【 空想推理少年 】
◆PaLVwfLMJI




90 :No.25 空想推理少年 1/5 ◇PaLVwfLMJI:07/11/25 22:16:30 ID:Av74yM2n
 推理をする上で最も重要なのは疑うことだ。それが和弘の持論だった。
 姉の影響でジュブナイルミステリを読み始め、和弘は次第に本格ミステリへと傾倒していった。パズルとしての魅力もさることな
がら彼を惹き付けたのは、常識をある種の煙幕とした奇抜なトリックの数々だった。常識という枠組みが思索の幅を狭めることを、
ミステリを通し知った。
 しかし、小学六年生という年齢はあまりにも幼すぎる。
 客観的に物事を捉えるにしても、広角的な視野でもって推断するにしても経験が不足していた。適切な判断を下すには知識に欠け、
和弘の脳が構築するのは推理と呼べる代物ではなかった。観念的な空想を弄んでいるに過ぎない。社会通念には疑念を抱くくせ、自
らの組み立てた推論には分別なく飛び付くのだ。己の思考もまた目を曇らせる色眼鏡になるというのに。
 和弘は主観を論拠とし、穿った見方をしているつもりだった。だが、他者と異なる意見を口にして一人悦に入っているだけだ。
 つまるところ、思春期心性の発露したごくごく一般的な少年なのだ。「自分は特別である」という誇大妄想にも似た妄念に取りつ
かれるのも、その年代にはありがちだ。
 和弘は本格ミステリという少し特殊な趣味を持ているというだけだった。

 昨夜の強風はすっかり止み、秋の日差しは午睡を誘うように暖かかった。
 日直の号令で帰りの会が終わると、途端に教室は放課後の喧騒に包まれた。友人と二人連れ立ち、壮年の担任教諭に「せんせー」
とどこか媚びた声で教示を請う女子。我先にと廊下へ飛び出しグラウンドへと向かう男子のグループ。学習机に腰を下ろし、歓談に
花を咲かせる者もあった。
 窓際の席から緩慢な動作で立ち上がった和弘は、大きく伸びをして深呼吸をした。「ふぁーあ」と間の抜けた欠伸を漏らしつつ、
学習机の隙間を縫い教室後方へと向かう。スチール製のロッカーには、ランドセルや給食袋が乱雑に入っている。それらを手に踵を
返し席へと戻った。引き出しから教科書や筆記用具を取り出し荷物をまとめる。
 生欠伸を噛み殺し、のろのろと帰り支度をしていた和弘の後頭部が軽く叩かれた。乾いた音が響く。ハンドクラップにも似た軽快
な音だ。
「おう! 帰ろうぜー」
 隣のクラスから来た隼人が威勢良く声をかけた。
 和弘は立ち上がり「あぁ」と曖昧な返事を返す。ランドセルを背負い肩紐の位置を直していると、廊下に佇む紗枝の姿が目に飛び
込んできた。視線が交差する。紗枝が微笑を浮かべ手を振った。
 和弘、隼人、紗枝の三人は家が近くほぼ毎日一緒に下校していた。いわゆる幼馴染だ。思春期ともなれば、お互いに性差を意識し
徐々に疎遠になっていくものだが、彼らがその関係を損なうことはない。肉体的な変化をそれぞれが自覚しているが、幼稚園へ通う
前から仲よくしてきた三人だ。共にいることが当たり前となっている。
 紗枝の愛嬌ある笑顔が、朝の集団登校を喚起させた。班長の紗枝は「交通安全」の文字がプリントされた登校旗を持ち十人の児童

91 :No.25 空想推理少年 2/5 ◇PaLVwfLMJI:07/11/25 22:17:19 ID:Av74yM2n
を率いていた。コスモスをあしらったバレッタで、シニョンにされた亜麻色の髪。陶磁器のように白くつややかなうなじ。後ろを歩
く和弘は、紗枝が女めいてきたことに気付きどぎまぎとした。
 そして隼人は。集団登校の集団にその姿がなかったことに思い当たった。
「朝いなかったけど、遅刻でもしたの?」
「そう。昨日兄貴と映画観に行ったら映画づいてさ。帰りにDVDレンタルして夜遅くまで見てたんだ。そのせいで寝不足」
 どこか誇らしそうに隼人が笑う。
 肩を並べ二人が教室から出ると、紗枝が近づいてきた。そのまま三人で廊下を歩いていると、聞いてくれよと隼人が話し始めた。
「映画行くとき電車でイヤなことがあったんだ」
「兄妹三人で行ったの?」
「まさか。ホラーを愛が見れるわけないだろ。兄貴と二人でだよ」
 愛というのは隼人の年の離れた妹だ。年が開いていると疎ましく感じるものだが、隼人は幼稚園の妹を寵愛していた。その溺愛ぶ
りから隼人はシスコン、果てはロリコンではないかという噂が飛び交っていた。しかし、和弘は寛容だ。たとえ、隼人がロリコンで
あろうと親友を辞めたりしない。
「ほんと隼人の家は仲いいよね」
「それで、電車での話だけどさ――」
 隼人が語ったところによると、幼児をあやす母親に「かわいい子ですね」と話しかけたら睨まれてしまったらしい。挙句、席まで
移動されてしまったとも。
 和弘の琴線に触れたのは「母親」という単語だった。
 電車に乗り合わせただけの短い時間で、なぜ母親と判断できたのかと首を捻る。
 幼児が「ママ」と呼んだからだろうか。だが、年端もいかない幼児が見ず知らずの女性や、知り合いの女性を「ママ」と呼ぶこと
など珍しくもない。現に愛は、紗枝のことを「おかーさん」と言う。
 電車の中だけでは母親だと確信することは不可能。ならば、隼人は以前からその女性を知っていたとするべきではないか。
 しかし、旧知だとすれば齟齬が生じる。女性は知り合いから声をかけられたというのに、逃げるようにして席を立ったのだ。
 避けられるからには原因があるのだろう。知人だが何らかの理由で忌避される。そこまで思考し、和弘は一つの結論に達した。
 隼人はストーカーに違いない。それは席を移りたくもなるだろう。しかし、和弘は寛容だ。たとえ、隼人がロリコンにしてストー
カーであろうと親友を辞めたりしない。
「けど映画いいなー。わたしはうちで法事があったからずっと家にいたよ。カズ君は?」
 一人考え込んでいると、昇降口で靴をはき替えながら紗枝が訊いた。
「ぼくはうちで本読んでたよ」
「カズ君最近本読んでばっかりだよね。かまってくれなくてわたし寂しいな」

92 :No.25 空想推理少年 3/5 ◇PaLVwfLMJI:07/11/25 22:18:07 ID:Av74yM2n
 どこまで本気なのか、紗枝は甘えるようにそう言った。
 抜けるような青空の下。三人は飽くことなく喋りながら帰路についた。

 丁字路に差しかかった時だった。紗枝が空き地に寄ろうと提案したのは。
 遠回りになると渋っていると、紗枝は携帯電話を開き何やら操作した後、ディスプレイを和弘に見せた。
 そこに映っていたのはつぶらな瞳の仔犬だった。どうやら芝犬らしくキツネのようでもある。舌を出し、段ボール箱の中からこち
らを見上げている構図だ。
「カズヒロは図書委員でこの間いなかったから知らないんだよな」と隼人。
「なにが?」
「この先に空き地あるだろ、駐車場になるとかいう話の出てる。そこに捨て犬がいたんだよ」
「もう誰かが拾っちゃっていないかもしれないけど、見に行こうよ」
 紗枝が和弘の手を取り「ねっ」と一生のお願いとでもいうように顔の前に手を立てた。
「ほら行くぞ」と隼人が和弘の背中を叩き催促した。
 彼にはやたらと人の体に触る癖があった。妹を安心させるためのボディータッチが身に染み付き、意識せずとも手が動いてしまう
といった感じだ。さすがに異性には遠慮が出るが、同性であれば肩や、頭、尻といわず叩きまくっていた。その光景は一部の人間に
は奇異に映るらしく、ホモではという風聞もちらほらと。しかし、和弘は寛容だ。たとえ、隼人がホモであろうと親友を辞めたりし
ない。
 二人にせっつかれる形で和弘は歩き出した。
「もうちっちゃくって可愛いんだよー。お母さんが犬嫌いじゃやなかった飼えるのにな」
「ウチはもう猫が二匹もいるから無理だな」
「ぼくんとこもダメだな。ねーちゃん喘息持ちだし」
 などと話し合っている間に件の空き地に着いた。
 一昨年までは瓦葺の日本家屋が建っていたが、新居を他の土地に構えたため打ち壊され更地となった。古井戸は残っていたが、そ
れも子供が落ちると危ないということで昨年埋められてしまった。セメントの井戸枠は何故か撤去されないままだ。樹齢四十余年と
なる柿木が味気ない風景にわずかな彩りを添えている。
 空き地に足を踏み入れた時、違和感を覚えた。仔犬が入っていると思しき段ボール箱のせいではない。脳裏に広がる違和は輪郭が
不明瞭で、その正体はようとして知れなかった。
 もどかしく感じながらも、紗枝に続き段ボール箱を覗き込む。
 そこに仔犬の姿はなかった。底に敷かれた新聞紙の上には、薄汚れたタオルケットがあるだけだ。
「誰かが飼うことにしたのかな」

93 :No.25 空想推理少年 4/5 ◇PaLVwfLMJI:07/11/25 22:19:04 ID:Av74yM2n
 紗枝は残念そうに口にした。だが、和弘は素直に頷くことが出来なかった。
「普通、連れて帰るなら段ボールも一緒に持ってかないか? それかどこかに捨てるか。こんなとこに放置しとかないだろ」和弘は、
名探偵がするようにタオルケットに手を当てた。「冷たい……。もう大分前にいなくなったみたいだよ。もしかしたら、どこかに歩
いていって事故にでも……」
「カズ君のバカッ!」
 そう叫ぶ紗枝を和弘は呆然と眺めていた。紗枝に怒鳴られることなど想像だにしなかった。
「大丈夫だよ。近くにいるって」
 妹の世話を焼き慣れているのか、隼人が優しい言葉で紗枝をなだめる。
 何も出来ずただ呆けていた和弘の背中が肘で突かれた。
「突っ立ってないで手分けして仔犬探すぞ」
 ほら、と促した後、隼人は紗枝と連れ立って空き地から出て行った。
 こういう場合名探偵はどうしていただろうか。和弘は灰色の脳細胞を働かせる。むやみに探し回っても発見することは叶わない。
まずは考えることだ。
 落ち着ける場所を求め古井戸へと向かう。途中、昨夜の強風で飛ばされたらしい一畳ほどのベニヤ板に足を取られ転びかけた。
 井戸枠は和弘の腰くらいの高さで、座るのに丁度よい。後ろ手に掌を乗せて腰掛けると後頭部に柿の葉が触れた。地面に視線を落
とすと、橙に染まり始めた柿がいくつも転がっていた。まだ旬には遠そうだが、いくつかは既にカラスについばまれている。
 和弘はいつものように思索に耽り空想を組み上げていく。仔犬の歩いて行ける距離など限られている。早々に紗枝か、隼人が見つ
け出し両手で抱いて戻ってくるのではないか。
いや、違う。別の可能性に和弘は気付いた。誰かが意図的に隠していることもあり得る。たとえば、仔犬の発見者となるために。
 そこまで考え一気に推論は飛躍した。隼人が自作自演しているのではないかと。
 いなくなったと騒ぎ、仔犬を探し出してみれば紗枝の気を引くことが出来る。なにしろ隼人は、ロリコンでストーカーにしてホモ
なのだ。そんな回りくどい方法を取っても不思議ではない。しかし、和弘は寛容だ。たとえ、隼人がそんな浅ましい手段に出るよう
な少年であろうと親友を辞めたりしない。
 仔犬を隠せて、なおかつ見つかりにくい所。灯台もと暗し。頭をよぎった言葉にハッとした。探しに行くと言い空き地を出てしま
えば、しばらくは誰も戻ってくることはない。まさに盲点ではないか。
 そして何より匿うに相応しい場所がある。そう、古井戸だ。
 井戸枠に飛び乗り、中に首を突っ込みつぶさに見まわす。半径一メートル程度の穴は柿の葉とゴミだらけだった。煙草や雑誌の切
れ端、スナックの袋などで埋まっている。膝をつき手を伸ばした。
 葉に指先が触れようとした瞬間――何かが蠢き柿の葉がカサカサと音をたてた。思わず手を止め、音のした方に首を向けて目を凝
らす。ゴミの間から覗くのは仔犬の鼻先だった。すぐさま和弘は葉をかき分け仔犬を抱き上げた。

94 :No.25 空想推理少年 5/5 ◇PaLVwfLMJI:07/11/25 22:19:53 ID:Av74yM2n
 仔犬はひどく弱っているようだ。隼人に、見つけたが衰弱しているとメールで伝えた。
 十数分後。コンビニの袋を提げた紗枝と、隼人が現われた。紗枝には隼人から連絡したらしい。
「よかった」と紗枝は安堵したように胸を撫で下ろし、コンビニの袋からドッグフード、ミルク、タオル、紙皿を取り出した。「カ
ズ君」と言うのでそっと仔犬を手渡した。
「でかしたぞ」と隼人に繰り返し背中を叩かれた。興奮しているらしく力加減が出来ていない。
「いたいって。もうやめてくれよ」
「あーそうか、すまん」と上機嫌に笑う隼人を見るにつけ、先刻まで胸に渦巻いていた疑念は失せた。
「けどカズヒロ。どこで見つけたんだ?」
「そこの井戸の中にいたよ。なんか柿の葉っぱに埋もれてた」
「おー、なるほど」
「でもさ、どうやって井戸のなかになんて入ったんだろ。とてもじゃないけど、仔犬じゃ登れない高さだよコレ」
「うん? 何言ってんだ。あれだろ」
 隼人がベニヤ板を指差した。先ほど和弘がつまずいたものだ。
「えっ?」
「だからさ、よく考えてみろよ。あの板はどこにあった?」
 その段になってようやく和弘は、ここへ来た際に抱いた違和感の正体に思い至った。
「井戸に立てかけてあったんだ! じゃあ、なんで井戸に落ちたりなんかしたんだ」
「たぶん、お腹がすいたんじゃないか」
「どういうこと?」
「お前、ちょっとは自分で考えろよ」呆れたように溜息を吐いた後、隼人は解説を続けた。「犬ってのは鼻が利くだろ。だから食べ
られそうな柿を見つけ、立てかけてあったベニヤ板を登る。そして枝垂れかかった柿を食べようとして転落、と」
「おぉ! そのあと昨日の風で板は飛ばされ、仔犬は散った柿の葉で隠れちゃったのか」
「そういうこと」
 ふと、仔犬を見やると紙皿に注がれたミルクを舐めていた。紗枝が顔を綻ばせ仔犬の背中をさすっている。
「ほら、謝れよ」
 和弘は紗枝のそばに歩み寄り「さっきはゴメン」と謝罪を口にして頭を垂れた。
「いいよ、許してあげる。この子見つけてくれたもんね」
 紗枝の莞爾とした笑顔が和弘の胸に沁みた。
                            <了>



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