【 肉まんを食らう事 】
◆NCqjSepyTo




46 :No.12 肉まんを食らう事 1/5 ◇NCqjSepyTo:07/12/03 01:14:53 ID:Mb4WRYJ4
 金曜日の深夜三時も過ぎた頃。しんと静まり返った夜の黙を破って突然携帯電話の着信音が鳴り響き、
真由子は一度びくっと体を震わせると二度三度ともぞもぞとした後漸く、枕元の小さな通信機器を手に取った。
もう一年半も前に換えた大分流行遅れのそれは、ぴかぴかと光って友人からの着信を告げる。真由子

はかちゃりと開いて時間を確かめると、一向に鳴り止む気配の無い着信音に大きな溜め息を吐きながら通話ボタンを押した。
「もしもし葵? こんな時間に何の用?」
 寝起きの所為で掠れた声が多少不機嫌になってしまうのも致し方ないことで、更にその受話器の向

こうに居るであろう幼馴染かつ同級生の葵が無言なものだから、彼女の機嫌はどんどん坂道を転げ落ちて行く。
真由子が苛々する気持ちを抑えながら四回目の呼び掛けを終えた時、電話口の相手が漸く言葉を発した。
「……真由ちゃん」
「なあに? どした」
 葵の声がすすり泣いているようにも聞こえた真由子は、少し言葉を和らげる。流石に心配になったのだ。
「あのね、こんなこと真由ちゃんにしか言えないんだけどさ」
 しかしそう切り出す葵に真由子はまたか、心配して損したと心中秘かに舌打ちをする。彼女がこう

やって話を切り出した時後に続くのは、どうでもいい上にやたらと重たい悩み相談だと相場が決まっていた。
葵本人にとっては大事であるかも知れないそれは、言ってしまえば他人の真由子にとっては実際どう

でもいい。何て冷たい事をと思われようが、所詮世の中とはそんなもんだと真由子は理解していたし、
今更それにレジストする気もさらさら無かった。
「あたし……もう生きているの嫌なんだ」
「いきなりどうしたのさ? 昼間はあんなに元気だったじゃない」
「夜になると死にたくなるの。色々考えちゃって……大人になんかなりたくない」
 大人になる前に死にたい。そう呟く葵の言葉はどこか切羽詰っていて、真由子もしょうがなく何かあったのかと尋ねてみた。
「息をする度に汚れてくの。あたしが。汚くなってく」
「……まあ、あんたの親父さんヘビースモーカーだしね」
「そういう意味じゃなくて!」

47 :No.12 肉まんを食らう事 2/5 ◇NCqjSepyTo:07/12/03 01:15:15 ID:Mb4WRYJ4
 真由子の答えが不満だったようで葵は声を荒げた。どうしてあたしの気持ちを分かってくれないの、
真由ちゃんは悩みなんて無いんだ、お気楽に生きられて羨ましい、あたしの気持ちなんて誰も分からないと
涙声になりながら延々と捲くし立てる。
「真由ちゃんって、ほんと良い性格してるよね」
 皮肉な口調でそう言う葵に、真由子ははいはいと微かに笑いながら答えた。
「そりゃ有り難う。褒め言葉として受け取っとくよ」
 その言葉に葵の呼吸が段々荒くなり、真由子はそれをまるでドッグブレスのようだと思った。
その後葵が一方的に電話を切ったので、彼女はは再び大きな溜め息を吐いて布団に潜り込む。
そうしながら、もう少し真面目に聞いてあげても良かったかと考えもしたが、深夜に起こされたんだし
あれくらい言っても罰は当たらないだろうと自分を納得させている内にいつの間にか微睡みの中に落ちていった。
 翌日土曜日は、季節にそぐわず温かな日和だった。昼近くまでたっぷりと睡眠をとった真由子は、
友達と出かけた母親が作って置いて行った朝食と昼食を纏めて頬張ると、通学鞄から教科書や参考書を
適当に選び出して抱え、自転車を漕ぎ図書館へ向かった。
来年には大学受験を控える高校二年生、少しくらい勉強しようと思い立ったのだ。
市立図書館の二階に設けられた学習スペースの一部に真由子は陣取り、数学の参考書を広げる。
右に三つ空けた席に見知った顔を発見し、軽く挨拶など交わしながら微積の問題と睨み合いを始めた彼女だったが、
半時もしない内に額がノートと熱い接吻を交わし始めた。
仕方が無いので気分転換にと、のっそり階下に降りた彼女は、児童書や絵本のコーナーを回りバーバパパを読んだ。
自分の膝丈ほどしかない子供に不振な目を向けられるのを少々快感に感じながら雑誌
のコーナーに向かい、徐に月刊大相撲を手に取るとソファーに腰を下ろしゆっくりと目を通す。
贔屓にしている力士の九州場所に向けた意気込みをにやにや眺めた後ページをめくるが、
先月号のプレゼント当選者欄に自分の名前を見つけられず思わず舌打ちをした。その舌打ちが思いの外大きく響き、
斜向かいに座り園芸雑誌を読んでいた老人に目を向けられ思わず冷や汗が出る。その後心を入れ替え
自習に励むことにした真由子は、半日かけて若きウェルテルの悩みを読み終えたのだった。
 日曜日は、一転冬らしい寒空になった。図書館は飽きてしまったし弟は朝から野球の試合だしで
暇を持て余した真由子は、家にあった饅頭を手土産に近所の祖父母の家に遊びに行った。
祖父の代わりに犬の散歩をし、高台にある公園から電車の過ぎ行く様を眺めたりしながら時間を潰す。
祖母に昼食も出してもらい、その後は土産にと持って行った筈の饅頭を自分で食べて三人でお茶を飲んだ。

48 :No.12 肉まんを食らう事 3/5 ◇NCqjSepyTo:07/12/03 01:15:42 ID:Mb4WRYJ4
家に帰ると、試合が終わって帰宅したらしい弟がテレビゲームを始めようとしていたので、
真由子は嫌がる彼の頭をはたいて強引に2Pで参戦をした。高順を打ち倒して水門が壊れ
下ヒ城が水浸しになった所で彼女は、いつの間にか夕飯の支度を始めていた母親に声を掛けられた。
「ねえ、真由子」
「んー。なにい?」
 弟の使う最強キャラクターと真由子のお気に入りキャラクターの声が響く。彼女は母の方に顔を
向けぬまま気持ち半分で答えた。
「今葵ちゃんのお母さんから電話があってね、葵ちゃん昨日の朝出掛けたっきり帰ってこないらしいのよ」
 あなたどこにいるか知らないと問いかける母の言葉に真由子が思わず振り向いたので、彼女の
キャラクターが妖艶な叫び声を残して討ち死にした。何やってんだよお、これだから女はと文句を言う
弟の頭をもう一度はたくと真由子はにへらと笑い母に問い返す。
「それで、遺書でも置いてあったの?」
 次に頭をはたかれたのは真由子だった。彼女を睨みつける母親の目が険しい。
「分かった分かった。私探してくるから」
 邪魔者が消えると言って喜ぶ弟を悔し紛れに殴りつけて母親の視線から逃げるように慌てて立ち上
がった真由子は、玄関先で仕事から帰ってきた父親と鉢合わせ、丁度良いと彼の着ているジャンパー
を剥ぎ取り肩に引っ掛けると携帯電話と財布を持って家を飛び出した。
 探して来ると言って出て来たは良いが実際当ても無く、真由子はただ無為に自転車を漕ぐ。
日が沈むのも早くなりとっくに暗くなっている空では、空気が冷えているので星が綺麗に見える。
雲も無く月の照らす長い下り道を車輪の回るままに駆け下りると、あっと言う間も無く駅近くに出ることが出来た。
仰いでも一つの星も見えないほど明るい駅前で行きかう人々を眺めながら彼女が途方に暮れていると、
ポケットの中に入れた電話がブルブルと震え出す。慌てて電話に出た真由子は、電話の向こうの葵の声が
予想以上に憔悴しているのに少々焦ってしまった。
「真由ちゃん、寒い。家に帰りたい」
「あんた今どこにいるの? 迎えに行くから教えて」
 葵が掠れた声で天狗山、と言うのを聞くと、ふもとのバス停で待てとだけ告げて真由子は自転車に飛び乗った。
天狗山は駅を越えて家と反対側に三、四キロ行った所にある、山と言うには余りにお粗末なそれでいて
丘と呼ぶには少し険しい、地元におけるピクニックの名所だった。
彼女がそこで自殺しようと考えたのだとしたらそれは何とまあ浅はかなことだろうと真由子は苦々しく思う。

49 :No.12 肉まんを食らう事 4/5 ◇NCqjSepyTo:07/12/03 01:16:04 ID:Mb4WRYJ4
緩やかな上り坂を、呼吸のリズムに合わせてペダルを踏み込む。駅から離れれば離れるほど明かりは
消えて、やはり星が綺麗に見えた。
天狗山の黒々とした影が前方に広がり月の半分を隠した頃真由子は、赤い屋根をつけた小さなバス停
の中に葵を見つけた。ベンチに腰掛けて俯いているので顔は良く見えなかったが、その薄着の肩からは
憔悴が色濃く伝わって来る。
「葵」
 真由子がそう呼びかけると、彼女はふっと顔を上げ泣きそうな笑顔を作った。自転車から降りた真
由子はからからと音を立てそれを引き摺りながら葵の元へ行くと、帰るよと言ってジャンパーを脱ぎ、彼女に渡した。
「あったかい」
 微かに涙ぐむ葵を後ろに乗せ、真由子はえいやっと自転車を走らせる。バランスを取る為に
ブレーキレバーを軽く握りながら、なだらかな下り坂を慎重に滑った。
葵は真由子の肩を軽く掴み、小さい頃もよく真由ちゃんと二ケツしたねと呟いた。
その感慨深げな声音に真由子も小さく返事を返す。
「ねえ真由ちゃん、このジャンパー、浅野工務店って書いてある」
「ああ、それ親父の仕事着だから。ちょっと臭うかもよ」
 真由子の言葉に葵が弾けるように笑い出した。彼女もつられて笑い出す。二人は周りの不振そうな
他人の視線も気にせず一頻り大笑いすると、今度はぱたりと黙りこくった。
しゃあしゃあと車輪が回り、冷たい夜風が頬を撫でていくのが心地好かった。
 お腹が空いたと葵が言うので、真由子は駅までの道のりの途中でコンビニエンスストアに止まった。
肉まんとホットの缶コーヒーを買い、店の駐車場の端の暗がりの中に遠慮がちに身を潜めて並んで座る。
「それにしても、よく二日も持ったね。携帯の電池」
 真由子が小さく割った肉まんの欠片をふうふうと冷ましながらそう言うと、葵は少し恥ずかしそう
に携帯電話に着いた小さな簡易充電器を指し示した。
「あんたねえ、本当に死にたいなら携帯なんて置いて行くもんだよ」
 その用意周到さに思わず吹き出した真由子に彼女は抗議するような視線を送り、笑わないで、反省してる、と呟いた。
「ねえ葵」
 恥ずかしそうに俯いてしまった彼女ののことをそうやって少し見つめてから真由子は徐に口を開いた。

50 :No.12 肉まんを食らう事 5/5 ◇NCqjSepyTo:07/12/03 01:16:25 ID:Mb4WRYJ4
「悩みが無い人なんて居ないんだよ。それに、他人のことを完全に理解できる人だって居ない。
この世に生きているのは自分一人じゃない」
 そういう現実を否応無しに受け入れなきゃいけないのが大人になるってことじゃないのかな。
真由子は、下を向いたまま聞いている葵に諭すように言葉を紡ぐ。
「だから、大人になるのが嫌だってのは分からなくも無い」
 肉まんを食べ終わり両手をはらうと真由子は缶コーヒーを開けた。良い香りが暖かい湯気に乗って
立ち上り、彼女はほっと息を吐く。葵の肉まんはまだ半分以上もその手の中にあり、白い息を吐いていた。
「でもね、私は図書館で月刊大相撲を読むことや、じいちゃんばあちゃんと他愛も無い話をしながら
お茶を飲むこと、弟と喧嘩しながらゲームすることがどれほど幸せか知ってる。それから」
 顔を上げた葵と視線がかち合ったが、それを逸らさずに彼女は続ける。
「それから、親友と一緒に食べる肉まんがどれほど美味しいかも」
 だから、生きていける。真由子のその言葉に、葵は真由ちゃあんと情けない声を上げて彼女に抱き
ついてきた。真由子はぎこちない仕草でそれに応えながら、可憐な少女から微かに立ち上るオヤジ臭に苦笑いをした。
 葵の自宅の玄関先で、返してもらったジャンパーを着込みながら真由子は彼女に声を掛けた。
「明日、学校来るんだよ」
 扉に手を掛けた葵が小さく頷くのを確認してから、真由子は自転車を漕いで家へと帰る。
風は冷たくて空は高くて、仰いだ空に瞬く星はとても綺麗だった。






BACK−疑心暗鬼もそれほどに◆Je0OLOYuAA  |  INDEXへ  |  NEXT−後(のち)の神である◆uu9bAAnQmw