【 秘密基地 】
◆ecJGKb18io




34 名前:No.10 秘密基地 1/5 ◇ecJGKb18io[] 投稿日:07/12/09(日) 03:29:26 ID:tOy1IPfq
重い、映画館のようなドアを開けた先は、既に大勢の人で賑わっていた。僕は受付で渡された席次表を手に、
自分の席へと向かう。近くまで行くと、この間の同窓会以来の同級生達が手を振っているのに気付いた。皆が
皆、きちんと正装しているのを見て、僕は大人になったんだなと実感する。数年前の成人式の時には衣装に
着られていた奴らが、今はひどく大人に見えた。
 僕は卸したばかりの真新しいスーツに違和感を覚えつつ、適当に挨拶を交わして席に腰を下ろした。
「よう、堀田。仕事は終わったのか?」隣の席の、川田が言う。
「なんとかね。着替えてきたら遅くなった」
 今日は午前中に仕事をこなしてきた。そのため、午前の結婚式には出席出来なかったのだ。急ぐ仕事では
なかったが、ただなんとなく仕事を優先させた。
「純白のウェディングドレス綺麗だったのに」
 目を輝かせて、非難染みた口調で言うのは同級生の美由紀。
 少し露出が大目のアフタヌーンドレスを着込んで、メイクもやりすぎではないかと思えるくらいに決めていた。
あわよくば、いい男の一人でも、と考えてるに違いない。
「どうせ披露宴でもウェディングドレスは見られるだろ」
「卒倒したりしないでよ」
 小馬鹿にするような目つきで僕を見遣る。
「どういうことだ」
「別に」
 そう投げやりに言って、グラスに口をつける。今流行の人気女優のように。それから、しばらく雑談をして
いると、いつの間にか会場内は人で一杯になった。
 僕らに当てられた席は、会場正面に設けられた高砂よりも随分と離れていて、会場全体を見渡せた。前
の方には、記憶よりも大分老けた教頭先生など、懐かしい面々が顔を揃えている。僕らの時代に教頭だった
先生はもう校長になっているのだろうか。
 そんな事を考えながら、周りに視線を這わせていると、不意に会場が薄暗くなる。
 メンデルスゾーンの結婚行進曲がゆっくりと流れ出した。

35 名前:No.10 秘密基地 2/5 ◇ecJGKb18io[] 投稿日:07/12/09(日) 03:29:45 ID:tOy1IPfq
 阿形先生と出会ったのは、僕が小学五年生の時だ。
 当時の僕は、季節を問わず半袖のシャツと短いズボンに身を包み、走り回っているような子供だった。
元気と体力が有り余って、発散し切れない程に活発で、騒がしい子供。今では信じられないけれど、
田舎だったから登校するのにも山を一つ越えていた。学校へ行って、服を泥んこにして、それからまた
山を越えて帰ってくる。それでも、家に帰ってから暇だ暇だと暴れていたのだから、親は相当手を焼い
ただろう。
 とにかく、僕はそのくらい元気な奴だったのだ。
 五年生に上がった春。担任が、阿形先生に決まった時、僕は心の内でチッと舌打ちした。僕はボス先
生になって欲しかったから。ボス先生はスポーツマンで、優しくて、笑顔も素敵で、休み時間には一緒に
なってドッヂボールをしてくれる。僕だけじゃなく、クラスの誰もがそう望んでいた。
 阿形先生は、その春に遠い小学校からこっちに異動してきた先生で、僕は先生の事を何も知らなかった。
ただ噂として、宿題が多くて、女だけれど怖い先生、という話は聞いていたけれども。
 僕はハズレを引いたな、と悔しく思っていた。
 しかし、新学期が始まり、五月になる頃には、ハズレが大当たりだった事を知った。阿形先生はとても面白
い先生だった。見た目は、モナリザみたいな顔で怖かったけれど、授業は個性的で、今までの誰の授業より
も楽しかった。天気がいい日は、唐突に予定を変更して課外授業に連れて行ってくれたし、休み時間になる
と、誰よりも早く校庭に出て、ボールを準備してくれていた。そんな気さくな先生だから、僕もクラスメイトもす
ぐに打ち解けた。噂通り、宿題は多かったけれど。
 阿形先生はいつの間にか、僕らの間ではパーマ先生と呼ばれていた。理由は単純明快。長い黒髪にウ
ェーブをかけていたから。一学年十三人という、滅多にお目にかかれないであろう田舎では、先生はとても
目立っていた。若い見た目だけじゃなく、破天荒な性格をしてた事もあるだろう。
 その夏のある日。パーマ先生はいつものように、唐突に僕らに提案をした。「秘密基地を作ろう」と。僕ら
は一瞬驚き、そして大いに喜んだ。秘密基地という素敵な響きに心が躍らないわけがなかった。有言即実
行が座右の銘である先生は、すぐに僕らを引き連れて裏山に登った。ちょうど学校の裏側が見える場所に、
秘密基地を作る事に決めた。
 それから、休み時間や放課後になると、皆でそこに行くようになった。木からぶら下がる丈夫そうな蔦を
ターザンにして何度も何度も遊んだ。
 その内、パーマ先生がビニールシートやラジカセ、漫画なんかを持ってきて、一層秘密基地らしさを増した。
僕らも、さすがに木を切ったりは出来なかったけれど、大きな石を探して簡単な椅子なんかを作ったり。
 僕らは本当に、心の底から秘密基地を楽しんでいた。

36 名前:No.10 秘密基地 3/5 ◇ecJGKb18io[] 投稿日:07/12/09(日) 03:30:10 ID:tOy1IPfq
しかし、その楽しい日々も長くは続かなかった。裏山の所有者が、学校に文句を言ってきたのだ。僕らの
秘密基地建設計画は思わぬ所で頓挫した。
「ごめんね、先生がいつかあの山買うから」
 パーマ先生は半ば本気でそう言っていた。
 クラスの皆が、残念そうにしている中で、僕は無性に苛立っていた。文句を言ってきたという山の所有者に
対して。あんなに大きな山なのだから、秘密基地の一個や二個くらい良いだろうと。その頃の僕はそのくらい
子供だった。世の中のルールよりも、楽しみを優先するくらいに。
 校長室に山の所有者が来ている、と耳にしたのは、それからすぐだった。怖いもの知らずというか、完全な
馬鹿だった僕は、同じく発奮していた川田と美由紀と供に、校長室へ乗り込んだのだ。
 校長室のドアを勢い良く開けて、目に飛び込んできたのは、ソファーで向かい合って座っている校長先生
とパーマ先生、それから山の所有者と思しきおじさん。
「秘密基地くらいいいじゃないですか」
 僕は開口一番にそう言った。と記憶している。実際、何も考えずに行って、軽いパニックになっていたから、
記憶は定かではないが。あんぐりと口を開けている校長先生とパーマ先生。目を見開いているおじさん。僕
の突然の物言いに驚いている川田と美由紀。
 結果、すぐに僕ら三人はパーマ先生の手によって、外に引きずり出された。忌まわしき記憶だ。


 その日の放課後。
 当然、僕ら三人は職員室に呼び出された。校長先生と、教頭先生、それからパーマ先生と、ちょっと豪華な
説教陣だ。校長先生と教頭先生は、優しい口調で、それでも厳しく僕らを叱った。パーマ先生は僕らに代わっ
て頭を下げた。
 一時間ほどの説教を喰らって、ようやく僕らは解放された。反省はしていなかったけれど。
 パーマ先生は笑いながら「お疲れ様です」と僕らに言った。

37 名前:No.10 秘密基地 4/5 ◇ecJGKb18io[] 投稿日:07/12/09(日) 03:30:28 ID:tOy1IPfq
 僕らはなんとなく、そのまま家に帰りたくはなかった。誰が言い出したでもなく、自然と秘密基地の方に足
が動いた。幸い、秘密基地は撤去されてはおらず、手付かずのまま残っていた。僕は尚も苛立っていた。山の
所有者ではなく、自分の無力さに対して。多分、川田も美由紀も同じ気持ちだったんではないかと思う。会話も
せずに、三人で座っていた。
 しばらくそうしていると、不意に枝を踏み鳴らす音が聞こえた。
 僕らが同時にその方向に顔を上げると、そこにはパーマ先生がきょとんとした顔で立っていた。
「センセ……」
 美由紀が泣きそうな声で言う。
「悪い子達だなー。ここで悪口でも言い合ってたのかな」
 先生がそう笑っていうものだから、美由紀はついに泣き出してしまう。わんわんと泣いて、先生に飛びついて
いた。僕も川田もつられて、涙が溢れ出す。
「でも先生、僕ら悪くない……悪いんですか?」
 感情をコントロール仕切れていない川田が分けの分からない事を言う。
「悪いよ、多分。でも、もっと悪いのは先生だけどね」
 先生はしがみ付く美由紀の背中をポンと叩いて、座らせる。
「先生、荷物を取りに来たんだ」
 シートにラジカセに漫画。きっと先生もこっぴどく怒られたのではなかろうかと子供心に僕は思った。先生は
悪くないのに。先生は僕らを喜ばせようとしていたのに。
「……このくらい、いいじゃないですか。文句も言っちゃ駄目なんですか」
 僕は涙声でそう呟く。窘められるに決まっているけれど、どうしても納得出来なかった。これは駄目な事なん
だ。文句だって言うべきじゃないって言われると分かっていても。
 けれど、パーマ先生は言った。
「口にしちゃ駄目かもしれないけど、心の中で思ってるのはいいんだよ。悪口だってなんだって」
 先生にとっては、なんでもない一言だったのかもしれない。だけれど、僕にとっては大きな衝撃だった。心の
中ならいいんだって、そんな事誰からも教わらなかったから。心の中も綺麗にいましょうねって、周りの大人は
そればかりだったから。口にしなければいいなんて、初めて聞いたから。

38 名前:No.10 秘密基地 5/5 ◇ecJGKb18io[] 投稿日:07/12/09(日) 03:30:50 ID:tOy1IPfq
 結果的に、秘密基地はなくなった。秘密ではなくなったからだ。
 それから時間はどんどんと加速して、あっという間に僕は卒業を迎えた。中学生になり、高校生になり、社会
人になり。一日の猶予も許さず、僕は大人になった。
 正直、学生時代の記憶なんて露ほどにも残っていないけれど、二つだけ。秘密基地とパーマ先生の存在だ
けは、僕の心にずっと刻まれている。カメラのネガみたいに続いている記憶の中で、その部分だけ強く擦り付け
られたように。
 僕の心の中に秘密基地があって、その中にはパーマ先生が居て、パーマ先生の言葉があって。ついでに、
川田や美由紀も居て。

「わ、やっぱり綺麗だよ」
美由紀に袖を引っ張られる。僕は水を飲む振りをしてグラスに口をつけた。
「ねぇ、見なってば。先生の晴れ姿なんだよ?」
「いいじゃねえか。そっとしといてやれよ。どうせ後数時間は見なきゃいけないんだから」
僕の心を知ってか知らずか、川田が助け舟を出してくれる。あの時、必死で唇を噛み締めていた子供も、ど
うやら大人になったらしい。
「ほんっとにいつまでもガキなんだから、堀田は」
「……お前もわんわん泣いてた癖に」
「え? なんて?」
「なんでもない」美由紀が僕の太腿をパシンと叩く。
「言いたい事があれば言わないと後悔するわよ。……今みたいに」
あちこちでフラッシュが瞬く。会場全体が先生を祝っていた。少し遅めの結婚を。僕はあくまでも、新郎新
婦の入場に背を向けながら水を飲む。
 そういえば、と思った。風の噂で、先生が山を買っただのなんだのと耳にした。まさか、と打ち消す。本気
で買う馬鹿がどこにいると言うのか。今更買った所で、何の意味があるというのか。
「トイレ行って来る」
「はぁ? ちょっと……何も今行かなくたって」
「そこのドアを出て、すぐ右だぞ。堀田」
 秘密基地に隠したはずの想いは、僕に未だ微かな苦味を与える。
 決して、口にはしないけれど。
                            <了>


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