【 奇術師 】
◆7BJkZFw08A




52 :No.14 奇術師 1/3 ◇7BJkZFw08A:07/12/16 23:50:19 ID:w6ZS4p/J
町はずれに、大きな広場がある。
普段は何もないところだが、今はそこに見世物小屋が立っている。
小屋の名前は「奇術小屋」。素直に手品ショーとでもしておけばいいのに、なぜだか奇術小屋と言う。
ある日私はその見世物を見に行った。
深い紫の天幕が八角形を形作るその建物は、いかにもイメージの中のサーカスや手品を行うテントのようだ。
まばらに見える人の姿が、すいすいと入口らしき幕の切れ目に吸い込まれていく。私もその流れについて、小屋の中へと入っていった。

この建物、名前こそ小屋だが入ってみると中々大きい。
中央の丸いステージをぐるりと囲むように観客席が配置されており、ざっと見た感じ100人くらいなら十分座れそうな数の座席が用意されていた。
座席はすでに三分の一ほどは埋まってしまっている。遠すぎもせず、近すぎもせず、私は見るのにちょうど良い位置に座った。
私が席について少しすると、もう少しで開演だ、ということを告げるブザーが鳴った。
この頃になるともう客も大体入り終えたと見え、入口の幕が閉ざされた。外からの光は入ってこない、天幕の上の白いライトが淡い光をステージに投げかけているだけだ。
開始を告げるブザーがひときわ大きく鳴り響く、それと同時にステージを照らすライトの光がぱぁっとその白さを増す。
小屋の奥の方からステージへと伸びる一本の細い通路を、黒いタキシードに白いマントとシルクハット、片手にステッキという珍妙な格好の男が歩いてくる。
背は高く身体はがっしりとしているが締まっている。コツコツと足音を響かせながら歩き、ステージの中央に来るとピタッ、と両足を揃えて立ち止まった。
「本日はお集りいただき、誠にありがとうございます! 紳士淑女の皆々さま方」
男はシルクハットを振り上げながら、心持ち高めのとてもよく響く声で最初の一言を放った。
シルクハットの下から現れたのは、まん丸の眼鏡をかけ、つけ髭かと思う程よくカールした口髭を備えた細めの顔。
「本日皆さまの貴重な時間をしばし預からせていただきます私、奇術師ハリー・夢宮と申します。どうぞ、お見知りおきを」
男は自分の名を名乗ると、ひょいと差し出した右手の上に、どこからともなく真っ赤なリンゴをパッと現した。
「さあて私皆さまに奇妙な事、不思議な術をお見せするために参りましたわけですが、説明するより見せたほうが早い! まずはここに取り出しましたるこのリンゴ……」
男=奇術師ハリーは、そのリンゴをひょいと握って消し、現して、また握って消し――どういうわけか、ふと眠くなってきた――また現して、また消し…………

53 :No.14 奇術師 2/3 ◇7BJkZFw08A:07/12/16 23:50:34 ID:w6ZS4p/J
…………どうやら、少しの間眠ってしまっていたらしい。頭が少しぼうっとしている。
ステージの上には、ハリーと一匹の大きな虎がいた。
「――。――? ――とくとご覧あれ!」ハリーが何事か叫びながら、虎にステッキをビッと向けた。
ステージの上の虎はただ座っているだけだった。
と、虎の背中が何やらもそもそと動いている。
わずかな動きはうねりとなり、盛り上がって広がった。それは大きな翼になった。
「虎に翼をつけて野に放つ、とはよく言ったもの! 実物を見るのは初めてでしょう!」
ハリーが嬉しそうに声を響かせる。偶然か、こちらを見ながらそう言ったような。
虎の背中の翼は大鷲のような、あるいは天使のように優雅で、力強く盛り上がった翼。それを二三度はためかせ、軽くジャンプして、虎が、宙に、浮いた。
おぉっ、と自分の口から思わず感嘆の声が漏れた。それが聞こえたのか、奇術師はこちらをチラと見て、にやりと笑った、ような気がする。
虎はそのまま天幕を突き破るかと思うほど高く舞い上がり――(ここ、こんなに高かったか……?)――蟻くらいの大きさになってしまった。
吸い込まれるように上がっていったその蟻くらいの大きさのものは、しばし空中にとどまって、やがてパタパタと舞い降りてきた。降りてきたのは一羽の白い鳩だった。
鳩は翼を畳みながら、奇術師の肩へとその足を下ろす。
「おやおや、こうなってしまうと恐ろしい虎も可愛げがありますね」
奇術師が笑いながら言う。そんな馬鹿な。どうして虎が鳩に。
いや、そもそも虎に翼が生えるなんて……?
「ありえない、とお思いですか?」
奇術師、ハリーが、今度は完全にこちらを、こちらの目を見てそう言った。
「ありえない! そんな馬鹿な? ふふふ……」
嬉しげに笑いながら、言葉を続ける。
「不思議な! 奇妙な! おかしな、怪しげな、胡散臭く、愉快で、夢のような、美しい、面白い、恐ろしい、本当に? それが、奇術というものです」
私は彼の眼を見ていた。否、彼が私の目をとらえていたのだ。
私はふと、他の観客は一体何を見ているんだろう、と思った。
確かめることは、できなかった。視線が、外せない。
「さあ、本日は、『あなたに』最高の夢を…………」
ハリーは気持ちよさそうに両腕を広げた。
その肩にとまっている鳩が、頭から緑のうろこに覆われていく。羽も足も細長く伸びる首に吸い込まれ、鳩は、一匹の蛇になった。
緑色の蛇はにゅるりと鎌首をもたげ、おもむろにこちらに向って飛びかかって来た。
ステージからここまではずいぶん距離があるはずだが、次第に大きくなるその口は真っ赤な舌と鋭い牙を振りかざしながら、こちらへ――

54 :No.14 奇術師 3/3 ◇7BJkZFw08A:07/12/16 23:50:51 ID:w6ZS4p/J
「――お客さん、お客さん。」
体をゆすられ、私は目を覚ました。蛇に飛びかかられ、気を失ったのか?
「もう皆さまお帰りになられましたよ。残っているのはあなた一人です。」
「蛇、蛇は……?」
「へび……? 何のことやら」
見ると私の身体をゆすっていたその人は、奇術師ハリー・夢宮だった。
彼は心なしか怒っているようだった。
「まったく、ショーの最中に寝てしまうとは、何と言う人だ……」
え?
「何だって? 私は君のショーを見たぞ。虎に羽が生えて、鳩になって、蛇になって、私を……」
ハリーは笑いをこらえるように口元をマントで隠しながら、くっくっと声を漏らした。
「おかしい、まったく、おかしな人ですなぁ!」
ついに我慢できなくなったか、ハッハッハと大声で笑いだすハリー。
「何と、じゃああれは、全て夢だったのか……?」
「いえ、いえいえ、それは違いますよ」
やっと笑いのおさまったハリーがステッキを振り振り答える。
「ここは奇術小屋、ここで見た夢はそれすなわちあなたの見た『奇術』。全ての人に同じものが見えるなんて、誰が決めたのでしょう……」
「……」何か言いたかったが、言葉が浮かばない。
「さあ、今日はもうお帰りになると良い。何にせよ私のショーは終わりです」
「あ、ああ……」
私はハリーに手をひかれるまま出口へ向かい、幕の切れ目から、外に出た。
「またいつか、どこかで、あなたと私で、奇妙な夢を――」
恭しく礼をしながらそう呟くハリーの姿がハラリとめくれた幕の隙間に見え、そして幕が閉じられ、消えた。


私は少し歩き、広場の出口に差し掛かった時ふと気になって、振り返った。
そこにはただ、茫々とした何もない空間が広がっているだけだった――





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