7 名前:No.02 kanon1/5 ◇DppZDahiPc[] 投稿日:07/11/17(土) 03:00:31 ID:WCAkRprE
わたしの息子、椎に音楽の才能があると分かったのは、あの子が幼稚園児のころだ。
幼稚園にあるオルガンで、先生が弾いた曲を幾つか、同じように弾いてみせたといわれて、わたしは自分の耳を疑った。
それは幼稚園の先生にしても同じことだったろう。
ろうの子供がオルガンを弾いていたのだから。
翌日、わたしは椎と共に幼稚園へ行き。椎にオルガンを弾いてみるよういうと、椎はオルガンを弾いてみせたのだ。
その後先生に聞いたところによると、園児たちがいうには椎は以前からオルガンを弾いていたのだそうだ。
だが、病院に連れて行き、何度検査を受けさせても、椎の耳が治ったといういい結果はでなかった。
ろうの子供が楽器を演奏したことへ、医者は幾つかの可能性を考えた。
一つに先生が演奏しているのを見て、それによって鍵盤を押すパターンを覚えただけというもの。
もしくは本に載っていた楽譜の通りに弾いただけ。
あるいは適当に鍵盤を叩いていただけ。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
耳が聞こえるようになったのでは――と、期待したわたしには、そのことについて考えに入れていないどの可能性も下らないものに思えてしまった。
落胆したわたしたち親の気持ちを他所に、椎は音楽の才能を着々と伸ばしていった。
先生でも弾けないような、高度なテクニックが必要な楽曲を弾いてみせたり。全く独自の曲を弾くこともあった。
わたしたちは椎に子供用の小さなピアノを買い与え、好きなように遊ばせた。
音楽を弾けるといっても、ただの子供の遊び。ろうの椎がそれを大人になっても続けるとは思えなかったし。
いつかは、耳が聞こえないという、音楽家にとって決してプラスにはならない、自らの身体のことを理解してやめてしまうだろう。
そう考えるとわたしは、あの子から音楽を奪うことも、音楽の勉強をさせてやることもできず。ただ椎の好きなようにさせた。
医者が言ってくれた、
「もしかしたら、音楽が彼の耳になんらかの変化を与えてくれるかもしれません」
という小さな希望にすがって。
小学校にあがると、椎は鍵盤ハーモニカの弾き方とリコーダーの吹き方を覚え、クラスの誰よりも上手になっていた。
そんなある日、夫が演奏会のチケットをもらってきた。
なんでも上司に息子の話をしていたらしく、それならばと、本格的なプロの演奏を聞かせてやれば何か影響があるんじゃないかと渡してくれたそうなのだ。
わたしも夫も「まさか」と笑いながら、決して口にしなかったが、心の奥底でその考えに期待を寄せていた。
なにか、変化があるのではないか――と。
実際、変化は起きた。
演奏会の途中、椎は演奏に聴き入っていた。
その様子はまるで何かが取り憑いたようだった。
8 名前:No.02 kanon2/5 ◇DppZDahiPc[] 投稿日:07/11/17(土) 03:01:03 ID:WCAkRprE
演奏会が終わっても息子は中々席を立とうとせず、涙をぽろぽろこぼしながら、わたしたちへ筆談でこういった。
――ボクもあれがほしい
「あれ?」
椎が要求したものがなんなのか、最初分からなかったが。よく聞いてみると、バイオリンのことだった。
それははじめて椎がわたしたちに物をねだった瞬間だった。
これまで椎に何かを買い与えることがあっても、椎からねだったことは一度としてなかったのだ。
サラリーマン家庭にとって、バイオリンはおいそれと買えるようなものではなかったけれど。椎がはじめて欲しいと言ったのだからと、少しばかり値の張るいいものを買った。
その時の椎の喜びようは今でも覚えている。
顔をくしゃくしゃにして、どこに行くにもバイオリンを持っていくと言って聞かなかったし、寝ている間もケースに入れて抱きかかえていたし。いつもは一人でを黙々と演奏しているだけの椎が、進んで人に演奏を聞かせるようになったことからも分かった。
演奏を褒めると椎は照れながらも喜び、色んな曲を弾いてくれた。それに合わせて、演奏の実力もあがっていっているようだった。
中学校にあがると、椎は部活にはいるのかと思ったのだが、そうはせず。学校が終わると直ぐに帰ってきて、わたしに音楽を聞かせてくれた。
その音楽はまるで今日どんなことがあったかとか、椎がどう考えたかを教えてくれているようだった。
椎は、わたしに音楽を聞かせることが、最大の喜びとでもいうようで。私個人としては、とても嬉しかったのだが。
それはそれで不安になった。わたしたちが死んだ後、椎の音楽を誰が聞いてくれるんだろうか――
だから、わたしは椎に音楽系の部活に入るように勧めた。
吹奏楽部に入ることになった椎は、新入生には弾き手のいなかったコントラバスを弾くことになった。
椎はその大きさに手こずったようだったが、一年もすると立派な弾き手になっていた。
それを報告する椎の音楽に段々表情というのだろうか、そんなものがついていくのが分かった。
それまでの椎の音楽は、綺麗な曇りのない硝子のようだったのが、ステンドグラスのような色鮮やかさになっていくようだった。
吹奏楽部の顧問の先生からみても、椎の音楽には目を見張るものがあったようで、将来は音楽関係の学校に行くべきだと勧められたが。その判断については、椎に任せることにした。
椎の才能がそれほどまでのものだとしたら、後のことは椎が決めるべきだ。
椎の音楽が椎だけのもののように、椎の人生は椎だけのものなのだから。
――だが、そうもいかなくなった。
椎の音楽に注目したテレビ局が、障がい者の子供たちやその親たちの励みになるようにとインタビューを申し込んできて、椎は何度となくテレビカメラの前で演奏してみせた。
それにはわたしたちも大喜びで浮かれてしまい、椎がテレビで演奏しているのを何度も繰り返し視た。
ただ、その時、わたしたちの横で視ていた椎は何度となく首を傾げ。しまいにはテレビを消してしまうことがあった。
そういったことがあった後、椎は決まって演奏用に防音設備マットを壁に敷き詰めた自室に篭り、ひたすら演奏しているようだった。
わたしも夫も、その椎を見て「ああ、テレビに出たとき緊張して演奏を失敗したのを、緊張のせいにしたくないんだな」と思った。椎にはそうした完璧主義のようなものが見て取れるようになってきていた。
ある日、親しくしていたテレビ局のプロデューサーさんから、素晴らしい――少なくともその時のわたしたちには、だが――ことを教えてくれた。
テレビ局が完全密着することを条件として、最先端の技術で椎の耳を健常者同様にしないかという誘いだった。
9 名前:No.02 kanon3/5 ◇DppZDahiPc[] 投稿日:07/11/17(土) 03:01:27 ID:WCAkRprE
わたしたちは喜んだ。バイオリンひとつ買うのに悩むような親だ。
そうした手術があることを知りながらも、手術費用と今でも健常者の子たちと変わらず生活を送れている椎の姿に、手術をしなくていいと考えていたのだから。その提案はとても魅力的なものだった。
椎に聞いても
――ボクも本当の音がきいてみたかったんだ。
と同意してくれ、そういうことになった。
ドキュメンタリー風にするといわれ、わたしたち親子はいくつもの質問を受け、私生活を晒した。椎にいたっては、入浴シーンすらお茶の間に流されてしまった。
製作は快調に進み、いざ出術――となって、わたしは幾分、肩の力が抜け落ちるような気分を味わった。
手術はものの十分で終わったからだ。
これまで椎が辛い思いをしてきた期間。番組制作の仰々しさ。それに――耳にハンデを持って椎を産んでしまったという責任。それらに比べると、手術はあまりに簡単だった。
だからわたしは「手術後号泣する母親」というテレビ側からの指示を忘れ、ただぽけっとして、家に帰ってあの子の好物を作っていた。いつ麻酔が切れてご飯を食べられるようになってもいいように、と。
それからも椎は周囲を驚かせるほど順調に聴覚を回復――というとおかしいのかもしれないが――していき。なにより言語を覚えるスピードは異常なほどだった。
親ばかだと笑われてしまうような話だが、椎がはじめて「ママ」と呼んでくれた時には涙を流してしまった。
そして椎の聴覚機能回復後、初演奏の日が訪れた。
椎の前にはわたしたち夫婦と、テレビクルーとテレビで良く見るような芸能人、それに同じようにろうや難聴の子供を持った親御さんたちが集まってくれていた。
静まり返ったスタジオ、満員の観衆――ここから始まるんだと思った。椎の音楽家としての新たな第一歩が。
実際椎は素晴らしい演奏をしてみせた。スタジオの中には嗚咽が聞こえ、涙を流している人さえいた。その中で、わたしたち親子だけが椎の演奏に首を傾げていた。
わたしはただ椎の様子がおかしいとしか思わなかったが、夫はより明確に
「あいつ、弾き方忘れたんじゃないか?」
と呟いていた。
入りは良かった、いつもの椎だった。けれど、その後から狂った。
確かに音は美しく、メロディラインもテンポも聞いていて心地いいくらいのものだったのだが、その音は椎のものとはいえなかった。
椎はいつも迷いなく、これが答だというように弾くのに。今日に限って椎の音は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、しまりがないものになっていた。
それでも番組は成功し、多大な謝礼がテレビ局から振り込まれ。テレビ局側が用意したゴーストライターが書いたわたしの手記はミリオンセラーになっていた。
わたしたちはその利益をまず、椎の楽器代にあてた。小学生時代に買ったバイオリンでは些か格好つかなく見えたからだ。
椎は色んな場所の講演に招かれ、自分が体験したことを話したり、簡単な曲を弾いたりした。
わたしはそれに付き添い、椎の一番近くにいたが、変わってしまった椎の音楽について椎自身に聞くタイミングが得られず、手術から三年の月日が経過していた。
椎は進んで講演に出向いたり、テレビ出演しなかったため、いつのまにかそうした舞台からお呼びがかからなくなってしまった。
それは少し残念だったが、一人の親としては、椎が自分の下に帰ってきてくれたようで嬉しかった。
けれど、疑惑はいつまでも付きまとい、一つの形を結んでいった。
椎は唐突にバイオリンもピアノも、音楽というもの全てから手を引いてしまった。
10 名前:No.02 kanon4/5 ◇DppZDahiPc[] 投稿日:07/11/17(土) 03:01:49 ID:WCAkRprE
夜遊びを繰り返し、お酒を飲むようになってしまった椎を見て、わたしたちは後悔した。無理矢理テレビに出してきたことでこうなったのだと。
椎の部屋で壊された大量の楽器を見て、わたしは一人で泣いていた。
それがわたしにできる唯一の懺悔のように。
だから、罰が下ったのかもしれない。
子供を利用する親への天罰。
わたしは買い物帰り、乗用車に轢かれ、入院した。
両足を轢かれ、左足のほうはもう治らない、治っても違和感がのこると診断が下されてしまった。夫は泣いてくれたが、わたしはこれでよかったと思った。
椎から音楽の興味を失わせてしまったのはわたしだと考えていたから。
それに、椎が毎日お見舞いに来てくれたから。
椎はお見舞いにきても、なにを喋ったらいいのか分からないようで、ただむっつり黙って椅子に座っているだけ。それでも良かった、椎が子供のころに帰ったようで、嬉しかった。
だから、思わずぽろりと言ってしまった。
「ねえ、椎ちゃん」
「……なんだよ」
「もう一回、なんでもいいから椎ちゃんの音楽聞かせてくれない? ママ、椎ちゃんの演奏するとこみたいなー」
言うと、椎は怒ったような泣いたような顔をして「なんで」と聞き返してきた。
「なんでって。そりゃ、ママ。椎ちゃんが演奏しているところが好きだからよ。ママね。車に轢かれたとき、『ああ、これで椎ちゃんの音楽きけなくなっちゃうんだー』と思ったらすっごい悲しかったもの」
わたしの言葉に椎は顔を歪め、泣いていた。
椎は涙を流しながら、頷き、
「聞かせてやる。やるから……待ってて」
その日はそれで帰ってしまった。
それからしばらく、椎は見舞いには来てくれなくなったが、お父さんから
「鬼気迫るっつうのかな。部屋に引き篭もって弾いてるよ」
そう報告を受けて。少しだけ嬉しくて、とても不安になった。自分が軽い気持ちで言ったことが、椎のなんらかのスイッチをいれてしまったのではないのか――と。
そして、三週間ほど経ち、わたしは杖をついていたが退院することが出来た。
その間、一回も見舞いに来てくれなかった椎の顔を見ようと、急いで椎の部屋に行くと、そこに確かに椎はいた。――だけれど、それは別人のように見えた。
滅多なことで笑わない椎が満面の笑みを浮かべ、子供用のバイオリンを手に持ち、両耳から血を流しながら待っていたのだ。
椎はわたしの姿を認めると、子供のような笑みを見せ、なにごとか聞き取れない呻き声をあげ、バイオリンを演奏を始めた。
その時、わたしは時間が戻ったのではないかと思った。
11 名前:No.02 kanon5/5 ◇DppZDahiPc[] 投稿日:07/11/17(土) 03:02:15 ID:WCAkRprE
椎の演奏は、完璧に子供だったころのものに戻っていたのだ。
わたしはその懐かしい音曲に涙を流し、あることに気がつき、その場に崩れていた。
椎の傍には、血に濡れたアイスピックが転がっていた。
***
何故、そうまで追い込まれてしまったのか、正確なところはわたしには分からない。
ただ、わたしの言葉が最後のキーを弾いてしまったということ。
演奏後病院に担ぎ込まれ、手当てを受けた椎に夫が詰め寄ると、椎は筆談でこう答えた。
だめなんだ。あれじゃあ。セカイがうるさいんだ。
ノイズがおおくてしゅう中できない。
音がちがうんだ。
それによってわたしと夫、そして椎の担当医師は一つの共通見解を得た。
椎の音楽とは聴覚器官によらないものだった。第六感とでもいえばいいのか、そうした力によって感じるものだったのが。
聴覚を使うことになって、二つの神経が齟齬をおこしてしまい。耳が聞こえなかったころのような音楽が弾けなくなったのだと。
だが、それが正しいことなのか椎には聞けなかった。
もう椎にとってそんなことはどうでもいいのだとわたしは思った。
椎が楽しそうに音楽を弾いているのだから。
それでいいとわたしは思った。
今日も椎のバイオリンが聞こえる。
了