【 損する凡人、恋する変人 】
◆BLOSSdBcO.




16 :No.05 損する凡人、恋する変人 1/5 ◇BLOSSdBcO.:07/12/16 22:41:29 ID:w6ZS4p/J
 十二月初頭、大人が忙しく走り回る季節。就活も卒論も単位習得もあらかた済ませた優良大学生、上村譲は
曖昧な笑顔でマルガリータを呷っていた。
「それで、ユズル。彼女は何て言ったの?」
 カウンターでグラスを磨くバーテンダー、東雲燕が尋ねる。忘年会シーズンでありながら店内に二人の他は
誰もいない。
「『いいひと』で『ともだち』だってさ。フラれる時の定番ツートップだよ」
 それもそのはず。時刻は既に朝、閉店から三十分が過ぎていた。さらに背の高いスツールと酒ビンが並んだ
カウンター以外にテーブルも無いこの店は、酔って騒げる雰囲気ではない。
 譲はグラスの縁の塩を齧って言う。
「マティーニ。もちろん――」
「――超ドライで、ね」
 やれやれ、と肩をすくめてグラスを受け取る燕。バーテン服でカウンターに立つ姿は、彼女の性別を忘れさせる
ほど様になっていた。
「僕は凡人なんだよ。影の薄い八方美人。いてもいなくても同じ。周りに気を使って損ばかり」
 静かに差し出されたグラスを一気に呷る。
「別に世界の『特別』じゃなくて良い。ただ、誰かの『特別』になってみたいよ」
 燕は、小さく呟く彼に何か言いたそうにしながら、もう一つ自分の為のカクテルを作った。
「…………」
 結局、言葉はマンハッタンと共に飲み込まれた。

「だっから、香港からインド経由でエジプト行くのが王道だろうが!」
「いいや、イタリアをじっくりと回るべきだね」
 昼の学食には、頭を押さえる譲と、カラフルなパンフレットを前に喧々諤々の議論を交わす男達がいた。
「シリーズで一番人気は三部なんだよ!」
「それは認めるが、現実的じゃない。それにミケランジェロの彫刻も見ておきたい」
 パンクロック調のボンテージに身を包んだ真島はスフィンクスを叩き、イタリアの高級ブランドで身を固めた
ヒロトはダビデ像を指差す。あまりにも個性的で目立つ彼らは、凡人を自称する譲の少ない友人であった。
「ジョーも陸路と海路でエジプト目指すよな!」
「イタリアの現大統領の名はジョルジョというんだよ。――っと、ジョー。大丈夫かい?」
 二人は譲をジョーと呼ぶ。名前負けしているように感じるが、彼らの見解では『半人前』という意味らしい。

17 :No.05 損する凡人、恋する変人 2/5 ◇BLOSSdBcO.:07/12/16 22:41:44 ID:w6ZS4p/J
「大丈夫。それより、ちょっと聞きたいんだけど」
 二日酔いの頭に響く議論が止んだことにホッとしながら、譲は平凡とは対極に位置する友人に尋ねる。
「『普通』じゃなくなるには、どうしたら良いと思う?」
 『いいひと』でも、ただの『ともだち』でもなくなる方法を。
「石の仮面をかぶれ!」
「矢がいるね」
 予想通りの回答に、譲は曖昧な笑顔を浮かべた。二人は互いの意見についてまた口論を始める。
 羨ましい。自分の意見を堂々と主張できる勇気が、自分の好きなものに夢中になれる熱意が、譲には無い。
彼らと友達になれたのも、名前が気に入った、という理由で声をかけられたからだ。
(何か特技があればな……例えば楽器とか)
 サークル棟から聞こえてくるトランペットの音を聞きながら、譲がそう考えていると
「そういえばジョー。俺のお古で悪いが、ギターいらないか!」
「えっ」
 真島が振り向いて叫んだ。彼としては普通に話しているつもりなのだが。
「卒業したら地元帰るしよ、三本もあるから荷物少なくしてぇんだ」
 あまりにタイミングの良すぎる提案である。しかし、譲は首を横に振って答えた。
「悪いけど、今から始めるには遅すぎるよ」
「そっか? ま、無理にとは言わんがな!」
 がはは、と豪快に笑う真島。突然話を中断されたヒロトは不思議そうな顔をしている。
 譲はやはり曖昧な笑顔のまま、内心で落ち込んでいた。
(そう、遅すぎるんだ。もう社会人になる直前なのに変わりたいなんて)
 何事も無かったように熱い談義を再開する二人。彼らから逸らした譲の目は、少し離れた場所でトレイを手に
空席を探す少女で停止した。
 今時珍しい真っ黒でさらさらの髪を肩口で切りそろえ、薄い化粧は元々の顔立ちの良さを際立たせ。タイトな
シャツの上にベロアジャケットを羽織り、ホットパンツから伸びた細く白い足は黒いオーバーニーとの間に絶対
的な領域を生み出し。要は譲の好みがそのまま具現化されたような少女であった。
(あんな子と一緒にクリスマスを過ごせたらなぁ)
 声をかける勇気すらないくせに、と自嘲気味に溜息を付くと同時。
「あっ!」
 譲と目が合った少女が、嬉しそうな顔でこちらに向かって歩いてきた。

18 :No.05 損する凡人、恋する変人 3/5 ◇BLOSSdBcO.:07/12/16 22:41:59 ID:w6ZS4p/J
「えっ、何で?」
「ヒロト先輩、こんちゃっす!」
 満面の笑顔で体育会系の挨拶をした少女は、何の躊躇いもなく譲の隣に腰掛ける。
「――キリ、ボクの友人が驚いている」
 面倒な相手に見つかった。そんな苦い顔でヒロトはキリと呼ばれた少女をたしなめた。
「っと。すいません、先輩がた。私は香坂桐子です。ヒロト先輩の後輩です」
 真島と譲に向かって真面目な顔で自己紹介をし、ペコリと頭を下げた。内容は変だが。
「何の用だい? ボクらは今、大切な話をしているんだが」
「卒業旅行の計画っすね。私も連れてってください。先輩のおごりで」
 図々しいことを平然と言いながらタコライスにスプーンを刺す。その横顔を眺める譲は、完全に彼女に圧倒
されていた。呆れたように返すヒロトの声も、愉快そうに笑う真島の声も、周囲の喧騒も耳に届かない。ただ
ただ、本当に楽しそうで、心の底から幸せそうな、キリの笑顔に見蕩れていた。
「うん? どうかしたっすか、ジョー先輩?」
 ヒロトが呼ぶ名を真似、小首を傾げて顔を覗き込まれる。譲は慌てて顔を背けつつ答えた。
「あ、いや。別に。それより、僕の名前はジョーじゃなくてユズルだよ」
 長い付き合いだけあって、友人二人は譲の異変を素早く察知した。
「そんな謙虚な名前だから女の一人も口説けねぇんだ!」
「名前のせいか否かはともかく、ジョーはもっと積極的になるべきだね」
「え〜、良い名前じゃないっすか。優しそうな先輩にピッタリ!」
 からかう二人に反論するキリ。そんな彼女に目を丸くするヒロト。ニヤニヤする真島。真っ赤になる譲。
「……キリ。この際、君の意見も聞いてみよう。今晩ボクらと飲みに行かないか?」
「良いっすよ。おごりなら!」
 お節介な提案に即答した彼女の目は、ジッと譲を見つめていた。

 夜。平日ながら混み合う居酒屋の前に、一際五月蝿い二人がいた。
「こいつに馬刺しを食わしてやりたいんですが、かまいませんね!」
「おいおい、脂肪注入は勘弁だぜ!」
 よく分からないネタで爆笑する友人達を曖昧な笑顔で介抱する譲。呆れたように手伝うキリ。
「ヒロト先輩って酔うとキャラ変わるっすね……」
「真島はいつもこんな感じだけど。そう言う香坂さんは、結構飲むね」

19 :No.05 損する凡人、恋する変人 4/5 ◇BLOSSdBcO.:07/12/16 22:42:10 ID:w6ZS4p/J
 彼女は、二時間飲み放題のコースをビールだけで元を取れそうな勢いで飲み続けていた。
「酔いつぶれても介抱してくれそうな人がいると、つい」
 譲を見ながら舌を出すキリ。彼はまるで自分が男として見られていないようで、少しムキになった。素面で
無理なことも酒の力があれば言えてしまうのだ。
「香坂さんみたいな可愛い子が酔いつぶれたら、危ないよ」
 それでもこの程度なのが、譲の『いいひと』たる所以であろう。
 一瞬驚いたキリは、すぐに嬉しそうな、そして妖艶な笑みを浮かべ
「――ユズル先輩になら、何かされても許しちゃいます」
 と、譲の耳元に熱い吐息で囁いた。
「こっ、香坂さん!」
「『キリ』って、呼んでください……」
 そっと。うろたえて妙な汗をかく彼の頬に、長くしなやかな指を這わせる。
「二人で、飲みなおしませんか?」
 大きく潤んだ瞳で見つめられた譲の頭は、アルコールとは違う何かに酔い始めた。
「一目惚れ、ってヤツですね。私達の出会いは奇跡っすよ」
 ゆっくりと、背伸びをしたキリの赤い唇が、うろたえた顔に迫る。

 青いハートが看板のカクテルバー。ジャズが似合いそうな店内で、バーテンダーがグラスを磨いていた。
「やーさーしさだけじゃー」
 閉店後の静けさに、小さな歌声が響く。
「ひーとーはあいせないーかーら」
 磨き上げたグラスをライトにかざし、一点の曇りも無いそれを満足そうに並べる。
「ふうっ」
 燕は歌の続きの替わりに小さな溜息をつき、テキーラとホワイト・キュラソー、ライムジュースをシェーカーに
入れて振り始めた。
「『ガンバレ』、なんて言ってやらない」
 あっという間に混ざり合ったそれを、縁に塩をつけたグラスに注ぐ。
 曖昧な笑顔で受け取った譲は、差し出されたマルガリータを一気に飲み干す。
「それで、ユズル。彼女に何て言ったの?」
 きつく睨みながら問われ、頬を掻きながら答える。

20 :No.05 損する凡人、恋する変人 5/5 ◇BLOSSdBcO.:07/12/16 22:42:23 ID:w6ZS4p/J
「凡人の僕に奇跡は重すぎる、ってね。我ながら情けない」
 燕はもう一度、溜息。呆れたように、どこか嬉しそうに。
 譲は、グラスの縁の塩を少し齧って言う。
「マティーニ。もちろん――」
「――超ドライで、ね」
 いつもやり取り。肩をすくめてからそっとグラスを差し出すまでの動きも、いつも通り。
「チャンスは望めば訪れる。しかしチャンスを掴むのは勇気ある者だけだ」
「……至言だね。誰の言葉?」
「東雲燕」
 クスリと笑った譲は、ジンとドライ・ベルモットの比率が十五対一という極端にドライなマティーニに口をつけた。
「そのマティーニの名は『モンゴメリー将軍』。名付け親はヘミングウェイ」
 へぇ、とグラスを見つめる。
「何でそんな名前に?」
「戦力差が十五対一にならないと攻撃を仕掛けなかった、臆病者だから」
 ニヒルな笑みで痛烈に皮肉る彼女に、譲はいつもの笑顔を浮かべた。
 二人とも無言のまま、時が過ぎる。
 沈黙を破ったのは、一口分だけ減ったマティーニの横にグラスを置いた音だった。グラスを満たすマンハッタン。
「ユズルはそのままで良いよ」
 燕の声は、いつもと違った。
「平凡でも、奇跡なんか無くても、『いいひと』なユズルに惚れちゃう人はいる」
 優しく、上村譲という人間の全てを包み込むような声と、微笑み。
「臆病でも?」
「損な性格でも」
 その笑みにつられ、譲は笑い出した。いつもの曖昧な笑顔ではなく、楽しそうに、そして嬉しそうに。
「凡人が好きなんて、余程の変人だな!」
「――『鈍感』ってのも追加ね」
 突然不機嫌になった燕は、二つのグラスを鳴らしてカクテルの女王を飲み干した。
 譲は首を傾げつつ、ワケの分からぬままにカクテルの王様を飲み干した。
 春は、まだ遠い。 
                                                           【完】



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