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◆PaLVwfLMJI




47 :No.13 ガガガガガジェット 1/5 ◇PaLVwfLMJI:07/12/16 23:46:39 ID:w6ZS4p/J
 人里離れた山間に、書痴館という建物がある。鬱蒼と茂る常緑樹林に囲まれたその洋館は、本来中庭があるべきはずの場所
に書庫があるという些か奇怪な造りをしている。書庫を取り囲む形で、客室、食堂、厨房などが配置されているという具合だ。
 書痴館の主は真備英生という大家の作家だ。大衆小説から純文学まで幅広く執筆し、その著作は優に五十を超える。彼はビ
ブリオマニアとしても有名だった。初版や絶版といった稀覯本を収集しては、件の書庫を潤わせている。それこそが、洋館が
書痴館と称される所以だ。
 年に二度、書痴館では読書会が催される。読書会とはいうものの、数人で一冊を読み込みあれやこれやと弁じる訳ではなく、
知人友人のために館が解放されるといった方が近い。春秋に、それぞれ三日。招待された本の虫達が集い、書物と昼夜を共に
する。
 書物の損傷を避けるため、読書会には三つの掟がある。本のある場所で飲食、喫煙を禁ず。書物を日光に晒さない。館内で
は手袋を着用すべし。
 秋の読書会でのことだった。事件が起こったのは。好事家であれば金に糸目をつけない書物が犇めくのだ。邪な思いに駆ら
れる輩が現れるのも必然だろう。
 秘書である法月潔が執事、求人で雇われた浅見広美がメイドを務めるという趣向を凝らし、真備英生は客人を迎えた。大学
七回生の観月明彦、バー勤務の矢吹蘭子、開業医の石動悠也、イラストレーターの湯川しずる、そして新人編集者の私だ。
 台風が直撃し生憎の悪天候だったが、一日目は滞りなく終了した。
 しかし、二日目の朝。執事室で、うつ伏せに倒れた真備英生の死体が発見された。頭蓋骨が陥没する程側頭部が潰され、絨
毯を脳漿が染めるという酷い有様だった。
 それは密室殺人だった。

 午後三時。これから始まるであろう事件の幕引きを前に、観月を除く一同が会した食堂は一種独特の緊張感が瀰漫していた。
静寂に、窓を叩く雨音が映えた。
 紫煙を燻らせていた石動が、マントルピースの上にある時計を一瞥した後沈黙を破った。
「もう約束の時間を回るが、観月君はまだ現れないのかね」
 五十がらみの医師は誰にともなく問いかけ、半分も吸っていないキャメルを灰皿に押し付け揉み消した。その煙草の吸い方
を見る度に、私の頭には「医者の不養生」という言葉が浮かぶ。
 おずおずとした口調で「誰か見てきた方がいいんじゃないでしょうか」と浅見が提案した。彼女は真備から支給されたメイ
ド服を身に纏っている。
「では私が」と言い法月が席を立ち観音開き扉へ向った。
「あの、一応鍵を……」と語尾を濁した言葉で私は彼を呼びとめた。

48 :No.13 ガガガガガジェット 2/5 ◇PaLVwfLMJI:07/12/16 23:47:35 ID:w6ZS4p/J
 元々、マスターキーの管理をしていたのは法月だった。だが、真備の死体が執事室から見つかったため、一部の者から法月
犯人説が上り、浅見がマスターキーと執事室の鍵を所持するということになった。その特殊な形状から合鍵を作ることは不可
能。現場保持及び心理的な理由から封鎖された執事室のドアを開くことが出来るのは、浅見ただ一人だ。
 つまり、マスターキーを管理する浅見は内側から施錠された客室にも難なく侵入出来る。
 まさかとは思いつつも、私の胸中に燻ぶっていた厭な予感は次第に膨れ上がり、最悪の結末が脳裏を過ぎる。
 法月は、浅見から受け取ったマスターキーを執事服のベストに仕舞った。真備の死体を発見した彼は、その爛れた頭部をジ
ャケットで覆った。その後、彼には空いた客室が宛がわれたが、執事室は封鎖され着替えることもままならないようで、シャ
ツの上にベストを羽織っただけの格好だ。それでも十分に執事然としている。
 数分後、法月に引き連れられ食堂に現れた観月の姿は、私の目には憔悴しきった病人のように映った。
 困惑の色が濃い表情で一同を見渡した観月は、扉から一番近い席――下座に腰を下ろし額に手を当てた。その白い掌には、
手袋は嵌められていなかった。
「真相……」と湯川しずるが戸惑いがちに呟いた。ジップアップパーカーという彼女の格好は、洋館の一室という特殊な空間
にあっては、若干浮いていた。
「こうして全員が集まったんだ、話してくれないか」石動が場を取り仕切るべく立ち上がり、観月に語り始めた。「一日を共
にした人間を犯人として告発することに心苦しさを覚えるのも分る。しかし、ことは殺人事件なんだ。どうかこの惨劇を終わ
らせてはくれないか」
 石動は低頭した。だが、観月が真相を口にすることはなかった。

 午後二時十三分。食堂で石動、矢吹、私の三人は雑談をしていた。そこへ、厨房で淹れたコーヒーを浅見が運んで来る。
「ああ、ありがとう」とカップを受け取った石動が浅見に訊ねた。
「ところで、浅見君はこの館から出たらどうするんだい」
 石動は、密室の謎を解き明かした観月に全幅の信頼を寄せ、もう事件は終わったものと思っているようだが、増水により橋
は流され電話も不通なのだ。まだ数日は書痴館に足止めされるのではないか。水を差すのも悪いので、私はその見解をおくび
にも出さなかった。
「アタシは大学があるので。気分転換に友達と旅行にでも行ければいいんですけどね」石動の隣の席に着き浅見が言った。
「千暁ちゃんは?」と矢吹が妙に人懐っこい声音で私に訊いた。
「自分は仕事ですね。何しろ、あの――」真備先生が亡くなったんで大忙しですよ、という言葉をすんでの所で飲み込む。
「当分はその話で持ち切りだろうからね」石動が苦笑した。
 そのままでは事件に言及することになりそうだったため、私は質問した。

49 :No.13 ガガガガガジェット 3/5 ◇PaLVwfLMJI:07/12/16 23:47:47 ID:w6ZS4p/J
「矢吹さんは何か予定あるんですか?」
「前からスケジュールが決まっててね。二週間くらい東南アジアに旅行するつもり」
 と矢吹。それだけで、私は彼女の言わんとすることを察した。
 同じく手術だと悟ったらしい石動は「大変だろう」と言いキャメルに火を点けた。
 石動に倣いバージニアスリムを取り出し、私に「ごめん」と軽く謝る。
「しかし、矢吹君。そんなの吸ってちゃいかんだろう。どうせならマルボロにでも換えたらどうだい」
「いや、こればっかりは譲れませんよ」と矢吹が紫煙を吐き出した。
 嫌煙家の私に二人が話す内容が今一つ解らなかった。
 ホールから人の話し声がしたので、私達は食堂を後にして回廊を進んだ。
 玄関では、湯川が傘に付いた水滴を振り払い、法月がレインコートを脱いでいた。雨足が弱まって来たからと、二人が外の
様子を見に行ったのは三十分程度前のことだった。倉庫を探ってみたが、合羽は一着しかなく、仕方なく湯川は自前の傘で雨
を凌ぐことになったようだった。
「どうでした?」勢い勇む石動の声はトーンが上がっていた。
 法月が答える。
「思った通りダメです。西の方は土砂崩れで完全に県道が塞がっていました。携帯電話が通じないのは、その土砂崩れに基地
局のアンテナが巻き込まれたからのようです。東の方も見て来ましたが、増水して橋が流されていました」
 この館と街を繋ぐのは東西に延びる県道だけだ。私の予想通り数日はこの館で暮らすことになるようだ。せめてもの幸いは
自家発電機と、一週間は困らない量の食糧があることか。
 落胆する石動を余所に、濡れそぼった髪にタオルを掛けた湯川は「私は一度部屋に戻ります」と言い置き回廊へと消えてい
った。

 午後一時十分。少し遅い昼食を終えた時だった。皆さんに話がありますと、観月が言ったのは。
「先ほど、密室が如何にして作られたのか皆さんと話し合い一つの結論に達しましたが、残念ながらそれは犯人の特定には繋
がりませんでした。そこで、僕は別の視点から考えてみました。機械的トリックでもって、その恐るべき犯行を成し遂げるこ
とが出来たのは誰か、ではなく、何故密室にする必要があったのか、と。そうすると、推理に一筋の光明が差し込みました。
しかし、それは脆弱な地盤の元に成り立っています」
 そこで、観月は自身が発した言葉が浸透するのを待つかのように一泊置いた。
「だから、僕に暫く時間を下さい」そうですね、と時計を見やり「三時には皆さんに事件の真相を語ることが出来るでしょう」
と見得を切った。

50 :No.13 ガガガガガジェット 4/5 ◇PaLVwfLMJI:07/12/16 23:48:01 ID:w6ZS4p/J
 そう言われては反発のしようもなく、誰からともなく頷いた。
「では」と席から立ち上がった観月は、浅見と湯川を見据え「おいしい食事をありがとう」と言った。私は呆気に取られていた
が、観月は周囲の反応など気にした風ではなく颯爽と扉を開き食堂を出て行った。

 午後一時三十分。犯人は回廊に立っていた。目の前には観月に宛がわれた五号室のドアがある。耳を欹てると室内からは水音
が聞こえる。客室はホテル同様バストイレが完備されている。どうやら、観月はシャワーを浴びているらしかった。
 犯人はそっとノブに手を掛けた。施錠してあったら諦めようと誓い、右手を捻りドアを押す。音もなく開いた。
 ドアを閉め深呼吸。緊張から掌が汗ばみ、手袋の中が蒸れていた。部屋を見渡し潜めそうな場所を探す。ソファーの後ろが、
丁度浴室の扉から死角となっている。テーブルの上にあったガラス製の灰皿を持ち、ソファーの裏で縮こまる。
 犯人は息を殺し、ただただ観月が浴室から出てくるのを待った。犯行のタイミングを。
 ドアが開く音。ソファーの角から覗くと下着姿の観月がいた。頃合いを見計らい一気に飛び出し、灰皿を握った右手を振り上
げる。
 驚愕に目が見開かれた瞬間。灰皿が観月の前頭部を強かに打った。
 前傾姿勢で倒れこむ犯人の指が、犯人のジャケットに引っ掛かり――第二ボタンが飛んだ。
 犯人は慌てた。ボタンから観月を撲殺した犯人であると特定され兼ねない、と。
 目を皿にし、左から右へと視線を這わせる。犯人の右手にある壁際までボタンは飛んでいた。拾い上げたボタンをポケットに
入れ、犯人は部屋を後にした。観月の死亡を確認することなく。
 回廊を歩いていると、私千暁(きさい・ちあき)に出くわした。彼は書庫へ向うようだったので、犯人も同行した。
 
 二時四七分。犯人に殴られ昏倒していた観月は目を覚ました。しかし、前頭部を強打した彼の脳は、頭蓋骨の中で揺さぶられ
前頭葉が損傷。彼は逆行性の健忘、つまりは記憶喪失になっていた。

51 :No.13 ガガガガガジェット 5/5 ◇PaLVwfLMJI:07/12/16 23:48:14 ID:w6ZS4p/J
 周囲の状況に戸惑いながらも、観月は側にあった服を着こみ、部屋を検め情報を収集していた。そこへ、ドア越し声が掛る。法
月が様子を窺いにきたのだった。
「はい」と条件反射的に観月が返事をすると、法月はドアを開いた。
「もう三時になっていますよ」と法月が、観月の手を取った。
 こうして、聡明なる名探偵は奇禍に巻き込まれたのだった。
 
  ◇◇◇
 
 読者への挑戦状
 
 これで推理の材料は完全に揃った。犯人たりえる唯一の人物を読者は、勘に頼らず言い当てることが出来る(はず)だ。
 さて、犯人は誰か?


  <了>



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