【 バカタレの贈り物 】
◆/7C0zzoEsE




47 名前:No.10 バカタレの贈り物 1/5 ◇/7C0zzoEsE 投稿日:07/12/23 12:32:06 ID:GVoliDZ5
 苦節四十年。私はすっかりくたびれた木製のデスクを、優しく撫でた。
 入社当時は新品同様で輝いていたそれも、
今では深く掘り刻まれた傷跡や木屑で古ぼけてしまい、
私同様、すっかり年をくってしまった。      

「さて……と」
 荷物を整理して、よっこらせっと立ち上がる。
「持ちましょうか?」
 部下が声をかけてくるが、
「いやいや、せっかくだからね……」
 とその声を一蹴した。この重さを感じて歩きたかった。
 一歩一歩噛みしめるように会社を歩く。
ふと、足をとめて天井の隅にある染みを見やった。
「どうなさったのですか?」
「いや、もう最後となると、今まで見過ごしてきたつまらないものが、
妙にしみじみ思わせるんだ。嫌だね、年を取るっていうのは」
 いえいえ、畑中さんは若やかですよ。
なんて心にも思っていないだろうお世辞を彼が言うので、
私はハハと苦笑いを返してしまった。


 ゆっくり出口に近づいていく途中、ふと後ろを振り返った。
「さて、あのデスクは一体どうするつもりなんだ?」
「随分、えと、年季が入っているので、処分……になると思います」
 彼は慎重に言葉を選んで話しているが、
実のところ、会社の美観を損ねる古ぼけたそれを、
さっさとプラスチック制に変えてしまい完全に今風の会社にしたかったのだろう。
 おそらく、私がいた今までもずっと。

48 名前:No.10 バカタレの贈り物 2/5 ◇/7C0zzoEsE 投稿日:07/12/23 12:32:32 ID:GVoliDZ5
 もう私は口を出せる立場ではない。
「業者に引き払ってもらう前に頼みがある」
「なんでしょう?」
「あのデスクを……バラバラにしても良い。私の家に届けてくれ」
「かしこまりました」
 すまんな。と告げた後、遂に会社の出口に着いた。
外の光が差し込む。最後にもう一呼吸おいて、静かに。
お疲れ様、と自分に小さく呟いて足を踏み出した。文字通り――退社した。
と同時に、

ザッと足並みを揃える音が聞こえた。


「お疲れ様でしたっ!」

 社員達がズラリと並んで、頭を下げている。定年の際の儀式の様なものだ。
 私もそんな時期が来たのだと、改めて実感した。
「ようやく煩いのが消えて清々するな、お前ら」
 最後の最後まで、私は皮肉を忘れなかった。
 
――思えば、入社当時は数多ある中小企業の一つに過ぎなかったこの会社が、
今そこそこの大手にまで成長したのは、自惚れではなく、
確かに私の尽力した成果であると言えよう。
 若い頃から、薄給でも夜遅くまで残業し、契約を取るために東奔西走した。
たとえ、飲みに誘われても断った。

 やがて、年を取って若手を育成する上司の立場になると。
嫌われ者になっても構わないと、ただただ厳しく辛く障害として当たった。
彼らが、逞しく成長して会社の頼もしい基軸になってくれるのだけが願いだった。

49 名前:No.10 バカタレの贈り物 3/5 ◇/7C0zzoEsE 投稿日:07/12/23 12:32:56 ID:GVoliDZ5
 ふと気が付くと、若い連中の何人かが、集まって花束と退職祝いを渡してきた。
「多くを教えてくださり、本当にありがとうございました。
これは、私達からの感謝のしるしと退職祝いです。受け取ってください」
 私は、両手に花束と包装紙に包まれた贈り物を抱えると
不覚にも顔を赤らめてしまった。
 部下から嫌われていることは違いなく、形だけのプレゼントであってもだ。
やはり、嬉しいものには変わりない。
 しかし、私は尋ねた。
「これは、部署全員からの退職祝いかね?」
 彼は冷や汗を垂らした。
「えぇ……と、はい、そうです」
「本当に?」
 私がギョロリと彼を睨みつけると、彼は観念したように答えた。
「斉藤の分は除いて――です。彼は、今日……欠席してます」
「……やはりな、思ったとおりだ。あのバカタレめ」
 彼は困ったような顔をしていたが、
私が、ありがとよ。と微笑みかけると、安堵したようだった。
しかし普段全く笑わない私だからか、一瞬驚いた顔をした。


 私は、斉藤がまともに贈り物を渡すとは思っていなかった。


 あいつは私が五十を過ぎた頃に入ってきた社員だった。
その頃になると、私も上司としての威厳を持ってきていたように思っていたが、
あいつはたじろぎもせず、いつでも偉そうに話しかけてきた。
 高卒でどうしてそこまで不遜な態度がとれるのか知りたかった。
『また、間違ってる! 何度同じ事を言えば分かるんだ!』
『そこは確かに間違えましたけど、その前の所は始めて聞きましたよ?』
『ん……。むぅ、うるさい! 早く直してこんか』

50 名前:No.10 バカタレの贈り物 4/5 ◇/7C0zzoEsE 投稿日:07/12/23 12:33:17 ID:GVoliDZ5
 あいつとのやり取りをそっと頭に描いた。
 偉そうにしていたが、あいつの集中力と吸収力は大したものだった。
仕事の事に関して私に意見する度胸もあった。
 文句があれば、すぐに言ってくる奴だった。
胸の奥で不満を溜めて恨んでいる他の輩よりはずっとましだった。
 それでも、色々と腹立たしい男だったのは変わりないが、
最後となるとやはり会いたかった。
 私に同僚はいなかったから、あいつが一番気の置けない奴だったのかもしれない。
 だからか、ここに今並んでいないのが無償に寂しかった。

「それでは、名残惜しいですがお別れです」
「おお、じゃあな」
 仕事の時間が押している。部署で一番年長の男がそう切り出すと、私もあっさり別れを告げた。
 私は会社と社員達に大きく手を振って、その場からゆっくり離れる。
 またな、とは言わなかった。おそらく、もう会うことはないからだ。
退職した今、私の家にやってくる様な奇異な奴はいないだろう。
いや、いるとすれば、そいつは――――

「畑中さんっ!」

 聞き飽きた若僧の声が響く。随分偉そうな若僧の声。
「はぁ……はぁ。良かった、帰る前に間に合って。家まで行くのしんどいんですから……」
 ふぅー、と彼は一息ついた。どうやら走って追っかけてきたようだった。
「お前は、何勝手に会社を休んでるんだ、このバカタレ!」
「会社辞めてからも怒鳴らないでくださいよ……これ探してたんです」
 彼はゴソゴソと鞄の中から包装に包まれた荷物を取り出した。
「退職祝いです。……今までありがとうございました」

51 名前:No.10 バカタレの贈り物 5/5 ◇/7C0zzoEsE 投稿日:07/12/23 12:33:41 ID:GVoliDZ5
「ふん、気持ちが篭っておらんわ」
 私が皮肉を言うと、斉藤もニッと笑った。
「内緒にしてましたけど部署の奴全員、畑中さん尊敬してるって言ってましたよ」
 私の胸が熱くなるのを確かに感じた。
「俺もッス。畑中さん、またどっか飲みに行きましょう!」
 畑中が強く握手した。私は熱くなる目頭を堪えて、

「またな」

 そう告げて、去った。

 私が家に着いたときには、すっかり暗くなっていた。
 妻が玄関先で出迎える。
「お勤め、お疲れ様でした」
「おう、すまんな、これ空けてくれるか」
 妻に、今日貰った退職祝いを手渡した。彼女は包装紙を丁寧に外す。
「あらまぁ立派な、徳利。随分高価そうですよ」
 そりゃあ、部署全員のお祝いだから多少高価だろう。
それにしても、徳利か。知らないよな、私は下戸なんだがな。少し寂しくなった。
 しかし、
「あら、こっちも高価そうですけど……随分不謹慎な悪戯ですわ」
 私が目をやると、そこにも随分高価そうな――遺影額があった。
「あ、あ……あのバカタレめ……」
 こんど飲みに行く時散々叱ってやろう。目上の人に対する礼儀を教えてやろう。
いつ撮ったのだろうか、遺影額に私とあいつが二人で写っている写真が挟まっていた。

 写真の中の私はやはりしかめっ面をしていたが、
ある意味心と皮肉の篭った贈り物に、私はとうとう笑ってしまった。
                              (了)



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