【 tail's tale 】
◆Op1e.m5muw




149 名前:No.36 tail's tale 1/5 ◇Op1e.m5muw[] 投稿日:07/11/19(月) 00:13:12 ID:0HdUPaCf
 うーん、と伸びをすると、寝起きの身体の倦怠感はすっきり抜けて平常の感覚が戻る。
 と、なにか左耳の裏がむず痒い。
 ここ数日で冷え込んできたので、彼は落ち葉の中にもぐって寝るようにしていた。そのせいで葉っぱでも付いているのだろうか。
 掻こうと後ろ足を持ち上げて――ごろり、と右側に転んだ。
 良くないな、どうやらまだ感覚が眠っているらしい、彼は起き上がって本日二回目の伸びをしたところで、違和感に気付いた。
 しっぽに、感覚がないのだ。
 左右に振ってみようと力を入れてみるも、力がこもるのは尻の部分までで、それから先は全く反応がない。
 変に捻ったのだろうか、と彼はぐるりと身体を丸めて覗き込むと、そこにはあるはずの尻尾がなかった。
(まさか、そんなことあるはずがない)
 関節の稼動範囲ぎりぎりまで頭を尻に近づけるも、やはり何も見当たらない。今度は仰向けに転がって、開脚後転のような格好にな
る。彼の精神が平常を保っていたら限りなく恥ずかしい姿勢だが、彼の目に映った映像は自己を顧みる余裕を全く与えないほど衝撃的
なものだった。
(……ない)
 丸出しにされた尻の穴のすこし上、本来なら縞目の美しい自慢のしっぽがくっついているはずの場所には、小さな十円禿げ。
 何度まばたきをしても、前足で目をごしごし擦っても、そこには小さなクレーターがちょんとあるのみだった。
 しっぽが、付け根からなくなっているのである。
(なんだ、どういうことだ! なんで……)
 あまりに理解の範疇を超えた事態に、疑問が彼の頭に尽きることなく湧き上がって、ぐちゃぐちゃと混じり合い混沌となる。
(昨夜、落ち葉に潜り込むときには確かにあったはず)
 ということは寝床の中に落ちているに違いない。彼は足元から敷き詰められた葉をかき分けかき分け掘り返してみた。が、いくら敷き
詰められた葉をひっくり返しても、見つからない。
 そんなはずはないのだが。寝床にあった落ち葉のほとんどを掻き出すに至って、納得せざるを得なくなった。
 しっぽ、行方不明――。
 頭を疑うような話ではあるが、事実はそれを厳然と突きつけてくる。
 なんだか世界が一気に不安定になったように感じて、彼はその場にへたり込んだ。
(一体、どうして)
 考えるが、答えはおろか、ヒントになりそうなものすら思い当たらない。
 それも当然だ。「ある朝目覚めてみると、しっぽがなくなっていた」なんて、聞いたことも想像したことすらない、もはや意味不明な話
なのだから。
 意味不明だが、とにかくしっぽはなくなってしまったのだから、どうにかしなければならない。

150 名前:No.36 tail's tale 2/5 ◇Op1e.m5muw[] 投稿日:07/11/19(月) 00:13:33 ID:0HdUPaCf
(どうするも何も、とりあえずしっぽを探さなきゃまずい)
 猫にとって尻尾は重要な器官である。猫特有のしなやかな動きのバランスを取ったり、感情表現に用いたり。
 特に縄張り争いのにらみ合いなどでは、しっぽを反り上がらせて毛を立たせ、いかに自分を強く大きく見せるかが心理戦のキーとなる
のだ。
 しかし、そういった機能的な話とは別に、しっぽは彼にとって重要なものだった。
 彼は幼い頃に母とはぐれ、どうしようもなく小さい頃を除いて自分ひとりで生きてきた。大人たちと肩を並べて渡り合うために、必死に
虚勢を張り強がってきた彼は、他人の目というのを何よりも重視する。虚勢を張る必要がなくなった今日もそれは変わらない。もはや、
そういう性格になってしまっているのだろう。
 そんな彼の一番の自慢はしっぽ。
 膨らますと身体の半分ほどにもなる、縞目のはっきりとした立派なしっぽ。
 毎日欠かさず、身体のどこよりも丁寧に毛づくろいをしていた。
 それが突然なくなってしまって、はいそうですかと納得などできるはずがない。
 ならば、なんとかしっぽを見つけ出すしかない。
(しかし、どうやって?)
 現状すら理解できない彼には、ましてやしっぽの在り処など皆目見当もつかない。
 さてどうしたものか、彼は空を仰いで、そして重大なことに気がついた。
 彼には二ヵ月ほど前から付き合っているメス猫がいる。
 艶やかに真っ黒な毛並みと大人しい性格に惹かれて彼のほうから言い寄ったのだが、そういえば、そろそろ彼女が訪れてくる時刻な
のである。
 まずい、これはまずい。
 彼女にこんな情けない姿を見せるわけには行かない。とにかく、早くなんとかしなければ。
(そうだ、じいさんに相談しよう)
 じいさんとは、ここら一帯の猫たちの長老のような存在で、豊富な知識と経験でもって尊敬を集めている。
 生まれて間もない頃、母とはぐれた彼を一時預かって養育してくれたのもじいさんである。
 一人前であると自負しプライドの高い彼には、自らの幼少期を知るじいさんに会うのは気恥ずかしいものがある。その上相談事をする
など気が引けるが、それでも背に腹は替えられない。
 そうと決まればすぐ出発、彼は寝床から飛び出していった。

151 名前:No.36 tail's tale 3/5 ◇Op1e.m5muw[] 投稿日:07/11/19(月) 00:14:07 ID:0HdUPaCf
 彼の属する猫コミュニティーの活動範囲は、大きくわけると二分される。
 山というより丘に近いそこは、頂上から東側半分が大学となっていて、反対側の西側は林と、大学へと続く遊歩道がある。
 彼の住処は、その西側の遊歩道のちょうど真ん中辺りにある、休憩場のような広場から少しだけ奥に入った所にある。この広場が猫
の集会場となっているので、立地条件は抜群だ。
 しかし今日に限っては、その立地条件がデメリットとなった。
 じいさんが寝床としているのは遊歩道を登りきったあたりなのだが、そこに向かうには、通常遊歩道を登る形になる。猫にとっても木々
の隙間より開けた道路のほうが歩きやすいもので、この遊歩道は多くの猫が行き来しているのだ。人目につきたくない彼は、そこを通る
わけにはいかない。急いでるにも関わらず、林をぐるりと遠回りするはめになった。
「おい、じいさん、いるか」
 大学の名が彫られた大きい岩の辺りに向かって声をかけると、
「なんじゃい、朝っぱらから大声で」
 と、あくびを噛み殺しながら、小柄な白黒のぶち猫が岩の陰からのっそり出てくる。
「じいさん、俺だ」
「おーお、珍しいのう、虎吉。最近どうじゃ?」
 久しぶりの再会の挨拶を無視して、彼は単刀直入に本題に入る。
「実は……しっぽが、なくなったんだ」
 そう言うと、ためらいがちにくるりと後ろを向く。確かにそこには、しっぽがなかった。
 彼はじいさんに背中を向けたまま、自分の状況について説明する。
 朝起きたらしっぽがなくなっていたこと、昨日の夜までは確かにあったこと、寝床をいくら探しても出てこなかったこと。
 一通り聞いたのち、じいさんは口を開いた。
「ふーむ、わしもそんな話は聞いたことが無い。しかし妙じゃな、も少しよく見せてみい」
 そう言って彼の尻を持ち上げさせる。交尾中のメスのような格好に、彼は屈辱に顔をしかめた。
「ふむ、やはり妙じゃ。おぬし、しっぽの痕に痛みはあるか?」
 言われてみて、彼も気がついた。
 しっぽが取れてしまったら、本来なら傷跡が残るはずである。
 にもかかわらずそこは、毛こそ生えていないもののこれといった傷もない綺麗なものだ。
 当然、痛みも全くない。
「怪我にしても病気にしても、普通もっと痕がでるはずじゃ。それがこんなに自然になくなってるとすると……」
 じいさんは可笑しそうにふふっと笑う。
「しっぽのほうから、お前さんに愛想を尽かして出て行ったのかもしれぬな」

152 名前:No.36 tail's tale 4/5 ◇Op1e.m5muw[] 投稿日:07/11/19(月) 00:14:25 ID:0HdUPaCf
 ちっ、と苛立たしげに舌を打ち、彼は姿勢を元に戻した。
 自分は真剣に相談しているというのに、こんな格好までさせて、ふざけた事言いやがって。
「あぁすまんすまん、冗談じゃよ。」
 ごほん、と一つ咳払いをすると、じいさんは真剣な面持ちに戻って言った。
「さて、正直わしにも原因はわからん。わからん以上、取り戻そうというのなら探し回るしかない。ありきたりじゃが、おぬしの日頃の行動
範囲を洗いなおせ。万が一落としたとしたら最近足を運んだところじゃろう」
 彼はがっくりと肩を落とす。
 こんなでも、このじいさんは誰よりも博識だ。じいさんにアドバイスがもらえなければ、それはつまり誰にももらえないという事なのだ。
「わかったよ、邪魔してすまなかったな、じいさん」
 くるりと背を返し、もときた道へと戻る。
 日頃の行動範囲とは、コミュニティーの西側のほとんどを指す。
 それを地道に探すのはまだいいが、そうして見つからなかった時のことを考えると心がずしりと重かった。
「あぁ、一応聞いておくが。わしから皆の者に、お前さんを手伝うよう口添えしようか?」
 彼は足を止めることなく、首を横に振る。
 予想通りの彼の返事に、じいさんは溜息を漏らした。


 坂のほとんどを下りきって、彼は落ち葉と絶望にまみれていた。
 ない。
 どこにも、ない。
 他の猫に見つからないように林や植え込み、草むらの中から、それでも最大限の注意を払って探した。遊歩道などは両側から探して
みたし、木に登って俯瞰してみたりもした。
 それでもしっぽは見つからず、残すは丘のふもとにある小さな池のまわりだけとなった。
 そこにしても昨日来たわけでもないので、可能性はほとんどない。
 泣きたくなる気持ちを抑えながら、彼は池のほうに向かって歩く。
 池の周りは人の来訪を拒むように植え込みがあるが、猫にとってはそれはたいした障壁ではない。身をかがめて木の下にもぐりこみ、
枝を潜り抜けて頭が反対側に抜け出したところで、彼は目を見開いた。
 目の前わずか数メートルのところで、縞模様の細長い物体が、動き回っているのだ。
 こげ茶と灰のふわふわしたそれは、間違いなく彼のしっぽであった。
 なんとそれが、蛇のように足のない体で、まるでリスのようにちょろちょろと動き回っているのである。

153 名前:No.36 tail's tale 5/5 ◇Op1e.m5muw[] 投稿日:07/11/19(月) 00:14:42 ID:0HdUPaCf
 まさか、じいさんの言ったとおり勝手に動いてるとは――あまりの驚きに、彼は我を忘れて見入ってしまった。
 しかし、更に驚くべきことに、しっぽは一匹ではなかった。
 真っ白い、彼のしっぽよりは幾分小柄なやつが、彼のしっぽとまるで子猫のようにじゃれ回っている。
 くるくると絡み合ったかと思うと白いほうがぴょんっと跳ねて距離をとり、縞模様はそれを追って走り出す。白も捕まるまいと逃げ続ける
が、途中で気が変わったのか自ら縞模様に飛び掛り――それはまさに、兄弟猫の微笑ましいじゃれ合いである。
(あぁ、楽しそうだな)
 いつのまにか見入ってしまっていた自分に気付き、彼は慌てて我にかえる。
 自分はしっぽを取り返しに来たのだ、ぼんやり眺めている場合ではない。
 と、少し意識を離していた間に、二匹のしっぽは疲れたのか池の岸辺に並んで座っていた。白が縞模様に甘えるように寄りかかって
いる。どうやら兄弟ではなく、カップルだったらしい。
 その様子を見て、彼はあることを思い出した。
 彼が今の彼女とはじめてデートしたのも、そういえばこの池の周りだった。
 なんとかいいところを見せようと思っていた彼は、岸のすぐ近くに泳いでいた鴨を捕まえようと飛び掛って、済んでのところでかわされ
てしまった挙句自分は池に落ちるという醜態を晒してしまった。でも、それをみた彼女は笑ってくれた。
 本当に楽しそうに、無邪気に笑った。
(そういえば、そんな笑顔を、その一回しか見たことがないなぁ)
 不意に、そんな事が頭に浮かんだ。
 しっぽに顔はないけれど、あの二匹は今どんな表情をしているのだろうか。
 しっぽがない自分を見て、彼女はどんな顔をするだろうか。
 しっぽがなくちゃ、彼女は自分を愛してくれないのだろうか。
 しっぽがなくちゃ、自分は幸せになれないのだろうか――


 彼は、音を立てないように顔を引っ込めると、くるりと向きを変えて歩き出した。
 見上げると、陽はもう高い。
 自分が寝床にいないんで、彼女が心配しているかもしれない。
 彼の足取りは軽く、しかし少しだけ速かった。
                                  <了>



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