【 平成維新の聖夜 】
◆D8MoDpzBRE




16 :No.05 平成維新の聖夜 1/5 ◇D8MoDpzBRE:07/12/02 16:33:45 ID:+ywVLGxZ
 夜の雑木林の中を、一つの影が潰走していた。名を仁藤吉右衛門と言った。髪を振り乱し、折れた槍を杖代わ
りにして、とてもおぼつかない足取りであったにも関わらず、重い甲冑を手放さなかった。視界はまるで利かない
から、手探りだ。
 甲州の武家に生まれ、妻子にも恵まれた。武功もそれなりに重ね、ゆくゆくは安泰だったはずだ。しかし、先の
合戦が彼にとって不幸な転機となった。謀反の軍勢に与して敗れたのである。
 逃げた。逃げに逃げた。故郷を捨てて、妻子をも捨てた。未練よりも己が大事だった。
 先のことなど何も考えていない。とりあえずいかにして助かるか。武士道は倒錯し、迷走し、挙げ句沈黙した。故
に彼はもはや武士とは呼べない。死に場所を失った侍は侍ではない。
 鳥の羽音が木の葉を揺らし、深い闇の奥にある森という存在を示す。光源の絶たれた世界で、聴覚は目となる。
 次第に夜明けが近づく。黎明の香りを、吉右衛門は肌で感じていた。鶏の鳴き声が、それを確信に変える。次
第に本来の目が、目としての役割を取り戻す。
 そこで吉右衛門は、奇妙なものを見た。尖塔。櫓でも城跡の類でもない。払暁の微かな光が、森の中に忽然と
屹立する対象物の輪郭を映し出す。
 周囲に人の気配はなかった。
 近寄って確かめる。その塔は骨格しか有していない。外壁も屋根もない。鉄で出来ていた。
 鉄塔。誰が、何のためにこんなものを?
 吉右衛門は更に歩いた。敗走という当初の目的は、何やら別のものにすり替えられていた。未知の探索めい
た何かに。おぼつかない足取りは、転じて夢心地な千鳥足に、微妙にその形態を変えた。
 そして、第二の謎。吉右衛門は足を止める。奇妙な家。いや、そもそもこれは家なのか? 吉右衛門は自問す
る。
 光沢のある布に覆われた、三角形の物体。入り口らしき穴が見える。
 人はいるのか? 気配は感じる。
 近寄ることを憚り、吉右衛門は一定の距離を保ち続けた。怪しい三角形の物体から。居住するには余りに簡
素だ。
 視線に気付く。三角形の、家未満の入り口から吉右衛門に向けられた眼差しに。中は暗くて、一体どのような
者に覗かれているのかは分からない。ただ、闇中の瞳は真っ直ぐに吉右衛門の姿を捉えていた。
「気に召されるな、それがしは単なる通りすがりぞ」
 沈黙に耐えきれず、吉右衛門の方から口を開いた。折れて無用と成り果てた槍を構えて。入り口から銃器の
筒先が現れはしないかと、戦々兢々の面持ちを浮かべている。
「お前、武士か?」

17 :No.05 平成維新の聖夜 2/5 ◇D8MoDpzBRE:07/12/02 16:34:37 ID:+ywVLGxZ
 突如として、根源的な質問を突きつけられる。少年の声。待っていたものは銃器の筒先にあらず。それは、言
葉という名の凶器であった。吉右衛門の魂を、そして存在そのものを揺るがした。
 彼は死に損なった落ち武者である。武士の名に値しない。吉右衛門自身、不本意ながらもその事実を受け入
れている。受け入れざるを得ない。武士道を踏み外したという自覚は振り払えない。
「いかにも。戦に敗れ果て、故国を追われる身となりぬれば、武士の名を拝するにも後ろめたく候」
「おお、マジで武士だな!」
 少年の声はうわずっていた。同時に、聞き慣れない言葉に吉右衛門は戸惑う。
 第三の謎として少年は現れた。三角形の居住区から、すなわちキャンプ用のテントから身を乗り出して、少年
の小さな体がその全貌を現出する。
 百姓か? 否。服装が百姓であることを否定している。同時に、何者でもない。吉右衛門の知りうるところの、
どのような服装とも合致しない。和蘭(オランダ)人やバテレンとも違った。
 平成十九年の十二月に、少年は存在した。つまるところ、吉右衛門が生まれ育った時代の遙か未来だ。時空
を越えて両者は相まみえた。無論、お互いに状況を正確に把握していない。
 少年が歩み寄る。甲冑で身を固めた男に向かって歩を進める。目の前の超常現象に臆することなく、むしろ驚
喜を以て迎え入れている。そして一言、言い放った。
「伝説は、本当だったんだ」

 少年の名は田中昇太であるが、彼自身その名前を気に入っていない。城ア遼とか、美杉蓮とか、そのような
名前が良かったと思っている。実際、中学校に進学して新しいクラスに振り分けられた際に城ア遼と名乗り、後
に失笑を買った。クラス・学年内での孤立は、必然的に訪れた。
 俺は変わらなければならない。
 少年は、昇太は、あらゆる奇天烈な行為に手を染めた。キョンシーが額に付けている札を大量に持ち歩いた。
左手の小指の爪だけを異様に伸ばした。飼育委員に立候補し、飼いウサギにマムシドリンクと摺りニンニクを混
ぜた特製の滋養剤を飲ませた。自らを守護する眷属に育て上げるために。
 孤立は深まり、埋めがたい溝を作った。初めのうちこそイジメにも遭ったが、いつしかそれも消えた。昇太に対
する恐怖に取って代わられた。中学校生活が一年を経過する頃には、もはや呪術的な存在という認識をされる
ようにまでなり、徹底的に忌み嫌われ避けられた。
 中学二年生への進級と時期を同じくして、昇太は家出を繰り返すようになった。いわゆるプチ家出というスタイ
ルを取っていた。ふらっと二、三日家を空けては、何事来なかったかのように戻ってくる。そんな生活を繰り返す
ようになった。

18 :No.05 平成維新の聖夜 3/5 ◇D8MoDpzBRE:07/12/02 16:35:08 ID:+ywVLGxZ
 山篭もりを始めたのである。
 目的は修行であり、未知の探索であり、俗世間との訣別にあった。曰く、この世界は下らない。俺は俺だけの
世界を作る。そのための力をここで手に入れるんだ、と。
 この頃、既に彼は病んでいた。日常的に神の声を聞いていたし、山での修行の成果が認められれば神の化身
が降臨すると信じていた。それを『山伏の伝説』と勝手に称していた。山伏の存在すら、まるで認められなかった
にも関わらず。
 しかし、伝説は遂に体現される。武士の化身として、いや、武士そのものとして。
 何という皮肉だろう。この時、吉右衛門の心は武士道を放棄していた。既に心を喪った落ち武者である。到底
神の化身にはなり得ない。
「あんたこそ戦闘の神に違いない。俺に力を貸してくれ」という昇太の問いかけも空しく、「敗者の弁に戦の理は
無し」とつれなかった。
 吉右衛門は昇太の手によって、ここに居住地をあてがわれた。小さなテントを。昇太は自分のために新たにテ
ントを購入した。二人は、テントを並べた。
 ある種の疑問は晴れなかった。吉右衛門が迷い込んだこの場所がどこであるのか、という根本的な問題であ
る。吉右衛門自ら昇太に問うのだが、適切な返答がなされない。「して、いづこにや侍らん?」などという吉右衛
門の言葉を、昇太が理解できないのは当然と言えば当然なのだが。
 それでも、吉右衛門にとっての最低限の目的は達することが出来た。ここに匿ってもらうこと。追っ手の目から
かいくぐることが出来れば、それでいい。
 意外にもテント生活は快適だった。食料は山のものが採れるし、湧き水も際限なくある。テント内は季節柄から
か往々にして冷え込んだ。しかし、元々暖房のない時代を過ごしてきた吉右衛門にとっては、さほどの苦にもなら
なかった。
 次第に吉右衛門は諒解する。言葉は依然、昇太との間を不自由に行き来するのみであったが、彼は事態を肌
で感じつつある。ここが異世界であることを。少なくとも、元々自分が住んでいた世界との連続性は絶たれている、
つまりもう元には戻れない。
 絶望感はなかった。敗残の兵となって遁走を開始した時点で、彼にとっての第一義的な人生は終わっている。
吉右衛門というアイデンティティは死んでいる。ここで見いだされた吉右衛門の第二の人生は、拾い物とすら言
えた。
 そして、そうとは気付かないままに昇太の地図を書き換える。昇太もまた生まれ変わる。

 昇太の不満は日増しに高まった。

19 :No.05 平成維新の聖夜 4/5 ◇D8MoDpzBRE:07/12/02 16:35:42 ID:+ywVLGxZ
 そもそも昇太は誤解していた。目の前の男を武士道の化身と信じて疑わなかった。それは完全な誤りとは言え
ない。吉右衛門は武士道に邁進した過去を持つ。しかし、今は武士道の抜け殻だった。昇太はもぬけの殻になっ
た宝物殿に押し入るように、無い物ねだりを繰り返した。
 そしてついに、強奪を企図する。
 平成一九年十二月二十四日、夜。昇太は動く。
 隣の、既に寝静まった男を収めたテントに忍び込んだ。物音を立てずに。闇夜に紛れて、作戦は迅速に行わ
れた。
 仰向けに寝ている男の布団をはがす。ふんどし一丁の、中年の体が露わになる。引き締まった体躯に軍神を
見た。倒錯した欲情に火が付く。
 ここでもまた昇太は過ちを犯す。幾重にも。昇太は、武士道の化身たる吉右衛門を陵辱することで、彼を踏み
越えることで、自らも武士道を会得できるものと思い込んでいた。むしろ逆効果だった。これでは武士道そのも
のに対する陵辱に他ならない。
 そして、昇太は吉右衛門を犯す側に立とうと思ったのだ。
 ふんどしを紐解こうと昇太の指が吉右衛門の腰に触れた、その刹那だった。昇太の上空の世界が回る。反転。
重力もまた突然に歪んだ。歪曲された時空の中で、昇太は強かに後頭部を打ち付けた。
 何が起こったのか。
 昇太の痩身を組み伏せて、吉右衛門は見下ろしている。組み伏せた相手の表情を舐めるように、慈しむよう
に。昇太の必死の抵抗も、百戦錬磨を誇る戦国武士の手にかかっては赤子の手を捻るも同然だった。
 吉右衛門が反撃に出たのである。受けと攻めの配置は、鮮やかに覆される。
 衣服が剥がされていく。ボタンの外し方を知らない男の手によって、乱暴に。
 寒い、と昇太は思った。温めて欲しい、とも。抵抗する力は急激に失せ、昇太はなされるがままに抱かれた。生
まれて初めて愛を感じた。戦国の軍神の、荒々しい愛撫。荒波にもまれ岩壁に打ち据えられるような感覚。刺激
がうねりとなって、昇太と吉右衛門を分け隔てていた時空が、言葉が、歴史が、一気に塗りつぶされる。
 菊門に軍神の槍が突き立てられる。易々と括約筋の防御は破られ、むしろ受け入れられる。軍神を愛する存
在に。
 いつしか吉右衛門は武士道の何たるかを思い出していた。最も原始的意味での武士道を思い描き、行為に及
ぶ。戦とは殺るか殺られるか。武士とは戦うための存在であり、すべからく勝利を手にするための存在である。
 死ぬよりもまず活路を見出せる者。世界を貪る者。軍神は、軍神の分身を欲した。
 種は撒かれる。受け止める側のスピリチュアルな胎内に。
 転生は成った。圧倒的な恍惚の波を引き連れて。軍神の種は、精は、受け止める側の大地にしっかりと根付い

20 :No.05 平成維新の聖夜 5/5 ◇D8MoDpzBRE:07/12/02 16:36:33 ID:+ywVLGxZ
て、新たな軍神の誕生を予感させた。
 かくして聖夜は更けてゆく。

 翌朝、目覚めた昇太の前に吉右衛門の姿はない。衣服は散らかされたままであったし、ふんどしまでもが置き
去られている。
 テントの外にも、やはり吉右衛門はいなかった。初めて彼と出逢ったときに、彼が身につけていた甲冑は置い
てあったが。
 昇太は直感する。彼は新たな時空へ旅立ったのだと。そして感謝する。この世界に軍神はただ一人。自分を選
んでくれた吉右衛門を、昇太は生涯忘れない。
 夜風に晒されて冷たくなった甲胄を、昇太は身につけた。ずしりと重い。これが世界を背負うことの重さだと想
像して、昇太の顔が晴れやかに冴える。
 世界を敵に回してもいい。最後に立っているのが自分であるのならば。己が勝利することでこの下らない現世
に終止符を打つ。俺は神だ。そう、俺は軍神だ。
 宣戦布告。下らない世界に住む下らないお前たちへ。
 昇太は走る。落ち葉が朽ちて寒々しい山林を、一直線にふもとを目指して駆け下りる。

――いつかこの世界を手に入れられたら、俺たちは新世界のアダムとイブだ。

[fin]



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