【 看板のない喫茶店 】
◆.6Hqkk7dyk




43 名前:No.10 看板のない喫茶店 1/3 ◇.6Hqkk7dyk[] 投稿日:07/11/18(日) 03:48:27 ID:N0BzuP/a
―― カランコロン

「いらっしゃい」
 マスターが新聞を閉じて戸に目をやると大雨の音が聞こえ、濡れた男がカウンターに歩いてきた。
「おやおや、雨ですか。」
 膝まで覆う深緑のモッズコートを着て、ニット帽、無精ひげ、年は二十台後半であろう男は雨宿りにでも来たというとこだろう。
マスターの問いかけにも男は首を縦に軽く振るだけで、イスを引いて座った。

「コーヒーを一つ。ブラックで。」
 初めて男が発した言葉にマスターはニコリと笑いメーカーからコーヒーをコップに注いだ。
客は男一人だけ、そんな空気に耐えれなくなったのか、男は部屋の角にある大きなCDプレーヤーにコインを入れた。
今時、百円玉を入れて店内に曲を流すの喫茶店も珍しいが、店内にBGMがない喫茶店はもっと珍しい。

「これしかないのかな?」
 男がデジタルに表示された曲名を見てマスターに不思議そうに言った。
アーティストは一組だけ。曲も十曲程度しかなかったのだ。

「あぁ、そのバンドが好きでね。若いのに惹かれたのは何年振りでしょうかね」
 男は、ばつが悪そうにその中の一曲を選んで席に戻った。

「その二ツ木ってボーカル作る音と声がすきだったんですけどねぇ…なぜかCDも出さなくなってしまったようで」
 マスターはコーヒーを男のもとに運び何も言わない男に背中を向け、キッチンの方に歩いていった。
男はコーヒーをすすり、カップをテーブルに戻しつつ、
大雨が降る外を見ているとマスターがタオルとサンドイッチを持ってきて男のテーブルに置いた。

44 名前:No.10 看板のない喫茶店 2/3 ◇.6Hqkk7dyk[] 投稿日:07/11/18(日) 03:49:05 ID:N0BzuP/a
「応援してますよ。サービスです」
 マスターがそう言うと男は表情を変えずに
「顔はあんまり出してなかったんですけどね…気づきかれましたか。まいったな。ははは」
 愛想笑いをする二ツ木にマスターはニコリと笑いかけるだけだった。

 二ツ木はタオルで頭を拭き、コートを脱いで隣の席に置いた。
マスターは二ツ木の座るカウンターの前に立ち、洗った皿をクロスで拭いていると今度は男が話しかけた。

「店の看板なかったですよね」
 ただでさえこじんまりとした店なのにドアの前には、月曜日定休日と書かれた札がぶらさげられてただけなのだ。

「そろそろ年でね。閉めようかと思いまして、私も昔は音楽をやっていましてね。
まぁうまくいかなかったわけなんですが…それでね、この店を開いたんですがこっちもうまくいかなくてね…
三度ほど店じまいを考えたのですが、たまたまラジオで聞いたあなたの曲で昔を思い出しましてねぇ。
ここまでやってきたんですよ。まさか店を閉めようとした時に本人に会えるとは何と言っていいものか」

 マスターはお皿を拭き終えると男にコーヒーのおかわりを入れた。
二ツ木は軽く会釈をし、申し訳なさそうに話し出した。

「そこまで僕の曲が人に影響を与えているなんて思いもしませんでした。でもやっぱり音楽業界は厳しかったですよ。
売れるために偉い人に頭を下げたり、自分の曲を書き換えられたり…曲が書けなくなるとカンナみたいに切り捨てるんですよ。
唯一自分の曲と思えるのが今…ホラかかってるやつですよ」
 そう言って天井に吊り上げられてるスピーカーを軽く指差した。

45 名前:No.10 看板のない喫茶店 3/3 ◇.6Hqkk7dyk[] 投稿日:07/11/18(日) 03:49:40 ID:N0BzuP/a
マスターはすこし笑みを浮かべながら
「こんな偶然も、この雨も全部神様がくれたプレゼントなんですかね。退職祝いでしょうか。音楽はいいですよ。
ひどい言い方かもしれませんが、あなたがその業界からいなくなったとしても音楽は残る。
その音楽が残る限り、あなたは生きてるんですよ。ここが無くなっても何も残らないですよ。」
 二ツ木は入ってきた時とは別人のような表情でコーヒーを飲み干し、席を立ちコートを着た。

「マスター、僕の音楽がマスターの心に残るように、このコーヒーと時間も僕にとっては忘れないです。
大人になるにつれて自分は特別な人間じゃないって気づくんですよね。でもマスターに特別な曲や人があるように
マスターを特別だと思ってる人もいると思うんですよ。あ、なんか曲にできそうですね」
 二ツ木はすこし恥ずかしそうにしながらポケットから千円札を出しテーブルに置いた。

「詩人だからいいんじゃないですか。応援してますよ。」
 マスターはそう言ってお釣りを渡し、二ツ木を送り出した。
 
その後また二ツ木が音楽をはじめたのかはマスターも知らない。
マスターはなぜか今日もコーヒーを入れ続けている。店に看板もなければ店内の曲も同じ。二ツ木も二度と来ることはなかった。
ただ一つだけ変わった事といえば看板の文字だろう。



  「月曜日定休。ただし雨の日は営業致します」                完


BACK−おなら◆fQaD.U8MiU  |  indexへ  |  NEXT−奪われたもの◆PaLVwfLMJI