【 痛み醒めてその後僕は 】
◆ZRkX.i5zow




4 :No.02 痛み醒めてその後僕は 1/4 ◇ZRkX.i5zow:07/11/24 02:41:30 ID:8dkNVcKM
 僕がその子と出会ったのは、黄色い満月の出た、馬鹿に虫がうるさい夜だった。その日は昼から特に暑くて、夜になってもそれは変わらず、
あまりの暑さに僕は懐中電灯と一緒に家をこっそりと抜け出した。雲は一切月にかかってなくて、なのにじめじめとした空気は僕を一層うだら
せた。光を前に差し出して、僕は夜の道をある場所に行こうと街灯もない田舎道を歩く。前を向いても横を向いても木が生い茂ってるそれは、
当たり前だけど昼間とは全く違って、夜にあまり出歩かない僕にとって、不安と恐怖、それと少しばかりの冒険心とが響く。まるで全てから見
放されたかのような闇夜は、必ずしも切なさだけを生み出さなかった。それは多分、昆虫達の声と手に持った光源が僕をこの世に引き止めてい
る最後の証としてあるからだろう。それらを踏みしめながら、空がちょっと傾いた頃、僕は錆びた看板の脇から道なき道へ入った。いよいよも
って人工物は僕ただ一人になって、そこをしばらく行くと、二つのレールが現れた。そこは僕が生まれる前に廃線になった鉄道の後らしくて、
七十メートルくらいの線路の間にたった一つ、駅のホームだけがポツンと置かれているのだ。その手の人には結構な名所らしく、カメラを抱え
た人をこの辺でよく見かけたりする。今の時期はその機会も多いけれど、さすがにこの時間じゃ誰もいないだろう。何も好きなのはよそ者だけ
とは限るまい。地元民の僕だってお気に入りの場所だったりする。もっとも、僕以外に知り合いがわざわざここを歩いているのを見たことがな
いけれど。ただでさえ静かな町の、更に寂れた、誰もいない所。もしかして僕だけの場所――そう思うと愛着もわいた。やがて暗がりに駅が見
えた。やっぱり駅も夜に見るとフインキが違うな、とライトを構内へ向けると、
 ビクリとした。
 人がいる。ライトを左から右に流す時に照った人影。闇に慣れた僕の目は、改めてライトを向けないでもちゃんと分かった。確かに人がいる。
ホームの端に座っていて、足をぶらんぶらんと揺らしている。恐る恐る、もう一度ライトを向けると、その人影は僕と同い年くらいの子供だった。
しかもただの子ではない。その子もこちらを向いていて、更にビクリとしたけれど、ぼんやりと際立つ青い瞳に耳がぎりぎり隠れるかくらいの、
外国の子だ。パッと見て僕は西欧らへんの子かな、とか、そして何でここに、こんな時間に人が、とそういうさまざまな疑問が錯綜して、混乱
して、けれど向こうは実に落ちついた風に、座っている隣を手のひらでタンタン、とたたいた。その物腰からは、その子の様相も相まって、男
なのか女なのかさえ僕は悟れなかった。何故か自分の呼吸が震えていることにようやく気付き、僕はいろいろな曖昧さを胸に抱え、その子の隣に
おずおずと座った。コンクリートはひんやりと気持ちよく、そして、先客に悪いかな、と思って懐中電灯をパチリと消した。

5 :No.02 痛み醒めてその後僕は 2/4 ◇ZRkX.i5zow:07/11/24 02:42:00 ID:8dkNVcKM
 しばらく彼、あるいは彼女は、おそらく僕がここに来るずっと前からそうしていたのだろう、ただ足をぶらんぶらんと振って、真正面の、本来
なら緑が見えるはずの闇を見据えていた。僕はそんな姿を見ていると、この子に話しかけることが野暮な事に思えて(そもそもこの子が日本語を
解すのかというのもあったけど)、その間、この子が長袖長ズボンを着ているのは虫刺され対策かな、ああ、そういや僕は虫除けスプレーも何も
してこなかったな、とかそんな事ばかり考えていた。すると、やがて向こうから何ともなしに「僕はね」と話しかけてきた。
「僕はね、悩んでいるんだ」
 それはとてもきれいな発音で、掠れたような、でも澄んだ声だった。僕はその日本語を聞くと、この子は本当に外国人なのだろうか、と変な
事を思ってしまう。
「何を?」と僕は聞き返す。
 そこでその子は一度「うーん」と少し考え込んで、「例えばね」と続けた。
「もし、僕が君をこっからいきなり突き落としたとして、列車が突っ込んできたら君は死んでしまうけど、今はもう列車は来ない。けど、頭を
打っちゃって死んじゃうことがあるかもしれない。それって、確率は違うけど同じことなんじゃないかなあ、ってそんな悩み」
「……随分と哲学的なことを考えるんだね」
「まあね」
 その子はあっさりと自分が哲学してると認め、僕自身、言いだしっぺなのに哲学とは何か、なんて知らないから、ただ黙るしかなかった。
けれど、ふと僕はちょっとした反論を思うついて、浅はかにも言ってみる。
「でもさ、残された人の恨みつらみとか、そんな違いがあるんじゃないの?」
「それもまた、同じじゃないかな」
「どうして?」
「なら、君の死を悲しむ家族や友人や恋人がいたとして――いや、ごめん、悲しむ人がいるけれど、その人達が死んじゃったら誰が君の死を
悲しむのさ。君は曾お爺さんの死を知っているかい? 僕は知らない」
 僕はうなった。
「そんな事を考えても仕方ないじゃないか。何の為のお墓さ」
「うん、仕方ないね」とまた、その子はあっさりと肯定した。「リンゴは何故リンゴジュースになるのとか、アップルパイになるのとか、
そんな疑問はしょうがないけれど、でもやっぱり、どっかのインベーダーが『ニンゲンは増えすぎた』とかそんな理由で地球を滅ぼしても、
何ら変わらないと思うと、僕は悲しいなあ。うん、悲しい」

6 :No.02 痛み醒めてその後僕は 3/4 ◇ZRkX.i5zow:07/11/24 02:42:31 ID:8dkNVcKM
 最後は深く自分に言い聞かせたようにその子は言った。僕はこの子は何を言っているのだろう、と思うと同時に、そんな事を考えること
自体悲しくないかい、なんて失礼な疑問が浮かんだ所で、その子はクスクスと笑い出した。
「君は、僕が『君の生み出した幻なんだ』と言ったら言ったら多分信じちゃうだろうな」
「何で」
「そりゃあそのままじゃ信じないけれど、君が僕に触れられない、幽霊みたいにすり抜けちゃったら絶対信じるだろう」
「よく僕のことを知っているんだね、会ったばかりなのに」
「勘さ、勘」その子は手元に転がっていた石ころを一つ、線路に放り投げた。その石はやっぱり闇に消える。「けれど、まあ、僕の予想は
大抵外れるんだけどね。サッカー観戦とか、じゃんけんとか、明日は晴れだとか、予想すると外れてしまう」
「それって、あれじゃないの、勝った喜びより負けた悔しさの方が大きいから、強く印象に残っているだけとか」
「ああ、そうかもねー」その子は空を仰いで笑った。「僕はネガティブだ。悲しいことがあればどん底だ」
「誰だってそうだと思うな」
 僕がそういうと、いきなり冗談めかし、気取ったように言うのだった。
「果たしてそうかな? なら戦争なんて起こらないと思うけども」
 僕はこの子と話していると、何ともいえない、奇妙な気持ちになってきた。つかめない雲の上に無理やり乗せられてしまったような、
そんな感じ。実際僕は、この子の悩みだとか性格とかにさほどの興味も、理解もないけれど、真っ暗な駅で交わす会話は居心地が良かった。
あるいは、こんなフインキだからこそ、僕の冒険心はまだうずいているのかもしれない。
 僕はふと手に当たった、コンクリートのすき間から生えた雑草をブチリと手でちぎった。
「まさか涼みに出たくらいでそんな事を聞かされるなんて思いもよらなかったな」言って、僕はその草をサラサラと手の間から落とす。
「僕はね」いつの間にか足をピタリと止めていることに僕は気付く。「忘れっぽいんだ、いろんな事を。うーん、多分僕は本当に君が生み
出した幻なのかも知れないけれど、その事にさえ忘れている、気付いていないような……」
「君の生まれた場所は?」
「覚えているよ、はっきりと」
「ならそれで良いじゃない」

7 :No.02 痛み醒めてその後僕は 4/4 ◇ZRkX.i5zow:07/11/24 02:43:01 ID:8dkNVcKM
「うーん……」この子は本当に、それが人生にとって重大な悩みのように、しきりに考え込む。「僕は昨日食べた食事のぬくもりを覚えて
いない。覚えようとしても、すぐに忘れてしまって、そんな僕が電車に轢かれようと、君に頭を殴られようと、インベーダーが地球を滅ぼ
されようと、変わりないんじゃないかなあって……」
 その子がそこまで言った時、僕は肩を反射的に上げた。その子が僕に思い切り寄りかかってきたからだ。僕が線路に飛び降りたら、その
ままコテン、と倒れてしまいそうなくらいに。
「そ、それは」と僕は言った。「やっぱり誰だってそうじゃないか」
「君は今、『冬ってどんな寒さ?』と聞かれたらどうする?」
「え……、手がかじかんで、足先は靴下を履いてても冷たくて……」
「僕はそれが思い出せない。それがどんな感覚なのか、『今この状態』しか分からない」
 少しだけ風が吹いた。ぬるい風が僕らを通り越して、風上に座っていたその子の髪が僕の顔をくすぐった。匂いというものは何もなくて、
その子の髪がまた重力にしたがった時、虫の声がより大きく聞こえた。僕は手首を腿の上に置いて、自分の指で手遊びをしていたけれど、
やがてそれも退屈に思えてピタリとやめた。月明かりはななめから差し込み、見上げると満月はずっと満月のままだった。僕が幽かに見える
レールに目を落とした時、
「だからね、」
 頬に一瞬、温かくて柔らかい感触がして、僕はただ目を閉じた。闇は本当の闇になり、音は本当の音になって、やがてそれらもなくなって
しまい、じゃあ何があったかと言うと僕は何も覚えてなくて……。再び目を開けると、ほとんど何も変わってなくて、変わったのは空が少し
明るくなったのと、あの子がいない事だけで、けどあの子の金色の髪や青い瞳や長袖長ズボンや声は確かに僕の記憶にあって、そして、
 あのぬくもりは、幻なんかでない、どうしようもないくらいの、現実。



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