【 SKY-HIGH RENDEZVOUS 】
◆wDZmDiBnbU




45 :No.12 SKY-HIGH RENDEZVOUS 1/5 ◇wDZmDiBnbU:07/11/25 12:40:08 ID:Qg8CW8No
 戦略性が足りない。
 雑誌にそう書いてあったから、それだ、と思った。他に思い当たるフシなどなかった。愛嬌
も女らしさもテクニックもたぶん足りている、でも戦略性が不足しているのだから仕方ない。
そんな蠍座のB型であるところの私にも、戦いを余儀なくされる季節がある。人生で二十六回
目の、勝負のとき。猶予はもう、なかった。
 イエス生誕まで一ヶ月。
 単独飛行には危険すぎる夜。僚機の援護無しには生還も覚束ない。事実、去年は大変だった。
孤軍奮闘。絶望と諦観の中で、気付けば撃墜していたケーキ一ホール。その結果、全盛期を過
ぎた私の肉体には、予想以上のGが加わった。規格外の超重量に、私はブートキャンプからや
り直す羽目になった。ひと夏を犠牲にしたものの、でもビリーには、感謝している。
 数値は四十キロ代まで回復、職服にもいくらかの余裕ができた。しかし、年齢まではそう上
手くいかない。ビギナーズラックだけで生き延びられる、そんな季節はとうに過ぎた。ここか
ら先は、消耗戦になる。ブリーフィングは終了――私は、雑誌を閉じた。同時に、時計の針が
動く。定時が、告げられた。

 ――第八十六回BNSK週末品評会 【空戦 SKY-HIGH RENDEZVOUS】
   2007/11/24 18:00:00 新宿区市谷加賀町 〔残時間:726h 00m 00s〕――

 オフィスビルを出て、十分とかからない。小さな公園で待っていたのは、営業二課の有島く
んだ。二十七歳、水瓶座のA型。この職場では私と一番歳が近い。そして本来なら休日出勤に
あたる今日、彼に残業はなかった。私は髪を掻き上げて、できる限りの申し訳なさそうな顔を
作る。“ごめん、待ったかな”。“着替えるのに手間取っちゃって”。
「いや、そんなでも」
 冷え切った体をかき合わせて、でも少しホッとした様子の有島くん。待たせる時間は十五分
ジャスト、それよりも遅くても早くてもいけない。"でも寒かったでしょ”、という問いに、
「うん、まあ」と鼻をすすり上げる彼。間合いは、まあまあだ。じゃあ早く行こう、と棚上げ
くらいは、充分通る。歩き出す二人の間は、一メートルもない。それをゼロにするまで三十日。
 夕食の約束を取り付けたのは、全くの偶然だった。
 およそ九時間前のこと。なんで土曜日に会議なんてするのか、しかもその準備をなぜ総務課
が。そんな愚痴よりも、もっとどうにもならない問題があった。ビリーの訓練プログラムは文

46 :No.12 SKY-HIGH RENDEZVOUS 2/5 ◇wDZmDiBnbU:07/11/25 12:40:40 ID:Qg8CW8No
字通り地獄で、さらに独自の食事制限を加えたせいか、私の腕では机が持ち上がらない。そこ
に現れたのが、有島くんだ。一見頼りなさそうなその腕は、しかし十分に男性だった。
 お礼におごるはずの昼食。その時間が合わないのはわかりきっていた。だから――と、そこ
まで理由をつけて、ようやく筋道が見えてきた。彼に恋人がいるという話は聞かない、それが
真実だとしたら。強引に約束を取り付け、そして彼は十五分間待機した。答えは、出た。
 彼との距離は、一メートルもない。でも、ロックオンにはまだ遠い。
「寒いから、ラーメンがいい」
 それを断るだけの装備はない。机を運んだお礼、その建前上、あまり高いものは不自然だ。
今はそれでいい。残された時間を、フルに使うこと。焦りが、戦略を台無しにする。
 豚骨の湯気に、予想通り私のメガネが曇る。彼の笑い声に、少しずつ、近づく。

 ――2007/12/1 19:00:00 豊島区池袋 池袋駅付近 〔残時間:557h 00m 00s〕――

 “本当は、いっぺん来てみたかった”。
 遠慮なんてものは、他の理由で簡単に取り除ける。クリアになった視界に、運ばれるのはグ
リーンカレーとトム・ヤム・クン。少し緊張した様子の有島くんは、思った通りの質問をする。
「今日はメガネじゃないんだ」
 え、と一拍。変かな、と俯く。「そんなことはないよ」と、気の利くタイプとは言えない彼
から、その先まではまだ引き出せない。でも、いいペースだ。下戸の彼に、ビールを無理に勧
めるのは厳禁。でも、“それじゃ私も飲めないし”と、あくまで冗談ぽく。グラスが二つ運ば
れる。揺らめくキャンドルの炎に、いよいよ機影を捉える。ここからだ《TALLY-HO》。
「わりとお酒とか、飲む方なの?」
 有島くんのその牽制に、んー、と、考える仕草。“久しぶりかな”。“楽しいときだけ、特
別”。いままで遠慮がちだった彼の、その射程範囲内に、私を収める。戦略性はきっと、まだ
足りない。タイ料理に汗をかいて、少し薄着になるくらいの無自覚。お酒を飲んで、いつもよ
り大胆に笑い合う。そこまではまだ、ポジションの奪い合いに過ぎない。
 慣れないコンタクトを、薄く積もった雪の中に落とす、帰り道。
 凍った雪の夜道を、視界もなく、ヒールで歩く。ふらつくのは、酔いのせいだけでないから。
彼にとってもごく自然に、一メートルがゼロになる。指先のエンゲージ。探り合いは続く。タ
クシーを止めて、家の前まで。接触した影が、また離れる。見慣れたいつもの部屋に一人。ベッ

47 :No.12 SKY-HIGH RENDEZVOUS 3/5 ◇wDZmDiBnbU:07/11/25 12:41:04 ID:Qg8CW8No
ドに身を投げ出して、しばらく待つ。冬の空にもつれ合う思惑。軌跡を描いて、電波が飛ぶ。
 “今日はごめんね。でも楽しかった、ありがとう”。
 携帯電話のメモリ、そこから呼び出す英字の羅列が、十一桁の数字に変わった。

 ――2007/12/13 21:20:00 北区赤羽二丁目 某所 〔残時間:266h 40m 00s〕――

 情報が不足していた。
 違う。シークレット・エリアまで辿り着いた。そう前向きに捉えなくてはいけない。いまさ
らターゲットの変更はきかない。すでに電話は日課になっていた。“有島くんって、どんな女
の子がタイプ?”。少し強引に踏み込んだその空域には、予想外のものが待ちかまえていた。
「くのいち」
 ――蜃気楼を見ていた。
 時間がない。作戦の変更はきかない。装備がない。どうにかするしかない。行きの燃料しか
積まなかったことを、迂闊にも後悔するところだった。半ば動揺したまま通話を終えて、呆然
とベッドに視線を投げる。枕元には、あの雑誌。占い師ジョアンの警告が、蘇る。
 戦略性が足りない。
 まだ、終わったわけじゃない。それに、なにも間違ってはいないはずだ。ただ少し、情報が
不足していただけのこと。テーブルの上のMacBookを開いて、キーボードに文字を躍らせる。
足りなければ、補えばいい。逡巡のあと、押下される――「検索」ボタン。
 ネットの海は広大だった。
 由美かおる、などという甘い認識はすぐに消えた。弾幕のように押し寄せる、九十三万の検
索結果。青から紫へ、全てのリンクを撃墜してゆく。狂っている、そう思う感覚さえおぼろだ。
 想像を、越えていた。妄想ですら、追いつかない。確かに現実と分かたれた、果てのない青
空が、今、目の前にある。それでも、クリックは止まらない。
 その行為の無意味さに気付き、Macの電源を落としても。部屋の明かりを消して、ベッドに
潜っても。心に青空だけが残る。夢の中で、それを見上げる。
 翼を恐れたのは、初めてのことだ。

 ――2007/12/20 12:45:00 新宿区市谷加賀町 〔残時間:107h 15m 00s〕――


48 :No.12 SKY-HIGH RENDEZVOUS 4/5 ◇wDZmDiBnbU:07/11/25 12:41:31 ID:Qg8CW8No
 情報が錯綜し、真実はエアポケットの中。そんな絶望的な、戦況。
 昼休み。少し遠くのパスタのお店に、私一人。なにが正しいのかわからない。手にした文庫
本は、山田風太郎。これが正解だとするならば、もう好みのタイプという次元の話じゃない。
というか、間違っている。いろんなものの使い方が、違いすぎる気がする。
 着信音。個別に設定したこの音は、間違いなく、彼からのメール。文面を見て、確信する。
退けない。たとえこの先がわからなくても、もう戻るわけには、いかない。文庫本を閉じて、
すぐに返信する。その日は空いてるよ、と、絵文字付きで。その返事は、すぐに来た。
『 じゃあ二十四日の夜七時に。場所はまたあとで!( ゚∀゚)o彡゜ 』
 彼が来る。真正面から、全開で。誘いに乗ったのは、どちらだろうか。もうそんなことは、
どうでもよかった。ロック・オン。戦略通りのはずなのに、でもアラートは鳴り止まない。一
人で過ごすことを恐れた、もうそれだけじゃないなんて、なぜそうなるのかが理解できない。
 気付けば見つめていた、携帯電話。それを閉じて、ポケットにしまう。代わりに取り出した
手帳の、あの日付の下が、埋まる。描かれた照準は、なぜかハートの形をしていた。この歳に
なって、考えられないことだ。覚悟を、決める。もう手段を選んでいる余裕はなかった。彼の
理想に少しでも近づく、その戦略に全てを賭ける。あとは、準備が間に合うかどうか。
 Xデイまで、あと少し。自信は失速しても、脈拍の急上昇は、止まらない。

 ――2007/12/24 20:30:00 某ビル9Fレストラン〔残時間:003h 30m 00s〕――

 見上げることしかできなかった、小さな空の中に、二人。
 一人じゃない。例年の屈辱を、今年は味あわずに済んだ。少し贅沢な料理と、有島くんの笑
顔。当初の目的は、もう果たされたはずだった。仮にその先を望むにしても、慌てる必要はど
こにもなかった。あとは、帰投するだけ。戦略に従うなら、それ以外の選択はあり得ない。
 ジョアンの言うとおりだった。蠍座のB型には、戦略性が足りない。
 建物を出て、タクシーを待つ。ふらつく足下は、酔いのせいじゃない。それどころか、意図
すらしていないことだった。とにかく、寒い。この冬一番の寒波、と、確かにTVは言ってい
た。でも、原因はそれだけじゃない。あまりにも頼りない、狐歩き《FOXTROT》。心配そうに
私の肩を抱く、有島くんのその大胆さ。望んだはずなのに、でも怖い。
 当初の計画では、私は彼の好みのタイプになっているはずだった。でも今、その自信は全く
ない。やれるだけのことは、やってきた。見えない努力も積み重ねた。その時点で、もう戦略

49 :No.12 SKY-HIGH RENDEZVOUS 5/5 ◇wDZmDiBnbU:07/11/25 12:41:55 ID:Qg8CW8No
なんて消えていた。そしてそのおかげで、底冷えする体の、震えを抑えることが、できない。
 タクシーに乗っても、まだ寒い。運転手がなにかを呟きかける。内容はわからなくても、で
も動揺しているらしいことだけは、わかった。今の私は、傍目にも相当な状態なのだろう。
 病院へ、と言いかける、有島くんの言葉を遮る。それだけは、とすがっても、でも彼は困惑
するばかりだ。やむなく私は、理由を告げる。タクシーの目標地点が、変わった。
 狭い裏路地。ところどころに、小さな看板が妖しく光る。空室が見つかったのは、運がよかっ
た。担がれるようにして、タクシーを降りる。照明を抑えた室内には、大きなベッド。そこに
倒れ込んでも、寒さは消えない。別の震えまでもが、私を襲う。アンコントローラブル。
 普段の彼からは想像もつかない。乱暴とも言える勢いで、脱がされていく私の服。セーター
を放り投げたあたりで、彼の手が止まった。薄目に見た彼の顔は、もう表現のしようがない。
「こんなの、どうやって脱がすんだ」
 それは、そうだ。私自身、どうやって着たのかも憶えていない。とにかく、必死だった。少
しでも、彼の望む「私」に近づくために。約束を交わしたその日の晩、私がネットで注文した
のは、他でもない。彼の本気を誘導する、そのための最終兵器。
 本格、本物、と銘打たれた――くさりかたびらだ。
 冬の冷気を吸い込んで、完全に冷え切ったそれを、彼が脱がす。複雑すぎる構造に、いくら
か手間取りはしたものの――私はようやく、冷たい鉄の檻から解放された。礼を言うべき、そ
んな場面だったと思う。でも私には、彼と目を合わせることが、できない。
 この選択は、正しかったのか。それとも間違っていて、そして幻滅されたりしないだろうか。
それを訊ねるのが、怖かった。それでもどうにか、おそるおそる目を開けて、彼の表情を伺う。
 目が合った、と思ったのは、明らかに気のせいだ。彼の視線は、どう見ても、少し下。
「で、でけえ……」
 ゴクリ、という音が聞こえてきそうなほど。彼は素直で、そして正解を示していた。確かに
私は、着やせする方ではあったけれど。でも、好みのタイプよりも、結局は――それか。
 悪い気はしない、そう思う自分も、きっと素直なのだろう。彼の首に手をかけ、引き寄せる。
特に意味も意図もない。呼吸ができなくても、もう知らない。とにかく、今の私に重要なのは。
 触れ合うこと《BULLSEYE》。その肌の、温もりを追いかけるだけだ。

 ――第八十六回BNSK週末品評会 【忍空 SKY-HIGH RENDEZVOUS】
   2007/12/24 24:00:00 都内某所 〔残時間:000h 00m 00s〕 OVER ――



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