【 アルバート氏の相続人 】
◆cwf2GoCJdk




53 :No.14 アルバート氏の相続人 1/5◇cwf2GoCJdk:07/11/25 14:25:42 ID:9ByadEt3
 某日、アルバート三世死亡。享年七十六歳。同日、机の引き出しから遺書を発見。
『私ももう長くないだろう。――中略――財産はすべて、執事のフリッツ、近侍のグレッグ、ルイーズ、奉公人のフランツ、アデール、カトリーヌ、長年私に付き添ってくれたこの六名に譲渡する――略――』
        ※

「ああ、なんてこと!」
 そう言ったのは青い眼が魅力的なカトリーヌだ。
「もう、どうしたらいいのか!」
 彼女に密かに想いをよせているフランツが諭す。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。大丈夫……」
 森林に囲まれた館のなか、アルバートの従者たちは大広間に集まっていた。アルバートに家族はなく、彼の死にもっとも衝撃を受けたのは彼ら召使いだった。
 その莫大な財産の分配という名目なのだが、そんなことは誰一人考えていない様子だった。特にカトリーヌとアデールは両親を亡くし、路頭に迷う寸前のところを引き取られ、アルバートを実の父のように慕っていたので、その胸中は察してあまりあるところがあった。
「身寄りのない私たちをあの人は……」
 という憔悴しきったアデールに皮肉屋のグレッグが言う。
「感傷に浸るのもいいけどね。早いとこ考えた方がいいんじゃないかな? つまり、これから僕たちがどうするのか」
 フランツがグレッグを睨み、何か言いかけたが、フリッツに制止された。一同を見渡して、
「アルバート氏は自分の死を薄々感じていたらしく、生前の問題はほとんど精算していた。僕らがすることなんて、ほとんどない。彼を弔うこと以外は。だけど問題はだ、」
 演出効果のために一呼吸置くと、フリッツのリーダー気取りの態度や、回りくどい話し方に心底うんざりしているルイーズが、
「私たちがどうするのか、でしょ? 面倒くさい言い方しないでくれます?」
 むっとした様子のフリッツを無視して続ける。
「私はここから、つまりこのお城みたいなとこから、出て行くなんていやです」
 これには全員が同意したが、すぐさま、グレッグがいつものにやにや笑いを含ませていった。
「主人のいない従者がなにをするんだろうな。ここにいる奴らはほとんど全部、召使いの根性が染みついてるんだぜ? 他のお偉いさんへ衣替えするのがいいんじゃないか? それがいやなら、そうだな、一生食う分には困らないしな」
 フランツが怒ったように、
「俺はここから出て行くのも、ここにいる五人以外と働くのも嫌だぞ」
「あなたはシズクと離れたくないだけでしょ」 
 ルイーズが呆れたようにそう言った。シズクというのはカトリーヌの別名で、彼らはこちらの名前を好んでいる。
 フリッツが両手を挙げた。
「勝手なことばかり言うのはよしてくれ。城から出たくない、働かないのも好ましくない、ここにいる人間が欠けるのも嫌だ、じゃどうしようもない。気持ちはわかるが、これじゃあ、『アルバート氏に代わる主人をつくらなきゃいけなくなる』」
 フリッツに視線が集まった。彼は何が何だかわからず、きょろきょろと右へ左へ目線を動かす。
「それだ!」

54 :No.14 アルバート氏の相続人 2/5◇cwf2GoCJdk:07/11/25 14:26:37 ID:9ByadEt3
 と、フランツが机を叩き、アデールが、「なるほど」と感心したように呟いた。口々に「その手があったか」などの声が漏れてくるので、フリッツはとうとうわけがわからなくなった。
「何だって言うんだ! まさかどこかの貴族に、「ここに住んで下さい。私たちが従者です」とでも言うのか? ばかばかしい!」
 ルイーズが馬鹿にしたような口調で、
「そんなわけないでしょう……だから、フリッツが自分で言ったように、つくりだすんですよ」
「おい、まさか君たちは唯我論者なのか?」
 グレッグも続いて、
「あのな、フリッツ。僕たちが、主人をつくりだせないという理屈が、いったいどこにある?」
 放心したように口を半開きにして首を傾けているフリッツを無視して、彼らは議論し始めた。

 下男たちの朝は早い。誰よりも早く起床し、睡眠の妨げにならぬよう、しかし迅速に料理、洗濯、掃除をこなす。
 カトリーヌが作った料理を食べたい気持ちを押し殺しながら、フランツは主の部屋へ向かう。
 いつものように扉の前で息を整えて、きっかり三度、一定の間隔でノックをする。
「朝食です。『エドワード様』」
「うむ」と低く、落ち着いた声が返された

 エドワードという名前に深い意味はなかった。いかにも貴族を思わせる名前であればよかったのだ。彼らは完璧な主を求めた際、第一に外貌を重視した。
 アルバートは考えられないほどの好人物で、誰からも尊敬されるようだったが、小さな眼と不格好な鼻はとても凛々しいとは言えず、なにより年を取りすぎていたのが、口には出さずとも彼らには不満な点だったようだ。
 そこで若すぎず、老けすぎず、を満たす年齢を考えに考え、結果三十九歳に落ち着いた。六人の誰と比較しても十以上の年齢差があったし、また、「魅力的に見える範囲」でもあったようだ。
 エドワードはときに衒学趣味すら思わせるほど礼儀に重んじ、服装はいつでもキチンとして、整えられたブロンドの髪とキリっとした目元からは知性の輝きを感じさせる。そして(彼らにとってはここが肝心なところとも思えるが)必要以上に従者の手を煩わせない、そんな男だ。
 まさに『完璧』な主ではないか。なにせ「自分たちの創造物」なのだ!
 エドワードはたとえ卵焼きが焦げていても文句すら言わず、それどころか「そんなにも忙しかったのか。気づいてやれずにすまない」と皮肉のような気だてでアデールやカトリーヌを恐縮させるのである。
 さらにあろうことか、『従者達があんまり大変だから』という理由で通常なら下男・下女がやるべき仕事すらも進んで(彼らの仕事がなくなってしまうほどだ)やってしまうのである。
 どこからどうみても『完璧』であるが、彼らの失敗はここにあった。エドワードは『完璧な人間』であったが、従者達の担うべき役割すらもなくしてしまったのだ。彼らは悩んだ。エドワードは完璧であるが故に『完璧な主』ではなかったのだ。
 だからといってエドワードに少々「だらけた」部分を加味しよう、などということは不可能であった。なぜならエドワードの存在は、いまやかなり強固なものとなっていたからだ。そしてエドワードを一度消してしまおう、などというのもできない相談だった。
 一度エドワードの存在を消してしまっては、いやそれどころか『そのような発言を誰かがしただけで』彼の存在はものすごく希薄なものになってしまうだろう、というのが散々に繰り返し議論された上で培った定説であった。
 そして(なんと問題はまだあるのだ!)なんとも不運というか、カトリーヌがエドワードに恋心を抱いてしまったのだ。これには誰もが閉口した。フランツが悲しみに打ちひしがれたのは言うまでもない。
「早まったことはしてくれるなよ」とグレッグは口癖のように言った。
 それでも恋する乙女の心象は複雑なもので、膨らんだものを内包できるはずもなく、ついに爆発してしまった。彼女はエドワードの寝室に行き、愛の告白をし始めたのだ。
 そして幸か不幸か、エドワードが人間的に完璧であったために(なにせカトリーヌはまだ少女なのだ)、彼女の求愛を受け入れることはありえなかった。彼は優しく諭すのだが、ついにカトリーヌは我を忘れて自らの主に歩み寄っていった。
 その勢いづいた足を止めることができたのは奇跡的ともいえるだろう。彼女は最後の自制心に止められたのだ。

55 :No.14 アルバート氏の相続人 3/5◇cwf2GoCJdk:07/11/25 14:27:10 ID:9ByadEt3
『抱擁などできるはずがない!』

 カトリーヌはほぼ茫然自失の状態で、緊急会議に出席した。グレッグがいつもの調子で、「困ったことをしてくれたね」というと、ルイーズが受けた。
「そんな言い方ないでしょう。どうあれシズクは思いとどまれたんですから」
「そうだ。彼女は悪くない」
 フリッツはそう言ったフランツがやけに嬉しそうなのは気のせいだと思うことにして、
「確かに浅薄な行動ではあったろう。気をつけてくれ。……まあもう大丈夫だとは思うが」
 アデールが眉をひそめて、
「でも他の問題もあるよ。あの……エドワードの」
 一同からため息が漏れた。実際のところ、カトリーヌの素行よりも、完璧なエドワードのほうが手に余る状態なのである。彼らは黙ってしまった。
 それぞれが考えを巡らせていると、沈黙を守り続けてきたカトリーヌが口を開いた。
「あの、わたし、もう――」
「おい、まさか――」とグレッグ。
「ちょっとシズク――」とルイーズ。
 緊張が張り詰め、
「わたしもう、エドワード様なんかいなくてもいいです!」
「ああ! もう駄目だ!」と誰ともなく言った。次々に、「終わりだ!」「すべてが水の泡に!」との悲壮感溢れる声が響いた。
「どうしてくれるんだ!」とグレッグが怒鳴ると、
「なんの騒ぎだ?」
 唖然とした表情の従者達を、不思議そうな表情のエドワードが見つめていた。   

 もはやエドワードは疑えない存在になっていた。六人の内一人が否定の言葉を口にした程度では、彼らの想像力に打ち勝てなかったのである。六人だからこそ起こったことと言えるだろう。もしも創造したのが一人だったならば、エドワードは消失していたはずである。
 つまり、『自分以外の人間も見ている』から、『疑えなくなってしまった』のである。自分一人ならばたとえば『気の迷い』などで片付けられたであろう。忘れてしまうこともできただろう。彼らが強固に、六人で一人を作り上げてしまったための悲劇(あるいは喜劇?)だ。
 そしてなにより、カトリーヌも含めて、エドワードに消えて欲しい、などとは誰一人思っていなかったのである。
 哀れな従者達はほっと胸をなで下ろしたが、同時に「エドワードをどうすることもできない」という確信もできてしまった。

 壮絶な論戦の末に、彼らはもう一人の人間、アリスをつくりだした。アリスはエドワードの婚約者である。アリスは集中力散漫で、召使い達をこき使うような女だが、容貌は美しい、とそんな女だ。
 これによってカトリーヌの恋と、六人の『暇』が解消されるだろう、というなんとも幼稚というか、単純というか? 浅はかさを肌で感じられるような考えで、事なきを得るだろう、と予想したのである。
「確かに浅慮のようだがそれでも」という言い訳を前提にして、「有効ではあるだろう」と決着したのだった。
 しかしここでも彼らは失敗した。エドワードはアリスに、全然興味を持たなかったのである。ただ婚約者であるだけなのだった。いや、たとえ彼女を『妻』にしていたとしても、エドワードは「妻は妻だが、それだけのことだ」という態度を示しただろう。

56 :No.14 アルバート氏の相続人 4/5◇cwf2GoCJdk:07/11/25 14:28:00 ID:9ByadEt3
 カトリーヌの恋の炎が再び燃え上がり、フランツの嫉妬が表面化するだけには留まらなかった。フランツとは違い誰にも知られてないほど密かに、アデールが好いているグレッグが、アリスに夢中になってしまったのである。
 といってもグレッグが夢中になっているのは、アリスの詳細を考える際に彼がこっそりと(それほど一人の想像力というのは影響を及ぼすのだ)『付加』していた、美しい手指なのである。
 グレッグは元々はルイーズの手を好んでいた。美しい指の関節ときめ細やかな皮膚は、アリスに負けず劣らずだろう。
 ただし彼に言わせると「タイプが違う」ようで、長らく観察していたルイーズのそれとは違い、アリスの手は、例えるなら毎日ステーキを食べ続けていた男に対するフォアグラのようなもの、らしい。
 そんな彼の趣向は毛ほども知らないアデールは、アリスとルイーズに嫉妬しながら、悶々と夜ごとうなされるのである。
 さらにルイーズはアリスにこれまたこっそりと、「レズビアンの気がある」という性癖を付けていたので期待に胸が膨らんでいたのだが、「自分に気がある」とするのを忘れていたので、アリスはカトリーヌに色目を使い始めてしまった。
 そしてそのカトリーヌはアジア風の濃い顔つきで、粘着質な性格のフランツを面には出さずとも嫌っていたのだった。
 彼らの恋の糸はもつれ合うのだが、フリッツだけが蚊帳の外であることに気づかれたと思う。だが安心して欲しい。愚かな従者たちはまた過ちを犯すのだから。
 なんとかエドワードがアリスに興味を持つようにと『五人』は思うのだが、一向にその気配がない。エドワードの性格からするともはや当然のことでもあった。
 そこで一つの考えに思い至った。興味のあるなしはこの際、関係ないのではないか? むしろ大事なのは『既成事実』なのではないか?
 その結果、なんともはや愚かしいこと極まりないことであるが、彼らは子女をつくりだしたのである。そしてその中でもより愚かしい部類の人間が(たとえばフランツ)、二人を青少年にしてしまったのだ。
 こうなるともはや混沌は避けられない。 
 小さな身体に大きな目を持つ息子、コールはフランツの「お遊び」でゲイになり、フリッツへそれが向いた。
 長く真っ直ぐな脚と黒髪の娘、フィリスはフリッツの「まともであってほしい」という願いによって、その年代の少女としてはごくごくまともに、恋をした。フリッツに。
 これによって兄妹の諍いがあったことは言うまでもないことだろう。問題はそんなことではなく、それぞれの感情のもつれなのだ。

 一向に自分に振り向いてくれないカトリーヌに腹が立ったフランツは、アデールへそれを向けようとし始めたが、当のアデールは一途な女性なので、ころころと考えを変えるフランツを糾弾し始めたのである。
 それにもめげずに別の恋を探そうとしたフランツは、残ったのが高飛車で嫌いなルイーズと、『幻覚』だけだと気づいて地団駄踏んだ。

 グレッグはとうとう、アリスの手を眺めることに飽きてしまった。
「触れない手なんて、模造品の食料みたいな物じゃないか」
 しかしアリスの手は間違いなく絶品なので、その美しい手を愛撫できないことに落胆しながらも、『そんなこと』をして消えてしまうよりはいいか、と独りごちるのだった。

 カトリーヌは妻子と仲むつまじく暮らしているエドワードに対して、「もう自分の入り込む余地はない、『けれども』そんなことははじめから分かりきっていたことだし、ひょっとするとこの方が、『それ』を勘定に入れなくとも明らかな分、いいのではないか」と考えた。
 結論は、『これなら間違いを起こして消えてしまうこともない』

57 :No.14 アルバート氏の相続人 5/5◇cwf2GoCJdk:07/11/25 14:28:36 ID:9ByadEt3
 ルイーズはカトリーヌに嫉妬したが、敏感にそれを察したアリスがルイーズに甘い言葉を囁くので、そんなことは忘れて恍惚感を得ていた。整った顔、美しい手、悩ましさでむず痒くなるような声、すべてが最高!
「グレッグの性癖を、そこに限っては評価してもいいかな」と思った。

 フランツにいらいらしているアデールは、グレッグがアリスの傍にいる頻度が減ってきたことに喜んだ。
「グレッグもようやく自分のナンセンスさに気づいたんだ」と飛び跳ねんばかりだったが、またもや彼がルイーズを見つめているのに気づいて、ため息をするのであった。

 そしてレズの子供たちにつきまとわれているフリッツ。
「なんとかホモのコールだけでもフランツかグレッグに渡したい、しかし当面の問題は、コールとフィリスがやたらとボディ・タッチしたがることだ、だがしかし、やはりホモだけは勘弁だ……」とさながら苦労人であった。

 ところで、彼ら六人のエドワード一家への考えに変化があるのが分かると思う。以前は「否定の言葉を口にしてはいけない」だったが、現在は誰もがそれを気にしていないのである。
 そのかわり、「間違ってもスキンシップなどしてはいけない」という共通観念が見られる。「これだけはやってはいけないこと」となっているのだ。
 もし一人でもそうしてしまったら、以前とは逆に、その一人が『創造物だということを否定できないがために』崩壊してしまう、というのだ。
 先のカトリーヌの「存在しなくてもいい・彼は想像の結果だ」というのに対し、『想像の結果を否定せざるを得なくなる』からだ。
 彼らはエドワードらを見つめているときだけ、現実と夢想の境をなくせるのである。仮に夢を夢だと認識しても、夢を失うことはない、だが叩き起こされてしまったら、もうその夢には戻れない、という理屈なのだ。
 それはおそらく正しいだろう。フィリスとコールにしても、『ふり』だけで本気ではない。フリッツが恐れていたのは何かの拍子にそうなってしまうことなのだった。

 彼らの恋の歯車は複雑になるばかりだ。なんと彼らはこの後、エドワードの孫娘を二人つくりだすのだ!
 もはや当初の目的すら希薄になって、欠陥を欠陥で埋めるような愚行をしでかしている。これはもちろん六人のもたらしたことではあるが、どうにも責める気にはなれない。
 彼らのしていることは、手に入れた玩具を壊れるまで酷使する子供のようなのである。
 六人に増えたエドワード家を交えた騒動を書き記すことはよそう。そんなことにはなんの意味もないように思える。
 この物語の従者達はどこの誰でもなく、空想の虜になってしまったのだから。





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