【 プレゼント、背を向けて 】
◆HVzqEIcQBs




94 名前:No.23 プレゼント、背を向けて 1/5 ◇HVzqEIcQBs 投稿日:07/12/23 21:14:28 ID:c+C5rfnh
 母との最後の会話は今でもはっきり覚えている。とても不思議なものだった。
 余命三ヶ月。医者にそう宣告されてから四ヶ月目のことだ。
「剛志にお願いがあるんだけど……」
 病院のベッドで横になっていた母が身を起こし、真剣な眼差しで俺を見た。
「お父さんのことなんだけど、聞いてくれないかな?」
 当時、十歳だった俺は父が好きではなかった。気が弱く、息子の俺にすら言いたいこと
をはっきり言わない情けない男だった。
 しかし母にだけはやたらと強気で、いつも上からの目線で命令ばかりしていた。いわゆ
る亭主関白を気取っていたのだろう。外では強く出れないから、その憂さ晴らしだ。
 母は笑顔で、そんなちっぽけな男の言うことを聞いていた。俺は母が好きだったから、
そんな理不尽な父が好きでなかった。
 父は母を使用人か何かのようにしか見ていないのではないかと思っていたのだ。
「剛志が二十一歳になったら、きっとお父さんはね、お母さんのところに来なくなると
思うんだ。だから剛志にお願いがあるの」
 そう言って、古ぼけた小さな鍵を俺に渡した。
「おばあちゃんの家にあるタンスの引き出しの鍵。剛志が二十一歳になってもお父さん
がウジウジしてたら、タンスを開けて中にあるものを渡してくれないかな」
 さっぱり意味がわからなかった。しかし母の頼みを聞かないわけにはいかない。
 俺は黙って頷いた。
 母は安心したように笑ってベッドに横になった。亡くなったのはその数日後だった。

95 名前:No.23 プレゼント、背を向けて 2/5 ◇HVzqEIcQBs 投稿日:07/12/23 21:14:54 ID:c+C5rfnh
「ツヨシ、母さんの墓参りに行かないか?」
 一年目の命日に父から言われた。母が亡くなってから、親子間での会話はすっかり無く
なっていたので、それは軽い驚きを俺に与えた。だから何も考えずに、思わず頷いてしま
い、すぐに俺は後悔した。
 幼馴染の優子と墓参りに行く約束をしていたからだ。俺の母と優子の母は小学校からの
同級生で、家も近所だったことから家族ぐるみで付き合いをしていた。
 仕方が無いので「優子と行く約束をしているから一緒に行ってもいい?」と聞くと、
「そうか」と父は呟き、暫くして頭を掻きながら「ああ、優子ちゃんも連れていったほう
が母さんは喜ぶだろうね」
 と言ったのだった。
 翌日、三人で母の墓前へとやってきた。すでにいくつかの花が置かれていた。優子の母
であろうことは容易に予想がついた。
「あっ、父さん車に忘れ物をしてきたから二人で母さんへの報告を済ましておきなさい」
 そう言い残して父は車へ戻って行った。去り際にちらりと俺の隣にいる優子を見たの
で、もしかしたら気を利かせたのかもしれない。彼女はすでに涙目だったから。
 二人でお墓に手を合わせる。目を瞑ると、そこかしこに眠るような静寂が横たわってい
るのを感じる。思い出したようにひぐらしが鳴く。眠る者を悼んでいるかのように。
 鼻をすする音がした。
「なんでお前が泣くんだよ」
「……だって……代わりに泣かないとダメだもん……」
「意味わかんね」
 二度目の、ずずっと鼻をすする音。
「仲良しだったよね。つよし君のお父さんとお母さん」
「……さあ、よくわかんね」
「仲良しだったよ、私知ってるもん」
 俺にはそうは見えなかった。優子の願望が多分に含まれているのだろう。
「じゃあオヤジの代わりにも泣いてくれ。オヤジ、母さんが死んでも泣いてないから」
 俺は泣いたのに、気の弱い父が泣かなかったというのは、癪だった。 

96 名前:No.23 プレゼント、背を向けて 3/5 ◇HVzqEIcQBs 投稿日:07/12/23 21:15:19 ID:c+C5rfnh
 車に戻る途中、父とすれ違った。忘れ物を持ってくるだけなのに十五分もかけていた。
「じゃあちょっと車で待っててくれ」
「わかった」
 俺たちは大人しく車に乗り込んだ。しかし父はなかなか帰ってこなかった。あまりにも
遅いので優子と二人で様子を見に墓前へ戻ろうとして、その途中で父を見つけた。
 父は母の墓に背をむけて胡坐をかき、ぼんやりと空を見てた。手を合わせてもいない。
「戻ろう」
「え?」
「車に戻ろう」
「……うん」
 優子の手を握り、車に引き返した。ただ悔しかった。母を馬鹿にしているような父の態
度が。目の奥がチカチカした。
「つよし君、手が痛いよ……」
「ご、ごめん」
 強張っていた力を抜く。すると優子が強く握り返してきた。何も言葉はなかった。
 それから毎年、父から墓参りに誘われた。
 中学を卒業するまでは三人で行った。毎年のように父は忘れ物をした。そして母に背を
向けていた。高校に入ってからは父の誘いを断って優子と二人で行くことにした。
 断っても「そうか」としか言わなかった。
 俺はわかってしまったのだ。
 母の言葉を覚えていたから。父がなぜ毎年俺を墓参りに誘うのかがわかってしまった。
 父と母は約束をしていたのだろう。
「剛志が二十歳になるまでで良いから、私の命日にはお墓参りに連れてきて下さい」と。
 そうでもないと、父は母の墓参りに行かないだろうと、母はわかっていたのだ。
 俺は二十一歳になり、そして明日は母の命日。
 父からは墓参りに誘われなかった。それは俺と母の予想と違わなかった。
 母との約束通り俺は祖母の家へ行き、タンスを開けた。封をしている茶封筒があった。
 手紙のようなものが入っている。
 きっと、父と母が交わした約束の続きが書かれているのだろう。

97 名前:No.23 プレゼント、背を向けて 4/5 ◇HVzqEIcQBs 投稿日:07/12/23 21:15:39 ID:c+C5rfnh
「おいオヤジ! 今日は何の日か忘れたんじゃないだろうな?」
 何も言わずに俺を見る。充血した虚ろな目。無気力な顔。まるで泣いていたような顔だ。
 本当に頭にくる。なぜこのような面をしているんだ。
「てめぇ腑抜けてんじゃねぇよ! 母さんからオヤジに手紙だ!」
 茶封筒を投げつけた。
「手紙?」
 不思議そうな顔でそれを拾い上げて中身を取り出す。一枚の紙と、単語帳のような小さな
紙束が出てきた。
 手紙を読む父の手がぶるぶると震えだす。
「ぐ……ぐうっ……由里……由里ッ」
 一体何が起こっているのか。父が母の名を呼び、しゃくり上げて泣き出した。嗚咽を噛み殺
そうと歯を食いしばり、しかしそれでも溢れ出てくる咽ぶ声。
「由里ッ……お前は、俺は……ッ」
 父が縋りつくように掴んだ紙束には『肩叩き券』と書かれていた。
「おい、なんだよ、どうしたんだよ……説明しろよ……」
 父は手紙を俺に見せた。

――弱虫なあなたのことだから、毎年一枚ずつ使ってしまうことでしょう。
  だから、もう二十枚だけ肩叩き券をプレゼントします。これが最後ですよ?

「父さんは、ダメなんだよ、母さんがいないと……ダメなんだッ」
 顔をくしゃくしゃにして、子供の前で年甲斐もなく泣き続ける。やはり事態が掴めなかった。
「もう、無くなって、肩叩き券が、なぐなっで……あいつに、もう叩いてもらえないと思って、
毎年、使わないって決めてるのに使ってしまうんだ、由里に頼ってしまうんだッ」
 混乱を極めていると、いつしか優子が隣にいた。墓参りへ行く約束の時間だった。
「ごめん、チャイム押したんだけど反応無くて……」
「いや、いいけど……」

98 名前:No.23 プレゼント、背を向けて 5/5 ◇HVzqEIcQBs 投稿日:07/12/23 21:15:59 ID:c+C5rfnh
 父を見て、その手に握っているものを見て、優子は俺の胸に顔を埋めた。
「やっぱり、剛志のお父さんとお母さんは、仲良しだったじゃん」
「どういう……ことだよ。なんでお前も泣いてるんだよ。わけわかんねぇよ……」
 暫く、すすり泣く声が部屋に満ちていた。父は落ち着いてきたのか、一息ついて口を開いた。
「すまない。みっともないところを見せたな」
「……いや」
 そして訥々と話し出す。
「父さんと母さんは結婚前に約束をしてたんだ。お前もわかっていると思うが、父さんは弱虫で
なぁ。だから母さんは『私の前では偉そうにしててくれ』って……『ずっと肩を叩いてあげる』
って……。『辛いときには肩叩き券を使ってくれ』って……」
 封筒に入っていた肩叩き券を握る手に力が篭る。また声が震えだす。
「母さんが亡くなる前に十枚貰ったんだ。五年に一回、命日に使ってくれって。でも父さん弱い
から、これを使わないと毎年泣いてしまうんだ……情けない、情けないッ!」
 またぼろぼろと涙を零す。きっと一晩中泣いていたのだろうことがわかってしまった。
「でも、あいつには申し訳ないが、こんな、こんな嬉しいことが、あるだろうかッ」
 父は喘ぎながら小さな紙束を愛おしそうに掻き抱いた。俺も優子を抱きしめる。
――ああ、そうか。こいつは初めから、こんなちっぽけな父の代わりに泣いていたのか。
 父も、こいつも、バカヤロウだ。
「なぁ剛志、久々に、一緒に行かないか。墓参り」
「ああ……そうだな」
 久々に三人で。

 道中、父が運転する車の後部座席で、優子が父に聞こえないように囁いてきた。
「これ、無駄になっちゃった。お母さんからおじさんに渡してくれって言われてたの」
 そう言って見せたのは、母さん直筆の肩叩き券。
――母さん、心配しすぎだよ。
「もういらなくなったから、私から剛志にってことであげるよ。一年に一回使ってね」
「……どういう意味だよ」
 さあ、と笑って優子は顔を逸らした。
                            <了>



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