【 アメジストからの追憶 】
◆p0g6M/mPCo




73 名前:No.19 アメジストからの追憶 1/5 ◇p0g6M/mPCo[] 投稿日:07/12/09(日) 21:41:46 ID:LWn13oCH
 僕がたどり着くと、そこは相変わらず人為の加わっていない、全てが自然で構築されている河川が観える。
 普段は見慣れている路傍の石も、形が違えどこの川原に敷き詰められたら一際美しく見えるものだ。
 石畳の上に座るのももどかしいので、奥にある林の上に登り草むらに腰をかけて一休みした。
 そこで僕は視界に広がる情景を眺める。
 溢れんばかりの光を放っている太陽に照らされ、一面に広がる藍色の河川はきらきらと輝いている。木漏れ
日の中で広がる青葉の薫りと心地よい温風、静かな鳥のさえずりは身体を弛緩させ、眠気を誘った。
 
 僕はあの人のことを思い浮かべる。彼女は、この川が好きなのだろうか?
 そのとき、自身の肩に一瞬の重圧がかかるのを覚えた。
 驚いて体がビクッとしたが、後ろを振り向くことはなかった。相手が誰かは分かっているからだ。
「やあ、陽二君! 半年ぶりだねぇ」
 僕はわざとむっつりとした顔で背後を振り向く。陽光が反射して、純白のワンピースが輝いていた。
「お久しぶりですね、つららさん」
 頭を上げるとそこにはダリアのデザインをした麦藁帽子を深く被り、肩までかかった黒髪に長く濡れた睫毛、
燦燦と輝く黒瞳を大きく見開いた、背の小さな少女が佇んでいた。
「何で元気なさそうにしてんの」
「それはお姉ちゃ……つららさんがいきなり脅かすからだよ」
 初っ端からやってしまった。そこで僕はそっぽを向いたが、少しばかり顔が紅潮しているのが分かる。
 横目で彼女を観ると、帽子の影で顔全体は分からなかったが、口元がにやけているのは確認できる。
「ううん? あー、いいのいいの。これからもずぅっと、君のお姉ちゃんでいてあげるから! だから無理して名
前なんかで呼ばないでいいのよ。近所の悪ガキに苛められたら、おねぇちゃーんって呼べば助けてあげるわ」
 関係のない話に飛躍している。
「僕はもうここには住んでませんよ。だから苛められてもいません。それとももし今僕が苛められていたら、つら
らさんは僕が住んでいる離れた遠地へ駆けつけてくれるのですか?」
 我ながらの嫌味だ。しかし、相手がつららさんだから言えることでもある。
「やだ。面倒だしお金もかかるからね。可哀想だけど、もし耐え切れなくなったらここにおいで。居候させてあげ
るから、ね? それで家事もたんまりと押し付けてあげる」
 もちろん冗談だろうが、僕は、そんな馬鹿げたどうでもいい会話が昔から好きだった。
 そんなことはどうでもいいとして――と、彼女は話を切り上げ、正面を向いて僕の肩を再び両手で叩き、優しく
微笑んだ。そこで僕も初めて笑った。彼女が林から降りて手招きをしたので僕も一緒に川原を歩くことにした。

74 名前:No.19 アメジストからの追憶 2/5 ◇p0g6M/mPCo[] 投稿日:07/12/09(日) 21:42:06 ID:LWn13oCH
 彼女、つららさんは僕より年が二つ上の高校一年生であり、昔からの腐れ縁、よく言えば幼馴染である。
「半年しかたっていないのに、なんだか随分と懐かしく感じるなー」
「その逆は結構あるんですけどね。……もしかしてこの半年間、暇を持て余していたとか?」
「なに言ってるの。私は部活とかで忙しかったよ」
 彼女はそう言うと、二三度小石を軽く蹴り上げる。
「そういう陽二君は何か……いや、何もやってなさそうな感じだね」
 全く持ってその通りだから、言い訳も思いつかない。
「ご名答です……ぼげーっとしてましたよ。だから大いにこの半年が短く感じました」
 彼女は両手を腰に回し緩やかにくるりと回って僕の正面を見る。さらさらとした黒髪が、微風に靡いていた。
 こんなことを言うと怒られるだろうが――その姿は僕より幼く、可愛らしい印象を与えた。
「そんなこと言っても、友達と遊んだりはしたんでしょ。それとも何? 女に呆けていたとか」
「とっ、そんな訳ないでしょう!」
 あー、また引っかかった。麦藁帽の少女はにやけている。そして僕は深くうな垂れた。
「……実は友達も余りいなくて、平日はすぐ家に帰宅し休日は家に引篭っていました」
「そりゃ青春の無駄遣いだねぇ……青春というのはもっと部活とかに心身を注いだり、時には友達と馬鹿をや
ってどんちゃん騒ぎを起こして迷惑をかけたり、時には好きな子に恋し恋焦がれる純真甘美な恋愛に落ちると
か、色々あるのに」
 それはつららさんの願望ではないのかと思う。僕にはどれも似合わない。
 部活は入ってないし、友達と喧騒をわかす程の遊びなどもしていない。
 
 恋愛――その言葉に、僕は胸中にモヤモヤとした気持ちを抱えた。
「つららさんは……その、彼氏とかはいないんですか?」
 吹っ切れたとでも言うのだろうか。憂さ晴らしにらしくない質問をする。
「え? 別にいないけど……私女子高だし、きっかけが余り無いのよねぇ」
「そうですか。いや、つららさんは見た目と違って中身は気立てがいいですから、てっきり男遊びとかしてるの
かと思いましたよ」
 僕は言ってやったりといわんばかりの表情を示した。案の定、彼女は大きな瞳を細くして僕を睨み付け、側に
にじり寄ってくると額にデコピンをかましてきた。久しぶりに受けたので、意外と痛い。
「相変わらず私には威勢がいいようだねぇ。他の人にはそんな事が言えるのかな? 気の弱いびぃびぃ泣いて
いた泣き虫ヨウちゃん?」

75 名前:No.19 アメジストからの追憶 3/5 ◇p0g6M/mPCo[] 投稿日:07/12/09(日) 21:42:33 ID:LWn13oCH
 少しだけ心の中でむっとしたが、もう馴れた。というよりこの会話が心地良いのだ。

 我が家とつららさんの家との仲でこの町へ来ているが、それは表面的な理由にすぎない。――本当の目的
は、彼女に会うためである。本心を彼女にだけしか打ち明かせない僕は、今は何よりもこのときが楽しかった。
 
 異性として意識し始めたのは、確か僕が中学に入ったばかりの頃だ。それまでは本当に、ただの『自分と遊
んでくれるお姉ちゃん』としか認識していなかった友達、または姉弟みたいな存在だった。
 そして中学一年の六月。母の用事でつららさんの家に立ち寄り、帰ろうとした雨の日のこと。玄関先のドアを
開けると、偶然にも眼前にはびしょ濡れで佇んでいる彼女の姿があり、びっくりした様子で少しばかり互いに見
つめあった。雨水が滴った綺麗な黒髪に、肌に張り付いた夏用の白いセーラー服――そこからうっすらと浮か
び上がる水色の下着と、ほのかに漂うリンスの香り。
 輝くことを忘れたかのような真っ黒い瞳に吸い寄せられ、その時、僕は生まれて初めて恋をした。
 でも、もしかしたら、つららさんにはそんな下心が分かっていたのかもしれない。
 彼女に対する態度が明らかに変わったからだ。以前はじゃれ合ったり、馬鹿みたいな遊びや行動をともにし
たが、あの日以来そのような行為に否定的な意見を発し、僕が彼女に興味の無いような素振りをしたりして、
つららさんとは一定の距離を置いていた。
 
 近付き過ぎず、それでいて離れたくは無い。
 でも、本当はそのか弱そうな小さい身体を優しく抱きしめたい。彼女の温もりを感じたい。互いの体温を確か
め合っている中、その綺麗な薄紅色の唇に自分の唇を重ね合わせたい――。
 まさに裏腹だ。傍からみれば『おいしい状況』なのに、あと一歩が踏み出せない。その理由は、彼女の反応
がただただ怖かったからだ。
 否定されれば僕の中の何かが確実に砕け散り、もう健気で勝気なお姉ちゃんとは会えないかもしれない。
 そんな想いが心中に根強く残っていた。でも――本当にあと一歩、いや、あと半歩だけなのだ。 
 
 何を思ったのか自分でも分からない。調子に乗った僕は彼女の肩に片手を乗せ、らしくない一言を放った。
「もう泣かないって言ったでしょう? 大丈夫、今度は僕がつららさんを守ってあげますから」
 言い終わった後物凄い勢いで顔が紅潮していくのを覚えたので、それを誤魔化す為に河川の方へ向かい、
大きめの石を拾ってそれを川に投げた。ぼちゃんっと鈍い音を立てて飛沫を上げる様子は、まるで今の僕の気
持ちのようでもある。

76 名前:No.19 アメジストからの追憶 4/5 ◇p0g6M/mPCo[] 投稿日:07/12/09(日) 21:42:55 ID:LWn13oCH
 彼女に伝えたい想い――日常生活で構築された心のもどかしさが、言葉の邪魔をする。
 僕はつららさんの方を振り向いた。呆れた顔を浮かべていたのかと思ったら、彼女は無表情として河川の上
流を見つめていた。
 そして僕の方へと詰め寄るとポケットから何かを出した。それは幾分光沢のかかった、紫色をした石だった。
「これはね、七年前にこの川原で拾ったものよ。陽二君はこの石のこと覚えている?」
 彼女の言葉とこの石の効果で――それまで忘却していた記憶が、一気に蘇った。
 
 つららさんの親父さんは持病の悪化が原因で、七年前に亡くなった。元々体の弱い人だったらしい。
 そう。確かに親父さんの遺骨が埋められたあの日は、誰も彼もが悲嘆に暮れ涙を流しているような、そんなし
としとと流れる静寂な雨の日だった筈だ。
 彼女は傘もささず川原に佇み、ただ無表情でこの河川を見つめていた。
 あの時――雨に紛れてよくは分からなかったが、実は泣いていたのかもしれない。そんな彼女が痛ましく思
ったのか、そこで僕はこの紫色の石を見つけ、『プレゼント』という形で渡したのだ。
 今思えば、それは彼女の為ではなく自分自身の為であったのかもしれない。明るかったつららさんが遠くに
消え去り、彼女が彼女では無くなる。そして明るいつららさんが無くなれば、僕も自身の精神を保てなくなる。
 そう思い込んでいたのだろう。我ながらの自分勝手な思い込みであったのかもしれない。
「ええ……今、はっきりと思い出しましたよ。これは七年前のあの日に、気落ちしていたつららさんを元気付け
ようとして渡した石です。何も言わないでそのまま帰っていったから、捨てられたのかと思ってましたが、まさか
未だに持っているとは思いませんでしたよ……」
 そう言うと、つららさんは何故か片眉を吊り上げて不愉快な表情を示した。
「確かにそうだけど、本当にそれだけ? 君はもっと大切なことを忘れてないかな」
 何か欠けていることでも有るのだろうか。
 有るのだろう。その、大切なことというのがしっかりとした形で思い出せない。
 僕は思い出そうとして熟考したが、論理的に考えれば考えるほど結論とは遠ざかっていく。 
 そこで再び呆れた表情をしたつららさんは、紫色の石を僕に渡すと、背後を振り向き、こう言った。
「守ってくれるんでしょ? ……だったら、普段出してない自分の想いとやらを押し通しなさいな」
 
 そこで僕は、まるで催眠術から解けたかのような感覚におちいった。
 七年前の告白――今度は僕がお姉ちゃんを守ってあげる。だから、僕らが大人になったときは、

77 名前:No.19 アメジストからの追憶 5/5 ◇p0g6M/mPCo[] 投稿日:07/12/09(日) 21:43:21 ID:LWn13oCH
「……結婚しよう、か」
 ありがちな子供の告白である。つららさんは僕の方向へと振り向き、麦藁帽がさえぎる影法師の中でその眼
を見据えたので、僕もそれに答え彼女を見つめた。
 半年前に言えなかった言葉。たった一言だ。今、口に出さずにいつ言える?
 言え――言ってしまえ!
「あ、ぼ……僕と、つ、付き合ってくだ……さい」
 覚束無い口調だったがはっきりと、そして確実に述べることが出来た。
 刹那、胸の鼓動が早くなっていくのを覚えたが、頭の中は妙に落ち着いている。
 つららさんは麦藁帽を取る。その満面の笑みを浮かべた表情は太陽に照らし出され、一層に輝いて見えた。
「はいっ、よろしくお願いします!」
 そこで僕は大きなため息をついた。ようやく言えた言葉だが、それは彼女が仕掛けた最高の舞台とシナリオ
が用意されていたからである。
「つららさん、色々とありがとうございました」
 僕は深々と頭を下げた。つららさんは僕の気持ちを理解し、同時に僕に対して好意を抱いていたのだ。だか
ら今日この場所で会う約束をし、紫色の石も用意したのだろう。もしこの結末を彼女が事前に知っていたのなら
――本当に凄い。
「アメジストって鉱石を知ってる? その石言葉に『恋愛関係に不安を持った時は、アメジストを持つとその気持
ちを吹き飛ばす』っていうのがあるんだけど……もちろんこの石は贋物なんだけど似ているからまあいいでしょ
う。でも、まさかここまで上手くいくとは思わなかったわ」
「ある意味凄いですよ、つららさんは。……でも、その……僕の気持ちに気付いていたのなら、どうしてつららさ
んから告白してくれなかったんですか?」
 そう言うとまたもや不快を催した顔を浮かべた。本当に百面相が得意な人だ。
「まったく……女の子に告白させるつもりなのかな、君は。私はね相手が攻めて攻めて攻めてくれないとねっ、
答えてあげられないタイプなのよ」
 そんな感じには見えないのだが、そうなのだろう。人の内面なんて見た目だけでは理解出来ない。
「それじゃあ陽二君の告白も終わったところで、ウチにご案内いたしましょうっ」
 彼女は満面の笑みを浮かべ、僕の手を引っ張っていく。
 つららさんを守る。そう言ったのだけれども――どうやら、もう少しだけ彼女の世話に焼かされそうだ。

<了>



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