【 ある一週間 】
◆7BJkZFw08A




50 名前:No.12 ある一週間 1/5 ◇7BJkZFw08A[] 投稿日:07/11/18(日) 09:46:05 ID:jql3EcrE
月曜日の朝、その少年が自分の異変に気づいたのは、目覚めてすぐのことだった。
本来五本あるはずの彼の左手の指が、四本しかなかったのだ。
中指と小指の間、薬指があるべき場所にはぽっかりと空間が空いている。
「……あれ? どうなってんだこれ?」
それを認識した時、彼は一瞬その場に固まり、その後ひどく驚いて大声をあげた。
「うわぁっ! どうなってんだ? どうなってんだこれ!?」
薬指の根元の部分は、まるで最初からそんなものは無かったかのように皮膚が覆っているが、
その中指と小指の間の不自然な空間は彼をひどく怯えさせた。

「母さん! 母さん見てくれよこれ! 俺の指、指が!」
彼は慌てて階下に降り、母親に自分の左手を突き出した。
「……なあに? あんたの手がどうかしたの?」
「指だよ! 薬指!」
「指……? 別に、どこもおかしくないわよ?」
変な子ね、と言いたげな眼差しとともに、母はそう言った。
「な……!? え……?」
少年は返すべき言葉を見つけることができなかった。
母の口調は、からかっているとか何か重大な事を隠しているとか、そういった類のものでないことは少年にはわかった。
だが母の前には薬指を欠いた彼の左手が、確かにあるのだ……
「そんなことより、学校、遅刻しちゃうわよ?」
母の言葉にふと彼が時計を見ると、いつもの出発時刻ギリギリである。どうやら寝坊したらしい。
「あ、ああ……」
その時の彼の頭は混乱していて何も考えることができなかったが、習慣的に準備を済ませ、家を飛び出した。

(誰でも良い、とにかく誰かにこのことを訊ねたい)
少年はそれだけを考え、教室にたどり着くとすぐに窓際に立って喋っていた友人達に自分の左手を見せてみた。
「なあ、お前ら、これ、どう思う?」

51 名前:No.12 ある一週間 2/5 ◇7BJkZFw08A[] 投稿日:07/11/18(日) 09:46:24 ID:jql3EcrE
「なんだ? 手相か?」
「バカ、指だよ、薬指」
「薬指……? いや、別に」
「別にって……なんだよ! おかしいだろ? お前らの手と違うだろ!?」
「何怒ってんだよ。朝飯ちゃんと食ったか?」
「朝飯は……食ってないけど。そんなことはいいんだよ!」
少年は手近な友人の手首を掴み、自分の左手と並べて見せた。
「な? 足りないだろ? 指が一本足りないだろ? 俺とお前らの」
「……ああ、そうだな。で、それが?」
少年は朝に続き、再び絶句した。
「ーっ! それがじゃねぇよ! おかしいんだよ! 人間の指ってのはなぁ、左右五本ずつって決まってんだろ!」
「あー、そうかもな。そんなことよりほれ、先生が来たぞ。お前も早く自分の席に着いとこうぜ」
友人の態度は母と同様極めてそっけないものだった。
言いたいことは山のようにあったが、ひとまずはそれらを押しとどめ、少年は仕方なく自分も席に着くことにした。

「先生、ちょっといいですか? 相談したいことがあるんですが……」
HRの終了後、彼は教師に声をかけてみることにした。
「何だい? 先生で良ければ何でも聞いてあげるよ」
「あの……俺の指のことなんですけど……」
「怪我でもしたのかい?」
「いえ……そういうんじゃなくって……」
少年はおそるおそる自分の左手を見せた。
「手が……どうかしたのかい?」
こうなるのではないかという予想はあったが、やはり教師も彼の左手について何の驚きも見せなかった。
「いえ……何でもないです、いいんです……」
「何か、困ったことがあるなら言ってみてくれないか? 言ってみれば楽になるかもしれないよ?」
「いえ、いいです、すみませんでした」
少年はなんだかその場を離れたい思いでいっぱいになったので、心配そうな顔の教師をそのままにして去ってしまった。

52 名前:No.12 ある一週間 3/5 ◇7BJkZFw08A[] 投稿日:07/11/18(日) 09:46:46 ID:jql3EcrE
そして少年は家路についた。
休み時間にさらに何人かに自分の左手を見せてみたが、一様に「それがどうしたの?」という顔をされ、
結局は少年が奇異な目で見られることとなった。
家に帰ってから少年は父親にも自分の左手の話をしたが、母親と同様、不思議な顔をされるだけだった。
この頃になると少年はもはや自分の左手について他人が驚きを見せることを半ば諦めていたが、
それと同時に、自分の左手が元からこのようで、おかしなことは何もないのではないかと薄々感じ始めていることに気づいて恐ろしくなった。
(ひょっとしたら、明日になればふと元に戻っているかもしれない。今日のこれは、何かの間違い、間違いなんだ)
明日になれば元通りになるという希望を抱くため、今の状態は「元通り」でない状態だと自分にわからせるため、少年は必死で自分にそう言い聞かせ、床についた。


次の日、少年の右手は親指と中指だけになっていた。
他の指は左手の薬指同様、まるで元から存在しなかったかのようになっている。
少年はそれに気づいた時の自分の驚きの無さに驚いた、明らかに、元から自分の手はこうだったのではないか、
という思いが少年の心を支配しようとしていた。
薬指のことも、思い出そうとしなければ気にも留めないことになりつつあることに少年は疑問を抱かなかったのである。
不思議なことに、右手も左手も指を欠いているにも関わらず、日常生活に全く問題はなかった。
まるで元からそうであったかのように、何一つ不自由はなかったのだ。
それどころか少年は、自分の指が五本であった時、自分がどのように生活していたか、それを上手く思いだすことができなくなっていた。
両親も周りの人間も、彼の手について何も言ってこない。
気づいていて何も言わないのではなく、いちいち空が青いのを疑問に思わないのと同様に、特に言うべきことは無い、といった風なのである。
その日少年は昨日のように自分に何かを言い聞かせながら床につくことはしなかった。
そうすることの必要性を感じなかった、というより、そんなことは考えてもみなかったのだ……

53 名前:No.12 ある一週間 4/5 ◇7BJkZFw08A[] 投稿日:07/11/18(日) 09:47:31 ID:jql3EcrE
水曜日、この日の朝、新たに少年の身体の一部が損なわれることは無かった。
その代り、少年は自分の声が、というより、音がおかしくなっていることに気づいた。
後で確かめたことだが、ナ行の音とカ行の音が発音できなくなっているらしい。
そのため、
「おはよう。ああさん、ょうもいいてんいだえ」
こんな具合にとても奇妙なしゃべり方になってしまうのだが、やはりそれを他の人が気に留めることはなかった。
「ええ、ああさん、俺おあしうあってあいああ?」
少年は何か心に引っかかるものがあったので、一応そう聞いてみた。
「ええ、別にどこもおかしくないわよ?」
やはり母はそう答えた。そして、そのとたんに少年の心の引っかかりはどこかへ行ってしまった。
「前も同じようなこと言ってたわね。何かあったの?」
「いや、あんでもあいよ、いってみただえ」
「そう」
少年の言葉は非常に聞き取りにくい、というか、何を言ってるのかわからないようなこともしばしばあったが、
不思議に周囲の人間は彼の言葉を問題なく理解できているようであった。
そうしてまた、一日が過ぎていった……

54 名前:No.12 ある一週間 5/5 ◇7BJkZFw08A[] 投稿日:07/11/18(日) 09:47:56 ID:jql3EcrE
次の朝、少年が鏡を見た時はそれについて何も感じなかったが、その頭は元から毛が生えていなかったかのような坊主頭になっており、
両耳も削ぎ落とされたように耳の穴だけが残っていた。
少年の言葉から抜け落ちた音は昨日より増しており、一層不明瞭なものになっていたが、彼はもはやそれを気にすることはなく、
周囲の人間も以前と同様に彼とコミュニケーションをとっていた。
ふと、少年は色々なことが思い出せなくなっている自分に気づいた。
一年ほど前のことを思い出そうとしてみたが、彼は自分が何をしていたか、どういう人と付き合っていたか、それらを思いだすことはできなかった。
少年はそのことについて疑問を抱きはしたが、それも一瞬のことだった。


土曜日になると、少年の身体は首から上と上半身の左半分しか残っていなかった。
土曜日は学校が休みなので外出する必要はなかったが、少年は学校のことも、自分が立ち上がって生活していたことも忘れてしまった。
相変わらず誰も少年の『変化』には気付かない。
ベッドに横たわっている少年に対しても、まるで以前からそうであったかのように接し、少年も自分の状態について何の関心も抱かなかった。
少年はもはや昨日の自分がどんなであったかすら思い出すことができない。
その日は一日ベッドに横になっていた。
気が付くともう外は暗く、少年はもうそろそろ寝てもいい時間だと思った。
ふと横を見ると母親の姿がある。
少年は、おやすみなさい、母さん、と言った。
もちろん多くの音が抜け落ちているため、実際には何と言っているか聞き取れなくても無理のないような言葉である。
しかし母は、「おやすみなさい」と返事をした。
少年は安心して眠りについた。


次の日の朝、少年の横たわっていたベッドに彼の姿は無く、ほのかな体温だけが残っていたが、それを気に留める者はやはり誰もいなかった……





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