【 Frohliche Weihnachten! 】
◆NCqjSepyTo




32 名前:No.07 Frohliche Weihnachten! 1/5 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/12/23 01:10:53 ID:UIKf8STW
 今年最後の記事をデスクに上げ机上の書類を纏めていると、後輩の釘山が恨めしそうな顔で私を見
つめているのに気が付いた。
「本郷寺せんぱあい、明日っから休みっすかあ。いいっすねえ、日本に帰れますねえ」
 釘山は日本に妻子を残してきていると言った理由が無いので長期の休暇を取りにくいのだろう。
「我慢しろ釘山、俺も昨年は休めなかったんだ」
 お前も二年目になりゃ、もう少し長めに休みが取れるさ。そう言うと釘山はそっすかねえと溜め息を吐き、
咥え煙草もそのままに頭をがしがしと掻きながらパソコンのディスプレイに向き直った。
大体私も休みと言ったって完全な休暇を取れたわけでは無い。本社への報告やら海外支局員の
コラム執筆やら、その他諸々の雑用を支局長から言い付かっているのだ。ゆっくりと休めるかどうかなんて
分かった物ではない。
しかし、久しく会っていない妻の事や私に会いたいと駄々を捏ねているらしい二人の娘の事を考えると、
やはりどうしても帰らなくてはと言う気になるのだった。
纏めた荷物を抱えて釘山にじゃあなと声を掛けると、彼はキーボードを叩く手を止めぬまま、良いお年をと呟いた。
外に出ると、雪混じりの寒風がいきなり首元を吹き抜けて、私は慌ててマフラーを巻き直す。
ドイツ支局に赴任してから二回目の冬、ヨーロッパの寒さにはまだまだ慣れる事が出来ない。
 アドヴェントのドイツはまるで別世界だ。贅を尽くした東京のイルミネーションも、ドイツのクリスマス
マーケットの前では霞んで見えるだろう。明日の為に早く帰路に着こうと思ったのだが、
立ち並ぶ屋台で娘へのお土産を物色したりしているうちに、いつも通り新市街へと足が向く。
表通りを暫く言った後、昔の面影を残す細い路地を抜け四軒ほど行った靴屋の隣に、それはある。私の行きつけの酒場だ。
店の扉を押し開けると、そこには見慣れた光景が広がっている。
陽気な民謡を奏でるミュージシャン達、肩を組んで歌を歌う酔っ払いに数人の店員。
アルコールの香りとソーセージの焼ける良い匂い。夕飯時と時間が遅いこともあり、
昼間から酒を煽るのが習慣である彼らは皆が皆すっかり出来上がっているようだった。
「おい、リュウタ、こっちだこっち!」
 カウンターの傍の席から私を呼ぶのは背ばかりでかいくせにやたらと気の弱いディモと言う青年だ。
その隣に居るのはバウアーと言う恰幅の良い男で、相当長いことここの常連をやっている為皆からおやじさんと呼ばれている。

33 名前:No.07 Frohliche Weihnachten! 2/5 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/12/23 01:11:11 ID:UIKf8STW
いつも通りの挨拶を交わしカウンターの席についた私にその中から、この店を切り盛りしている女店主が
声を掛けてきた。
「いらっしゃいリュウタ、いつもので良いかい?」
「ああ、有り難うございます、フラウ・シェーラー」
 私がそう答えると彼女はゲルダで良いのにと言い、ヤパーナは律儀な人が多いねと大きな体を
揺すりながら笑った。私が差し出した鍵を受け取った彼女がジョッキロッカーからジョッキと言うには
小さすぎるマイジョッキならぬマイカップを取り出すのを見て、ディモが声を上げる。
「リュウタ、お前はまあたグリューワインか、ビールを飲め、ビールを! ここは働く男達が仕事終
わりにビールを飲む場所だぞ」
「良いんだよ、リュウタは」
 ワインをエスプレッソ・マシーンに注ぎ蜂蜜の瓶を捻りながらゲルダが笑った。
「なんせトウキョウから来てるんだよ、あんたみたいな田舎の坊やとは違うのさ」
 それにあんたは真昼間だろうが構わずビールを飲んでるじゃないか。秘かに彼女に想いを寄せてい
るらしいディモは、そう言われて少々傷付いたのかちぇっちぇっと舌打ちしながら私のことを、まる
でさっきの釘山のような恨めしそうな目で見つめたのだった。
 バウアーのおやじさんと他愛の無い話をしていると、酒の所為もあってかなかなか機嫌が直らずゲ
ルダの後ろのジョッキロッカーを凝視していた若き酔っ払いが徐に呟くのが聞こえた。
「そう言えば、一番左端の上のロッカー、年季入ってるな」
 誰のジョッキが入っているんだろう、と。
 「あれはもう、二十年も前のことになるかね」
 私がまだ十七の乙女の頃さとディモにせがまれゲルダが話を始めた。
「その頃は私のお父ちゃんがまだ生きててね、私は店の手伝いをしてた」
 いつの間にかカウンター周りには結構な人数が集まり、その様子はさながら彼女の独演会だった。
店員の女の子までがその輪に加わり耳をすませている。
「ちょうど今頃、アドヴェントの時分さ。今リュウタが座ってるその席に一人の男が座った」
 直ぐ近くに居るディモの喉がごくりと動くのが分かった。彼女の恋の話ではないかと察知したのだ
ろう。想い人の恋の話を聞くとなれば、大なり小なり傷付くことは免れないと分かっているだろうに、
それでも止められぬのが人の性らしい。
「十七の私と三つも変わらないような若い男でね、静かに一人でグリューワインを飲んでた」

34 名前:No.07 Frohliche Weihnachten! 3/5 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/12/23 01:11:32 ID:UIKf8STW
 がたん、と陶器の音がした。見ると、好奇心に溢れた酔っ払いの中、バウアーのおやじさんだけは
少し顔を顰めてビールを飲み続けているのだ。陶器のジョッキと木のテーブルが、少し大きな音を立
ててがたんとぶつかった。
「どこか影を背負ったような彼は、三回目に来た時名前を尋ねたらロメオだと言ったわ」
 恥ずかしい話だけど柄にも無く惚れちゃってねと彼女が続けると、ディモががくりと肩を落としそ
の隣に居た男が慰めるようにその背を軽く叩く。彼の気持ちは、いつの間にやら酒場の常連殆どが知
る物となっていたらしい。
「ロメオは頻繁に酒を飲みに来ていたから、私達はよく話をしたわ。最初は素っ気無かった彼も段々
と心を開いていってくれてね」
 そりゃあ嬉しかったさと笑いながら彼女はシナモンスティックを摘む。その顔がまるで恋をする少
女のように見えて、私は小さく息を飲んだ。
「それである日私はマーケットに出てジョッキを買ったの。彼がいつでもここに来て酒を飲めるようにって」
 それが、あのジョッキ。そう言うと彼女は親指でもってロッカーの一番上の左端を指し示した。
「その贈り物を彼はとても喜んでくれてね、これからも毎日来る、明日も来る。そう言って帰って行った」
 ゲルダの顔に少しだけ影が差す。
「それっきり」
 それ切り、彼は来なかった。と少し寂しそうな顔で彼女は続けた。
「恋は何度か経験したけど、それでもね。今尚一人でこの店を守ってるのは、そういった訳さ」
 私はもう一度ロッカーを見つめた。確かに年季の入った鍵ではあったが汚れている様子は無い。
彼女が定期的に手入れをしているのだろうと思うと少し心が痛んだ。
「あらあら、なんかしんみりさせちゃったねえ。さあ散った散った! 私はソーセージを取って来るよ」
 沈んだ空気を払拭するためかゲルダは一際大きな声でそう言うと、いつの間にか作っていたらしい
二杯目のグリューワインを私の前に置き、奥へと入った。
集まっていた客達が各々散らばっていく中、ディモは完全にダウンしているように見えた。きっと、
こんな話を切り出した自分自身を心の中で罵っているに違いない。
「あの日は、朝から雪が降っていてな。静かな日じゃった」
 じっと黙って酒を飲んでいたおやじさんがゆっくりと口を開いた。北ドイツ気質の彼は静かな酒を好む。

35 名前:No.07 Frohliche Weihnachten! 4/5 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/12/23 01:11:55 ID:UIKf8STW
「だが、昼になってそれは一変した」
 隣の市で銃撃戦があったのだと、おやじさんは苦い顔をますます顰めてそう言った。
「わしの弟が警察に勤めていてな、後でそいつから聞いたんだがどうも警官隊と麻薬シンジケートの
チンピラどもがドンパチやりあったらしい」
 イタリアの、ギャングだ。彼はそう言った。殆どが射殺され残りは投獄され、それ切りだ。それ切りだ。
おやじさんは噛み締めるようにそう呟く。ああ、と私はシナモンの香りのするワインが途端に苦くな
るのを感じた。彼女は多分、このことを知らない。おやじさんも多分、言うことは無いだろう。
本名かどうかはともかくとして、ロメオはイタリア人の名前なのだ。
 ゆっくりと椅子を引き、席を立つ。
「もう行くのか?」
 ディモが赤い顔を上げて私にそう尋ねた。
「ああ、珍しく長めの休暇が取れてね、明日日本へ発つんだ」
「そうか、そりゃあ良かった」
 たまには家族サービスでもするんだなとバウアーのおやじさんが笑い、その通りだ、
ヤパーナは働きすぎだぜとディモが首を振り振り嘆く。
苦笑いをしながらカウンターにグリューワイン二杯分の小銭を置こうとした私を戻ってきたゲルダが押し止めて言う。
「リュウタ、今日は私の奢りよ。何たってアドヴェントだからね」
 その言葉を聞いて、俺にはそんなこと言ってくれないとぶつぶつと文句を零し出したディモに、
私は今も昔も良い男に優しいのさ、とゲルダは大きな声で笑った。
「それと、これ」
 カウンターに置かれた大きめの包みを前に私が目で問うと、彼女はシュトレンケーキだよと言った。
「久しぶりに作ったんだ。日持ちするから娘さんに食わせてやって」
 私は小さく礼を言うと席を立ち、店のドアの前で振り返り手を上げて挨拶をした。
ディモとおやじさんがジョッキを携えた片手を高々と掲げて大きな声で叫ぶ。
「Frohliche Weihnachten!」
 するとその声につられたように店中の酔っ払いたちも手にしたジョッキを高く掲げて一斉に続ける。

36 名前:No.07 Frohliche Weihnachten! 5/5 ◇NCqjSepyTo 投稿日:07/12/23 01:12:18 ID:UIKf8STW
「Frolidhe Weihnachten und ein glukliches Neujahr!」
 その余りに陽気な様に少し悔しくなった私は、あえて英語で「Merry X'mas and happy new year!」
と返し扉に手をかけた。その瞬間丁度反対側からドアが開き、足早に入ってきた長身の男性と
ぶつかりそうになる。
「おっと、申し訳ない」
 私がそう謝ると、その男性は被っていた洒落たデザインの帽子を少し浮かせて私に会釈を返した。
見慣れない顔だ。二年程もこの酒場に通っている私は、自慢ではないがこの店の常連客の顔は名前と
一致するほどほぼ完璧に覚えている。その記憶の中には全く当てはまらない顔だった。それに今の男性は、
見慣れないと言うだけでなくどこか異国の雰囲気を漂わせている。
そう、強いて言うならばイタリアの系統の……
そこまで考えてあることに思い至り、私は思わず後ろを振り向いた。
そこには張り詰めた空気があった。ギターを抱えた小太りのミュージシャンもホール中に溢れる
酔っ払い達も、真赤になったおやじさんもディモも、そしてゲルダも。皆が皆目を見開いて彼を見つめているのだ。
「ゲルダ」
 男性がそう呟くのを聞いた。少し掠れ、しかし大きな喜びが溢れた声に思えた。
数秒後には歓喜の爆発に呑み込まれるであろうその嵐の前のぴりりとした空気を私は吸い込み、
とっくに閉まってしまった扉を再び開けると店の外へと出た。
その途端、冬のドイツの突き刺すような冷気が耳たぶに染み込んで来る。
シュトレンケーキの大きな包みを抱え直し歩き出す。うっすらと雪の積もる石畳も私の体温を奪おうと必死だ。
しかし、どこか体が暖かい。何故か心も温かい。
それが二杯のグリューワインのお陰だけでは無いと言う事が、私には分かっていた。






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