【 「交換」 】
◆zS3MCsRvy2




70 名前:No.16 「交換」 1/5 ◇zS3MCsRvy2 投稿日:07/12/23 16:47:49 ID:GVoliDZ5
 外は稀に見る雪模様でした。
 猫さんの額みたいに小さな窓から望む街の景色は、夜だというのに真っ白な薄明かりで覆われています。
察するに、舞う粉雪がお店や家庭から漏れる光を浴びてきらめいているのでしょう。
とても壮麗な光景です。十二月の、それもクリスマスイブの日に雪が降るなんて、いったい何百年ぶりなんでしょうか。
「ねぇサンタさん。わたし、見たこともないようなプレゼントがほしいです!」
 とんでもなくわがままなお願いです。昨日設置した簡易煙突からやってきたサンタさんも眉を寄せています。
 それもそのはず。この豊潤な時代、手に入らないものなんてないんですから。
 三十世紀を目前に控えた西暦二八九一年の今、わたしたち人類は発展に発展を重ね、贅の限りを尽くしています。
人間たちはどんどん楽をするようになり、自宅にいるだけで大抵のことは済んでしまうようになりました。
手を伸ばせば何でも手に入るといっても過言ではありません。……いえ、多少は誇張していますけど。
 だけど、ちょっとパソコンでぴこぴこと注文メールを送信すれば、五分以内には商品が家に届くのですから、
そう断言してしまっても構わないように思います。すごいです。どんなものでもですよ。
かく言うわたしも、先日、ネットショップを利用して、二ヶ月間せっせと貯めたお金でおっきなオルゴールを買いました。
そのせいで部屋のスペースの三分の一を占拠されてしまいましたが、個人的は大いに満足しています、ええ。
 ただその代わり、地球はもうこれ以上悪くはならないというところまで温暖化が進行してしまい、
季節感なんてモノはすっかり喪失してしまったものですから、今晩みたいな大雪には滅多に遭遇できません。
発展の代償はあまりにもも大きく、かつての美しかった自然は文献の中でしかお目にかかれないという有り様です。
実際に目にしたことのないわたしが言うのもなんですが、ひどく名残惜しい事だと思います。
ある意味では、この珍しい天気自体が一番のプレゼントだと言えるかもしれません。
「うーん、そう言われましても……」
 サンタさんは頭を抱えてうんうん唸っています。
 今や立派な福祉産業となっているサンタクロース。しかし今年のサンタさんは、去年までの方たちと全然違います。
 以前お会いした事のあるサンタさんたちは皆、立派なお髭をふさふさと生やしたおじいさんでした。
 今回来てくれたサンタさんはとても若くて、わたしとそれほど歳は離れていないように思えます。
トレードマークであるはずの白いお髭も、顎のあたりにほんのちょびっとしか生えていません。こういうのを、
無精髭というのでしょうか。触るとちくちくして痛そうです。わたしはお髭に頬ずりするのを楽しみにしていたので、
至極残念です。けれど真っ赤な服に、穏和そうな顔を見ると、やはり彼はサンタさんなのだと分かります。
「――サンタさん、やっぱり無理ですか?」
「ええと、んと……よし、分かりました。喜んでいただけるかは定かではないですが、出来る限りの事はやりましょう」
「本当ですか!?」

71 名前:No.16 「交換」 2/5 ◇zS3MCsRvy2 投稿日:07/12/23 16:48:10 ID:GVoliDZ5
「ええ、任せてください……でもあまり期待しすぎないでくださいよ」
 わたしは内心、小踊りしたい気分になりました。勝手に頬が緩んでしまいます。
 いつぞやに教えてもらいました。サンタさんが背負っている袋には実は空間転移装置が搭載されていて、
連絡を入れると本部から希望のプレゼントが転送されてくる仕組みになっているということを。
 果たして、どんなすごいものが送られてくるのでしょう。わたしはどきどきしながら到着を待ちました。
 ――けれど、サンタさんが告げてきた言葉は衝撃でした。
「それじゃあ、参りましょうか」
「えっ?」
「ついてきてください。ソリでお連れしますから」
 事も無げにサンタさんは言って、わたしの手を引きさっさと煙突に足をかけて屋根へと上がっていきます。
わたしはこんな展開など想定していなかったので、あわあわとうろたえながらサンタさんの背中に声をかけました。
「あっ、あの、どういうことですか?」
「たぶん、『見たこともないようなもの』なんてプレゼントはサンタネットの従業員も準備できないでしょうから、
僕が直々にご用意しましょう。けどこれからソレを取りに行かなければなりませんから、ご同行ください。
 なに、そのプレゼントがある場所はちゃんと分かっていますから、ご安心を」
「ええ――――!?」
 大変なことになりました。
 頭部を後ろからガツーンと殴られたような感じがします。
 わたしはサンタさんに促されるがままに煙突を登り抜け、そして訳も分からぬままソリに乗せられました。
ソリはどう見ても一人用です。しかもシートベルトなんてモノはありません。うう、落ちてしまわないでしょうか。
「これ……本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。いや、別に確たる証拠はないんですけども。……以前、同業者が私用でソリを使いましてね、
まあデートなんですが、二人で飛んでいたはずなのに、帰りには自分一人しかいなかったなんて事がありまして」
 わたしは逃げ出しました。
「はなしてくださいっ! 無茶です、まだ死にたくないですっ!」
「冗談ですって。それでも心配でしたら、ほら、こうすれば安全でしょう?」
 耳元で囁いた後、サンタさんはじたばた暴れるわたしを抱き上げて、ちょこんと膝の上に乗せました。
「これなら落下しませんよ。僕がしっかり支えておきますので」
 サンタさんはわたしの腰の辺りにそっと左腕を回して、ぎゅうっと体を抱き寄せました。
 ……なぜでしょう。妙に安心してしまいました。わたしは声も出さずに、ただ、こくんと一度だけ頷きました。

72 名前:No.16 「交換」 3/5 ◇zS3MCsRvy2 投稿日:07/12/23 16:48:43 ID:GVoliDZ5
「では、空の旅に出発!」
 サンタさんがそう高らかに宣言し、パネルを操作すると、わたしたちを乗せたソリはふわりと宙に浮かび上がりました。
重力に逆らっているんだ、という違和を全身で感じます。なのに、不思議と悪い気はしませんでした。
訊けば、斥力という効果を発生させて浮遊しているそうです。聞いたこともない用語で、ちんぷんかんぷんです。
「うわぁ、すごいです!」
 冬景色がほんとうに綺麗だと思えるようになった頃には、もう恐怖はほとんど消え去っていました。
細雪が容赦なく浴びせかけられるのですが、特に問題はありません。サンタさんの腕が、とても暖かいのですから。
 なんだか嬉しくなってしまいます。だけど同時に、胸の奥がきゅうきゅうします。なぜでしょうか。
「あの、サンタさんはおいくつなんですか?」
「僕ですか? 僕はですね、今年で二十一歳になりました。この業界じゃ新米でして、
ベテランのサンタクロースたちに『おい、若造』と罵られる毎日ですよ。髭もなかなか生えてきませんし」
「はぁ、意外と大変なんですね、サンタさん業界って」
 思ったとおり、サンタさんはわたしとそんなに変わらない年齢でした。わたしは十六歳を迎えたばかりですが、
医療技術が飛躍的に進歩し、平均寿命が二百歳近くにまで延びた現代では、まだまだひよっこです。
子どもでいられる月日は相対的には増えましたが、絶対的には何も変わっていません。
やはり、二十九世紀の現在でも少女として過ごせる時代はものすごく貴重なのです。ほんの一瞬ですよ、そんなのは。
 道中、若い若いサンタさんはたくさん面白いお話をしてくれました。
このお仕事を志すようになったきっかけだったり、サンタ界の長老と呼ばれている人の伝説だったり、
クリスマスの時期以外はプレゼントの製造作業に追われているという裏事情だったり。
 いやはや、なんとも楽しいひとときでした。永遠に続きそうな夢のように、穏やかな時間でした。
 さて、夜景は息を呑むくらい美麗なのですが、ただ一つ、がっかりなことがあります。
 それは、空がお化けみたいな雲で隠されているせいで認識できる光が人工的なものしかないということです。
確かに綺麗な事は綺麗なのですが、月明かりも星明かりも存在していないというのはやはり寂しいものです。
 もっとも、地球が保守していた環境形態は完膚なきまでに崩壊してしまっていて、
今じゃ一年中曇り空しか仰ぐことができないのですから、しょうがないと言ってしまえばそれまでなのですが。
「さあ、もう少しですよ」
 ソリは発進音を減衰させつつ、どんどん高度を上げていきます。
 天高くへと上昇していくにしたがって、街は博物館で見学したプラモデルみたいになっていきます。
 段々と小さくなっていく、わたしのおうち。何でも手に入れられた、便利でちっちゃなおもちゃ箱。
つい先程までいたはずのその場所が、どういうわけか随分と昔のことに感じられます。

73 名前:No.16 「交換」 4/5 ◇zS3MCsRvy2 投稿日:07/12/23 16:49:08 ID:GVoliDZ5
 ソリには絵本で読んだようなトナカイさんは伴っていません。原理から動力まで、全て科学の力で飛行しています。
なんとなく、夢を壊されてしまったような心境です。でもその分、風景を俯瞰する邪魔にならないので、それで帳消し。
サンタさんは言いました。いろんなことをするためには、いろんなものを切り捨てなきゃいけないって。
思うにその話はきっと正解なのです。一晩中サンタさんたちは広い空を飛び続けるのですから、
乗り物だけで飛んだ方が都合がいいのは明らかです。そもそも、トナカイは空飛ぶ動物じゃないんですし。 
 ソリは冷たい氷の粒を突き破って、雲の上に広がる空に辿り着きました。
 音はありません。澄んだ空気はすがすがしくて、寒々しい外気がわたしの頬を痛いぐらいにくすぐります。
「存分にご堪能ください、お姫様」
 サンタさんは右手を広げて呟きます。その仕草が、ガイドさんのようにも、王子様のようにも捉えられました。
 ――目の前には、溢れんばかりの柔らかい明かり。
 わたしの双眼は、まるでまばたきする事を忘れてしまったみたいに、この光景に釘付けになっていました。
「わぁ……」
 瞳に飛び込んできたのは、奇跡でした。
 ほんとうに、すてきで。わたしは言葉を探すことさえできなくなってしまいました。
 当然のことですが、雲の向こう側の世界に雪はありません。引き換えに、月と星が夜空に瞬いています。
その淡い輝きはこの上なく美しくて、地上の何百億もする宝石たちが束になっても、きっと叶わないに違いありません。
 雲に映る月影。
 消えていく流れ星。
 降り注ぐ月光はとても優しくて、乗っているソリごと包み込まれそうです。
「どうです、ご希望に沿えましたでしょうか?」
「はい……すごいです。確かに、これはわたしが今まで見たことのないものです」
 まったくの本心で感想を述べました。するとサンタさんはにっこり笑って、そして語り始めました。
「僕はね、思うんです。この素晴らしい夜空も、昔はいくらでも望むことができたんだろうなって。
だけど人間は楽する事を覚えてしまったから、その対価としてかけがえのないものをたくさん手放してきました。
……それってすごく悲しいことなんだけど、僕は仕方ないんだろうなって受け入れてしまうんです。
この地球が、かつての地球のレプリカに過ぎない星に変わってしまったとしても、たぶんきっと仕方がない」
 そこまで言って、サンタさんは喉の奥が詰まったみたいに黙りこくってしまいました。
サンタさんの横顔はとても哀しそうで、見ているわたしもつられてしんみりとした心持ちになります。
「けど、そんな一言で諦める必要はないでしょう? 今この瞬間だって、美しい星空を見上げられているんですよ。
部屋にいたままじゃ絶対に叶わない願いごとも、一歩外に出てみれば、可能性はいくらでも転がっています」

74 名前:No.16 「交換」 5/5 ◇zS3MCsRvy2 投稿日:07/12/23 16:49:27 ID:GVoliDZ5
 サンタさんの声は、空の上のお月さまみたいに優しくて。けれど、すごく力強くって。
「それを得られる権利は、図々しくもまだ僕たち人類には残されてるんですから」
 サンタさんはどこか遠くを見つめながら、そんな風にわたしに聞かせてくれました。
 わたしは何も答えることなく、うつむいてきゅっと唇を閉じていました。ずっと噛みしめていたんです。
自分が経験したことのないものなんて、こんなにも身近なところにあったんだという驚きを。
距離なんて関係ありません。わたしの家から、ただずーっと空に昇っていくだけで発見できたのに。
いや、近いようで遠かったのかもしれません。学校で習った『灯台下暗し』なんてことわざを思い出しました。
 わたしはサンタさんにお礼を言うために、いったん乾いた唇を濡らしてから口を開きました。
「今日はありがとうございました。本当に……本当に素敵なプレゼントでした」
「どういたしまして。――いやあ、良かったですよ。僕もほっとしました。
もしかしたら、お気に召してもらえないんじゃないかなって不安だったたものですから」
「そんなこと――――」
 ありませんよ、と続けて、わたしはそこでようやく微笑みを見せることができました。
 自分で称えるのも恐縮ですが、百点満点の笑顔だったように思います。
「じゃあ、そろそろ下に降りましょうか。僕もまだまだ仕事が残っていますから」
 サンタさんはまたわたしを抱き寄せて、ソリの運転を再開しました。ソリは、ゆっくりと落ちていくように降りていき、
ふわふわとしていた体が次第に重くなっていく感覚を覚えます。ちょっと変な気持ちです。仄暗い雲から抜け出ると、
街にしんしんと銀色のパウダーが降り積もっているのが分かりました。どうやら、今夜は雪は収まりそうにない気配です。
 天空旅行からの帰り道、横着なわたしはサンタさんに寄りかかって、こっそり甘えてみたりなんかします。
サンタさんは顔を着ている洋服と同じくらい赤くしておきながら、こちらの所作に気付かないふりなんかするので、
わたしはクスクス笑いを堪え切れずに表に出しちゃいました。調子に乗って、甘えるのをやめないことに決定しました。
 数十分後、ソリは懐かしい我が家に着陸しました。サンタさんに抱えられたまま屋根の上に下ろされて、
そのままサンタさんはすぐに次のお届け先へと飛び立っていきました。わたしはさよならとだけ小さく伝えて、
視界から徐々にフェードアウトしていく一台のソリを、手を振りながらぼんやり眺めていました。
 今年のクリスマスイブは、これまでになく大満足の一日となりました。
過去にもいろんなプレゼントを、いろんなサンタさんたちからいただきましたけれど、間違いなく此度が一番でしょう。
 ……でも、少し不公平な気がします。
「――ずるいですよ、サンタさん」
 あの人は素敵なプレゼントをくれた代わりに、わたしの一番大切なものを交換していってしまったんですから。
<了>



BACK−トリガーハッピーエンド ◆JISdAARPb.  |  INDEXへ  |  NEXT−友好 ◆h1izAZqUXM