【 岐路の甘い記憶 】
◆nsR4m1AenU




51 名前:No.14 岐路の甘い記憶 1/5 ◇nsR4m1AenU[] 投稿日:07/12/09(日) 18:43:31 ID:LWn13oCH
 ビルの屋上で、俺はライフルを構えていた。
 スコープを覗く向こうには禿げ頭がひとつ。油で艶のある肌色、とある会社の社長だ。
 典型的なバーコード頭を維持している往生際の悪さ。ビルの一室に篭もる、奴の性格を
物語っているようだ。
 情報によるとかなり用心深い人物らしく、今まで何度か狙われはしたが、未だに傷一つ
負ったことが無いらしい。
 俺は去年から個人営業をはじめたばかりで、これが二回目の仕事である。今度こそきっ
ちり仕事をしなければ、もう誰も俺へ依頼することは無いだろう。そうなると俺は野垂れ
死にするしかない。こんな奴に手を差し伸べる人なんて誰もいない。死んだところで悲し
む奴もいないが。
 今回の仕事は足元を見られた。報酬は半年分の家賃に半年分の晩飯である。
「ゴルゴ13なんて夢物語だな」
 なぜか今日は落ち着かない。何か下半身にモヤモヤとしたものを感じる。
「そういやここ一週間、抜いていなかったな」
 ばかばかしいと苦笑しつつ、再びライフルを構え直した。
 携帯で発砲の合図を貰うことになっているが、構えてもう二時間が過ぎた。一向に連絡
は来ない。
 ライフルを構えたままミネラルウォーターのペットボトルを手に取る。刺したストロー
を口にくわえ、ひと吸い。冷めた体に身震いが起きた。
 その震えにつられ突然不安を感じ始めた。ライフルの調整は正しいのだろうか、と。
 手探りでアタッシュケースから弾道表をつまみ出す。スコープから目を外し、メッシュ
の紙に描かれた放物線を右手人差し指でなぞった。
 心を覆った灰色が消え去るのを感じる。どうやら問題ないようだ。
「どうかしてる。心配しすぎだな」
 首をぐるぐる回す。関節が鳴った。再びライフルへ手を伸ばして構え直す。力が入って
いる、十字がぶれて照準できない。
「連絡はまだかよ、くそ」
 こちらから連絡しようかとも思った。だが、事前打ち合わせでそれはやらない約束だ。
ひたすら待つしかない。

52 名前:No.14 岐路の甘い記憶 2/5 ◇nsR4m1AenU[] 投稿日:07/12/09(日) 18:43:53 ID:LWn13oCH
 スコープのぎりぎり端っこで何かが動いた。
「ん?」
 となりの部屋へ照準をずらし、動きの源を探る。
 洗濯ロープでも伸ばしているのか、色とりどりの何かを引っ掛けている一人の女性が見
えた。ブラウスにタイトスカート、典型的なOLだ。一人で桃色の何かを摘んでいる。
 スコープの倍率を更に上げた。ぶれは激しくなるが、この際そんなことはどうでもいい。
彼女は一体何をしているのか。好奇心が湧き上がってきた。
「ん? ピンクのブラジャーか」
 ホックに他の下着が絡んでいるようだ。カップは結構大きめ。一方、そのブラジャーを
扱う女性はどちらかというと貧相な方だ。
 次の物を手に取る女性。くしゃくしゃだから最初は何かと思ったが、彼女は両手でそれ
を伸ばした。
「お、パンツだ。それと黒っぽいパンスト、フリルつきのキャミも干してるな」
 彼女一人のボリュームとは思えない。オフィスビルでランジェリー総動員かよ。
 再びスコープを覗き込む。女性は窓際で背中を見せていた。その華奢な背筋にはブルー
の横一直線が走っている。
「ブラウス越しであそこまで見えるブラって。あいつ、TPOを分かってねえのか?」
 そうつぶやいた瞬間、俺の頭にある記憶が蘇ってきた。

 俺が小学校の頃、近所に一回り年上のお姉さんがいた。そのお姉さんはいつも俺にお菓
子をくれたり、両親が家にいないときは遊び相手になってくれたりした。
 夕方、別れ際でいつも俺が見るもの。切なく、白く、柔らかで華奢なお姉さんの背中だ
った。いつしか俺はその背中に心をときめかせていた。とんだマセガキだ。
 だがある日を境に、お姉さんの背中はピンクやブルーの横一直線が浮かぶようになった。
 それから間もなく。彼女は、町から姿を消した。
 噂では悪い男に引っかかり、遠くの町へ行ったらしい。小学生だった当時、その意味も
よく分かっていなかったが。
 それ以来、俺はお姉さんと一度も会っていない。

53 名前:No.14 岐路の甘い記憶 3/5 ◇nsR4m1AenU[] 投稿日:07/12/09(日) 18:44:14 ID:LWn13oCH
「今じゃあお姉さんも四十近いかな」
 ライフルを手から離し、額に右手の甲をあてがって苦笑した。
 あの頃『どんな人になりたい』というプリントに、俺は『警察官』と書いた。それが今
では駆け出しの殺し屋だ。しかも、まだ一度も成功していない。
 一体どこで道を誤ったのだろう。当時の俺が今の俺を見てどう思うだろう。
 胸ポケットから煙草とライターを取り出し、一本口にくわえて火をつける。口をすぼめ
て細く噴き出す煙は、あっという間に大空へかき消されていった。
「空、青いよなぁ」
 くすみの全く無い、澄み切った青空。
「もうあの頃へは戻れねえのかな」
 すっかり忘れていた。お姉ちゃんの背中で目覚めた感情、胸の高鳴り、微かな紅潮。締
め付けられるような熱い気持ち。
 まだ長い煙草をコンクリート床へポトリと落とし、靴底でしつこく踏みにじる。都会の
薄汚れた空気を目一杯吸い込み、長く深いため息をついた。
 胸の奥に溜まる、重く灰色のものが吐き出されないかと思って。
 今、俺は枯れ果てている。そんな俺にもあの思いを再び抱くことができるのだろうか。
 ひょっとしたら、まだ取り戻せるものかもしれない。
 唐突に、胸元で携帯が震えた。
『OKだ。狙撃、やってくれ』
 ヘッドセットから聞こえる依頼人の声。その瞬間、俺の心は決まった。
「うるせえ!」
 力いっぱい床へ携帯を叩きつける。筐体は真っ二つに割れ、片割れが広いコンクリート
の上を滑っていった。

 次の日。
 上下を青いツナギで固めた俺は、モップとバケツを持って例の部屋の前に立った。
 右手の甲で軽くノックすると、中から重みのある金属っぽい音がした。ノブを回しドアを
半分ほど開く。顔だけを突っ込んで軽く会釈をした。
「あら、どちら様?」
 バインダーを小脇に抱え、フォックスメガネをかけた昨日の秘書が振り返った。今日も部

54 名前:No.14 岐路の甘い記憶 4/5 ◇nsR4m1AenU[] 投稿日:07/12/09(日) 18:44:36 ID:LWn13oCH
屋には彼女一人だ。ここは秘書室のようなものか。
「清掃です」
 そう言う俺を不思議そうな顔で見る秘書。こうして見ると結構な美人だ。
「あなた」みるみる眉間に皺を寄せ、険しい表情へと豹変する秘書。「昨日、ウチの社長を
狙ってませんでした?」そう言いつつ彼女はデスクの引き出しへ手を掛けた。
 やはりな。こいつ最初から感づいていたか。
「情報が入ったので、気を散らすために色々と頑張ったんですけどね。その日は社長も逃が
せたし、なんとかやり過ごせたから大丈夫だと思ってたら。まさかここへ堂々と」
 そう言いながら引出しを開き、素早く右手を突っ込む。
 こんな状況で右手が握るものなんて決まっている。
 俺はダッシュで駆け出し、秘書の腕を掴んだ。軽く捻って右手のモノを奪う。彼女を突き
飛ばしてから俺は手にした物を見た。
 六連発の拳銃だ。
「おっとろしいモノ持ってるな」
 秘書へ狙いをつけ、肩をすくめながら俺は言った。
 床で斜めに体を崩した彼女は「殺すの?」と、俺を見上げた。額に汗を浮かべながら拳銃
の銃口を凝視する。
「あ、いや。ちょっとお願いが」右手で拳銃を持ったまま、俺は左手を何度も振った。
「お、お願い?」秘書は目を大きくした。

「そうそう! 青のブラ筋最高!」
「は、はぁ」
 肩越しにチラチラと俺を伺いながら、困った表情で猫背を見せる秘書。
「なかなか見せるツボを心得てるじゃないか。じゃあ、次は前屈だ」
「……は?」
「立ったまま、膝を曲げずに床へ手をつけろ。こっちへ尻を向けてな。とっととやれ!」
 促すように俺が銃口を振ると、女性はぎこちなく従った。
 タイトスカートのお尻部分にU形の線が浮かび上がる。その曲線ぶりからして、なかなか
真面目なパンツを履いているようだ。
「いやあ、たまんねえ」左手のひらを額に当て、左右へ首を振りながら俺は苦笑した。「次

55 名前:No.14 岐路の甘い記憶 5/5 ◇nsR4m1AenU[] 投稿日:07/12/09(日) 18:45:01 ID:LWn13oCH
はガーターストッキングに履き替えろ。あれだけ干してたんだ、あるんだろ? 太ももあた
りの切れ目を見せてくれ。おっとパンツは見せるなよ? 気持ちが冷めちまう」
「あ、あの。もう……許してください」
「うるせえ!」彼女から取り上げた六連発を構え直した。「死にたいのか」
「じゃ、じゃあ……向こうで履き替えてきます……」
「ああ、頼む」
 俺はほほ笑みを浮かべながら腕を組んた。

 廊下から豪雨のような足音が響く。警官隊のようだ。あの秘書、通報したか。
 だが彼女を恨む気はない。後悔もしない。
 俺は今、確かに感じている。甘酸っぱい初恋にも似たときめき、微かな紅潮。締め付けら
れるような熱い思い。
 あの頃と同じだ。

 俺は見事に取り戻した。幼き頃に目覚めた、下着のチラ見フェチという性癖を。


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