【 ニジィスキィとドーティ 】
◆tokoa5BeTo




60 名前:No.16 ニジィスキィとドーティ 1/4 ◇tokoa5BeTo[] 投稿日:07/12/09(日) 19:59:39 ID:LWn13oCH
 私が幼い時にはまだ、村には家屋もまばらで、古ぼけた記憶の中でも依然としてひっそりと黒く湿った森や、
一面に広がる黄色い麦と夕焼け、空を映し取った川と蒸れた草木が、強い色彩を抱えて残っている。
そうした風景を私が懐かしみ、哀れんで、感傷に浸っていると思うかもしれない。だが実際はフィルムを見るように冷淡であり、
切れ切れのスライドが脈絡なく現れてはぼんやり過ぎ去って消えるのだ。そこには何の意味も隠されていない。
何故なら、そのスライドは繰り返し使うごとに擦り切れ、また修復され、新たな色彩がかぶせられ、
不自然なまでに完璧な整合性を持って再現されている――実はといえば、元から存在していたかどうかすら疑わしいのだ。
だからこれから書くことは全て創作なのだと思ってもらったほうが、私にとっては都合がいい。
ただ一冊の絵本が私の手元にあるということだけが、唯一の真実なのだと。

 私はその一冊の絵本をあるおじいさんからもらった。彼は耳が遠く、足も悪くしていたが大変に絵が上手だった。
いつもクレヨンや色鉛筆を抱え、足をずるずるとひきずり気に入った場所を見つけては何時間も座り込んで、ぼんやりし、手を動かし、
またぼんやりとしていた。事情により家族はおらず、またこれといった知り合いがいるようにも見えなかった。
村人は、陳腐な比喩で例えるなら薄いおびえと哀れみと軽蔑で塗られたビニール越しに、彼を見ていたと思う。
とはいえそれは限りなく無色透明に近く、つまりは無関心だった。仲がいいのは私くらいのものだった。
それも、なぜそうだったのか、何がきっかけだったのかはもう分からない。なるべくして自然に、そうなったのだ。
 彼と私を強く結びつけたものがその絵本だったことは、もう言わなくても分かっているだろう。
つまりその絵本の挿絵を描いたのがじいさんで、そのシーンは悪魔に心臓を抜かれた娘が、若者のために最後の力を振り絞って
お祈りするというクライマックスの一場面なのだ(そして絵本とは言うものの、絵が描いてあるのはその場面だけだ)。
私が彼女を見た時の、あの息苦しいまでの衝撃を理解できる人間が、私のほかに一体何人いるだろうか?
 その絵――ドーティという名の女の子――は私の頭の中で火のように勢いよく燃え上がり、轟音をあげて一瞬のうちに蒸発し、
そしてそれ以来、消えない火傷を私は負ったのだ。その絵本の始まりはこうだ……

61 名前:No.16 ニジィスキィとドーティ 2/4 ◇tokoa5BeTo[] 投稿日:07/12/09(日) 20:00:03 ID:LWn13oCH
 遠い昔、遠い西の異国の地に、ニジィスキィという夫婦がいました。
その夫婦は大変なお金持ちで、かわいい男の子を育てながら、たいへんしあわせに暮らしていました。
男の子が日一にちと大きくなるにつれ、夫婦の胸は喜びと期待に満ちあふれました。
『この子は今に誰よりもたくましくなって、村で一番美人でお金持ちの、私たちにふさわしいお嫁さんをもらうだろう』

 また、その村のはずれに、ドーティという夫婦が住んでいました。
その二人は遠い東の異国からやってきて、大変貧しく、それでもかわいい女の子を育てながら大変しあわせに暮らしていました。
女の子が日一にちと大きくなるにつれ、やはり夫婦の胸は喜びと期待で満ちあふれました。
『この子は今に誰よりも美しくなって、心のつましく、優しい旦那さんのところへと嫁ぐだろう』

 月日がたち、やがてニジィスキィ夫婦の子どもは大変立派な若者になり、ドーティ夫婦の子どもは大変美しい娘になりました……

 じいさんはまるで昔を懐かしむかのように、一人ポツポツと語るのだった。私は一言も話しかけることなく、ただ黙って聞いた。
彼はもう周囲の音を気にかけることはなくなっていたし、私のほうでも、彼と話をするには普通より沢山の労力が必要だということを
知っていた。物語がそこで途切れてしまうことが、なんとなく分かっていたのだ。
「二人はすぐに惹かれあった。若者には初めてのことだった。だが運命はそれをゆるさなかった」
「二人には決定的に違うものがあったんじゃ。身分だ。分かるかね? え、ぼうず。村中の誰一人、彼らを認めなかった。
もちろん両親もだ。若者は村人の目を盗み、娘の両親に隠れなければ、愛する人に会うことができんかった。
それでも、そうするしかないなら、そうするもんなんじゃ。まっくらな夜中に娘の家の前に立っては、娘に見つけてもらうのを待っとった。
娘が気づくと、ほんの短い間だけのおしゃべりをして、すぐに帰らねばならんかった。
娘に会えんかった時は手紙をこっそりと窓にはさんでおいた。娘からの手紙もときどきあった。」
 そこまで語るとじいさんは物思いにふけるように黙り込んだ。私は何度もその話を聞かされていたが、そのたびに彼は、
私の聞いたことがない話を付け加えるのだった。若者たちが二人一緒に過ごした時間のほんの小さなきれはしも、
じいさんはやさしく慈しむように話すのだった。二人が今にも生きて、目の前にひょっこりと現れるのじゃなかろうか。
そしてじいさんはふたりをやさしくだき抱えて昔話に花を咲かせるのだ。私もじいさんたちと一緒に笑って過ごす。そんな気がした。

62 名前:No.16 ニジィスキィとドーティ 3/4 ◇tokoa5BeTo[] 投稿日:07/12/09(日) 20:00:22 ID:LWn13oCH
 さてまだまだ絵本やじいさんの話の続きを読みたいと思われるかもしれないが、ここで大事になるのはその後のあらすじが
どう展開するかなのであり、ここは要約で我慢していただくことにする。三人はともに旅をつづけ(途中から悪魔がピクニックに参加する)
悪魔のおせっかいにより二人は体の一部を失う。若者は耳と足、娘は目。娘は健気にも若者の目をふさいであげていたので、
悪魔のささやきで元気づいた邪悪な太陽に、自分は目を焼かれた(そのかわりにおぶってもらっていたので足は焦げずに済んだ)。
悪魔は若者にささやき始め、誘惑する。悪魔の声に耳は磨り減り、娘の必死の励ましはむなしくもなかなか届かず、
悪魔の声はなぜかちゃんと届く(心の声だということだろう)。耳が潰れ、誘惑に負けた時若者は娘の手をはなす。
その瞬間のことだ、悪魔がドーティの孤独に震える心臓をかすめ取ったのは!
 旅を続けてきたにもかかわらずドーティの肌はふっくらとなめらかで、ぼんやり白い光を放つ。
ブロンドの髪にはところどころ茶色い毛が流れており、本のページが風に揺らめけば、彼女の髪も浮いて漂い揺らめくようだ。
頬はかわいらしいピンク色で、ぱっちりと上下に沿った長いまつげにはさまれ、青い瞳がじっと一点を見据えている。
小さな唇をきゅっと結んでおり、細く可憐な指を硬く硬く握り合わせている。彼女の周りにはやわらかい光が満ち溢れていて、
悲劇など少しも感じさせないようだ……
 
 娘は寒さに震えながら必死にお祈りの言葉をつぶやきました。するとどうでしょう、娘の心臓は赤々とした炎に変わり、
悪魔の体を焼き尽くしてしまいました。娘はそのままばたりと地面にふせて、二度と起き上がることはありませんでした……

 こうして物語上でドーティは死んでしまうのだが、先ほど語ったように彼女は私の心の中で生き続けることになる。
 一度私はじいさんの話を切って聞いてみたことがある。ドーティは本当に実在したのだろうか? 今はもう私と同じ世界には
存在しないのだろうか? 耳元で叫ぶと、じいさんは私をまじまじと見つめ、寂しそうに微笑するだけなのだった。

 今となってようやく、あの表情が理解できる。ドーティが私たちと世界を共有しているか? 私は自信をもって断言することができる。
している。ただしそれはドーティの方が私たちの世界にいるのではなく、私が、そしてじいさんが彼女に歩み寄っていたのだ。
だから私が黒や黄や青や緑でできた美しい景色を心に描いたりキャンバスに描いたりするのは自分自身のためでなく、彼女のためで、
私の喜びとなるのはそこに彼女がいてくれることなのだ。
 ――湿った森の中で弁当箱を広げ、大好きなフルーツサンドを手に嬉しそうに笑うドーティ――一面に広がる麦をかき分け、
突然あお向けに倒れてオレンジの空を無表情に見上げるドーティ――静かに流れる川でワンピースの裾を湿らせ、日なたの草むらで乾かす、ドーティ――

63 名前:No.16 ニジィスキィとドーティ 4/4 ◇tokoa5BeTo[] 投稿日:07/12/09(日) 20:00:49 ID:LWn13oCH
今では、私がおじいちゃん。妄想するのはもちろん私のオリジナル。
なぜなら、

私もまた、二次好き(童貞)だからです。


(「ニジィスキィとドーティ」完)


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