【 あの子との約束 】
◆EqtePewCZE




60 :No.17 あの子との約束 1/4  ◇EqtePewCZE:07/12/16 23:55:51 ID:w6ZS4p/J
 「ねぇ、ゆうくん。ゆうくんはやくそく、まもってくれるよね……?」
床に転がる裸のお人形。文字がおまけ程度に付いている絵本。意味もなく広げられたビニールシート。何故か隅に転がっている六法全書。
友達の部屋だ。昨日遊びに行って、明日遊びに行くつもりの永遠の小さな箱庭。僕の大切な友達の部屋。
僕には友達がいた。可愛い友達だ。夜の空よりも黒い艶やかな髪に、少し伏せた瞳が印象的な元気な少女。
彼女はいつも笑っていた。喋っていた。僕を見ていた。僕も見ていた。
 「ゆうくん、いまからするぎしきは、ないしょだよ?おとーさんと、おかーさんにしあわせになってもらう、まじないなんだよ」
僕はあの時頷いた。儀式だとか、マジナイとかは聞こえてなかった。ただ、あの子が嬉しそうに笑えるように頷いた。
彼女は頷く僕を見て、嬉しそうに手を取って笑った。それから世界の秘密を打ち明けるように、こっそりと僕に耳打ちしてくれた。
 「でもね……。ゆうくんだけは、いっしょにしあわせになってもいいよ。――ないしょにしてくれたらね?」
僕にだけ分かる少しだけ不安そうな仕草で、それでも笑顔は崩さずに彼女はこちらを凝視していた。
当時幼かった僕は、深く考えずに笑って彼女の手を握った。あの子の笑顔を崩してはならない。何よりも笑顔が見たい。そう思っていた。
彼女は僕よりも強く、強く、握り返してきた。そして今までの笑顔を止め、神妙な顔つきになって言った。
「ないしょ、だからね」

61 :No.17 あの子との約束 2/4  ◇EqtePewCZE:07/12/16 23:56:54 ID:w6ZS4p/J
 その日、教室の机に広げられた意味不明で不可思議な数字の羅列に嫌気が差していた僕は窓から空を見た。
怒られるのは構わない。いつからか、毎日が空っぽだった。鳥のいない空のよう。色がない太陽のよう。広がらない雲のよう。
――あの子に会えない僕のよう。
早くここから出たい。あの子のいる病院まで行きたい。会えないのは分かっている、だけど、少しでも近くにいたい。
そう頭で繰り返していると、単調な拍子の呼び出し音が聞こえた。
 “三年B組の 有村 優 君、すぐに職員室まで来てください”
空っぽの僕を急かすように響く機械の言葉。
珍しい事だな、とは思ったけれどもそれ以上の感情は湧かずに、ただ義務的に席を立った。
アナウンスがあったからか、普段の僕の態度を知っているからか、先生もクラスの皆も特に反応をせずに僕を無視した。
僕がいなくても世界は回る。
職員室まで足を動かし、灰色で少し粘っこい受話器を耳に当てる。
聞き慣れた、それでいていつもの冷淡な声が僕を打ち据える。

『ゆう君ですね? 今すぐ第一精神病院まで来てください。あの娘が会いたがっています。最後になるかもしれません。』

僕の世界が回り始めた。言葉を受け取って数瞬程凍りついた僕は、後の言葉は何も聴かずに、受話器も放り投げて走った。
後ろに響く悲鳴と怒号。僕はそれも聞こえず、運良くカギのかかっていない自転車に乗り病院へ向かった。

62 :No.17 あの子との約束 3/4  ◇EqtePewCZE:07/12/16 23:57:10 ID:w6ZS4p/J
「遅かった」
事実を告げる白衣の男。目の前には白と絶望。汗で濡れた体が震える。吐く息は激しく、響く鼓動は心臓を責める。
「すまなかった。だが、親御さん達から絶対に会わせない様指示されていたものでね」
聞こえない。あの子の声以外は聞こえない。聞きたくない。
「だが、親御さんは……不幸に逢ってね。昨夜ご両親共に息を引き取ったよ。だから、あの娘の最後の希望を叶えたく君を呼んだんだ」
声に苦渋が混じる。少しだけ、ほんの少しだけ僕はこの医者と意識が混ざった気がした。
「先生、はっきり言ってあげましょうよ。父親は首吊り、母親は投薬で自殺をしたと」
だがメスのように空気を引き裂く冷淡な声。
毎日僕を追い返す、いつもの看護婦の冷たい瞳。
また僕は凍りついた。医者が看護婦に何か言い始めたが、それもまたどうでもよくなった。
「会わせましょうよ。それが彼女の望みでした」
冷淡な声、それなのに僕にとっては至福の台詞が耳朶を打つ。
彼女に会える。
そこから病室の前まではただ朦朧と歩いた。彼女に会える。何を言おう。言っても聞こえない。彼女に会える。どういう顔をしよう。
彼女に会える。
看護婦が僕の顔を見た。能面のような凍りついた顔を少しだけ崩し、笑顔に見えなくも無い顔で病室のドアを開けた。

63 :No.17 あの子との約束 4/4  ◇EqtePewCZE:07/12/16 23:57:27 ID:w6ZS4p/J
 「神経性衒奇症だと? なんだいそれは?」
数年前のあの日、夕食時に彼女が入院した事が話題になり、父はまず理由を尋ねた。母は何も言わずご飯をよそい、声を潜めて囁いた。
「統合失調症の一種らしいわよ。ほら、あそこの娘いつも黒くてヒラヒラした服を着てたり、悪魔を見たとか法螺を吹いてたでしょ?」
――違う、マジナイだ。悪魔だとか呪いだとかはただの噂だ。
僕は凍った心で呟いていた。誰も彼女を理解しない。でも僕は誰にも話せない。
「何でも、奇抜な格好をして変な言葉を話して人の興味を引く病気らしいわよ。ご両親も大変ねぇ」
本気で心配してなさそうに、母は話した。父はそれで興味を失ったように箸を再度動かし始めた。僕は何も言わず部屋に戻った。
何も言わなかった。何もしなかった。いつもそうだった。約束が原因じゃない、【僕が】 何もしなかった。
分かってた、いつか後悔するんだって。それでも僕は何もしなかった。

 目の前には真っ赤な世界が広がっていた。
看護婦が後ろ手に閉めたドアの外から医者の声が響いている。
その声も次第に聞こえなくなり、僕の世界には僕と彼女だけが広がっていた。
真っ青な可愛らしい顔、黒いレースと装飾の多い細やかな衣装、細い手首から滴る生命の雫。
真っ白だったであろうベッドに横たわる彼女は、しあわせそうだった。
彼女の体の上に置かれたいくつかのモノ。
大量の血液にまみれた精神安定錠剤にロープ状に結ばれた包帯、錆びたメス。
大切そうに抱く、三人の人間が描く家族写真。
 ……そうか、彼女のおとーさんとおかーさんはしあわせになれたんだね。
彼女の世界で、彼女と一緒に。
ぽん、と肩が叩かれる。
僕はそれを無視するように彼女を見つめ続ける。
あの時の儀式は、果たして何だったんだろう。あの時、何が出てきたんだろう。あの時の約束は、守っていいものだったのだろうか。
彼女を見つめる僕。約束を守り続けた僕。振り向かない僕。
「ゆう君は、誰にも話さなかったんだね」
冷淡な声。聞こえない。聞こえてはいけない。
「だから、ゆうくんも」
あの時の声が聞こえる――看護婦の声は、彼女の声によく似ていた。
 (了)



BACK−My doorbell◆QIrxf/4SJM  |  INDEXへ  |  NEXT−鬼物語◆InwGZIAUcs