【 帰路 】
◆wWwx.1Fjt6




32 名前:No.09 帰路 1/2 ◇wWwx.1Fjt6[] 投稿日:07/12/09(日) 00:58:44 ID:LWn13oCH
 夕暮れ時に帰るのは何ヵ月ぶりだろう、と、男は駅前の喧騒を眺めて思った。彼は普段終電の常連で、その日
のような出張直帰でもなければ、街が寝静まる前に帰ることなどなかった。あまりに珍しいので、まだバスの走
っている時間帯だということを、男は忘れていた。もしかしたら、思い出しても乗らなかったかもしれない。こ
の時間帯のこの街が、彼は好きだった。
 駅前から北に延びる大通りに平行して走る、一本東側のイチョウ通り。それが彼の道だ。彼の出た中学も高校
も、この通り沿いにある。その頃からもう三十年間イチョウの下を歩き続けている。
 三十年の間にはいくらか変わったこともある。駅からイチョウ通りに出た角の洒落た美容室は、代変わりする
までは小汚い床屋だったし、高校手前にあるコンビニは、かつてはパン屋だった。男は高校生時代、そこでサン
ドイッチを買って食べながら帰ることがよくあった。
 そのコンビニの前に男が差しかかると、高校の詰襟を着た男子学生が肉まんの袋を大事そうに抱えて店から出
て来るのが見えた。店が変わっても子供のやることは変わらないものだ、と男は微笑んだ。
 男も肉まんを買って帰ることにした。三つ頼んで袋に入れて貰い、先程の学生と同じく大事そうに抱えてイチ
ョウ通りに戻ってきた。学生は既に高校の門の辺りまで行っていた。

33 名前:No.09 帰路 2/2 ◇wWwx.1Fjt6[] 投稿日:07/12/09(日) 00:59:19 ID:LWn13oCH
 学生が門を行きすぎた途端、門柱の陰からポニーテールの頭が飛び出して、学生を見送った。暫く覗いて充分
間隔が開いた頃合を見計らって、ポニーテールの持ち主のセーラー服姿の少女は、学生の後をつけるように歩き
出した。男はまた少し微笑んだ。二十五年前に彼もこの学生と同じ立場にいたのを思い出していた。
 その頃毎日男の後をつけてきた娘も、このセーラー服にポニーテールだった。髪質はこの少女の髪のようなさ
らさらのストレートで、ポニーテールは歩くたび右に左に揺れた。あの時男はつけられているのを知っていて、
けれども自分から娘に話しかける勇気はなく、どうやって話しかけて貰おうかと骨を折ったものだった。思いき
り振り返ってしっかり目を合わせてしまえばすぐ済んだのかもしれない。しかしいくら振り返ろうとしても首が
なかなかいうことを聞かず、いつも車道を眺めるにとどまっていた。待つために立ち止まってみても次の瞬間に
は、考え事に夢中でつい、といった風にみせかけるためにわざと天を仰ぐ芝居をして取り繕ってしまうのだった。
そうしてイチョウ通りが尽きるまでの間の二人の微妙な距離は、男の在学中ずっと保たれたままだった。
 少女の前を歩く学生はもう肉まんを食べ終えていた。立ち止まって袋を捨てる場所を目で探し、けれど丸めて
ポケットに突っ込んだ。男はその辺りにゴミ箱などないことを知っていたし、学生もきっと知っているだろうと
思っておかしかった。少女だけが少し困り、また学生が歩き出したのを見てほっとしていた。
 イチョウ通りが尽きるところで二人の道は分かれるようだった。東に曲がった学生を、少女は名残惜しそうに
少し眺め、そこで追い付いた男の存在にようやく気が付いた。
「あ、お父さん。早いね」
「信号待ちか。ここは歩道橋のほうが早いぞ」
「別に急がないもん」
「肉まんが冷めるぞ。ほぉら、三人分買ってきた」
「うわっ。ダイエットの敵っ」
「なんだ、母さんそっくりだな、その言い方」
 言い方だけじゃないけれどな、と、男は密かに付け加えた。

終わり


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