【 ヘヴンズ・ドライヴ! 】
◆QIrxf/4SJM
123 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 1/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:44:44 ID:5abG7Ca1
留美はひたすら落下していた。
初めは悲鳴を上げていた彼女も、今ではすっかり慣れてしまって、めくれ上がるスカートを押さえたまま、とんぼ座りの恰好で落ち続けていた。
「はあ、いつになったら地面に着くんだろ」と留美は言って上を向いた。「どれだけ落ちてきたんだ、わたし」
吹き上げる風に制服のリボンははためき、髪の毛は舞い上がる。お気に入りのウサギの髪留めは、かろうじて毛先にくっついている。股間がすーすーした。
「落ちつづける人生って、なんて憂鬱なんだろう。ダチョウの卵プリン、食べたいなあ」
留美は俯いて額に手を乗せた。指と指の間から、下を見る。
「あ」留美はぽかんと口を開けて、とんぼ座りのままあっけにとられている。
間近に屋根が見えたのだ。西洋風で青色の綺麗なやつだ。
そのまま尻から突っ込む。屋根を突き破って、さらに落ちる。とんぼ座りのまま、豪快に尻餅をついた。
「いてて――」留美は四つんばいになって、尻をさすった。立ち上がってスカートの埃を払う。
「あらまあ、あなた、怪我は無くって?」
声に振り向いた留美はぎょっとした。
桃色の豪奢なドレスに身を包んだ、ガイコツが立っていたのである。
「えっと――」留美は目の前の少女(?)をまじまじと見た。
きめこまかな素肌(骨?)にはくすみ一つ無く、可愛らしいカフスから覗く手先は、真珠のように艶やかで白かった。頭の上に据えた大きなリボンで、長い金髪をまとめている。
真っ黒な眼窩は優しげな楕円形をしていて、どこか微笑んでいるような印象を受けた。察するに、悪い人ではなさそうだ。
「お尻がちょっと痛いです」
「まあ! それは大変だわ。とりあえず、ベッドにおかけになって」
留美は言われたとおりに腰掛け、溜め息を吐いた。落下で乱れてしまった髪の毛を手櫛で梳かす。「わたしは元森留美よ」
「わたくしは、ルーシィ・モントモーメンシィ。あなた、どこからいらっしゃったの? 天井から落ちてきたところは見たのですけれど」
「何で落ちてきたのかわからないのよね。学校帰りに気付いたら落ちてたの。天井壊しちゃってごめんなさい」
「いいえ、気になさらないで。あなたに会えたことに比べれば、どうってことない損害よ」
ルーシィは心配そうな顔で留美を見た。「それよりも、お尻は大丈夫? ちょっと待っていてくださいな」
ルーシィは懐から金貨を一枚取り出し、頭上に掲げた。金色の淡い光が部屋の中を包む。
「お尻の痛みよ、とんでいけ!」
金貨が優しく弾け、その光の粉は空気の中へ溶けるように消えた。
「わあ!」留美は頓狂な声を上げた。「お尻の痛みが、すうって消えたよ」
「でしょう。これが金貨の力ですの」
「いいなあ、金貨ってロマンチックで好き」
「ここにいれば、あなたにもきっと与えられますわ。それで、願い事を買うことができますの」
124 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 2/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:45:35 ID:5abG7Ca1
「願い事かあ。わたし、可愛いえくぼが欲しいな」留美は言って、ルーシィの顔を見た。「そういえば、金貨で体を買おうとは思わないの?」
「あら、わたくし、この姿をとても気に入っていますのよ。うまくキスが出来ないのが少し残念ですけれど、ウェストのとても細いドレスを着ることもできますし、何より疲労とは無縁なんですもの」
「そっかぁ。似合ってるもんね」
「そうだわ」ルーシィは手を叩いた。「マリィ、いらっしゃい」
しばらくして、エプロンドレスを着た女性が入ってきた。血の滲んだ包帯で、額と右目を隠している。彼女はちゃんとした肌を持っていたので、留美は少しだけ安心した。
「お呼びでしょうか、お嬢さま」
「ええ、留美に服を用意しようと思うのですけど、なにが似合うかしら」
「留美さまでいらっしゃいますか。私、マリィ・ブライスは、ルーシィお嬢さまに仕えることで金貨を施されております。以後、お見知りおきください」
「元森留美です。金貨はまだ持ってません」
「ふむふむ」マリィは聞いていなかった。留美の体を嘗め回すように眺めて、一人で頷いている。「艶やかな黒髪に照りかえっている光は、まるで天使のわっかのよう。右耳たぶの真ん中にピアス穴が一つと、左目の真下にほくろが一つ。低めの鼻に、うす桃色の細いくちびる。
肌は昼の日差しに溶けかかった雪のようで、大きな瞳は清流に浸かった黒曜石そのもの」
呆然と聞き流している留美に、ルーシィが耳打ちした。「分析中なのよ」
「そうですね――」マリィは言った。「うす紫色のガウンなんていかがでしょう。淡い水色のケープと合わせて、ラメを織り込んだ袖つきの手袋をつけるのもいいかもしれません。留美さま、採寸したいので服を脱いでいただけますか」
留美が脱ごうとするまでもなく、マリィはそそくさと制服に手をかけた。
下着姿にまでひん剥かれた留美は、目をぱちくりさせている。
「マリィはね、人のお世話をするのが大好きなの」とルーシィは耳打ちした。「変わってるでしょう」
採寸が終わり、マリィは金貨を懐から取り出した。「生地よ!」
浮かび上がった金貨が弾けて、光の粒が飛び散る。やがて、光は数枚の布となって、マリィの腕に舞い降りた。
「留美さま、少しお時間をくださいまし」
マリィは上品に一礼して、部屋から出て行った。
留美はぽかんと口を開けて、出て行くマリィの後ろ姿を眺めていた。
「マリィって面白いでしょう?」とルーシィが言う。
「あのさ、金貨で服を出せばいいんじゃないかなあ」
「仕立てるのが好きなのよ。好きなことをするための金貨ですもの」
「そっか」留美はくしゃみをした。天井に大穴の開いた部屋は、少し冷える。「わたしも、金貨欲しいな」
「あら、胸元」
「ん?」留美はブラのフロントホックを引っ張ってみた。
胸元から、何かが落ちた。きらりと光る。高く澄んだ金属音が響き渡り、それは小さく弾んで、ころころと床を転がった。
留美はその金色を追いかけて、勢いよく手の平を被せた。
「金貨!」つまみ上げて、高々と天井に翳す。
125 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 3/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:46:36 ID:5abG7Ca1
「ほら、やっぱり施されましたわ! わたくしも初めに施されたときは本当に唐突だったものよ。今は、大抵、朝の枕元に置いてあるのですけれど」
「わたし、枕持ってくるの忘れちゃったよ」
「枕はとても大切なものだと思いますの。有るのと無いのでは大違い」とルーシィは言って、留美といっしょにベッドに腰掛けた。枕を抱きしめて、頬骨を押し付ける。「ふかふかしていなくちゃ、素敵な夢は見られませんものね」
留美も枕に顔を埋めてみた。柔らかくて、かすかに太陽の匂いがする。
「あら、いけないわ」ルーシィが言う。「これもふかふかのお布団よ。マリィが戻ってくるまで、ベッドの中にいたほうがいいと思いますの。だって、風邪をひいてしまうかもしれないでしょう?」
「うん」留美は横になって布団を被った。「柔らかいね!」
ベッドの天蓋の裏には、美しい星空の絵が描かれている。大きなほうき星がひとつと、それを取り巻いて羽ばたく流れ星。
目を瞑ると、留美自身が大宇宙のど真ん中で両手を広げているような気がしてくる。
ずっと憧れを抱いていた自分だけの自由な世界は、きっと宇宙の中にある。そんなふうに考えたこともあったものだ。
「ねえ、留美。その金貨で何を買うつもりですの?」
ルーシィの優しい声がする。
留美は目を開けた。「わたし、たくさん笑っていたいんだ」
ベッドから体を起こして、ルーシィを見る。人差し指で、自分の頬を差した。
「だから、ここに可愛いえくぼが欲しいの。えくぼがあれば、どんなに笑っても恥ずかしくないでしょ? それに、可愛いなって思うものは、どこかしら窪みがあるものなんだ。ルーシィは目のところがへこんでいるし、お皿だってくぼんでいるわ」
「うんうん」ルーシィは深く頷いた。「それだけ欲しいと思えるものなら、次の金貨も施されるに違いないですわ」
留美は金貨を高く掲げた。
「とっても素敵で可愛らしい女の子のえくぼを、わたしの二つのほっぺたにください!」
金貨が指先から離れ、少し持ち上がると静かに弾けた。
光の粒が、留美の頬に触れて消えた。
「どうかしら?」ルーシィが顎に人差し指を置いて、首をかしげた。「ちゃんとえくぼはついたかしら」
留美は、試しに笑顔を作ってみた。
「まあ! 可愛らしいえくぼよ!」ルーシィが叫ぶ。
「本当?」
「もちろん。ずっと見ていたいような、そんな笑顔が素敵ですわ」
留美はむず痒い気持ちを抱いて、体をくねらせてだらしなく笑った。えくぼが二つ、両頬に浮かんでいる。
そこへ、マリィが戻ってきた。
「お嬢さま、留美さま、服が仕立て終わりました」
「相変わらず早いのね、マリィ」
「楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものです。それはつまり、私の楽しみが時間を縮めてしまったということなのでしょう」マリィは言って、留美の方をまじまじと見た。
「な、何かなあ」
126 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 4/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:47:02 ID:5abG7Ca1
「留美さま、一緒に来ていただけますか。お召かえにいたしましょう」
「そういえば、制服を着ておけば寒くはなかったんだね」
ルーシィが口元を隠して笑った。「すっかり忘れていましたわ」
「では、留美さま、行きましょう」
廊下はとてつもなく幅広かった。いかにこの屋敷が大きいものであるかがわかる。とはいえ、使用人はマリィしかいないようで、掃除から料理まで、なんでも彼女がこなしているらしい。
隣の部屋に案内された留美は、下着を剥いで素っ裸になった。
「私が着せますから、じっとしていてくださいね」マリィは言って、留美のためにこしらえた下着を穿かせた。
「ドレスを着るのって大変なんだね」
ガーターベルトやら、コルセットやら、留美にとっては初めて身につけるものばかりである。
「さあ、目を瞑っていてください。これから、ガウンを着せて差し上げますので。私がいいと言うまで、決して目を開かないでくださいね。お披露目は、全て着てからのお楽しみにしましょう」
「うん」留美は目を瞑った。「ねえ、マリィはどうしてルーシィの家で働いているの? 金貨があれば、働かなくてもいいじゃない」
マリィは留美の腕を袖に通してやりながら、小さく笑った。
「私は、人のお世話をするのが大好きなんです。お嬢さまのために食事を用意し、服を仕立て、屋敷を綺麗に保つ、これが私が金貨で買った楽しみ。人に仕えていると、とても充実しているような、そんな気がして心が落ち着くんです。きっと私は、そういうタイプなのでしょう」
マリィは留美にケープを羽織らせて、仕上げに薄く化粧を施した。
「へえ。私はきっと、仕えてもらいたい方かなあ」
「それでいいのです。私は、私ですから」
留美は微笑んだ。「そうだよね」
「まあ! 素敵なえくぼですね!」
「金貨で買ったんだよ」
「ふむふむ」マリィが言った。「そのえくぼには何かが足りないような。いいえ、欠乏しているというわけではありません。用意したものは全てお召しになりましたが、それでも完全ではない、そういうことなのです。えくぼのために何かをコーディネイトする必要がある」
マリィは辺りを見回して、手を叩いた。
「そうだ、これにしましょう。青のグラデーションです」
深い青色のリボンで、留美の後ろ髪を結ってやった。
「さあ、完璧です」
マリィに導かれて、留美は鏡の前までやってきた。
「目を開けて、いいかなあ」
「ええ」
ゆっくりと瞼を上げる。
鏡に映った自分の姿は、どこかフェアリィ・テイルじみていた。ガウンのうす紫色や、ケープの透き通る水色に、黒髪を結う青いリボンが同調している。
手袋をはめた手は、きらきらと光って、いつもよりも華奢で上品に見えた。くびれた腰や、強調された胸元は、ベッドに寝かされた囚われの姫君のようだ。
127 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 5/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:47:35 ID:5abG7Ca1
「うわあ、こんなに素敵な服を着るのは初めてだよ」
「そう仰っていただけると、私としても仕立てた甲斐があったというものです」マリィは頬を赤らめた。
「ありがとう」と言って、留美は果実のような笑顔をマリィに向けた。
すっかりドレス姿にも慣れた留美は、ルーシィに食事作法を習いながら夕飯を摂っていた。
「ねえ、ルーシィはいっつもこんなに素敵なご飯を食べているの?」
「ええ、マリィの手腕の賜物ですわね。少々、豪華すぎるとは思うのですけれど、マリィからすれば、まだまだ修行が足りないって」
「ええ」マリィが言う。「未だにお嬢さまに舌鼓を打たせていませんから」
「だって、私には舌が無いんですもの」
「でも、本当においしかったな。ゆっくり食べるのが、本当に難しいくらいだったよ」
マリィは頬を上気させて、ずれかかった包帯を直した。
「それよりも、お嬢さま。今夜は舞踏会に行かれますか?」
「ええ、もちろん。月を見上げるのもいいけれど、留美を皆に紹介したいですもの。せっかくマリィが留美にドレスを仕立てたのですから、皆に披露しなくては損というものよ」
「舞踏会かあ。ロマンチックだね」
「踊ったことはあって?」
留美は首を振った。
「きっと、なんとかなりますわ。練習しながら、歩きましょう」
三人は、マリィの焼いたケーキを食べて、紅茶を楽しんだ。
舞踏会の始まりを告げる鐘の音が、遠くから響いてくる。
「さあ、行きましょう」
留美はルーシィに連れられて、屋敷を出た。
「ねえ、ルーシィ。明日になったら、金貨は貰えるかな。私ね、次の願い事を思いついたんだよ」歩きながら、留美は言った。「パパとママに、学校の友達に、みんなに会って、このえくぼを見せてやりたいんだ」
「きっと叶うと思いますわ。金貨はきっと叶えてくれる。でも、それは――」
「ああ、今日も雷鳴が呼んでいる。俺のこの胸に開いた大穴が、ずきずきと疼くぜ」
男の声に、ルーシィの言葉は掻き消された。留美は興味を持ったが、耳を傾けるだけで足は止めない。
「俺は、行かなくちゃならない。止めてくれるな、俺の美しき人よ。あの、邪竜の巣食う山は、誰かがなんとかしなくちゃいけないんだ」
男の視線の先には、大きな山が聳えている。頂上には大きな雲がかかり、時折光っていた。
「この剣がある限り、俺は絶対に死なない。帰ったら、竜の瞳を君に贈ろう」
「変な人もいるものだなあ」完全に通り過ぎてから、留美は呟いた。
128 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 6/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:47:57 ID:5abG7Ca1
「それも、一つの楽しみ方ですもの。――あれが、舞踏館よ」
ルーシィが指を差した先には、豪奢に飾り立てられた建物があった。
足を踏み入れた留美は、少しだけ緊張していた。
舞踏会なんて初めてのことだ。ただでさえ、かかとの高いパンプスは歩きにくいのに、果たして踊れるのかどうか不安で仕方が無かった。
「はあ」溜め息を吐いて俯く。
すると、留美の足元に、きれいなガラス玉が転がってきた。靴にこつんと当たって止まる。
「おお、私の愛しきガラス玉や」
真っ白な髭を蓄えた男がやってきて、留美の足元にあるガラス玉を拾った。彼は片腕で、振り上げた手には指が三本しかない。上半身は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「素晴らしい、くすみ一つ無い!」男は声高に言って、ガラス玉を投げた。「おお、私の愛しきガラス玉や」
男はガラス玉を追いかけて、留美から離れていった。
「折角拾ったのに、なにをやっているんだろう?」留美は顎に指先を当てて、首をかしげた。
後ろの方から、陽気な笑い声が聞こえた。
「いやあ、驚いたでしょう? 彼はガラス玉を追いかけるのが好きなんですよ」
振り向くと、絵に描いたような紳士が立っていた。皺一つない黒のタキシードに身を包み、右手でステッキを突いている。高級そうなハットを被って、首元にはお洒落なリボンタイを据えている。
一つ気になることは、彼が眠たそうな薄目をしていることだ。
「おお、ルーシィ。今日は一段と美しい。最近は足を運んでくれないから、寂しくて涙を流していたところだよ」
「もう、お上手ね」ルーシィは言った。「この方は、エミスフェールさんよ」
「元森留美です。このドレスはマリィが仕立ててくれたんです」
「お目にかかれて光栄です。ミス・モトモリ」と彼は言い、留美の手に軽く口付けをした。「皆は私を半目男爵と呼び、親しくしてくれます。――本当は公爵なんですがね、まあ、今はおいておくことにして、」
「半目ってなんだろう?」
「ええ、ご覧に入れましょうか?」と言って、男爵は目を見開いた。
「ひゃあ」留美は短く悲鳴を上げて飛び上がった。男爵の両目には、上半分が存在しなかったからだ。覗き込めば、脳味噌が見えるような気がしないでもない。
「いやあ、驚かしてしまって申し訳ない」男爵は豪快に笑った。「いやはや、ポルターガイストの奴にはしてやられました。一人でスープを飲もうとしていたら、この右手が勝手に動くんですな。左手で制しようとしてもどうにもならない。
あの時の恐怖といったら、二股をかけたレイディの両方から問い詰められた時よりも底冷えのする、恐ろしい何かを感じたものです」
男爵は続けた。「今となっては、一つのファッションとして受け入れていますけれどね、目玉にスプーンが食込むときの柔らかな感触は忘れられません。プディングを食べるときは決まって思い出しますよ。
まあ、だからといってプディングがまずくなるというわけでもなく、恐怖がぶり返すわけでもないのですが――」
「あのう」留美が男爵の言葉を遮った。
「ああ、いけません。あまり気持ちのいい話ではありませんでしたな。お嬢さんには少々ブラックすぎたかもしれない」男爵は一歩下がると、帽子を取ってお辞儀をした。「それでは、舞踏会を楽しんでください。私には、待っているレイディが居ますので、これで失礼しますよ。
――そうそう、つまらなかったら言ってくださいね? 主催者として、客を楽しませる責任がありますから」
男爵はハットを持ち上げて、小さくお辞儀をすると、二人から離れていった。
129 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 7/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:49:05 ID:5abG7Ca1
「さあ、ぶどう酒でも飲みながら、お誘いが来るのを待つとしましょう」ルーシィは言った。
「うん」
ぶどう酒はとても甘くて、どんなに飲んでも酔っ払うことはなかった。
たくさんの男たちが、ルーシィに誘いをかけてくる。留美はルーシィのモテっぷりに少々感心しながら自己紹介をして、自慢のえくぼを披露した。
そうすると、男たちは決まって留美を褒め称え、是非踊って欲しいと誘ってくる。たくさんの人からダンスの手ほどきを受け、腕前はみるみる上達した。
ステージに上った半目男爵から、これが最後の一曲であることが告げられる。
「変則的ですけれど、一緒に踊りませんこと?」ルーシィが手を伸ばしてくる。
「ええ、喜んで」留美はできるだけ上品に返事をした。
演奏家たちが頷きあい、静かなシンバルを合図に曲が始まる。明るくて軽快な曲だった。
留美は、ルーシィの顔をじっと見つめながら、ゆったりと踊った。
「楽しかった?」
「うん!」留美は両えくぼを見せ付けるかのように、朗らかに笑った。
朝が来た。ニワトリが鳴くよりも早く、留美は飛び起きた。
素早く制服に着替え、手櫛で髪の毛を梳いていると、マリィが入ってきた。
「あら、お目覚めでしたか、留美さま。お嬢さまを起こしますね」
マリィが何度も呼びかけて、ようやくルーシィは体を起こした。目を擦る動作をしている。
「わたくし、低血圧ですの」
「金貨だ!」枕元を調べていた留美が叫んだ。二枚の金貨が、枕の下に隠れていたのである。
「まずは、朝ごはんにしましょう」マリィが言った。
三人は、簡単な朝食を摂った。
留美はドレスで慣らした食事作法を制服でも応用して、汚さないように上品に食べた。
「留美、あなたが昨日言っていた願い事のことなんですけれど」すっかり食べ終えたところで、ルーシィが言う。
「パパやママや友達に、このえくぼを見せてあげたいんだ」
留美は幸せそうに笑った。
「でも、それは――」ルーシィは俯きかけたが、すぐに真っ直ぐ留美を見据えた。「いいえ、なんでもないわ。あなたの笑顔はとても素敵ですもの」
「お嬢さま――」
「よし、そうと決まったのなら、すぐに行動するべきですわ。行くべきところがありますの」
ルーシィは立ち上がって、金貨を掲げた。「金貨よ、わたくしたちを、ここのみんなをあの場所へ!」
130 :No.26 ヘヴンズ・ドライヴ! 8/8 ◇QIrxf/4SJM:07/11/11 23:49:24 ID:5abG7Ca1
金貨が弾けると、三人は見知らぬ場所にいた。真っ暗だ。スポットライトに当てられているかのように、ぽつねんと立っていた。
目が慣れてくると、少しずつ辺りが見えてくる。そこはだだっ広い平地で、地平線の彼方まで何も無い。空は黒く、地面だけが白くおぼろげに見える。
ルーシィとマリィが、留美の前に歩み出ると、先日出会った人たちが、ぽつん、ぽつんと留美の前に現れ始めた。
大勢が、留美の前に立っている。
「ミス・モトモリ」半目男爵が言う。「いやあ、素敵なえくぼですよ。私がかつて愛した女性も、右頬にえくぼがあった」
「みんな、あなたのえくぼを見たいって金貨を使ったのよ。最後にね。――それよりも、さあ。金貨を」
「う、うん」留美は言って、金貨を天に翳した。「パパやママ、それから友達に会わせて!」
掲げた金貨が指から離れて、大きくはじけた。真っ暗闇に、金色の光が眩しい。
光の粒は空を舞い、あたり一面に降り注いでいく。
「うわあ。なんだかすごいよ」留美は感嘆の声を漏らした。
地面に降り注いだ光の一粒一粒が、それぞれ、草木や、砂利になる。
何も無かった空間に、一つの風景が浮かび上がっていく。
碧々とした草原の中に、曲がりくねった砂利道が一本。それは見える限りに、どこまでも続いている。
「これは?」
ルーシィは、留美の後ろを指差した。
目の前に伸びる、長いあぜ道。
「そっか、そういうことなんだね」留美は俯いた。
家族や、学校での友達に会うということ。
「大丈夫。私たちは永遠にこの場所で、楽しく過ごし続けますもの。あなたがもう一度ここへやってくるまで、私はずっとここにいますわ」
「次にまたここへやってくるときは、おばあちゃんになっているかもしれないよ」
「簡単なことですわ。そのときは、金貨で若返ればいいだけのことですもの」
「うん!」留美は頷いた。
満面の笑みを浮かべて、えくぼを皆に見せ付ける。
「これは、私からのプレゼントです」マリィが金貨を掲げると、留美の目の前に大きな馬車が現れた。「さあ、これに乗ってください」
見守りに来た人たちは、微笑んだまま頷いている。
「みんな、ありとう!」
留美は皆に手を振って、馬車に足をかけた。
「また、会えるよね!」
乗り込むと、馬車はゆっくりと進み始める。
みんなに会える、轍の上を。