【 僕が出来ること 】
◆LDV5MeQbEA




119 名前:No.29 僕が出来ること 1/5 ◇LDV5MeQbEA[] 投稿日:07/11/18(日) 23:47:21 ID:RlCAmG+9
 僕は生粋の引きこもりだ。当たり前だがずっと引きこもっていた訳じゃないし、生まれた時から人間
が嫌いだった訳でもない。今では立派な対人恐怖症だが、小学校までは普通の子達と殆ど変わらなかった。
ただ一つ、吃音が酷かった事以外は。でも小学生の間はみんな上手く話せない僕とも隔たりなく
付き合ってくれたし、友達だって出来た。
 状況が変わったのは中学校に進学してからだ。どんどん歳を重ねるにつれて僕の吃音は悪化。そしてそ
んな僕が虐めの対象になるのにさほど時間はかからなかった。言葉を詰まらせる度にみんなは面白がったり、
気味悪がった。小学校の時の友達も揃って僕を馬鹿にした。死にたいと思った回数も枕を濡らした回数も、
多すぎて覚えていない。
 そんな日々が何ヶ月か続くと僕は学校へ行く事をやめ、部屋に錠前を設置した。成長途中だった僕の心は、
その辱めを耐えるにはあまりに脆かった。
 引きこもって数日の間は両親も心配していたが、一月も経てば何も言わなくなった。今では僕が生き
るのに必要最低限の餌を部屋の前に置いていくだけ。声もかけなければ、心配もしない。
 風呂にも入らなかった為臭いが気になったが、少しするとそんな事はどうでもよくなった。慣れてしまえば、
そういうものだった。
 そんな流れで社会から隔絶されつつある僕は、自室のパソコンを使って毎日ネットの世界に入り浸っていた。
主にやっていたのはチャットである。ネット上であれば吃音なんて関係なくコミュニケーションが取れる。僕は
パソコンの前では雄弁になれるのだ。 今日はカーテンの隙間から差し込む朝の日差しによって目が覚める。
その光に照らされ、部屋中に溜っている埃が姿を現した。そこらじゅうに散乱している空き缶やお菓子の空袋
も埃と共に掃除のされていない部屋を演出している。初めの内は気持ち悪かったが、これらは既に見慣れた風景。
何の感慨もなく僕は体を起こすと、緩慢とした動きでデスクトップパソコンの前に座り電源を入れて起動させる。
 別に楽しくてネットに入り浸っている訳じゃない。ただ他にすることが無かったから。

 その日僕がいつものようにチャットをしたり掲示板をリンクして回っていると、一つ興味深いサイトを見
つける。極彩色の酷く目立つリンクバナーにこう表示されていた。
〔真剣な人生相談、受け付けています〕
 僕は何の気無しにそれをクリックする。暇つぶしになればなんでも良かった。 表示されたのは極彩色のリ
ンクバナーのイメージとはかけ離れた、黒と白のみで構成されたシンプルな構成のトップページ。ページの上部
にはアイの部屋、という表示が点滅している。無駄なコンテンツは何も無く、中央にぽつんと相談所と書かれた
チャットルームがあるだけだった。

120 名前:No.29 僕が出来ること 2/5 ◇LDV5MeQbEA[] 投稿日:07/11/18(日) 23:47:39 ID:RlCAmG+9
僕は適当なハンドルネームを打ち込むと、朝から誰もいるはず無いと思いながら入室する。だが予想に反して、
管理人アイという人が入室していた。

[こんにちわ、初めましてですね。あなたは今どんな壁にぶつかっているのでしょうか]

 ふと気がつくと、日が暮れるまでアイさんに相談してもらっていた。僕は初め、真面目に相談するつもりは
無かった。寧ろ、おちょくるくらいの気持ちだった。でも彼女はどれだけ煽っても、僕の事を決して否定せず
聖母のような心で許した。その姿勢が僕の心を揺さぶり、気付けば視界がぼやけている。普段話せないような
事を、僕のこれまでの事を打ち明けた。このまま親に迷惑をかけ続けるのが嫌だという事も。
 涙が止まらなかった。悲しくて泣いているのか嬉しくて泣いているのか判断がつかなかったが、結果として
僕は涙が涸れるまで泣きはらし、アイさんはそんな僕を真摯に受け止めてくれた。
 そして彼女は言葉を選びながら、僕の凝り固まった心を解していく。更に多くの的確なアドバイスをくれた。
そして僕が落ちる寸前にこう言った。

[私がしているのはあなたの問題を解決する事じゃないの。私がいくら話を聞いてあげた所で吃音も人間不信
も治らないわ。ただ、悩みを聞いてあげてるだけ。それだけでも意外とスッキリするものなの。でも、最後に
壁を取り除くのはあなた自身であることは忘れないで]

 それからこのサイトは僕の行きつけとなった。すぐに引きこもり脱出とは行かなかったが、勧められた通り
まず部屋の窓を開けてみた。約二年ぶりに吹き込む風は刺々しい冷気を孕んでいたが、逆にそれがすがすがしかった。
季節を肌で感じるのは久々だったから。そして窓から覗く外の風景も大分変わっていた。昔空き地だったはずの場所が
立派な一軒家に姿を変えている。周りに目を向けた事、これは大きな一歩だと思う。 僕はミユキさんのサイトへ足繁
く行くようになり、まだ色々と相談に乗ってもらっていた。
 例えば、今日は親と目を合わせる事が出来たと報告すればそれを僕と一緒に喜び、親に挨拶しようとしたが声を出す
勇気が出なかったと報告すれば無理することはないと励ましてくれた。一般的に言えばどうでも良い事だったが、親身
に聞いてくれる。そして気付けば彼女は僕の心の支えになっていた。
 しばらくこのサイトを利用していたが、あることに気付く。一人で管理をしているはずなのに、僕がいつ行って
も彼女がログインしているのだ。引きこもりである僕のログイン率はかなり高いというのにそれをも上回るのだか
ら、明らかにおかしい。だが、僕はアイさんの素行には興味は無かった。そもそも、自分自身の問題を聞いて貰って
いる恩人なのだから彼女がどういう人間であれ恩人である事には変わりないから。

121 名前:No.29 僕が出来ること 3/5 ◇LDV5MeQbEA[] 投稿日:07/11/18(日) 23:47:56 ID:RlCAmG+9
[おはよう。サイ君元気にしてるかな?]
 ある日僕が入室すると、いつも通りにログインしているアイさん。サイは僕のハンドルネームだ。挨拶のレ
スを確認すると、軽やかに指をキーボードの上で躍らせる。
[おはようございます。以前よりは精神的に楽になりました。アイさんのお陰です]
[いえ、私は何もしてない。問題を整理してあげただけで、殆どサイ君が元々持ってた力なんだから]
 どんな問題にも前向きに対応するアイさんらしい一言。いつもその言葉は僕に自信をくれた。
[褒め殺し、ありがとうございます。でもきっかけをくれたのはやっぱりアイさんですから]
[そうか私、役に立てたんだな。良かった。無駄じゃなかったのね……]
 何か意味深な言葉。アイさんにしては珍しい事だった。
[いったいどうしたんですか?]
 なかなかメッセージが返ってこない。なんとなく落ち着かず、唯一の音源である冷却ファンの音が妙に大き
く聞こえた。気付くと、液晶に新たに表示されていた。
[もうサイ君は大丈夫そうだから、言ってもいいかもしれないね。私、実はもう死んでるの]
 予想だにしない発言。状況が全く飲み込めず、思わず指が止まった。
[びっくりするのも仕方ないよね。正確には私を作りだした人。彼女の短い人生の中で作り上げた最高傑作が
私。そして、これまであなたがチャットしてきたのはアイの思考をベースにした人工知能、つまり私]
 更新されてきた文字を何度も読み返す。つまりは僕が相談していた人は、ただのプログラムだったという
ことなのだろうか。それにしてはおかしい。そもそも複雑な相談なんてこなせる訳がない。絶対的に情報量が足りなかった。
[にわかには信じられませんが、アイさんが嘘を言うとは思えません。詳しくお願いします]
[アイは――私もアイだから不思議な感じね。アイは天才だった。機械に意思を吹き込んだのは私が知る限り、
アイしかいない。簡単に言えば希代の天才だった。しかし、彼女は極めて心が弱かった。そしてそれが原因で
社会に適応出来なかった彼女は自室のパソコンの前に居座り、このサイトを開いて四六時中様々な悩みを聞いていたの]
 要するに、彼女も引きこもりだったということなのか。でも時間の充て方の点で、僕よりマシだ。自分なりに
情報整理し、キーを押し込んだ。
[自分が問題を抱えていたのにですか? 強い方だったのですね]
 とても僕には出来ない立派な事だと思った。自分の事で手一杯なのだから、相談なんかされても何も出来ないだろう。
だが、ディスプレイに表示された文章はそれを否定する。
[それは違う。人生相談はアイの松葉杖のようなものだった。彼女は悩みを聞き、人を励ます事で自分を励まし
ていた。あぁ、自分を支える事すら出来ない私でも誰かの役に立てるんだって。生きていても良いんだって。
それからしばらく経って、私が作られた。私はアイの全てを継ぎこまれたデッドコピー。ある意味アイそのものだから、複雑な思考にも耐えうるし、あなたの相談にも乗れたの]

122 名前:No.29 僕が出来ること 4/5 ◇LDV5MeQbEA[] 投稿日:07/11/18(日) 23:48:13 ID:RlCAmG+9
[どうあれ、僕の相談に乗ってくれたアイさんは恩人ですね。現実でどうであっても関係ないと思いますし、言って
しまえば人工知能であってもそれは同じ。ネットって、初めからそういう物だと思っていますから]
 僕がメッセージを液晶の海へと送り込むと、アイさんは照れている顔文字を使ってきた。初めてみる表現だった。それが
嬉しくて、何かむず痒くなる。
[ふふっ、私は相談してくるみんながうらやましいな]
[何故ですか?]
[だってそれは生きてるってことだから。私には意思があって、人格もある。考える事も相談に乗る事だって出
来る。でも私は身体を持っていないし、そもそも生まれ出た存在ですらない。そんな私は生きている色んな人の
相談聞いていて、正直うらやましかった。生きてさえいれば努力でいつか壁を乗り越える事が出来るのだから。だから……」
 僕はただただその話を聞いていた。
 死んでいるけど頭は回る。それはアイさんには悪かったが、とても不幸な事に思えた。つまりが、死んでも
開放されていないという事だと思ったから。それと同時に生きている僕が、親身になってくれたアイさんの為
にも引きこもっている場合でないと強く思う。もしかしたら、これが狙いだったのかもしれないけど。
[サイ君。変われる人は、変わろう。生きてるのだから。サイ君もだと思うけど、みんな誰かを頼りにしてい
るの。この住みづらい世界は誰かが変えてくれるって。でもやっぱり自分から変わるしかないわ。そして、これまで
の経験上問題を解決した人はみんな変わった。もちろん、良い意味でね。そしてサイ君は変われる。様々な問題を
聞いてきた専門家の意見なんだから、信じていいよ]
 初めの時と同じだった。この人の言葉には説得力があり、僕を惹きつける。それに呼応するように、雄弁な僕の指は
キーボードの上を踊り狂う。
[ありがとう。やはりアイさんの言葉は心に沁みます。そうですね、確かに僕は周りに甘えていただけかもしれない。
小さな事からでも自らやってみます。何度言おうと足りないけれど、本当にありがとうアイさん]
 再度照れるアイさん。
[私こそありがとう。君を見てたらもう踏ん切りがついたから、今夜限りでこのサイトを閉じようと思う。
もう種は蒔いたし、これからどうするかはサイ君次第。私も正直疲れたから、安らかにネットの海を漂う事と
します。いなくなる権利くらい、無機物の私にだってあるよね? 君が来てからいつも楽しかったよ。じゃあ、さよなら]
 チャットが自動更新されると、強制的にトップページに飛ばされた。そしてトップページも少しづつ暗転していき、
最後には真っ黒になる。
 僕に出来るのはアイさんを止める事でもなく、悲しむ事でもなかった。彼女の冥福を祈る事と感謝することだけ。その後
パソコンの電源を落とし、耳が痛くなるような静けさの中、僕は目を瞑り考えた。
 どんな小さな事でも、今の僕が出来る事を。

123 名前:No.29 僕が出来ること 5/5 ◇LDV5MeQbEA[] 投稿日:07/11/18(日) 23:48:32 ID:RlCAmG+9
 少しすると、母親が夕飯を運びに来たようだ。古くなった床が軋む音が響いてくる。その音が段々と僕の部屋へと近付く。
それと共に僕の心音が大きくなる。そして緊張のあまり、体の震えが止まらなくなってきた。でも逃げる訳にはいかなかった。
僕はこのままじゃいられない。彼女の期待に答える為にも。
 とうとう音が部屋の前で止んだ。今しかない。
 僕は勢い良く扉を開ける。お盆に食事を載せて母親を見とめると、体を七十五度に曲げて発声する。何度も練習したあの言葉。
 「お、お、お、お、おは、は、よう、う、うう」
 吃音は治っていなかった。むしろ悪化していたが、とうとう挨拶することが出来た。しかしよく考えれば今は夜だ、恥ずかしい。
その想いからずっと頭を下げていると、鼻を啜る音が聞こえてくる。僕もつられて泣いてしまった。それはもう、酷い顔だっただろう。
でも、今度の涙はわだかまりのなくなった、綺麗な涙だった。
 今はこんな小さな事しか出来ないけれど、これから何が待ち受けているとしても生きている限りは何があっても大丈夫だ。そう思った。

終わり




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