【 とお、ひこう 】
◆uOb/5ipL..




37 :No.10 とお、ひこう 1/4 ◇uOb/5ipL..:07/11/25 10:56:32 ID:3po6a0HW
 ひとつふたつと数えながら空を想像する。みっつよっつと数えながら空を創造する。
 だから、いつつむっつと背後から続きが聞こえたときは驚いた。始業式真っ只中の体育
館裏にまさか人が居るとは思わなかったから、背後を振り返る。
「サボリとは感心しないな、とおちゃん」大きな桜の木の下、一人の女の子が立っていた。
 黒髪のボブ、愛らしい瞳、漂う気品がお嬢様を思わせる。この子は去年私と同じクラス
だったマヤという子だ。この学校で変わり者として通っている私によく話しかけてきた、
変わり者だったはず。
 私の苗字は遠野で、皆からとおちゃんと呼ばれていた。スプレー缶片手に校内を歩き、
勝手に校舎の色んな所に絵を描くので教師からは非行少女として認識され、級友からは変
わり者として認識されている。
 そんな私の行動がさして問題にならないのは、私が美術部に所属しコンクールで何回も
賞を取っているからだろう。部の顧問も私の味方をしてくれている。
「相変わらず凄い絵を描くね……なんで絵を描いてる時、いっつも数を数えてるの?」
 マヤは、私が水性スプレーという便利なモノで体育館裏に描いた青と白の空を見て、そ
う訊いてきた。数を数えてると集中して、思い通りの絵が描けるから。もう癖になってる。
そう答えると、マヤは私の描いた現実には存在しない、私の頭の中だけに在る空を見なが
らへえ、と嬉しそうに笑った。そして、私も使ってみよう、と呟く。
「こんな絵が描けるんだから、将来は画家?」その質問に私は肩を竦めた。絵は道楽で描
いているだけだ。薦められている美大の話も曖昧にしたままだし。
 私はこうして自分の頭の中にだけ存在するモノを描いては、その中に入り浸るのが大好
きだった。現実を見るより自分の絵を見たい。嫌な現実を見るより、幸せに満ち溢れた絵
を見ていたい。自分が欲しい絵を描きたいから、私は厭きもせずこうして絵を描いてる。
「いいなぁ。私も、こんな綺麗な空を描きたいな」私の描いた空を見ながら呟くので、な
ら描けばいいじゃない、そう返した私にマヤは困ったように笑った。
「私、こんな風に描けないから」
 ああ成る程。それを聞いて理解した。自分の欲しい絵が描けないなら、その絵の中に入
る事は出来ない。だから、マヤは私の描いた空を眺めているのか。きっと、マヤの欲しい
空は私の空に近いんだろう。
 私達は無言で、体育館裏に描かれた空を見ていた。静かに、桜の花弁がその空を染めた。
                   ◇

38 :No.10 とお、ひこう 2/4 ◇uOb/5ipL..:07/11/25 10:57:01 ID:3po6a0HW
 何の因果か、私とマヤは今年も同じクラスになった。知った顔もあったが、マヤと同じ
クラスという事が、始業式以来、私を不思議な気持ちにさせていた。
 そしてマヤは以前同様、いや、前以上に私に話しかけてくるようになった。最初はそれ
を鬱陶しく思っていたが、気付けばマヤとの会話を楽しんでいる自分がいた。
 絵が苦手というマヤにスプレー缶を貸し、二人で色んな所に絵を描いた。数を数えなが
ら、時には笑いながら、体育館裏、外にあるトイレ、校舎裏、色んな所に絵を描いた。
 その瞬間の楽しさといったらなく、今まで生きてた中で一番楽しいと思える程だった。
 だけどこんな事をしていればマヤの印象が悪くなるのは当然だった。教師に非行少女と
して認識されている私と一緒に行動し、一緒にスプレーで校舎に絵を描いているのだ。
 マヤも非行少女として認識されるのは当然で、私は今更ながらスプレーでの絵を薦めた
自分の単純さに呆れるしかなかった。
 けど当の本人は平然とした様子で、いつも私と一緒に過ごして笑い合っていた。 
 そんな日常の中でふと疑問に思った事。――何故、マヤは私と一緒に居るのか。
「とおちゃんの絵を初めて見た時驚いたの。こんなにも心に訴えかける絵を描く人が私と
同い年なんて信じられなかったし、校内でも噂の有名人だって聞いて、色々知りたくなっ
て。顔も私の好みだったし、話してみたら面白い人だったから、もう……一発で惚れたよ」
 私の疑問に、恥ずかしそうにそう答えたマヤ。私まで恥ずかしくなる。顔が熱い……。
 しばらく無言で、さっき私が校舎裏に描いた空を二人で眺めていると。
「とおちゃん、夢ってある?」いきなりマヤが切り出してきた。「私、もう少しで自分の
夢が見付けられそうなの。だから、とおちゃんの夢は何かなって思って」
 私は自分で描いた空を見ながら口を開く。私は自分の描いた絵の中で楽しく暮らす事か
な。辛い事のない、幸せに溢れた絵の中。そこで幸せに暮らすの。校舎裏に描いた空は、
四月に描いた空より断然鮮やかになっていた。私も、私の絵も、マヤと笑い合う事で変わ
ってきている。
 だがマヤは私の答えに唇を尖らせ、不満気に言う。「私、とおちゃんと一緒に同じ夢を
描きたい。とおちゃんは自分独りがいいの? そんなに、現実を見たくないの?」
 夏が始まった日の事だった。マヤに、こんな事を言われたのは……。
                   ◇

39 :No.10 とお、ひこう 3/4 ◇uOb/5ipL..:07/11/25 10:57:28 ID:3po6a0HW
 夏の終わり。私はマヤに全ての鬱陶しさから逃げ出そうと話を持ちかけた。
 この頃の私達は付き合っているといっても過言ではなかったし、実際そんな感じだった。
 だがそれを良しとしないのが世間の目で、マヤの両親が私に近付かないようにと、マヤ
に煩く言っているという事を、親切な級友から聞かされた。
 なんでもマヤの両親は金持ちの堅物らしく、一人娘のマヤを溺愛しているらしい。マヤ
を見た時に感じたお嬢様という感想は、正解だったようだ。
 一方の私にも避けていた進路の話とかが出てきて、もう鬱陶しくなったので、私は受験
勉強の追い込みという名目で何処かに行き、そのまま逃げてしまおう。そうすれば私達は
誰からも文句を言われない、そう短絡的発想をした私はすぐにマヤに電話をかけ、彼女を
学校近くの公園に呼び出した。だがやって来たマヤは、笑顔で私の案を否定した。
「とおちゃん、確かに逃避行は魅力的だけど、此処から逃げ出しても現実からは逃げられ
ないんだよ。……とおちゃんはいつも現実から逃げてるよね。絵を描く事もそう。見たく
ない現実から目を背ける為に絵を描いて、その中に逃げてる。
 けど、私達が生きていくのはこの現実で、絵に描いた現実の中じゃないんだよ」
 ――現実から逃げている。私はそう言われ、知らず動揺していた。確かに私は絵を描い
てはその中で生きたいと考えていた。絵の中に入り浸ってもいた。でもそれが、見たくな
い現実からの逃避行だとは夢にも思わなかった。いつから辛い現実から目を背けて、幸せ
に満ち溢れた絵の現実に逃避行をするようになっていたのか。
「とおちゃん、私、両親の希望通り国立大を受ける事にしたの。これは私がとおちゃんと
一緒に居る為に必要な事だから。私達の関係を納得してもらうには、行動で示すしかない
でしょ? だから私は示すの。だから、とおちゃんも架空の空じゃなくて、現実の空の下、
逃げないで生きて。……凄い我侭言ってる事は解ってる。でもね、こんな我侭言えるのは
とおちゃんだけなの。だって、とおちゃんが大好きだから。ずっと一緒に居たいから。
 私ね、夢が見付かったの。それはとおちゃんと一緒に、この現実に、綺麗な空っていう
未来を描いて、その空を二人で自由に飛ぶ事なの。だから、今の空より綺麗な空で飛ぶ為
に、頑張ろう? 架空の空を飛ぶより、現実の空を飛ぼうよ。未来っていう、広い空をさ」
 笑顔のマヤ。……なんていう我侭。苦笑するしかない。でも惚れた弱みか、断るなんて
事が出来る訳がない。私は頷き、美大の話を思い出しながら、一つの決断をした。
 ずっと一緒に居る為に、一時の別れを。
                   ◇

40 :No.10 とお、ひこう 4/4 ◇uOb/5ipL..:07/11/25 10:57:51 ID:3po6a0HW
 ひとつふたつと数えながら空を想像する。みっつよっつと数えながら空を創造する。
 いつつむっつと背後から声が聞こえても、私は驚かなかった。卒業式は終わり、今頃は
皆好き勝手に騒いでいる事だろう。待ち合わせをした訳じゃなかったが、此処に来れば逢
えるという確信があった。
 久し振り。桜の幹に背を預けて笑い合う。こうしてマヤと話すのは半年振りだった。
 あの日から私達は周囲を誤魔化す為に互いを避けた。そして、夢の為に努力をしてきた。
 顔を合わて話すのは四年後。だから、今日もこのまま別れるという事を理解していた。
 代わりにそっと互いの指を絡め合う。半年振りのマヤの体温。マヤの、心の体温。
 今、私達が見ている景色は違う。私はさっき体育館裏に描いた空。一年前とは比べ物に
ならいほど鮮やかになった、空。私も、私の絵も成長出来たのは全てマヤのお蔭。
 マヤは自分の眼前に広がる青空を見ているんだろう。
 私は力を付ける為に美大へ。マヤは国立大へ。でも、最後に二人が見るのは同じ景色、
二人の幸せな未来という空、そう信じてる。
 桜の花弁が静かに舞う中、互いの呼吸を感じながら呟く――それじゃ、お別れだね。
 ひとつふたつと二人で数える。まずは四年後、必ず迎えに行くよ。
 みっつよっつと二人で数える。思い出が、温もりが優しくて涙が出そうだけど堪える。
 いつつむっつと二人で数える。自分の描いた空を見る。私は今から現実の空に飛び立つ。
 ……もう逃げないよ。私達は名残惜しげに小指を絡めた。
 私とマヤは別々の空へ飛び立つ。飛行する、大きな鳥となって、必ず迎えに行くよ。
 ――とお。呟いて、絡めた小指を離し、私達はそれぞれの空へ羽ばたいた。
                   ◇ 
 私は体育館裏に広がる極彩色の空を見て苦笑した。四年前とは比べ物にならない程の鮮
やかさ。青と白だけだった空は面影もない。「これが私達の空なんだよ。これが、私の描
きたかった空、私の、私達の夢……」私の手を握り締めて、嬉しそうに彼女が笑う。
 新進気鋭の画家と国立大を首席で卒業した女が描く空は、こんなにも奇抜なのか。
 ――でも、悪くないかな。高が四年でここまで変わるなら、最後はどうなるのか。
 何故か無性に可笑しくて笑い合い、指を絡めて数を数える。あの日は別々の空に羽ばた
いたけど、今日は違う。今からこの二人の空、二人の夢、二人の未来に飛び立つのだ。
 ――とお。大声で叫んで、私達は未来へ羽ばたいた。未来を飛行する、鳥となって。
                                         了



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