【 『奇人藤野駿平の一日』 】
◆/7C0zzoEsE




37 :No.10 『奇人藤野駿平の一日』 (1/4) ◇/7C0zzoEsE:07/12/16 23:03:01 ID:w6ZS4p/J
 藤野駿平はどうしても眠れなかった。
それというのも、悪夢に苛まれるからであった。
 彼は寝床についてから、毎晩きっかし三時間後に目を覚ます。
とびきり寝汗をかいて飛び起きる。
 夢の内容はすぐに綺麗に消えてしまうが、その気分の悪い寝起きから、
悪夢であったろうことを想像することは容易かった。

 それにしても、正確に目を覚ますのであった。
たとえ、睡眠薬を飲んだとしても。どれだけ泥酔したとしても。
体を動かして、健康的に体を休めようとしても。
きっかり三時間後には悪夢を見て目を覚ましてしまうのである。


 
 朝日が目に染みる中、布団の上に寝転がっている彼の横には、
愛犬であるゴールデンレトリーバーのポチがふてぶてしく寝息をたてていた。
 それの様子を見るうちに、彼は思った。
「なるほど、犬は夢を見ないという。これほど、
呑気に生きることが出来るのならば悪夢なぞに悩まされることは無いだろうに」

 彼の目の下には隈が目立った。あまりに疲れ過ぎていた。
そしてある考えに行き着いた結果。すぐに有給の連絡を会社に届けていた。
 藁にもすがりたい心境には違いなかっただろうが、
彼は実に真剣であった。難しい数学の問題が解けた様な面持ちであった。

「ぜひ今日一日、私は犬になりきってみよう」

 その結論に達するのは、あっけなかった。

38 :No.10 『奇人藤野駿平の一日』 (2/4) ◇/7C0zzoEsE:07/12/16 23:03:15 ID:w6ZS4p/J
 午前も十一時をまわる頃、ポチはのっそりと起きだした。
駿平はその様子を寝転がったまま見ている。  
 ポチは仕事にも行っていない主の姿を見て、一瞬不思議そうな顔をした。
しかし、すぐに尻尾を振って彼に抱きつく。
「散歩に行きたいのか? それとも、ご飯が欲しいのかい?」
 ポチの小さい頭の中は、それで一杯になっている様に見えた。
その他一切の煩わしい事を考えず、今のことだけを思っている。
 なるほど全く真理であると、駿平は頷いた。
 
 散歩用の紐を着けてやり、二匹で外のあぜ道に出る。
 外は昼間とはいえ身が凍るような寒さであった。
それでもポチは千切れんばかりに尻尾を振り、蝶々を追い掛け回している。
 辺りにはイセンやビワなどの冬の花が綺麗に色付いていた。
 “新鮮”が溢れていた。
 駿平は試しに両手を地面につけて、ポチと同じ四つん這いになった。
当然ながら、視線は異なり、また新しい世界がそこにはある。
 彼にとって、新しく学ばされる事ばかりであった。


 家に帰って、駿平がドッグフードを作ると。
お腹が空いていたのであろう、ポチは音を立てて平らげている。
 試しに駿平が、ポチのそれを取り上げて口にすると、
ポチは怒って彼の手に軽く噛み付いた。
 それから、これは全く人の口にするべきものでは無いと彼は憤慨した。

 夜も更けるまで、彼はポチと一緒に過ごした。全く犬であった、犬そのものであった。
 時計の針が午後十時を指していた時、二匹は仰向けで気持ち良さそうに寝ていた。

39 :No.10 『奇人藤野駿平の一日』 (3/4) ◇/7C0zzoEsE:07/12/16 23:03:31 ID:w6ZS4p/J
―――気がついた時には、すでに朝日が上っていた。
 彼は、それは至極爽快な寝起きであった。
やはり犬は夢を見なかったのである。

「何て、気持ちの良い日だろう」
 ポチの頭を撫でて、モーニングコーヒーを入れる。
ポットから湯気が立ち、トーストにバターをつけて新聞を広げた。
朝の心地よい一時を過ごした後、彼は会社に向かった。
 そして会社に行く途中も花を見るゆとりは忘れないようにした。

 会社に着くと昨日の休暇について言及されたが、そこは適当に誤魔化して済ませた。
 デスクを前に腰掛けると、一気に憂鬱が押し寄せてくるが、
彼はいつもの様なくたびれた顔ではなかった。
 会社の女の子がお茶を入れてくれた時は、自然と尻尾を振っている気がした。

 しかしパソコンに打ち込んでいる数式やグラフを見ていると、次第に頭の中が歪んでいった。
「昨日ゆっくり眠れたのは、この様な陰気から逃れられたからかもしれない」
 彼がため息混じりに小さく呟いた後、ぐらりと世界が動いた。
目眩まで始まったのかと、眼を擦った。しかし、いくら擦ってもぐらつくままであった。
 悲鳴の様な音を認識して初めて、地震が起こっているのを理解した。
 彼は反射神経でデスクの下へ潜り込んだが、余りに震度が大きすぎた。
周りの荷物が倒れてきて、天井まで崩れ始める。
 そこまで耐震強度が低かったのだろうか、幸いにも一階だったので彼は救われたが、
逃げようとしても動けなかった。悲鳴はただただ大きくなる一方であった。

 地震が幾らか弱まり始めたのを確認した彼は、なんとか逃げようと這いずり出たが、
不運にもすっかり弱りきった壁が崩れて、コンクリートが容赦なく襲い掛かった。
 体を押しつぶされそうになって、息も絶え絶えに彼は悔やむ。
「ああ……こんな事なら……こんな事ならポチと一緒に穏やかな毎日を過ごしていれば――――」

40 :No.10 『奇人藤野駿平の一日』 (4/4) ◇/7C0zzoEsE:07/12/16 23:03:46 ID:w6ZS4p/J
 ガバッ! っと音をたてて、そこで飛び起きた。
時計の針が進む単調な音が聞こえる。時計は午前一時を指していた。
 見慣れた我が家で、溢れんばかりの寝汗を彼は掻いていた。
「息苦しい……」
 気がつくと、ポチが彼の体に覆いかぶさっていた。
彼はポチを優しくどけて、だから悪夢を見ていた理由が大概分かった気がした。

 ゆっくりと冷蔵庫に向かって歩き、寝つきを良くするためにホットミルクを作る。

 ほぉ……と一息ついた。頑張って寝なければ明日に差し支えると悩んだ。
そして、ふとポチの方を見やると、
スピースピーと呑気な鼻音と共に「ウォン」と小さく鳴いた。
 ポチは楽しかった今日一日を反芻して、今でも蝶々を追っているのだろうか。
 駿平は、やはり犬も夢を見るのだと思い直していた。
そうでなければ、ポチがこんなに嬉しそうな顔をして寝るはずが無かった。
 駿平は微笑んで、ポチの隣で横になった。
出来ることなら、ポチと一緒に夢の中で遊びたいと願った。


 さて寝床の中について、駿平はポツリと呟く、


「はて、さっき見た悪夢は一体何だっただろうか?」

 彼は嬉しそうに寝ているポチの横で、仰向けになり、
どうすれば悪夢を見ずに寝られるのか、また考え始めていた。
 
                             (了)



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