【 Dead or alive……? 】
◆rmqyubQICI




131 :No.27 Dead or alive……? 1/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:50:33 ID:5abG7Ca1

 あるところに小さな美術館があった。そこの支配人は絵画の鑑賞を何より好む人間で、
多くの絵を所有していたが、その中でも特にある作品を気に入っていた。
 その絵は田舎の美しい自然を描いたもので、轍の通った細い畦道が中心に据えられてお
り、その向こうには緑に彩られた山々が連なっている。確かに綺麗な絵ではあったが、特
に高く評価されているものではない。それを不服に思ったのか、支配人は四人の従業員を
呼びつけ、それぞれにこの絵の感想を言わせることにした。
 一人目の男は、少し困ったように「のどかな絵ですね」と言った。支配人は不満げだっ
たが、まぁよしとして次の従業員に尋ねた。
 二人目も男で、彼は筆舌に尽くしがたいと嘆息し、そしてただ一言「美しい絵だ」と呟
いた。支配人はその反応に満足したようで、うんうんと頷きながらその男にチップをやっ
た。
 三人目は女だった。支配人に取り入ろうと思ったのか、彼女は妙に芝居がかった所作で
「素晴らしい、この絵には生が満ちています」と言った。支配人は訝しがったが、女の目
を見て言っていることに嘘はないと判断したらしく、またチップをくれてやった。
 四人目も女だったが、他の三人とは違い、彼女は盲目だった。支配人は何が描かれてい
るのかを丁寧に説明したが、彼女が無表情のままだったので、対応に困ってしまう。しか
し、支配人がどうするか決めかねているうちに、四人目の女はぼそりと呟いた。
「死が溢れていますね」
 その日、四人目の女は一番多くチップをもらった。


132 :No.27 Dead or alive……? 2/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:51:01 ID:5abG7Ca1

「これは……」
 上の文章と、文中に出てくる作品の画像が印刷された紙を右手に、彼、島田慎司は唸る
ようにして言った。
「石川君、君はまた某巨大電子掲示板でこんなものを拾ってきたのかい?」
「……別にいいだろう。徹夜明けだったんだから、多少の息抜きくらい許してくれ」
 向かいのソファーから軽蔑の視線を投げてくる彼に、私はささやかな反抗の言葉を返す。
納得したわけではないだろうが、彼は一言ふうんと呟いて、視線を手許の紙に戻した。
 そしてまた、若干の時が経つ。私はどうにも手持ち無沙汰で、なんとなく目の前のカッ
プに手を伸ばしてみた。――分かってはいたけれど、冷めた紅茶というのはひどい味だ。
「で、石川君」
 不意に、島田が口を開いた。どうやらもう読み終えたらしい。そして恐らく、文章の意
味も読み解けたのだろう。身構える私に、彼はまず、こう問いかけた。
「君はこんなもので延々と悩んでいたのかい?」
 なるほど、なんの悪意もないからこそ腹が立つとは、こういう状況を指すのか。怒りや
敵意に浸食されてゆく頭をどうにか平静に保って、私はこう返した。
「島田君。君はそう言うけどね、世間一般のレベルというものも考えてみてくれ。これを
読み解くのはそう簡単なことじゃないと思うんだが」
 すると島田は少し考えるように瞳を動かし、そして続ける。
「ふうん、まぁ、難しいと思う人もいるんだろうね。こういうのは思いつきの問題だから」
「だろう? 中々に難しいよ、これは」
「けど、作家なら読み解けないとねぇ。先は厳しいかもしれないよ、石川『先生』?」
「……君はいつも一言多いんだよ」
 私が苦し紛れに悪態を吐くと、彼はすまないねと笑って、紙をこちらに差し出した。
「え? これから解説してくれるんじゃないのか?」
「あぁ、解説はするよ。だからその紙を君に返したんだ。で、その前にちょっと聞いてお
きたいんだけど」
 島田は少し間をおいて、こう続ける。
「君の意見はどうなんだい?」
「僕の意見だって?」

133 :No.27 Dead or alive……? 3/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:51:26 ID:5abG7Ca1
「まさか一晩考えて何も思いつかなかったわけじゃないだろう? それともあれかい、実
は店主にマゾヒストの気があって、なんてことしか頭に……ん? どうしたんだい、何か
悪いことでも言ってしまったかな?」
「……何でもない。それより、早く君の意見を聞かせてくれよ」
 私がなんとかそう言うと、島田は不思議そうに首を傾げ、また解説に戻った。まったく、
ああそれしか思いつかなかったよ、なんて、言えるわけがないだろうに。
「まず、この話のポイントはどこだと思う?」
「えーと、四人目の女が盲目ってところかな」
「ああ、だろうね。そこまでは誰にだって見当がつく。そして彼女のコメント、『死が溢
れている』。これは彼女が盲目であるからこそ出てきた言葉なんだ」
 と、そこまで言って、島田は一旦間を開けた。何か質問することはないかと、そういう
ことなのだろう。私は少し考えて、こう尋ねる。
「とりあえずそこまでは正しいとしよう。けど、それでチップのことを説明できるのか?」
 すると島田は、一瞬、驚いた表情になった。そして何か考える仕種をしたあと、なかば
呆れたように溜め息をついて、言う。
「石川君、君はそんなところで悩んでいたのか。ここの支配人は絵画が好きなんだから、
より深く作品を読み解いた人間により多くチップをやるのさ。当然だろう?」
「つまり、四人目のコメントが他の三人より深いものだと?」
「あぁ、較べものにならないね。
 で、話を戻そう。四人目の女性は盲目だったからこそこんな評価を下したんだ。なぜか
分かるかい?」
 少し考えてみるがやはり何も思いつかず、私は黙って首を横にふった。
「うーん、じゃあ、もう少しヒントをあげよう。彼女は盲目だから、他の人とは絵の見方
が変わってくるね。どう変わる?」
「どうって、支配人が説明した通りにしか分からない? ……いや、違うか。支配人の説
明を、彼女の中にあるイメージでしか捉えられないんだな」
 私が答えると、島田はにやりと唇を歪ませて、指をぱちんと鳴らした。
「その通り! だからこそ、彼女は妙なことに気付いたんだ。
 さて、君がこの支配人だったとしようじゃないか。まず何から説明する?」
「えーと、まずは、そうだなぁ」

134 :No.27 Dead or alive……? 4/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:51:41 ID:5abG7Ca1
 そう言いつつ、私ならどうするだろうかと想像してみる。島田がなにやら楽しげでひど
く不気味だったが、とりあえず気にしないことにして、私は彼の問いに答えた。いや、答
えようと、した。
「僕ならまず、きれいな田舎の自然が……」
「そうだろう!」
 とてつもない大声が部屋に響いた。私は咄嗟に耳をふさいだのだが、それでもきんきん
と耳鳴りがする。島田の方はといえば、私の迷惑など毛ほども顧みず、何がそんなに嬉し
いのか鼻歌を口ずさみ出した。
「お、おい、島田君」
 私がそう声をかけてみても、やはりというか、まったく反応しない。鼻歌はなにかロシ
ア民謡的なものに変わり、島田はその旋律に併せてコサックダンスしながらソファーの周
囲を周り始めた。
「おい、島田君! おい!」
 だからこの男にはろくに友人もいないのだ。そんなことを思いながら必死で呼びかける
と、彼は「いたのかい、気付かなかったよ」とでも言いたげな顔でこちらに振り向き、そ
して不機嫌そうに吐き捨てた。
「なんだい石川君、僕は今すごく気分がいいんだ」
「何って君は……いや、いいから早く解説の続きを頼むよ」
「あ。あぁ、そうだったね」
 どうやら本気で忘れていたらしい。いや、むしろ覚えていた方がおかしいか。どたばた
コサックダンスをした後で平然と「さぁ、続きを話そうか」なんて言われたら、流石にど
う反応していいか分からない。
「さて、どこまで話したかな」
「ええと、まずどう説明したか、って話だったような」
「あぁそうだったね。君がさっき答えてくれたように、人が絵について説明しようと思っ
たとき、まずは全体像から言及するはずなんだ。この絵を表すなら、まずは『田舎』とか
『自然』、あるいは『美しい緑』なんてのも出てくるかな。
 つまり、四人目の女性はそういうキーワードからある程度全体を想像して、後に続く説
明と照らし合わせていった可能性が高いわけだ」
「『自然』と『田舎』で思い浮かべた風景を、『手前に畦道がある』とか『奥に山が連なっ

135 :No.27 Dead or alive……? 5/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:52:05 ID:5abG7Ca1
ている』って聞くたびに修正していくってことかい?」
「そうだね。で、だからこそ、だ。盲目の彼女は妙なことに気付いた。
 石川君、もしこの絵の中に小川が流れていたとしよう。『自然』とか『田舎』の美しさ
を演出する格好のファクターだ。君はそのことを彼女に説明するかい?」
「そのことって、つまり川があるってことか? まず説明するだろうな、そんなものがあ
ればね」
 私が答えると、島田はまた嬉しそうに唇を歪ませて、指をぱちんとはじいた。
「そう。そして彼女もそう考えたんだよ。美しい自然といえば、木々の緑、うららかな陽
光、光を反射して輝く小川、そして小鳥のさえずりだ。もっとも、最後のは描けないけど
ね。まぁそういった諸々の説明があるだろう、彼女はそう思って聞いていたんだよ。
 そして、散々言ってきたけど、彼女は奇妙なことに気付いてしまったんだ。支配人の話
に水の情報が全く出てこない、ってことにね」
「……水だって?」
 まったく予想しなかった方向からの論理展開で頭が混乱しそうだったが、どうにか抑え、
そのことについて冷静に考えてみる。しかし、すぐに行き詰まった。
「水という情報がないから、どうなるんだ?」
「そうだねぇ。突飛なことを言うようだけど、君がこの絵の中に閉じ込められたとしよう」
「絵の中に……閉じ込められる?」
 私が尋ねると、島田は妙に真剣な目をして、深く頷いた。
「そうだ。もしそうなったら、君はこの絵の中で生きていけるかい?」
 これだけ緑のある場所なのだから大丈夫だろう、私はそう言いかけて口を閉じる。なる
ほど、これまでの議論はそういうことだったのか。
「……まぁ、水がないんじゃあ無理だろうな」
「その通り。まぁ、一応説明しておくよ」
 そう言って、島田はまた口を開く。
「なぜ水もないのに緑があるのか。彼女はそこに引っかかって、そしてある結論に至った。
 なるほどこの作品、見た目には美しい自然を描いているように思える。しかし実際に描
かれているものはそうじゃない。なにしろ水がないんだからね。この絵の中に生が描かれ
ているはずはないんだよ。だから彼女は言ったんだ。『死が溢れています』、とね」
「……大したもんだよ」

136 :No.27 Dead or alive……? 6/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:52:40 ID:5abG7Ca1
 私は絞り出すようにして、どうにかそれだけ言えた。
 なんということだろう。私はこの絵の作者を、心の底からすごいと思った。ここまで精
緻な自然を、つまり活き活きとした『生』の世界を描き出すことで、『死』を伝えようと
するなんて。そんな発想、私では一生かかっても出てこないだろう。
 彼の解説を聞くまで、私はこの作品をとるに足りないものとみなしていた。ただ自然の
表層をなぞっただけの、中身のない絵だと。あぁ、なんと愚かだったのか。その中に描か
れている緑は活き活きとして美しいが、これらはそう見えるだけで、その本質は『死』な
のだ。ただ自然の風景から『水』を取り除くだけで、この絵の描き手は、本来『生』であ
るはずのものを『死』に転換してしまったのだ。
 あぁ、やはりこの作品はすごい。そして、悔しいけれど、私の目の前にいるこの男も。
「島田君、やっぱり君は……」
 私は表し得る限りの賛意を浴びせようと口を開いた。が、しかし――。
「まぁ、全部嘘だけどね」
「……はぁ!?」
 ――一瞬、全く意味が分からなかった。『嘘』、そして『全部』と、今まで話してきた
事柄が、なかなか結びつかなかったのだ。
「全部嘘、って……ええ!?」
「そんなに驚くことかい?」
 島田は「むしろ僕が驚いたよ」とでも言いたげな目をこちらに向けている。しかし彼が
どう思っていようと、とにかく私は驚いたのだ。
「あの絵は生と死の哲学を描いた作品じゃなかったのか?」
 私が説明を求めると、彼はやる気なさげに目をふせて答えた。
「違うだろうね。根拠が薄過ぎる」
「だって、わざわざあるはずの川を描いてないんだぞ?」
「方向によってはそう見えるんだろうさ」
「水がないっていう話は?」
「あるじゃないか、水田やら葉っぱやらにたっぷりと」
「僕が絵の中に入った話は?」
「妄想だね」
「じゃあ君の解説はなんだったんだよ!」

137 :No.27 Dead or alive……? 7/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:52:56 ID:5abG7Ca1
 近所の迷惑も考えず、思いきり叫んだ。私はぜぇぜぇと肩で息をしているのに、彼は何
事もなかったように微笑んで、こう答える。
「いや、面白い仮説だと思ったからさ」
「君は本当に……」
 私はもう、呆れて言葉が出てこなかった。大きく息を吐いて、気分を少し落ち着ける。
そして、改めて彼に尋ねた。
「で、結局この文章はなんだったんだ?」
「ん? ああ、それね」
 それが本題だろうと思いつつ、再び彼の解説に耳を傾ける。
「まずヒントだ。僕が君を騙そうと思ったのは、いつだと思う?」
 そう言われて、私は今日彼が来てからのことを思い返す。彼を招き入れ、紅茶を出して
やって、それから――。
「あれ?」
 ふと顔を上げると、目の前にいたはずの島田の姿がない。そして、彼に出した紅茶のカッ
プも。左右に視線を巡らせていると、私の後ろで、ばたん、と何かを閉じる音がした。
「島田君?」
「ごめんごめん。声をかけたら邪魔になると思ってね」
 そう言いつつ戻ってくる彼の手には、限界まで水の入ったティーカップと、同じく氷で
一杯の容器が。
「なんでわざわざそんなものを?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。それより、分かったかい?」
「あぁ、君がいつ僕を騙そうと決めたか、ね。支配人がチップを払った理由のあたりかな」
 私がそう答えると、彼は少し驚いたような顔になって、こう返してきた。
「もっと見当違いな答えが返ってくると思ってたんだが……」
「君はそんなに僕を怒らせたいのか?」
「いやいや、感心したんだよ。君の観察能力は中々のものだなぁ、とね。それよりも解説
の続きといこうじゃないか。大丈夫、単純な話だよ。
 君の言う通り、支配人がチップを渡した理由のあたりから、僕は君を騙していた」
「つまり、チップの理由は他にあるわけだ」
「そういうこと。もっと単純な理由がね」

138 :No.27 Dead or alive……? 8/8 ◇rmqyubQICI:07/11/11 23:53:15 ID:5abG7Ca1
 単純な理由、か。しかしそう言われても、私には何も思いつかないのだが。
「単純といえば、彼女が盲目でなければならない理由も単純だ。何のことはない。ただの
ジョークなんだよ、この文章はね。要するにちょっとややこしい冗談なのさ」
「……ジョークだって?」
 私の声は多分、盛大にうわずっていたことと思う。当然だ。延々とかかずらっていた問
題を、ただの冗談だと一蹴されたのだから。しかし島田が私のことを気にかけるはずもな
い。彼は軽く咳払いをすると、また話を進め出した。
「あぁ。だからこそ、僕はさっきの仮説を否定したんだよ。
 石川君、まず三人目がなんと言ったか、読んでみてくれ」
「ええと、『素晴らしい、この絵には生が満ちています』」
「で、次は四人目だ」
「『死が溢れていますね』……?」
 その文を読み上げたとき、私は何か、とても引っかかるものを感じた。そんな私の内心
を見透かしたのか、島田はふふんと笑って指をはじく。
「まぁ、要するに、だ。それだけのことなんだよ。
 “Life fills this picture, and death spills out of this picture.”……ね?」
 そう言いながら、彼は容器から氷をひとつ摘み出し、水で満たされたカップの中に落と
した。そしてまたひとつ、またひとつと、氷を摘みとってはカップの中に入れてゆく。
 あぁ、もしかして――。
「ほら、見てごらん。水が『溢れ』出ていくだろう? 氷で『満た』そうとすると、ね」
 まさか、まさか。そんなに単純な――?
 ただ驚愕する私を見据えて、島田は解説の最後をこう締めくくった。
「世界を生で満たせば死が溢れ出る、ってね」
 あぁ――誰が上手いこと言え、と。


  了



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