【 おなら 】
◆fQaD.U8MiU




38 名前:No.09 おなら1/5 ◇fQaD.U8MiU[] 投稿日:07/11/18(日) 03:26:40 ID:N0BzuP/a
 僕の名前は毛利拓哉。僕には特殊能力がある。おならの空間移動という、
いわゆるワープ能力だ。この能力との馴れ初めは俺が小学二年生の頃に遡る。
“ねえ、ちゃんと風呂入ってる?”という騙しの言葉が流行りだしたのと
時を同じくして、“おならマン”という言葉が誕生した。
これは文字通り、悲しくもおならをしてしまった者につけられるあだ名である。
言葉を使う方はというと、実に生き生きとした表情でおならマンをからかうが、
一方で言われる方はたまったものではない。まだ自我も確立していない幼少期に、
おならを否定するにも拘わらず、負のレッテルを貼り付けられ、笑われることになる。
そして僕は、クラスで唯一、おならマンと呼ばれなかった人物なのだ。
この程度のことを覚えているのは、あのクラスの中でも恐らく僕だけだろうが、
それを覚えていたという事実が、僕に特殊能力を自覚させるきっかけとなった。
 ただ、これを読んで疑問に思った人もいるだろう。“クラスで唯一”というのは
不自然はないか、と。その不自然さを起こさせたのは、誰でもない僕だ。
当時の僕は好奇心旺盛だった。伸るか反るか、果たして誰がいつおならをするのか。
そして今までおならマンと呼ばれていた者の顔がほころび、晴れて新しいおならマン
となった人物を、彼はどれだけの喜びで迎えるのか。それが楽しみで仕方がなかった。
また、僕自身もその殺伐とした空気に呑まれてみたい、触れてみたい。そのように思う
ことは少なくなかった。だから、授業中に静まった教室で、僕はたまに力んだりしてみた。
おならを我慢して、このスリルを味わいたいと思っての発想だ。すると、決まって腸に
ガスが溜まる感覚が起こった。しかし、そうすると事の重大さに気付いていよいよ焦り始める。
おならマンと呼ばれることの恐怖を考えると冷や汗が吹きだし、ヒザが震えてくる。
しかめた顔を伝う汗が滴り落ち、我慢の限界に来た瞬間、ブーッという音が教室内に響いた。
「おい!佐々木だ!おならマン!佐々木!」
クラスのお調子者がはやし立てたが、僕の名前は冒頭で説明した通りの毛利。
おかしい、そう思ったが、安堵のため息をつき、心底落ち着いた僕は、すぐに忘れてしまった。
だがそうしていく内、気付いたことがあった。僕が我慢の限界に達したとき、おならを
する者は決まって他の人物であった。以降、僕はそれを日課とした。時には六十分の授業の間に
三人のおならマンが誕生したこともあった。そう、僕は自分の中にガスを作り出し、そのガスを
他人の腸内にワープさせるという能力を持っていたのだ。
そのために僕は唯一の存在となり、他のクラスメイトは全員がおならマンの経歴を持つことになったというわけだ。

39 名前:No.09 おなら2/5 ◇fQaD.U8MiU[] 投稿日:07/11/18(日) 03:27:37 ID:N0BzuP/a
 一日に十人以上のおならマンが誕生してしまう日常に、僕のクラスは段々と
おならに対する考えを変えていった。誰がおならをしても、何とも言わなくなった。
授業参観で「ブブブブブブブブブブ!」と十人が連続でおならをしたにも拘わらず、
クラスメイトたちは気にも留めなかった。それどころか、おならを笑った母親に対し
「誰でもおならをします。」
と反論する者さえあったくらいだ。しかし、僕はこの日常が面白くなかった。
せっかく気付いた能力なのに、―当時の僕は思うことがその通りになると感じるだけで、
能力を使える自分の存在には気付いていなかったが―
こんなにもあっさりと受け流されてしまうと拍子抜けだからだ。
とはいえ小学二年生に、この能力を応用したり有効に使うという発想そのものが無い。
だから、ただおならを我慢し、そのおならをワープさせるという作業を繰り返していた。
そんなある日、僕はいつものようにおならの絶頂を感じる瞬間、くしゃみが出そうになり
目線を上に上げた。プーという妙な音が響いた。くしゃみは出損なったが、席の前方で
「くさっ!」という声が多く聞こえた。その音から考えても、そんなに多くのガスを
放出したとも思われないし、何よりもおかしいのは、一人がおならをしたにしては、
臭いと感じる生徒の数があまりに多すぎることだ。普段、おならと同化した空気を吸って
生活をすると言っても過言ではないクラスメイト達が、今日だけこんなにも敏感に反応するのは異様だと感じた。
それ以降はおならを控えて考えてみて、下校途中に僕のくしゃみが原因なのだという結論に達した。
 翌日、僕は昨日と同じように、おならの絶頂でくしゃみの動作をした。
するとまた多くの生徒たちが臭いと言い出した。確信を得た僕は、それからは学校だけでなく、
バスや電車、あるときは街中でもそれを試した。
反応は上々で、しかも、人間はニオイに関して敏感で、慣れるということが無い事実を見出した。
 三年生になり、四年生になると、学校全体が排泄などの生理現象を当然のものと考えるようになり、
それについてからかう者を見かけなくなった。尤も、四年生になった僕自身の成長もあるだろうが、
少なくともクラスではおならやウンコを馬鹿にする者はいなかった。
六年生にもなると能力を使う頻度が極端に減り、潮時かなと感じるようになった。
これが大人への第一歩だと自覚し始めたとき、先生から呼び出しを食らった。

40 名前:No.09 おなら3/5 ◇fQaD.U8MiU[] 投稿日:07/11/18(日) 03:28:20 ID:N0BzuP/a
 放課後、僕は先生に言われた通り、教室に残った。決まって放課後に流れるクラシックの
音楽は、教室内のスピーカーの音と、廊下を伝い聞こえてくる音とが共鳴し、
スピーカーのように僕の耳に流れ込んできた。いつもは臭気に満ちた教室はがらんとしていて、
差し込む夕日と音楽とで、とても趣がある。そんな趣のある部屋を臭気で埋め尽くしたいという
衝動に刈られた僕は、試しにおならをしようとするが、今回はどうしてもうまくいかなかった。
 先生が右前方に現れたとき、音楽もピタリと止まった。
「俺はいま、音楽を飲み込んだんだ。」
先生はそう言うと、お尻をこちらに向けた。するとどうだろうか。先生の尻の中心、
すなわち割れ目に当たる部分から、さっきまで流れていたはずの音楽が聞こえてくるのだ。
僕は驚いて、席を立ち上がった。
「お前にもできるはずだ。音楽を自分の体内に取り込むことを想像してみろ。」
僕には先生の言っていることが理解できずにいた。しかし、担任である彼の言うことに従うことは
生徒として自然なことであり、また考えるまでもなく従事してしまう習慣が身についていた。
それゆえか、先生の尻から流れる音楽が止んだ。僕は音楽を、体内に取り込んだらしい。
ふと我に返り、尻元が緩むと同時に、僕の背後からショパンの『別れの曲』がメロディを奏でた。
 「俺はな…。俺も昔、お前と同じ能力を持っていた。その関係でな、昔のよしみで頼まれごと
を受けてるんだ。俺はNASAで働いていた。そしてこの能力で仲間の宇宙飛行士たちを守ったんだ。」
事態を飲み込めない僕を気にしてか、先生の表情がいつもの優しい顔に戻った。僕も平静を取り戻した。
「悪い悪い。突然すぎたな。でもお前、能力には気付いてるだろう?いつもおならを…」
「待ってください。どうして僕だとわかるんですか?」
僕は今までの悪事に少なくとも後ろめたさを持っており、自分自身を弁明する必要があった。
しかし、先生の返答は予期していたよりもあっけなく、気を楽にさせてくれるものだった。
「いいんだよ、そんなことは。面白かったんだろう。俺もこいつを使ってよくイタズラしたもんさ。
まだお前なんて可愛いもんだ。…うん…。そうだな、もっと、大きなことをしてみたくないか?
例えば宇宙飛行士だ。お前、夢は宇宙飛行士だったな?」
先生は何かを急いでいるように見えた。だが彼の目は真剣で、僕の好奇心を掻き立てて来る。
いや、正確に言えば、僕は宇宙飛行士という言葉を耳にした時点で、既に話に興味を持ち始めていた。
夢が宇宙飛行士というのはほんとだ。青空を仰ぎ、真っ青な面に一つの白い点を見出し、それが星
なのだとわかったときの感動は今でも忘れない。夜にしか見えないと思った星が昼でも見える神秘。
それ以来、僕は空に、そして宇宙に憧れを抱き始めたのである。

41 名前:No.09 おなら4/5 ◇fQaD.U8MiU[] 投稿日:07/11/18(日) 03:29:18 ID:N0BzuP/a
 話はトントン拍子で進み、両親は僕の能力を見て、どうにでも、僕のやりたいようにやれば
いいと言ってくれた。空き教室に座らされた僕と両親の三人は、教壇に立つ先生の説明を受けた。
「いや、実にありがとう。拓哉くんの能力は先ほどご覧になった通りですが、
これと宇宙飛行士とがどのような関係にあるのか、それを説明いたしましょう」
黒板に書かれたのは、スペースシャトルに乗る僕と、月だ。そして月の周りに無数の点を加えた。
「拓哉くんが宇宙飛行士になるとすれば、主な仕事は障害物回避です。
実際、私もかつては障害物回避部隊員をしておりました。まあ、回避部というのは本来、
スペースシャトルの障害物回避機能を担当する、いわゆる機械工学的な部門なんですがね。
しかしこの能力を使って障害物…、隕石ですな。隕石を飲み込むとき、
どの隕石を優先的に飲み込むのかを把握しなければ、能力を十分に発揮はできません。」
「はあ、しかし今の時期から宇宙飛行士なんぞ、訓練だってあるでしょうし…」
元来気弱な父が思わず発した言葉は、僕が宇宙飛行士になることを前提として話す先生に対する
ある種の反抗であるようにも見えた。すると先生はチョークを置き、窓際に移動した。
「お父さん、空をご覧になってください。月が見えるでしょう。また、目を凝らせば星も見える
でしょう。拓哉くんは、明るいうちでも肉眼で捉えることのできる、これらの星に憧れたと言う
のです。それは空へ、更には宇宙へと広がり、拓哉くんは宇宙飛行士という夢を描いたのですよ。」
「拓哉、あんた、ほんとうに宇宙飛行士になりたいのかい?」
僕は母のこの質問に、すぐには答えられなかった。というのも、考えがまとまるよりも早く
話が進んでしまい、宇宙飛行士になるという夢から抜け出せず、実感が湧かなかったからだ。
「拓哉、行って来なさい。お前はいつも好奇心旺盛な子だから。挑戦してみなさい。
だめならだめでもいい。経験をしてみなさい。」
父親のいつになく強い意思による言動が、僕を動かしたように思う。やってみようと思った。
「ふむ、そうですね。」
窓際を見たまま、後ろで手を組んで立っている先生は夕日をいっぱいに浴びながら呟いた。

42 名前:No.09 おなら5/5 ◇fQaD.U8MiU[] 投稿日:07/11/18(日) 03:30:12 ID:N0BzuP/a
 「ヘイ!ミスターモウリ!」
研究室で僕が障害物回避のシュミレートをしていると、サンディが声をかけた。
「人が真剣にやってるときに脅かすなよ。明日が出発の日なんだから。」
「悪い悪い。ほら、電話だよ。」
サンディはそう言って、僕にNASAで唯一の通信手段である専用子機を手渡した。
「拓哉、やってるか。明日らしいじゃないか。」
その声は先生だった。
「はい!先生、ほんと、感謝してるんです。僕がいまここに…」
「おいおい、感傷的になるのは今はよせ。帰ってからゆっくり聞くよ。…それでどうだ、気分は。」
「ええ、まあ…はい…。」
声が震えた。正直、不安でないといえば嘘になる。
「武者震いってやつか?…その不安も飲み込んでしまえばいい。そして吐き出せ。
お前が最も落ち着くニオイを嗅いでみろ。」
 床につき、明日のことを考える。不安と期待でいっぱいになる。
ふと、何も思っていないのにおならがしたくなった。
放出されたおならは、あのときのショパンの音楽を奏でた。
あのとき、夕日に照らされて神々しく輝いていた先生を思い描きながら、僕は寝入った。
 翌朝、僕は宇宙服に着替えて、シャトルに乗り込む。
「それじゃカウボーイ!よい旅を!」
宇宙飛行士毛利はその手に林檎を持ち、宇宙の無重力を体験しに行くのであった。




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