【 N Ice Bed 】
◆tOPTGOuTpU




75 名前:No.18 N Ice Bed 1/5 ◇tOPTGOuTpU[] 投稿日:07/11/18(日) 17:55:07 ID:RlCAmG+9
市村雄一は、奇妙な感覚によって、目を覚ました。
少し身体をモゾモゾと動かして、市村は自分の寝ているシーツが濡れているという事実に気づいた。

「……え?」

不快な予感が過ぎった。市村は三十路を越えていて、夜尿の経験など幼稚園以来、一度だって無い。
だというのに、これは……と、今度は慎重に身体をずらして、シーツ全体が冷たく濡れていることを知った。
おそらく汗によるものではないか、と市村は推察するとホっとした。
まさかこの年になって"おねしょ"とは、決して市村は信じたくなかっただけに、喜びすら浮き出ていた。
だが、そうなると別の問題に直面する。市村は今度は不安になると、こう考えた。

(俺は何故、こんなにも汗を掻いていたんだ……?)

市村はソォっと半身を起こした。よく見ると、掛け布団の裏側も濡れていた。
それは、水浸しというレベルだった。
一体どうしてしまったのだ。市村は心底恐怖を覚えた。

ふと、自分の身体に目をやる前に、周りの状況が気になってしまった。そこは市村の部屋ではなかった。
四方がコンクリート打ちされた無機質な部屋だ。その中央に、市村の眠っていたベッドがポツンと置いてある。
そしてこのサイコロのような空間にて、内部から見たそれぞれの面――天井を除いた、計五つに、
青いボタンが点在していることも分かった。
ベッドのすぐ近くと、それに四方の壁に……何とも意味の分からない空間だった。
だが、それ以上に不可解なことがある。

「……俺は……」

どうしてこんな所に来てしまったのか、という疑問だった。

76 名前:No.18 N Ice Bed 2/5 ◇tOPTGOuTpU[] 投稿日:07/11/18(日) 17:55:25 ID:RlCAmG+9
市村は必死に頭を稼動させた。ところが、今日が何日かも分からない。昨日、何をしていたかすらも……。
仕方がないので、おおよそ最近の記憶を順々に追っていって、明らかにさせることにした。

(確か……仕事帰りに、珍しく真似木先輩が俺を飲みに誘ったんだ……
いつも暗い、何を考えてるのか分からん人だったもんで……緊張しながら
向かったんだが、すげえ羽振りがいいもんで、すっかり驚いたんだよな……
そんで、もう一軒行こうって言われて、繁華街を歩いてて……)

それから、それから、と市村は頭を悩ませた。そこからの記憶は大変、曖昧なものだった。

(「いいベッドがあるぞ、そのベッドで寝ると、幸せになるんだ」って真似木先輩はニヤニヤして、そう言ってて……)

真似木の車に乗せられて、そのまま意識を失ったのだ。それは果たして酒によるものか。定かではない。
ただ、ベッドに寝かされた記憶は、感覚的に覚えている。このベッドだったのかは、確証は得なかったが
本能がそう告げていた。市村は、この異常な状況への疑惑を深めた。
とにかく、ここは自分の知る場所ではない。来たくて来たわけでもない。
そう考え付いた市村は、一つ、確かめてみることにした。

これは夢かもしれない。
夢を確認する方法として、自分の手を眺めるというものが有効とされているのを思い出す。
試しに、目の前へ右手をやる。
しかし一瞬、それは自分の手ということに、市村は気付かなかった。
その手は、透明だった。といっても、全く見えないということは無く
丁度、ガラスや氷のようだ。
ヌラりと、天井の蛍光灯の光を受けて輝いた。それは水によるものだった。

77 名前:No.18 N Ice Bed 3/5 ◇tOPTGOuTpU[] 投稿日:07/11/18(日) 17:55:49 ID:RlCAmG+9
やがて水が、手を伝い腕に這い、そして水滴となってシーツに落ちた。
それを見た市村は愕然とする。

(自分の手が、腕が……氷になっている!?)

ベッドから飛び起きて地面に降り立つと、市村は自分の身体を具に観察した。
服を着ていなかった。しかし、それよりも異常なことがある。全身が氷と化していることだった。

(そんなバカな!!)

市村は叫んだ。しかし声が出ていない。そうしている間にも、身体はジワジワと水となっていた。
右足が何かを踏んでいる、と市村は視線を下へ向けた。
踏んでいるものは、青いボタンだった。
この時点では既に、踏んでいるというよりも、押しているという表現の方が正しいのかもしれない。

  ……ヴォォ―――ォオ……オォ……――……

突然、部屋中に不気味な低音が響き渡った。その音は機械によるものだ。
部屋の隅という隅に、長方形の空洞が現れて、そこから風が吹き込んでくる。
熱風だった。

(な、なんだって……)

間もなくして、身体の溶けていくスピードが上昇する。
まずい、エアコンか! と咄嗟に思いついて、もう一度青ボタンを押したが、停止することはなかった。
そうしている内にも、足元に水溜りが出来ていた。どんどん溶けていく。
小指など、もはや小さな氷柱のようになってしまっている。
部屋の四隅にあるボタンの存在を、市村はハっと思い出した。急いで一番手近な位置にある
ボタンを押そうとした。動く度に足が水に絡め取られる。それでも市村は恐れることなく、ボタンを濡れている手で押した。

78 名前:No.18 N Ice Bed 4/5 ◇tOPTGOuTpU[] 投稿日:07/11/18(日) 17:56:05 ID:RlCAmG+9
ウィィィィィン……と、機械の稼動する音がまたも聞こえてきた……かと思うと、エアコンから
吹く風の強さが更に増していった。ああ! 市村は絶望的な衝動に駆られた。
(次は別のスイッチだ……! スイッチだ……!) 市村はダラダラと"身体だったもの"を流しながら
別の壁の方へと向かった。壁に辿り着く頃には、もはや足の指は全て消えてしまっていた。
嫌に平べったい足の甲があるだけだ。泣きたい気持ちになりつつも、市村はボタンを押す。
そうして聞こえてくる音、それを聞いて、市村はついに膝をついた。

(まただ、また……強風になっちまった!)

市村は絶叫した。しかし、喉から出るものはない。ただ、開いた口から冷たい水の筋が滴るだけだった。
ふと視界に、まだ残されたスイッチの一つが入る。どうせ、どうせあれも……強風になるスイッチなのだろう。
市村は押すことに躊躇った。しかし、「どうせ死ぬなら、足掻くだけ足掻いてやろう」と心を入れ替えると
ノロノロと足を動かした。もう、その行動をするだけで、市村は自分が死に近づいていくことを悟った。
ようやく壁に手を触れることが出来た。もう身体は半分近く、溶けてしまっている。
手は既にもう、無い。腕をボタンに押し付けて、作動させる。
今度のボタンは、今までのものとは違っていた。
部屋が突然、震えたかと思うと、唯一押していなかったスイッチのあった壁が開いて、通路が露になる。

(やった、やったぞ……!)

市村は感涙極まった。自分の努力がとうとう、実になったのだと。
その通路に向かって市村は進んだ、進んだ。こころなしか、先程より足取りは軽い。
嬉しいからだろう、と市村は思ったが、考えてみれば、身体の半分近くは溶けてしまっている。
足取りが軽くなるのは当然だった。通路が開いた瞬間、足元の水が空気が入れ替わったせいか
雲散したようで、ようやく市村は、自分の身体が軽くなっていることを実感したのだった。

(助かれば何でもいい!)

市村はどうしてか、通路の向こうは極楽のようなものと認識してしまっていた。

79 名前:No.18 N Ice Bed 5/5 ◇tOPTGOuTpU[] 投稿日:07/11/18(日) 17:56:26 ID:RlCAmG+9
通路もまた、コンクリート造りだった。しかし、市村にとってはどうでもいいことだ。
まるで走っているような感覚で、奥に奥にと突き進んでいく。
通路の突き当たりは、扉だった。問答無用でそれを開く。錠は存在していない。簡単に開いた。
扉の向こうが、市村の視界一杯に広がっていった―――

(な、なんだ……。……これは!?)

そこもまた、コンクリートの地面だった。今までとの一番の違いは、天に太陽がサンサンと照りついていることだ。
砂漠の砂を、全てコンクリートに置き換えたような世界だった。市村は理解することが出来ない。
ガシャン! 市村の後ろで硬質な音が鳴った。それは、扉が独りでに閉まった音だった。

(ばかな、ばかなばかな……)

もう絶叫する気力も、走る余力も無かった。
千鳥足のようになりつつ、あてもなく彷徨い歩くだけだ。
もはや思考する能力は溶けてしまった。市村は半ばミイラのような存在となってしまったのだ。
そうして、何分も経つこともなく、市村の身体は、完璧に全てが水に置き換えられた。

市村という男は消えた。すると、まるで扉は満足したかのように独りでに開いた。
残されたのは、水で作られた、扉へ続く道だった。


水が蒸発する間もなく、地平線の彼方から、一人の男が木の棒をついて、扉の方へとやってきた。
その男は膠という名だった。
膠は、市村の身体の名残である水の道が目に入った瞬間、嬉しさのあまり、乾いた喉で耐え切れず叫んだ。

「やった! 水があそこにあるぞ! 辿っていけば、水源に行けるかもしれない!」(終)


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