【 黙認 】
◆wWwx.1Fjt6




91 名前:No.21 黙認 1/2 ◇wWwx.1Fjt6 投稿日:07/12/23 21:10:53 ID:c+C5rfnh
 成人式の日、父から万年筆を貰った。クレヨンから鉛筆へ、鉛筆からボールペンへ、そ
して万年筆へ。筆記具の変遷が、大人へのステップを踏んでゆくのを顕しているようで、
不思議な心持ちがした。
 成人祝に真珠の首飾りをくれた祖父母への礼状を、早速この万年筆で書いた。滑らかな
書き心地ではあったけれども、使い慣れないその感触はこそばゆかった。文入れにしてい
た小引き出しを一段空け、万年筆を箱ごとしまいこんだ。以来、折々に取り出しては活躍
させている。嫁入りして新居に移った時にも、万年筆は荷の中にあった。
 その頃はなんでも手書きだった。季節の挨拶、息子の内祝、万年筆の出番は次々にやっ
てきた。そして万年筆を握るたびに、それをくれた時の父の、静かな微笑みを思い出すの
だった。
 あの時父は、おめでとう、と言ったきり口を開かなかった。私は、ありがとう、と言い、
説教好きな父のことだからもっと話があるだろうと思って待った。しかしいくら待っても、
父はそれ以上何かを話したいという素振りすら見せず、ただただ微笑んでいた。私はどん
な顔をしていただろうか。
 その私もそろそろ、父の気持ちがわかる歳になってきた。いや、私の歳よりも、息子の
剛が二十歳になったことの方が理由なのだろう。とにかく万年筆の飾られたショーケース
を覗きながら、何と声をかけて渡すものか悩み、いくら悩んでもやはり父と同じく私も何
も言わないでおくのだろう、という結論に達した。
 成人と言えどまだ二十歳、大人一年生。これから荒波に揉まれてゆく我が子を心配しな
いわけがない。言いたいことは山ほどあった。しかしどれも、門出の時にあえて忠言する
必要のあることとは思えなかった。剛本人が既にわかっていることか、もしくはいくら耳
で聞いても実際に経験しないと理解できないことだった。学校に上がる時について行きた
いのを堪えて笑顔で送り出したように、とうとう口出しすらするべきではない時期までき
たのだ。

92 名前:No.21 黙認 2/2 ◇wWwx.1Fjt6 投稿日:07/12/23 21:11:22 ID:c+C5rfnh
 剛は大学に入ってから一人暮らしをしている。手紙を読まない剛と連絡をとるために買
った携帯電話で、明後日は成人式だけれど戻りますか、とメールを送った。帰るよ、と一
言返ってきた。何時頃になりそうですか、と送ったけれど、返事はなかった。暮れには、
ファミリーレストランでアルバイトをしているから正月は帰れないのだと言っていた。忙
しい毎日なのだろう。
 少し奮発してモンブランのマイスターシュテュックを選んだ。夫が他界してから生活は
苦しくなっていたが、万年筆は一生ものだ。半端なものを贈っても仕方がない。渡したら
剛はどんな顔をするだろう。あの時の私の顔を、そこに見られるだろうか。
 成人式当日、仕事明けで時間がないので式場に直行する旨のメールが来た。向かう先は
家ではないけれども、いよいよこちらに帰ってくるのだ。剛の好きな唐揚げを作り、赤飯
も炊いた。ビールとシャンパンも冷えているし、モンブランの万年筆も戸棚に隠した。浮
足だった気持ちで私もスーツに着替え、真珠の首飾りをつけた。
 剛はその日、とうとう帰って来なかった。何年振りかに集った仲間たちと盛り上がって
いるのに違いなかった。炬燵で寝てしまったために皺くちゃになったスーツを伸ばしなが
ら、メールを送ろうか迷い、水を差すこともない、と思いとどまった。
 いつの頃からか、月日があっという間に過ぎ去るのを感じるようになっていた。春が来
て、夏が過ぎて、秋も終わった。あれから一年弱。時は師走。
 世間では師が走るというけれど、一人暮らしになった私は、かつてほどは忙しくない。
年々その数の減ってきた年賀状を書き上げてしまうと特にすることもなく、今年の大掃除
は大々的にやろうと思い立った。
 戸棚の中を拭こうとして、あの万年筆の包みを動かした。うっすらと積もった埃が取れ
て、指の跡がついた。渡す時には包装紙を変えないといけないな、と思った。

終わり



BACK−十年越しのlove novel ◆CoNgr1T30M  |  INDEXへ  |  NEXT−俺の頭蓋骨、サンルーフ ◆kP2iJ1lvqM