【 ジェイソン、電車に乗る 】
◆kP2iJ1lvqM




41 :No.11 ジェイソン、電車に乗る(1/3) ◇kP2iJ1lvqM:07/12/16 23:05:30 ID:w6ZS4p/J
 思案の末、ジェイソンは電車を使う事にした。
 ディズニーランドへ行くのである。松戸からタクシーでは高くつく。
 ホッケーマスクを被り、アメヤ横丁で買った迷彩柄のオーバーオールに着替えて貸家を出
た。十五分ほど歩いて駅に着くと、ちょうど上り電車がやってきた。
 幸先の良い滑り出しと思ったのも束の間、電車は子連れの客であふれ返っている。日曜の
正午なので行楽客だろう、座席は余さず占領されていた。仕方なく、競馬新聞を広げて座る
中年男の少し斜向かいに立つ。
 と、隣で吊り革につかまっている女性が不愉快そうに鼻を鳴らした。
 ジェイソンは前を向いたままちょっとお辞儀をした。チェーンソーを小脇に抱えた巨躯の
男など、満員電車では心身ともに肩身が狭いものだ。
 はしゃぐ子供の声が聞こえる。彼は似合わない電車に乗った事を、もう後悔し始めていた。
(一度決めた事を、くよくよしてはいけない)
 自分に言い聞かせる。
 いくつか駅を過ぎた。東京方面へ行く武蔵野線の電車は本数が少なく、皆待ち構えた風で
足早に乗り込んでくる。ある駅で、休日出勤だろうか、背広を着た男が乗ってきた。迷惑な
事に、彼はジェイソンと隣の女性との間に体を潜らせるようにして割り込んだ。
 何事かと横目でちらちら男を非難していると、数分後に謎は解けた。次の駅が大きな競馬
場のある所だったのだ。揺れがおさまると、競馬新聞を読んでいた中年は新聞紙を折り畳ん
で座席から立ち上がった。すかさず、背広男がクッションの上へ勢い良く尻を落とした。
 考えてみれば、競馬新聞を持った人間が競馬場のある駅で降りるのは当然だ。
(いやらしい)
 ジェイソンには、男の計算高さが浅ましく思えた。
 それからすぐにいびきが聞こえた。背広の男が、あっという間に眠りに落ちた音だった。
 開いた大口を見てジェイソンは、そのふてぶてしさに今度はむしろ感心してしまう。
(逞しいものだ)

42 :No.11 ジェイソン、電車に乗る(2/3) ◇kP2iJ1lvqM:07/12/16 23:08:10 ID:w6ZS4p/J
 浦安湾を過ぎれば目的地の舞浜だった。車窓から海が見え、マンハッタンを懐かしんでい
る内に駅に到着した。小ぎれいな駅舎を出てみれば、改札の前には人々がたむろしている。
行楽中で気が大らかになっているのか、通行の邪魔をしている事などお構いなしである。体
をぶつけない様に彼らの間をすり抜けると、気疲れがどっと押し寄せてきた。近くのショッ
ピングモールへ逃げ、彼は喫煙所を探した。
 そこは吹き抜けの下の明るい空間にあった。木目を偽装したプラスチックのベンチと、背
の高い灰皿が二台ずつ向き合って設置されている。片方には親子と思われる男と幼女が座っ
ていた。空いている方へ腰を下ろすと、ジェイソンはポケットからショートホープを出し、
仮面をずらして一本咥えた。火をつけて天井を見上げ、往復の切符代を計算しながら煙を吐
く。馬鹿にならないと思うが、例えば、安くて味の落ちる銘柄に変えて節約するなどまっぴ
らだった。
 真っ白いもやの行方を目で追い、凝った首を回す。
 アメリカとは違い、大っぴらに煙草を吸える事がありがたい。
 しかしジェイソンが日本へ移り住んだのは、何もスモーカーに甘い国だからではない。
 訴訟社会に嫌気がさしたのである。
 映画『十三日の金曜日』が本物の殺人ビデオである事が、十数年前にFBIの手で露見し
た。それに伴ってジェイソンが実在の怪物である事も明らかになり、世間は騒然となった。
逮捕されたジェイソンは裁判で禁固八百年を求刑されたが、『人間以外に刑法が適用された
事例はない』とする弁護士の主張が通って無罪。そうして刑事裁判は事なきを得たものの、
その後、モンスターよりも恐ろしい民事裁判が待ち構えていた。被害者の遺族が莫大な慰謝
料を請求したのだ。
 ジェイソンは映画のギャランティーをむしり取られ、素寒貧になってしまった。
 ちょうどその頃、日本で企画が立ち上がっていた。若手監督の競作による映画祭で、彼を
主役に使ってくれるという懐古主義者がいたのだ。撮影終了後も居残ったジェイソンはその
まま日本に住み着き、今に至る。家賃や煙草銭などは、単館上映されるB級作品かVシネマ
に出て、ちまちまと稼いでいた。

43 :No.11 ジェイソン、電車に乗る(3/3) ◇kP2iJ1lvqM:07/12/16 23:08:26 ID:w6ZS4p/J
 今回は、版権など意に介さない無謀な映画に出演するためにここまで足を運んだ。許可を
取らずにディズニーランドで大暴れするだけの、物語もへったくれもない脚本だった。クラ
ンクアップに辿りつけるかどうかさえ怪しく、出演料には期待できない。
 まして、交通費などは望むべくもない。彼が電車に乗った背景には、そんなやるせない事
情があった。
 指に熱さを感じ、ジェイソンは慌てて腕を伸ばした。短くなった煙草の灰を灰皿に捨てる。
ぼんやりしていた様だ。見下ろせば、ベンチに立てかけてあったチェーンソーに、女の子
が恐る恐る手を伸ばしている所だった。向かい側にいた五、六歳の小娘である。父親らしき
男は携帯電話を手に何か熱心に話していて、娘が離れたのに気づかない様子だった。
「触っては困るんだ。商売道具だからね」ジェイソンが優しくたしなめる。
 すると娘は口を尖らせ、
「なによ。ジェイソンの癖に」と言った。よほど気に障ったのか、侮蔑のこもった目だった。
 その瞬間、父親が駆け寄ってきて娘をかき抱いた。彼は最初から気づいていたに違いなく、
きっと害はないと思っていたのだろう。最近では、映画の時以外にジェイソンが凶器を振る
う事などないからだ。いかにも平和呆けした風に、父親は愛想笑いを浮かべてぺこぺこ頭を
下げた。
 ジェイソンは煙草をもみ消すと、無言で立ち上がる。
 親子が彼を見上げた。
 彼はゆっくりチェーンソーを手に取り、そして、ショッピングモールから逃げ出した。
 まだ日本で訴えられた試しはないが、よけいな火種をおこす事はない。
 自分は変わったと彼は思う、良くも悪くも。
 かつて怪奇映画のスタアであったのが、まるで夢の様だった。
 彼はその足でディズニーランドへ向かった。遠くに岩山を模したアトラクションが見える。
これから撮る映画は、山の頂上でぶんぶん唸るチェーンソーを彼が振り回す光景で終わる。
 雄々しいハイライトである。
(おれに似合うだろうか)
 不安になったが、電車で見た背広姿の男を思い返し、
(逞しく、胸を張ろうよ)と自分を諭して歩く。
 そんな、少し塩っぱい味のする昼下がりだった。(了)



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