【 耳栓と、うがい 】
◆/sLDCv4rTY




32 :No.09 耳栓と、うがい (1/5) ◇/sLDCv4rTY:07/12/16 23:01:32 ID:w6ZS4p/J
 赤に近いピンク色で、花柄のパジャマを着た男は言った。
「そりゃあさ、俺だって人工肛門なんてつけるなら死んだ方がましだって親やみんなに言ったこともあったよ」
彼とテーブルをはさんだ位置で、僕はふんふんと適当にうなずきながらその話をきいていた。ききながらずっと、舌先で淡を転がしてあそんでいた。

 僕は彼と、この病院で仲良くなった。そして患者やその家族がくつろぐ「プレイルーム」という所でよく話をした。
大抵はテレビや野球の話だったが、彼はたまに魂の救済がウンタラという話をした。それに僕はあまり興味がなくてつまらなかったものの、何処か心に引っかかっていた。

「……と言うわけだからあのトレードはオリックスが損してるってわけ」
 いつの間にか話は病気の話から野球の話になっていた。
 また消灯時間もいつの間にか過ぎていて、この「プレイルーム」とナースステーションだけに明かりがついていた。
 二人共はやく寝てくださいよと看護婦さんに怒られ、ごめんごめんすぐねるよと言って病室へ戻り、相部屋の人達を起こさないよう静かに自分のベッドまで進み、耳栓をして、寝た。

 目がさめたのは午前三時。息苦しかった。喉にたくさん痰が絡まっていた。

33 :No.09 耳栓と、うがい (2/5) ◇/sLDCv4rTY:07/12/16 23:01:44 ID:w6ZS4p/J
 淡を吐き出すため、僕はイソジンだの何だのを持ってベッドから立ってうがいをしにいった。僕が立ったのに数秒遅れて部屋のみんなも立ちあがり、僕の後についてきた。
長い廊下の奥にはナースステーションの黄ばんだ光と、その光を切り抜くいくつかの人影があった。僕はそのゆらめく人影をみながら洗面所に入っていった。みんなも後に続いて入っていった。
ずらずら、ずらずら、ずらずら、ずらずら。
五つの蛇口が並ぶのと平行に、パジャマ姿の老若男女二十人弱がズラリと一列に並んだ。
 並べなかった残り十人何人の人たちは息を大きくすいこんでから壁にめりこんで、というかもぐり込んでいってその中に消えた。そしてかえってはこなかった。
老若男女はいっせいにくちゅくちゅぷーをしはじめた。
何人もの人間が収まった壁を横目で見ながら、僕もくちゅくちゅぷーをはじめた。

34 :No.09 耳栓と、うがい (3/5) ◇/sLDCv4rTY:07/12/16 23:01:55 ID:w6ZS4p/J
 たぶん、奥でつまっていて入りきれなかったんだろう。横目で見た壁からは腕がニュルりとはみ出ていた。
いつしかその腕は紫になり、そしてすぐ肌色を取り戻した。
老若男女のくちゅくちゅぷーが終り僕以外みんな帰っても(僕はガラガラぷーをするため残ってた)、壁からはだれ一人として帰ってこなかった。はみ出た腕は垂れていた。

僕はうがいをしようとコップを手にとった瞬間ハッとした。鏡に映る僕の顔はあまりにデコボコ、かつ、不細工だったから。
なんかショック。
僕は鏡から目をそらし常に蛇口をみるようにして、鏡に映る「それ」を見ないようにした。
僕にみつめられている蛇口は銀色だった。ピカピカはしてない、淡々とした銀色。その銀色は蛇口の輪郭を強めていて僕は、きれいだなぁ、とおもった。
僕は蛇口のツマミを捻り、ガンダムのイラストが入った赤いプラスチックコップに水を張った。そして僕の歪んだ顔をさらに歪める水面に、イソジンでぽたぽたと爆撃していった。
ぽたぽた。しんとして、その音しかしなかった。
気づけば洗面所はぽたぽたと暗かった。
いやむしろぽてぽて、と暗かった。


35 :No.09 耳栓と、うがい (4/5) ◇/sLDCv4rTY:07/12/16 23:02:06 ID:w6ZS4p/J
 水はまだ出ていた。蛇口から地球の中心へと水を引っ張り出そうとする力も借りて、蛇口はもの凄い勢いで水をブーブー吐いていた。
僕は蛇口を締めてから、喉をキュッと締めコップの液を口へとそそいだ(がらがら)。
うがいの途中にも僕は僕の左側に、だらりと「蛇口」のように垂れる腕を感じていた(がらがら)。
しかしそれは蛇口と違い銀色ですらなくて、花柄の布につつまれるただの肉と骨であった(がらがら)。
そして、その肉と骨でできた「蛇口」のツマミをたとえ捻ったとしても、ただその肉の続きがでてくるだけに思われた(がらがら)。
水が出てこない蛇口なんて、そんなの蛇口じゃない! (ガラガラ)
その怒りにも似た想いは、弱い「がらがら」を、強い「ガラガラ」にした。
ガラガラガラガラ。
口の中では泡が生まれまた同時に破裂した。分厚いほほを決して傷つけぬ優しい破裂。うねった舌がまたうねる。
考えないようにしよう。壁の中に埋まる、あのたくさんの人たちのことは。
だって、こう考えたらとても哀しい。
「あの人たちにも、家族がいるんだ」って。

36 :No.09 耳栓と、うがい (5/5) ◇/sLDCv4rTY:07/12/16 23:02:16 ID:w6ZS4p/J
 壁にうまった人たちの為に僕は、がらがらと鎮魂歌を歌っていた。
この頬の分厚い肉の中で、今も破裂する液体が、唇をとおして、吐かれ、飛び出るのと共に、彼等の魂が救済されればいいなって思って水ペッと吐いたら宇宙爆発しちゃって地球消滅しちゃってみんなしんじゃった。


……ねぇ、哀しくない? 死んだ人全員に、家族がいたんだよ。



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