 
 アリシアがふと気がつくと、客席からは大きな拍手が送られていた。手をつないで席に戻った兄妹は、周囲の子供達から
羨望のまなざしで見られている。誰もが二人の手の中をのぞき込んでいた。
 イリヤは体を起こし、少し頬を上気させながら、アリシアを見ていた。ギターを片手に、アリシアが歩み寄り、手をかして
立たせる。
「アリシアちゃん、なんか、気恥ずかしいね」
 照れくさそうに小さく舌を出すイリヤに、アリシアは大きくため息をついた。
「今更何いってんのよ。――準備、できたみたいね。下級生、ぼろ泣きしてるから、歌えるかどうか不安だけど」
 舞台に運びあげられたオルガンが演奏を始める。
 イリヤとアリシアの周りに、王立学園の生徒が駆け寄る。舞台の上だという事を忘れてはしゃぐ下級生へアリシアが
号令をかけて、整列させた。時間は五分どころじゃなく、おしてしまっているのだろう、舞台袖で進行係が苦虫をかみつぶした
ような表情をしているのが見えた。
「すみません、ここからが本番なんです。王立学園コーラス隊の歌をきいてください」
 イリヤは、少しゆがんだ剣を持ったままなのに気がついて、あわててそれを体の後ろに隠した。
 笑いがおこるなか、歌声が会場に響いた。

<騎士の捧げし供物は 了>



BACK−present serpent ◆K0pP32gnP6  |  INDEXへ  |  NEXT−特別 ◆M0e2269Ahs