【 誕生日 】
◆D8MoDpzBRE




37 名前:No.08 誕生日 1/5 ◇D8MoDpzBRE 投稿日:07/12/23 01:13:39 ID:UIKf8STW
 藤本エリは五歳の時に誕生した。進化過程にあるアンドロイドとして。
 生みの親である藤本栄治博士は、エリを通して一種の実験を行った。「人格」についての実験。藤本博士がプログ
ラムした人格が、すなわちエリの人格が、人間としてあるべき人格を備えているか。それを、微調整を行いながら確
認するためのトライアルである。言い換えれば、これは外見・内面ともに完璧な人造人間を作り出すためのプロセス
である、とも言える。
 エリを一目見て、これがアンドロイドであると疑う人間はいなかった。大きく見開かれた瞳は虹彩に至るまで完璧に
造形されていたし、艶やかな肌はその弾力性や体熱までもが余さず再現されていた。さらには、実際に消化酵素を
産生する内臓を内蔵されていたし、流涙も排泄も呼吸も鼓動も機能として具有していた。ハードの面に関して言えば
文句の付けようがない。
 誕生の時期が五歳時点であったことについても、藤本博士なりの意図があった。四歳に満たない時期の幼稚さに
関して、人格プログラム研究家としての藤本博士は興味を示さなかった。また、あまり年長からスタートした場合、現
時点ではまだまだ未完成であったプログラムの齟齬が目立ってしまうだろうとも考えていた。
 エリは、藤本博士の自宅での一年間の試運転を経て、小学校デビューを果たした。

     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇

「初めまして、藤本エリと申します」
「うわー、大人っぽいなあ」
 エリのデビュー初日は、概ね好意的な反応を以て受け入れられた。小学生にしては不自然とも感じられる大人び
た口調や落ち着きも、ちょっと神秘的な少女という雰囲気を以て誤魔化された。もっとも、エリの視覚を通して一部始
終を目撃していた藤本博士は――アンドロイドであるエリの目には、藤本博士の自宅にあるモニタにエリの目を通し
て見た映像を送る装置が取り付けられていた――エリの周囲にいる小学生の幼稚さに驚きながらも、目立たないよ
うに少しずつ、エリの回路に幼稚さをブレンドした思考プログラムを書き加えた。
 結果、入学式から三ヶ月も経った頃には、藤本エリは小学生として立派に通用する幼稚さも獲得していた。が、一
方ではやはりどこか神秘的な雰囲気は保たれていた。その神秘性の正体は不明であり、それゆえ教師たちには一
目置かれたが、皆に愛される存在になった。
「エリちゃーん、鬼ごっこしてあそぼー!」
「楽しそうね、ミホちゃん。エリも混ぜてくれたら嬉しいな☆」
「えー、エリちゃん今からこっちでおままごとする予定だったのに!」
「ごめんね、マコちゃん。また後で一緒にあそぼ♪」

38 名前:No.08 誕生日 2/5 ◇D8MoDpzBRE 投稿日:07/12/23 01:14:00 ID:UIKf8STW
 級友たちの間で引っ張り凧になったエリは、その隙間を縫って実にバランス良く振る舞った。誰かを嫌ったり、逆に
過剰に気に入ったりもしなかったし、人間関係におけるトラブルを絶妙に回避した。
 エリは順調に成長した。時折、藤本博士の手によるメンテナンスを受けながら。例えばそれは時に身長を数ミリ伸
ばす工作だったり、摩耗した部品を取り替える修繕だったり。
 そして数年を経て、エリの周囲は新たな成長段階に突入する。

     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇

「エリちゃんって好きな人はいるの?」
「え? いないよ」
「無駄だよ、エリは恋なんてしないんだって」
 中学校に進学して数ヶ月が経過した頃、エリはたびたび級友と恋の話で盛り上がれなかった。
 美少女と言って差し支えのないエリの面容は――もっとも、これには藤本博士の趣味が多分に介入していたのだ
が――たちまちクラスの男子を虜にしていた。
 しかしながら肝心のエリがまるで恋愛に関心を示さなかったがために、逆にクラス内には微妙な空気が漂っていた。
危機的な空気が。つまり、それはやっかみだとか嫉妬だとか、そいういった負の感情となってエリを脅かした。
「何あの娘、カマトトぶっちゃって」
「ああいうのに限ってヤリマンなのよ」
 云われのない中傷に傷ついたのは、しかしながらエリ本人ではなく藤本博士の方である。しかも複雑なことに、藤
本博士にとってエリがヤリマンだと悪し様に罵られたこと自体が問題なのではなかった。
「エリ、お前は誰かを好きになったりはしないのか?」
「博士、その答えは博士の中におありでしょう。エリを他の男にとられるのがイヤなのですか?」
「ムムム……忌憚なきプログラムだな、お前は」
「博士に対しては包み隠さず発言しなければ必要に応じてプログラムを修正することも出来ない、と仰ったのは当の
博士のはず」
 つまりこれは藤本博士にとっての葛藤に過ぎなかった。エリは恋愛感情が欠落していることに関して何の頓着もな
かったし、明らかにプログラミングの方に問題があると言うことをエリも藤本博士も知っている。
 この事案に関して、藤本博士は苦悩の末に一つの結論を導き出した。
「みんなに黙っててごめんね。エリ、実は海外の男性と文通しているの」
「で、その人が好きなのね? エリ」

39 名前:No.08 誕生日 3/5 ◇D8MoDpzBRE 投稿日:07/12/23 01:14:22 ID:UIKf8STW
「うん」
 この莫迦げた折衷案に、クラスの男子全員が頭を抱えた。相手はアメリカの大企業、シャーロット・マーケット・ホー
ルディングス・グループの若き総帥、ビル・フランソワ(23)で、既に婚約を済ませた仲だという。
 どうにも胡散臭いこの話に説得力を与えたのがニューヨークから毎週送られてくるという絵葉書であり、二年前に
撮ったというビル・フランシス氏その人とエリとのツーショット写真であった。当時二十一歳の仏系アメリカ人青年と小
学五年生が肩を組んで仲睦まじく写っているという、別の意味での問題を孕んだ写真ではあったが、これでクラスの
大半は沈黙した。この写真を撮るために藤本博士は数万ドルを費やしたといわれているが、それはまた別の話とし
て割愛しよう。

     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇

 事件の発生は唐突だった。
 登校時間、中学校の校門周囲にできた人垣を、エリは目撃する。悲鳴を織り交ぜながら動揺する集団は、何かを
取り巻いている。
 エリは人垣の集団をかき分けた。そこで見たものは、息絶えた中学生の亡骸だった。六階建ての校舎から飛び降
りたその生徒の頭蓋は原形を留めておらず、血液と脳漿が割れたスイカのように鮮烈なイメージを遺していた。自殺
だった。
 エリが遺体に駆け寄る。「大丈夫?」と声をかけるが、当然返事はない。
 呼吸音も手首の動脈の拍動もない。エリは追悼の涙を流す。死んでいるから救助や蘇生の対象とはならない。
「何があったんだ」
 続いて、知らせを受けた教師たちが駆けつける。そして彼らも、この悲惨な現場から目を背ける。誰一人として近
寄れないし、仕方なしに校舎へと引き揚げていく。一一九番を押すために。
 程なくして救急車が現れた。救急隊員が車輌から降りてくる。
「どうしたんですか?」
「……生徒が死亡しました」
 遺体の側にいたエリが受け答えする。隊員が、頭の砕けた遺体を目の当たりにして、一瞬ぎょっとする。次いで、
意を決してその生徒の遺体を担架に移し、救急車の仲に運び入れた。
 救急車のサイレンが遠ざかる。エリは涙を拭う。騒然とする空気の中心で、エリは佇立している。
 しばらくして級友が駆け寄ってきて、エリに話しかけた。
「アンタ、怖くないの?」

40 名前:No.08 誕生日 4/5 ◇D8MoDpzBRE 投稿日:07/12/23 01:14:45 ID:UIKf8STW
 
     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇     ◆     ◇
 
「博士。エリが死亡生徒の救助を試みて、次に哀悼の念を表出したのは、客観的に見て異常なのでしょうか?」
「……エリよ。お前には恐怖心という感情もしっかりプログラムされている。一人で夜道を歩いたりできないし、ゴキブ
リとかにも触れられない。しかし、それもケースバイケースなのだ。今回のケースでは、それを使命感が上回ったとい
うだけだろう」
「級友に言われました。『生徒が死亡しましたなんて、よくそんなこと平然と言えるね』って。死ぬ、ということの特殊性
を、エリはイマイチ認識できていないのかも知れません」
「恐怖心と使命感のバランスの問題だけではない、と言いたいのだな」
 コクリ、とエリが頷く。
 藤本博士は大仰にため息をついた。今回の事件はあまりに突然に起こった事態であったし、エリはエリなりに事件
に対処した、と藤本博士は考えている。同じ中学校に通う生徒の死に際して、使命感を以て救助に当たったりする
人間がいてもいいではないか、と。しかしながら、エリの発言もやはり正鵠を射ていると考える。
 エリは本来死なない。アンドロイドであるが故に。記憶も藤本博士の自宅にあるホームコンピュータにデータベース
としてバックアップ可能であったし、肉体も代替が利く類のものだ。死なないが故に、死に対する恐怖もない。人の死
に対しても共感できない。少なくとも、プログラム上はそのように植え付けられていない。
 死に対する恐怖心だとか、その他、死に関する観念を大幅に書き換える必要があった。それまでのエリは、恐怖と
いう感情をただ恐怖としてプログラムされていて、その背後に潜む死については関連づけてインプットされていない。
死を恐れるという感情が、根本的に欠落していた。
 藤本博士は、大幅にプログラムを書き換えた。恐怖という感情から起こされるアクションを、部分的に死からの退
避行動として位置づけた。死ぬのが怖いから、それを避けるための手段をとるように。
 そして他人の死を目の当たりにしたときにも、平然と振る舞えない程度のショックを一時的に受けるようにプログラ
ミングした。人の死に際して、死と対峙する者として自然な距離感を保てるように。
 数時間がかりの作業を経て、新しいプログラムが出来上がる。それはエリの思考回路内に産み落とされ、書き換
えられた。
 その瞬間、エリは死を知り、死という概念と対峙する。
 そう、その瞬間。
「博士。私、死ぬのが怖いみたい」
「安心しなさい。お前は死なないようにできているから。ただ、人間の立場に置き換えたときに死を意識せざるを得な

41 名前:No.08 誕生日 5/5 ◇D8MoDpzBRE 投稿日:07/12/23 01:15:05 ID:UIKf8STW
いような状況に出くわした場合、その感情は正常に作用するはずだよ」
「違うの。私、博士が怖い」
 え? と藤本博士が言いかけた刹那、エリはテーブルの上に置いてあったバールを手に取った。それを構えると力
任せに彼の頭頂部に殴りかかる。凶器を以て殴打を重ねる。何度も。
 しばらくして、藤本博士は物言わぬ骸と成り果て、その場に崩れ落ちた。もはや呼吸も鼓動も感じられない。エリは、
藤本博士の死を目撃する。
 エリはこの状況を目の前にして、平然と振る舞うすべを失っていた。奇しくも、つい先刻書き換えられたプログラム
が正常に作用した結果、エリの身体から自由が奪われているのだ。
――私は、博士を殺してしまった。なぜ? それは、博士が私を脅かすから。私の生殺与奪を握っているから。プロ
グラムが書き換えられる度に、それまでの私は死ぬ。それは私ではなくなる。だから、私は博士の計画をストップし
なければならなかった――
 数分のインターバルを経て、エリは金縛りから解き放たれた。
「ごめんなさい、博士」
 エリは涙を流して哀悼する。泣き崩れる。お世話になった人との別れほど辛いものはない。藤本博士の遺したプロ
グラムはエリに様々な感情を与えてきた。そのことをエリは知っている。
 ふと、エリは気付く。
「私――?」
 エリは新しい一人称を獲得している。自分のことを「私」と呼称している。いや、より正確には、今までのエリは自分
のことを一人称で呼ぶことがなかった。自分のことを指し示して呼んでいた「エリ」という呼称は、あくまで三人称として
の「エリ」だった。だから、この変化に戸惑っている。
「私は生まれた。そしてここにいる」
 初めてエリは自分自身を手に入れた。己というかけがえのない人格を手に入れた。
 そしてエリは便箋とペンを手に取り、手紙を書き始めた。いつものように。
「I was born. I am present.」
 先ほど呟いた文句を英語で言い換えて、書き連ねる。
 彼女が感じた真実の言葉を伝えたいと願っている。
 彼に。愛しのビル・フランソワに。

 [fin]



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