【 奪われたもの 】
◆PaLVwfLMJI




46 名前:No.11 奪われたもの 1/4 ◇PaLVwfLMJI[] 投稿日:07/11/18(日) 07:29:10 ID:N0BzuP/a
 拝啓BNSKの諸君。
 あなたの心を煩わせているもの。
 それを奪わせてもらう。
            怪盗 ID:WwviEb8S0

     ◇

 ベランダに出た僕は肌寒さに身を竦ませた。ジャージの襟を立て、最上まできっちりとファスナー
を閉める。顎が隠れ、首元から侵入しようと目論でいた冷気を阻むことが出来た。
 無骨なコンクリートの手すりに指をかけ空を仰ぐ。霞がかった鈍色の雲が日光を遮っていた。日本
海から吹き付ける風に乗ってきたのだろう。■が羽虫のように宙を舞っている。俯瞰的な視野で捉え
ると渦を巻いているように見えるが、その実一つ一つの点の動きには統一性がなく混沌としていた。
その様子はスクランブル交差点の人込みに似ている。
「くそっ! またかよ」
 洗濯機のドラムにタオルや服が溜まっていたことを思い出し、僕は吐き捨てた。もう何週間も太陽
を拝んでいないような錯覚に陥った。だが、そんなわけはないのだ。脱ぎ散らかしたカットソーを含
めても洗濯物は四キロに満たない。前回洗濯したのは三日前だっただろうか。
 この悪天候ではとてもではないがベランダに衣類を干すことなど不可能だ。部屋干しとコインラン
ドリーを天秤にかけ吟味する。部屋干しは、生乾きの匂いがワンルームに立ち込めるので出来ること
ならば避けたい。コインランドリーはといえば、汚れた衣類の詰まった紙袋を片手に、自転車で五分
の道のりを往復。面倒なことこの上ない。どちらも魅力の欠片さえなかった。
 結局、僕は明日になれば天気も良くなるだろうと問題を先送りにした。幸い今日明日着る分はクロ
ーゼットにある。服にそれ程お金をつぎ込んでいるわけではないが、一週間程度であれば洗濯せずと
も困りはしない。最も「一人洗濯我慢大会」をつもりは毛頭ないのだが。
 週の初日から悪天候で気が滅入った。憂鬱な日常において月曜日は殊更気が鬱ぐ。その上に曇天と
くれば、このまま飛び降り自殺でも企てたくなる。
 項垂れるように眼下の駐車場に視線を落とす。マンションに横付けするように停まった黒いセダン
のル−フには、■が降り積もりっていた。薄っすらと白くなっている。思いの外足が早いようだ。
 そのまま道路向こうに目を向けると、小ぢんまりとした児童公園がある。淡い紫の花をつけ始めて
いる藤棚の下で、木製のベンチに腰掛ける人影が見えた。長髪と暖色の服装からすると女性らしい。

47 名前:No.11 奪われたもの 2/4 ◇PaLVwfLMJI[] 投稿日:07/11/18(日) 07:29:50 ID:N0BzuP/a
彼女は幼稚園くらいの子供を眺めていた。こんな天気だというのに、彼女の息子と思しき男児は元気
に■遊びに興じていた。地面にしゃがみ込み、両手で■をかき集めては丸めている。団子でも作って
いるのだろうか。お気楽なもんだよな子供は。そう悪態をついてみたが、一向に気分が晴れる気配も
ない。
 遠く胡乱に見える山稜に青白い光が走った。条件反射でカウントを開始。一、二、三……六でまで
数え上げたところで雷鳴が低く轟いた。約二キロ先か。まだまだ雷は遠い。
 のっぺりとした鈍色の空。時折思い出したように青く明滅を繰り返すが、決して灰色のキャンバス
を染め上げることはない。
 それはまさに僕の心象風景だった。
 そもそも、こんな筈ではなかったのだ。
 この部屋に引っ越して来てまだ一月と経っていないが、既に新生活に嫌気がさしていた。うら若き
乙女たちと飲み明かし、趣味と実益を兼ねたサークルに打ち込み、バイトに奔走する。そんな朗らか
にして活動的な日々を夢想していたというのに、待ち受けていたのは失望だった。地方都市の郊外と
いう街の環境。曇天の続きで陰鬱な雰囲気を帯びた日々。友人を一人として作れず孤立した寂寥感漂
う大学生活。全てに辟易していた。バラ色の想像図は、現実に打ち砕かれ霧散していった。
 こんなことであれば一人暮らしなど……。両親は学費を出すと言ってくれたではなかったか。何も
後期まで粘って国立大を受験しなくとも、既に私立に受かっていたのだ。実家からバスで三十分とい
う好環境にある私大に入学すれば、こんな惨めな思いをしなかっただろうに。地元である京都から特
急に乗ること三時間。その距離は絶望的に開きすぎていて、高校時代の友人は知人になり、両親の慈
愛に溺れることさえ許されなくなってしまった。ただ残ったのは言いようのない孤独感のみ。
 勉学に勤しんだところで何を掴めるというのだ。この生活に得るべき物があるというだろうか。幼
き日の思い出と共に、実家へ置き忘れてきた夢はすっかり色褪せている。「ぼく、せんせーになるん
だ」と何の衒いもなく、無邪気に語っていたのは遥か昔のことだ。未来に思いを馳せても、依るべき
物を失った僕の脳裏に浮かぶのは、生きる屍と化し惰性で暮らし続ける姿だけだった。
 もう帰りたい……。胸に後悔の念が湧きあがり、淀んだ溜息を吐く。
 だが、早々に大学を辞めるわけにはいかない。ここで尻尾を巻いて逃げ帰れば、高卒という学歴を
背負い肉体労働に従事することとなる。あるいは、ニートにしてひきこもりになるか。どちらにしろ
より状況が悪化するだけだ。耐えるしかない。
 暗澹たる気分を払拭するべく、僕は部屋に戻りインスタントコーヒーを淹れた。ミルクと砂糖を加

48 名前:No.11 奪われたもの 3/4 ◇PaLVwfLMJI[] 投稿日:07/11/18(日) 07:30:32 ID:N0BzuP/a
え甘く仕上げる。カップに手にゆるりとした動作で口に含むと、その芳醇な香りが鼻腔に広がり、苦
味や酸味を柔らかく包み込む甘さが舌を撫ぜた。寒い冬の日凍えて帰宅した、幼い僕に母が作ってく
れたココアのように優しい味がした。
 コーヒーを飲み干す頃には、深淵に沈んでいた精神は浮上を始めなんとか平静を取り戻していた。
 天候は相変わらず優れず、状況は何一つ変化していない。それは無味乾燥な生活が待ち受けている
ということだ。耐えるしかないのならば甘受しよう。牛歩であろうと日々邁進、あるいは現状維持。
これ以上に堕落し、酒に爛れるようなことにでもなければ御の字だ。
 時間を確認しようと携帯電話を手に取り、母からメールが届いていたことに気がついた。
「おはよう。元気にしてるか?
 そろそろ大学生活にも慣れてきた頃やろうけど、体調管理はしっかり。
 ところで、今度の連休は帰って来る予定?
 休みが取れたさかい、そちらに向かおうかと考えてるんやけど。帰ってくるなら早めに連絡くださ
い。そうでないと、予定も組めないので」
 帰省か……。友人がいればそんな会話を交わす時期のかもしれないが、生憎と僕には大学で話せる
相手がいない。連休中の予定など考えてもみなかった。
 携帯電話のボタンを親指で叩き、軽音部に所属し友人も増え楽しくやっているというようなことを
認めた。もちろん嘘だ。「帰省する予定やけど、まだしっかり決めてないから決まったらまた連絡す
る」そんな言葉でメールを締める。
 メールを打っている間に、そろそろ用意をしなくては講義に間に合わない時間となっていた。月曜
三限、つまりは午後一発目の講義で一週間が始まる。科目は英語。トートバッグに教科書、筆記用具
ルーズリーフ、クリアファイルを入れ着替える。
 歯を磨き髪の毛をセットし終え、携帯を開くと遅刻ギリギリの時刻だった。
 慌てて戸閉まりをチェックして、ジャケットを羽織り飛び出した。

     ◇

 あなたは首を捻っていることだろう。パソコンのモニターを眺め、あるいは携帯電を握り、はたま
たPSPやPDAを手に。
 これは何なのだ? と。

49 名前:No.11 奪われたもの 4/4 ◇PaLVwfLMJI[] 投稿日:07/11/18(日) 07:31:06 ID:N0BzuP/a
 聡い読者諸君はこちらの意図するところを敏感に察知し、下らないと一笑に付しているかもしれな
い。
 そんな御仁のためにも、探偵小説的な煩わしいプロセスでもってして奪取劇の幕を下ろすという、
趣に欠ける行動に出るつもりはない。
 上記の小説に欠落した「最後の一行」を提示することでフィナーレとしようではないか。
 願わくは、あなたの頭の中から「心を煩わせているもの」が失せんことを。
 では、とくとご覧あれ。

     ◇

 こうして、また僕の■を噛むような一日が始まる。

<了>


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