【 My doorbell 】
◆QIrxf/4SJM




55 :No.16 My doorbell (1/5) ◇QIrxf/4SJM:07/12/16 23:53:46 ID:w6ZS4p/J
 セント・リディアンの街は、音楽で溢れていた。
 立ち並ぶれんがの家々を、夕日が赤茶色に照らしている。
 明日は、聖リディアの四百回目の誕生日。
 ぼくはスキップで下校していた。足音がシャッフルを刻む。
 規則正しい足音が、もう一つある。
 ぼくを追いかけるように早歩きをしているのは、幼馴染で音痴のリズだ。「待ってよ!」
 振り向くと、彼女の二つに結った金髪が揺れていた。それでも、ぼくの足は止まらない。だって、今日と明日はこの街の人々にとって特別な日なんだ。
 今頃はきっと、ママが七面鳥とシャンパンを用意して待っている。パパは花束とケーキを車に積んで、鼻歌交じりで運転しているはずだ。
「待ってったら! ばか!」
 ぼくたちは、ちょうど分かれ道の前で立ち止まった。
「どうしたの?」
 ぼくが目を合わせると、リズは頬を桃色に染めて、体をよじらせた。「えっと、その――ううん、なんでもない」
「そっか、じゃあ、また明日!」
「うん、明日」
 ぼくは三歩後ろに飛んで、馬鹿みたいに大きく手を振った。彼女は何かを言って、そっぽを向いて歩き出した。
 ぼくは一人になった。長い影を踏むようにして、家を目指してスキップする。
 大きなテラスハウスに挟まれた中央通りは、いつもよりも人が多かった。今日は特別な日だからだろう。
 誰もが、自分の幸せを分けてあげたくて、歌って踊っているんだ。
 ぼくは、家のドアノブをひねった。がちゃり、と拒絶の音がする。
 何度も押したり引っ張ったりしてみたけれど、結局ドアは開かなかった。
「鍵がかかってる」思わずつぶやいた。
 このくらいで、寂しくなんてなるものか。
 耳を澄ませば、ほら、どこからともなく聞こえてくる。
 ♪ 鍵がかかっているのなら ドアベルを鳴らそう
 アコーディオンの音色と、やさしくリズムを刻むギター。辺りを歩く人々が、陽気な歌声でハミングしている。
 みんながぼくを元気付けようと歌ってくれている。
 お化粧をした男の人がやってきて、ぼくに素敵なウィンクをくれた。「がんばりなさいな、カワイコちゃん。ドアベルは夢の音」
 ぼくは目を真ん丸くして歌った。「そうさ、ドアベルを鳴らそう。小さな夢はドアの向こう」
 二拍目を強調して、何度もドアベルを鳴らす。りんリンりんりん。
「おーい!」遠くでリズの声がした。「おーいったら、ばか!」

56 :No.16 My doorbell (2/5) ◇QIrxf/4SJM:07/12/16 23:54:01 ID:w6ZS4p/J
 ドアベルから手を離して、振り向いた。
 リズがぼくの前まで走ってきた。膝に手をついて、ゼェゼェ言っている。
「どうしたの?」
 リズは数回深呼吸をして、息を整えた。
「あのね、やっぱり言っておこうと思ったの」
「なんだい?」
 ぼくはリズを見つめた。髪の毛が、汗で頬に張り付いている。
 リズが大きく息を吸い込むと、辺りはしんと静かになった。かすかに、指を弾く音が聞こえる。
 ぼくの手をリズが握った。顔が真っ赤になっている。
「あのね――」
 静寂の中から、指の奏でるリズムが、だんだんと大きくなってきた。
 Ahというコーラスの後、辺りの人々は歌いだしたんだ。
 ♪ おしゃまな恋人 お二人さん 早く言ってごらんなさい
「そ、そんなのじゃないわ!」リズは顔をさらに真っ赤にして、辺りの人たちに怒鳴った。それはまるで、シンバルの音のよう。
 リズが「ばか!」といいながら地団駄を踏んでいるうちに、ぼくはドアベルを鳴らした。
 バックビートで、りんリンりんリン。
「もう、ベルはいいからこっちを向いてよ! ばか!」
 ぼくは、リズの方を振り返った。
 するとその奥で、真向かいのテラスハウスのドアが開いた。
 そこから飛び出してきた双子の女の子が、ぼくの両腕にしがみつく。ショートヘア、おそろいのカチューシャが可愛らしい。
「むなしいドアベル」と右側の子が歌うと、
「寂しいね」左側の子が歌った。「だったら、一緒に夕飯はいかが?」
 アコーディオンを持ったおじさんが現れて、演奏を始めた。遅れてギターも加わる。
 周囲にどんどん人が集まってきて、ぼくをはやし立てた。
 ♪ 言葉に甘えて 美味しいものをいただきなさいな
 歌はどんどん盛り上がる。人々は隊列を組んで体を揺らしながら合唱し、コーラスが即興のカウンターメロディを歌っていた。
 ぼくは踏ん張って足を地面につけていた。けれど、可愛らしい双子の女の子に両手を引っ張られていると、招待されてもいいのではないかという気持ちになってくる。
 リズは呆然としてぼくと双子を見ていた。
 ♪ 今日は特別 男の子なら 両手に花束 あたりまえでしょ?
「さあいこうよ、七面鳥が待ってるよ!」

57 :No.16 My doorbell (3/5) ◇QIrxf/4SJM:07/12/16 23:54:14 ID:w6ZS4p/J
「私たちは可憐な花束、そうでしょ?」
 双子が歌い、ぼくは引っ張られる。七面鳥の焼けるいい匂いがする。
 ぼくのお腹がぐうと鳴った。
 ♪ さあさあ お言葉に甘えましょう
 街のみんなが、向かい合って両手を繋ぎ、アーチを作った。彼らはリズムに合わせて歩き、ぼくの目の前から双子の家のドアまでをアーチで繋げた。ただ一人、リズだけが加わっていなかった。
「ばか!」リズが叫んだ。
 みんなが一斉にリズを見る。次々とアーチが解け、演奏がストップする。コーラス隊は、低い声で静かにUhと歌っていた。
 リズがゆっくりと顔を俯ける。
 瞬く間に夕日は雲に隠され、その合間からちょうどリズだけを照らす。
 コーラスが止み、ギターが切ないアルペジオで奏で始めた。
「私は一人、向こうは二人。勝てっこないのかしら、こんな私じゃ。素直じゃないし、可愛くないかも。私はリズ。分かっているのよ、そんなこと。ああ、行かないで、たとえあなたが行ってしまっても、私はリディアさまの眠る樹の下でずっと待ちつづけるわ」
 リズは少しだけ音を外していたが、十分感動的なバラードだった。ファルセットの下手さが、かえって周囲を感動させたらしい。あたりがしんと静まりかえる。
 リズがゆっくりと歩いてきて、ぼくの胸に抱きついた。「ばか」 
 雲が流れて、夕日は沈む。辺りが真っ暗になったのも一瞬で、テラスハウスに連なる窓に灯りがついた。
 大きな満月が顔を出す。
 ぼくの心臓がビートを刻む。どうして三人の女の子にしがみつかれているのか、わからなくなってきた。
 アコーディオンがゆったりと演奏し始めた。よく太ったおばさんが歩み出て、ソロで歌いだす。
 ♪ ほら もう夜がきた 七面鳥は食べごろさ
 ぼくは、両腕にしがみついている双子の顔と、リズの顔を見比べた。どっちも甲乙つけがたいほどに可愛らしかったが、リズは今にも泣きそうで、双子は頬を赤らめて目を瞑っている。
 ぼくは三人から離れて、咳払いをした。そして歌う。「そんなことより、ドアベルを鳴らそう」
 三人がまた、同じようにしがみついてくる。
「ばか!」
「私たちを」
「食べないの?」
 三人は口々に言うと、ぼくを引っ張り始めた。
 アコーディオンのアンダンテが、急かすかのようにアレグロに変わる。リズムギターが八分音符で掻き鳴らされる。
「それでも、ぼくは、ドアベルを鳴らすんだ」
 必死に手を伸ばして、一つだけ、りんと鳴らすことができた。
 ドアの奥には、何の変化もない。
 アコーディオンとギターの音色は失速し、同じフレーズを繰り返した。

58 :No.16 My doorbell (4/5) ◇QIrxf/4SJM:07/12/16 23:54:28 ID:w6ZS4p/J
 ぼくたちは、ドアが反応するのを待っていたんだ。
「あらら、わたしを呼んだのかしら?」
 ♪ これはこれは リディアさまのお出ましだ
 すかさず歌ったのは、ソロのおばさん。無駄に語尾が長くて、ビブラートが効いていた。
 ぼくたちは中央通りの方を向いた。
 遠くからふわふわ迫ってくる人影は、青白く光っていた。フリルの素敵なガウンを着た、聖リディアの幽霊だ。
 立派な髭のおじいさんが、ドラムの代わりに果物の箱を叩いて、リディアのステップをフォローする。
 彼女はスカートを持ち上げて、軽やかに舞い踊りながらぼくの目の前に立った。
 同時に演奏が止む。
 リディアは辺りの人を見回し、スカートを持ち上げて上品にお辞儀をした。
 みんなは大きな拍手をリディアに送った。
 リディアは、ぼくの肩をやさしく叩いて、にやりと素敵な笑みを浮かべた。透けているけれど、ぼくよりも少し年上の美人なお姉さんだ。
「男の子なら、両手両足に綺麗な花束、当たり前」リディアは歌った。「だったら、答えは一つ。わかるでしょ?」
 リディアはぼくの後ろに回って、肩を抱いてきた。
「こうすれば、ほら、ね?」
 リディアの心が伝わってくる。
 ぼくは双子から腕を離して、三人一緒に抱きしめた。「こう?」
 リディアが頭を撫でてくれる。きっと「大正解」って意味だ。
 ぼくは抱きしめた三人の女の子に歌いかけた。「ドアベルを鳴らそう」
 リンリンリンリン。四回強く鳴らす。
 それを合図にしたかのように、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。
 見覚えのある車がぼくに近づいてくる。
 車がぼくたちの前に止まった。中から出てきたのは、パパとママだ。
「ごめんね、待ったかい?」パパが言った。「おっと、たくさんの女の子に囲まれて」
 ママはくすくすと笑った。「隣町で、たくさんシャンパンをもらったの。遅くなっちゃって、ごめんね」
 パパはトランクを開けて、大量のシャンパンのビンを取り出した。
「ほら、みんなも見てないで、運び出すのを手伝っておくれ」
 ぼくは辺りを見回した。
 みんなはぼくたちを見ている。
 抱きしめた腕を解いて、ぼくは言った。

59 :No.16 My doorbell (5/5) ◇QIrxf/4SJM:07/12/16 23:54:42 ID:w6ZS4p/J
「さあ、みんなで一緒に!」
 おじいさんが果物の箱を四回強く叩くと、それを合図にアコーディオンとギターの伴奏が始まった。
 リディアが舞い上がり、綺麗なイルミネーションを空に描く。
 みんな入り乱れて、軽やかなフォークダンスを踊った。
 もちろん、陽気に歌いながら。
 街中の人々が、ぼくたちの歌声を聞きつけて、次々と合唱に加わっていく。楽器を持ち出してくる人だっていた。
 ぼくたちは肩を組んで、ゆっくりと体を揺らしながら歌い続けた。
 もちろん、リディアが指揮者だ。
 そして、最後のフレーズ。
 ♪ そうさみんなで シャンパンのシャワーを浴びて 七面鳥を食べよう
 軽やかな後奏。
 リディアが大げさに右手を握って、演奏が止まる。
「――幽霊なのが残念ね」
 リディアがつぶやくと、みんなは大いに笑った。
 楽しい晩餐の始まりだ。
 みんなの家からテーブルを持ち出してくっつけた。中央通りがパーティ会場に早変わり。
 陽気な音楽とともに、夜は更けていく。
「ねえ、リズ。いったい何をぼくに言おうとしてたんだい?」
 リズは少しためらった後、光るような笑顔をぼくに向けた。
「ばか!」



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