【 すみれの崖 】
◆みるくるみ




292 :みるくるみ :2006/05/21(日) 17:34:57.15 ID:+TmR3D2z0
お題「崖」/タイトル「すみれの崖」

「おい、あの花取ってこいよ」
そう花田が言って三井を小突いた時、僕はやれやれ勘弁してくれよと胸の内で
毒づきながら花田を見た。ボリュームのある肉付きに身長約170cm。小学生
相撲で横綱がとれそうと見せかけて実は空手道場に通っているという、ますま
す手におえないガキ大将で、ちなみにりんごのほっぺの持ち主でもある。
「取って来いって言ってるだろ」
「・・・」
三井はというと、青ざめた顔で崖下の花を覗いている。ご丁寧に震える手で黒
ぶちメガネを直したりしているが、まったくこのガキ大将対もやしって、昭和
の時代のいじめじゃないのかよ。いやそれよりジャイアンとのびた・・・いや、
のびたにはドラえもんていう親友兼強い味方がいたもんな、三井にはそんな使
える友達はいやしないよ、むしろ自分が使われているんだから。
「おい、なに黙ってんだよ、三井」
花田が小学生とは思えないドスの効いた声で脅しつけると、まるで気をつけの
姿勢をとるみたいにビクッと痙攣して三井がどもりながら言った。
「む、むりだよ花田君、だって崖なんだよ、下は海だし・・・」
しかし花田はどこ吹く風だ。
「んなこた解ってるんだよ、いいから取ってこいよ。お前の肝試ししてやるっ
 つってんだよ」
文字通り崖っ淵にいじめっ子といじめられっこ。そいつらから約5m離れて僕
と筒井。僕は筒井と顔を見合わせた。『やばいよな』『ああ、やばいよ』
・・・なにが悲しくて男とアイコンタクトせにゃならんのかとかそんなことは
置いといて、花田の馬鹿さ加減から言ってあいつは本気で三井に、土曜夜の二
時間サスペンスに出てきそうな下には岩と波打ち寄せる海が広がってる断崖絶
壁にちょこっとだけ帽子かけみたいに突き出した、80cm×100cm程度の広さの
岩に一輪だけ咲いているすみれを取りに行かせようとしているかもしれない。
かもしれないというか、限りなくその可能性が高い。そして周りにいるのは僕
と筒井だけ。


293 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/05/21(日) 17:36:49.65 ID:+TmR3D2z0
頼りの教師はいない、クラスメートも他のクラスの生徒もいない。あたりまえ
だよな、集団行動がうざいからってわざわざ行くなと言われた崖まで来たんだ
から。
さて、難題だ。花田は気のいいガキ大将だが馬鹿だから、1.5m下の突き出しま
でジャンプしてしゃがんで花を摘んだ三井を僕達が引き上げることくらい簡単
だと思っているのだろう。しかし僕は馬鹿じゃないので、崖にはよく突風が吹
いたりしてそれにさらわれたらジャンプした三井がそのままさよなら、ってこ
とが有り得るとか、花を摘むまでは上手くいったとしても引き上げる時にバラ
ンスを崩して三井はおろか僕たち皆でこの世にさよならってことが有り得るこ
とも予想できる。・・・それを諭して花田に理解させることができるだろうか?
花田は腕組みをして爽やかな初夏の海風に吹かれている。
「びびってんじゃねーよ、昇る時には俺が引き上げてやるよ」
・・・無理だ。現実的に考えよう。
1、助けを呼ぶ
2、力ずくで花田を止める。その間に三井に逃げてもらう。
情けないが僕の頭で思いついたのはこれだけだ。筒井も青い顔をしているので、
僕と似たり寄ったりなんだろう。・・・僕も青い顔をしてるのかな・・・。
さて1についてだが、自由時間になって僕ら四人は、みんながいるキャンプ場
の広場からだいぶ離れた小道を海に向かって15分歩いて来た。叫んでも聞こえ
ないだろう。なによりここで「叫ぶ」という選択肢が男に許されているかとい
う問題もある。やはり2だ。筒井に合図して花田を押さえ込む。自分も筒井も
155cm程度でひょろひょろだが、三井が全力で走れば逃げられるくらいは抑え
られるだろう。最悪、三井と僕たちが2、3発殴られてもそれは誤差内だ。要
は三井を崖から遠ざければいい。三井よ、そもそもなぜお前は崖っ淵なんかに
近付いたんだ。・・・ああそうか、さっき四人で寝そべって崖下を覗いたまん
まそこにいたわけか。
僕は筒井を見ると腕をつかんで、花田を抑えるぞ、と口の中でつぶやいた。ほ
とんど音にさえならなかったが、やはり筒井も同じ事を考えていたらしく、頷
いてくれた。ほっとした。こんな異常事態には、常識ある人間と意思疎通でき
るだけで人は安心感を得られるらしい。


294 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/05/21(日) 17:38:38.63 ID:+TmR3D2z0
今度は筒井が唇を動かした。声を出さずに、『1、2、さ・・・』
「うぅわぁあああああああああああ」
その時、三井の情けない震えた絶叫が耳をつんざいた。
僕と筒井はお互い後ろに倒れそうになりながらなんとか踏みとどまり、崖を見
やると、三井は煙のように消え去り、青空にむかって仁王立ちしている花田の
後姿だけがあった。
「三井!!!!」
僕と筒井がハーモニーを奏でながら五メートルの距離をダッシュして崖下を覗
き込むと、突き出し岩にへたりこんだ三井がいた。僕と三井も思わずへたりこ
んだ。良かった、死んでなかった・・・。
「よーし、じゃあ花をとれ」
仁王立ちに腕組みをした花田の横柄なものいいに、呆れると共に殺意を覚えた。
これほどの愚かさは死刑に値するんじゃないだろうか? それともこう思うの
は子供ならではの厳格さで、大人なら笑って許せることなのか?
三井は震えながら僕たちを仰ぎ見た。海から吹き上げてくる風で髪がばさばさ
と乱され、メガネが半分ずり落ちている。
「は、は、は、は、は、ど、どうだい、僕、飛び降りたよ、ふ、ふ、ふ、す、
 凄いだろう」
突き落とされたんじゃなく自分から飛び降りたこの馬鹿にも怒りを覚えつつ、
もうこれは小学生の手に負える状況じゃないと思った。
「花田。僕、本間呼んで来るからな」
僕の宣言に驚いたのは花田だけじゃなく、筒井も、三井もだった。
「お前、簡単に引き上げるとか言ってるけどな、風でも吹いてみろ、三井死ぬ
 よ。俺たちも道連れにされるかもしれない。だから、本間呼んで来る」
「・・・・・・うん、そうしようよ。な、花田」筒井が我に返って言い添えて
くれた。しかし、最初あっけにとられていた花田の顔はみるみる真っ赤に染まり
汗が噴出し湯気を立てて、もはやりんごのほっぺどころか頭全体が焼けたヤカ
ンのようだ。
「ふざけんな! 本間だと? 先公呼ぶなんて、お前それでも男かよ、この野
 郎!」


295 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/05/21(日) 17:40:07.97 ID:+TmR3D2z0
花田がもう少し年かさだったら、もっと心からの怒りを表現できるようなボキ
ャブラリーを身に付けているだろうかと思って少し切なくなったが、僕は引く
わけにはいかなかった。
「じゃあお前はそれでも三井の友達かよ。・・・三井の命がかかってるんだぞ」
花田はグッと詰まった。いつのまにか組んでいた腕を解いていて、こぶしを握
り締めながらぶるぶると怒りに震えている。
「じゃあ、呼んでくるからな」
僕はきびすを返すとキャンプ場に向かって颯爽と歩き出した。歩きながら、本
間にこっぴどく叱られるだろうな、殴られるかもな、そんで、遠足が終わった
ら親にチクられて次は親から説教か、いやもしかすると遠足自体中止になって
学年中から吊るし上げられたりするかもしれない、あーあ、と今後の展開に思
いを馳せていたとき、うなるような花田のドス声が俺を追いかけてきた。
「勝手にしろ、弱虫野郎、三井は俺が引き上げてやる! おら、三井つかまれ
 よ」
ああもお本当に勘弁してくれよこの馬鹿。
「三井、そのまま座ってろ・・・って、この馬鹿!」
振り返ると、まるで株でも引っこ抜くような体勢で花田が三井の腕を持ってい
た。花田の股の下から三井の左腕が見える。眩暈を起こして倒れてしまいたい
と心の隅で祈りながら僕は走った。このまま責任を手放してしまえたらどれほ
ど楽だろう。筒井が花田に抱きつく。「よせ、放せって、危ないよ!」「うる
せええ、こんなもやしみてえなやつ、俺一人で持ち上げられるんだよ!」おい
おい、こいつにテコの原理を教えなかった理科の先公、今すぐこの場に出てき
て土下座しろ!「筒井、よせ、よけいに危なっ」
「うわーーーーーーー」
花田が強靭なバネとボリュームで筒井を振りほどこうとした反動で、軽い筒井
は何をどう間違ったのか、花田に抱きついたままくるりと半周して、体半分以
上崖からすべり落ちてしまった。
「筒井!」「うわああああああ」
筒井は脇から上が崖に引っかかっている状態になっていた。しかもその地上に
乗っかっている腕が必死にしがみついているのは花田の右足首である。


296 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/05/21(日) 17:41:59.38 ID:+TmR3D2z0
「ぬうおーーーーーーー」「ひいいいいいいいいいい」「わあああああああああ」
花田が雄たけびをあげ三井が掠れた金切り声をあげ筒井が悲鳴をあげた。
僕の口からはうふふふふふふふという笑いがこみ上げてきた。なんで一瞬でこ
んな致命的な事態に陥ってしまうんだ、とか、これだから馬鹿は、とか、断片
的な感情が錯綜したが、とにかくこの状況を打開しなければならない、そして
それが出来るのはなんとこの僕一人だけで、更に驚くべきことには、小学六年
生の男子生徒一人の肩に同級生三人の命が掛かっているわけだ、あははは
ははははは、僕ってなんてスーパーサイヤ人?
僕は滑り込むようにして花田の足元にしゃがむと、ひざをついて筒井に覆い被
さり、崖に飛び出すようにして背中に抱きついた。
「花田、聞こえるか」
「うおっ」
「いいか、そのまま踏ん張ってろよ」
「うおおっ」
「筒井、せーので行くぞ、1、2、3、せーのっ」
「うおおおおおおおおおおっ」「ひぃいぃい」「うあああっ」
腹筋、腹筋、背筋、背筋、ひざを突っ張って筒井を持ち上げながら引きずり込
む。筒井の左膝が崖に乗っかる。もうちょっと、もうちょっと・・・。足でず
りずりと地面を捉えながら、筒井は俺の腹の下に這いずって来た。まだ右足の
膝から下が空中に浮いていてはあはあと全身で息をしているが、今度は三井の
番だ。
「三井、右手を出せ、俺が引っ張る!」
「うひぅぃいいいいい」
見ると三井は既に泣いていた。鼻水が口にまで流れ込んでいて、黒ぶちメガネ
は左耳に引っかかっているだけという無残な姿だ。パニックでも起こされる前
に早く引き上げなくては。
「三井、手だ、右手っ」
「ううううううううううん」
しかし三井は右手を持ってこない。肩が抜けているんだろうかと青ざめた時、


297 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/05/21(日) 17:44:36.84 ID:+TmR3D2z0
花田がひときわテストステロンを効かせて咆哮した。
「うるせええええ、意気地なし野郎の泉はすっこんでろおおおおおおっ!!」
それはまるで、本当にカブを引っこ抜くかのようだった。
花田が後ろに倒れこみ、三井が宙を舞った。
それを目で追いながら僕も倒れこんだ。三井は3メートル飛ばされて地面にバ
ウンドした。
「どうだ・・・、見たか・・・、泉の馬鹿野郎め・・・・・・」
花田は僕を罵倒しながら安らかに気を失った。三井は信じられないというよう
な顔つきで半身を起こした。
「・・・筒井?」
姿が見当たらない、と思った僕のすぐ側からくぐもったうめき声がした。
「い、泉、た、助け・・・」
花田の巨躯の下から、筒井の腕がはみ出している。
僕はすぐさま筒井を花田の下から引っ張り出した。
そして、何はともあれ本当に三井を一人で引っこ抜いてあまつさえ放り投げた
馬鹿を見た。
精根尽き果てながらも赤いほっぺで大の字になっている花田。
馬鹿野郎馬鹿野郎とこいつは僕を口で罵り僕は心の中でこいつを罵ったけど、
なんだか無性に切ない気持ちがした。やっぱりこいつは馬鹿だと思うけど、だ
けど・・・まだ柔らかい髪が、潮風にそよいでいる。目なんか、むっちりした
ほっぺたに埋まっているんだ・・・。
「や、やったぞ、み、見てよ!」
場違いはなはだしく嬉々として三井が叫んだ。
黒ぶちメガネはどっかに吹っ飛んでいた。満面の笑みで誇らしく右腕を振り回
し、その手には、摘み取られたすみれが恥ずかしげに揺れていた。
(終)



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