【 獣プラス1 】
◆667SqoiTR2




110 :No.24 獣プラス1 1/5 ◇667SqoiTR2:07/11/11 23:04:12 ID:5abG7Ca1
 健康的な植物の緑と開放的な空の青があった。うまい空気が実感できるほどの田舎だ。
 国破れて山河あり、なんて言葉が思い浮かんだ。なんてことはない。ようやく、敗北を
実感できただけだ。それは都会では決してできなかったことだった。
 そんな考えを知ったら、都会に残してきたメンバーはどう思うだろうか。あいつらの前
では傲慢なリーダーとして振舞ってきた。売れていなくても、不安を見せず、聞く人が悪
いのだと言ってきた。背負っているベースケースが、重みを増したようだった。
 そんなことよりも、俺は近い問題を抱えていた。今日の宿が確保できていない。どこか
知らないバス停で、降りたのだから仕方が無い。選択肢に野宿を含めて、捜し歩くことに
した。

 緑と青だけだった景色に、夕焼けの赤が混じり始めたころ、人を見つけることができた。
十五歳くらいで、この国では見かけない白い肌をした少女だ。
 少女は目を瞑ったまま、何かと喋っているように口を動かしていた。
 俺は怪訝になって声をかけた。「何をしているんだ?」
 少女は驚いたように目を開いた。夕日が反射したような、赤色の瞳だった。
「やあ、こんにちは」俺はゆっくりと、できる限りの愛想をこめて言った。
 警戒の色が浮かんでたが、すぐに少女はやわらかく笑った。「こんにちは、といっても
もうすぐ夜ですから、こんばんは。こんな何も無いところに、何の用で来たんですか?」
「ちょっと、仕事で休暇を貰ってね。恥ずかしながら、自分探しの旅に出ることにしたん
だ」その休暇が強制であったり、探すというよりも取り戻す旅だったりするが、嘘はつい
ていない。「今日の宿が無いんだけど、どこか良い所ないかな?」
 少女は思案してから、明るい笑顔で言った。「じゃあ、たいした物は出せませんが、私
の家に泊まっていくのはどうですか? ちょっと遠い場所なんですけど、案内しますよ」
「ありがとう。ご迷惑をかけるよ」安心しながら言うと、少女の笑顔が輝いた気がした。
 歩きだした少女は言った。「その背負っているのはなんですか?」
「ああ、これか。ベースだよ。音楽をやってるんだ」
「それは素敵です。夢がかなったんですね」
「ああ、そうなんだ。今の夢もそうなんだけどね。君の夢はなんだい?」
「私はそうですね」少女は少し考えてから笑った。「お友達を千人ほど作るとこです」

111 :No.24 獣プラス1 2/5 ◇667SqoiTR2:07/11/11 23:05:03 ID:5abG7Ca1
 明かりが見えたとき、俺はため息を付いた。少女の肩がやっと見えるくらいの視界で、
不安になっていたのだ。
「あれですよ」少女は明かりを指差した。「あれが私の館です。あと、二三分で着くはず
です」
 その言葉通りに、俺と少女は館に到着した。かろうじて館への道はあったものの、周り
は草木が生い茂り、拒まれているような気がした。
 少女は重そうな扉を開け、大きな声で言った。「ただいま帰りました」
 シャンデリア。磨かれた床。暗くて外観はわからなかったが、内装はたいしたものだった。
「お帰りなさいませ、姫様」
 天井を見ていた視線を声に向けると、ひょろりとした男がいた。背筋を伸ばして、少女
を見ている。俺がいるというのに、疑うでも、咎めるでも無い表情が、少し不気味だ。
 姫と呼ばれた少女は疑問を持ってないかのように言った。「はい、お留守番ご苦労様で
す。この方をお部屋に案内してください」
「はい、かしこまりました」ひょろりとした男は俺に向き直った。「では、こちらにござ
いますので」
 俺は驚いて、少女を見た。どうして、こんなに話が進むのが早いのかと目で問いただし
た。少女は赤い目を細めて微笑んだ。何も伝わっていないような笑みだった。
「ありがとうございます」俺はわからないくらいに小さくため息をついて、ひょろりとし
た男を見た。「お願いします」

 階段を二度上り、廊下を五分ほど歩き、一度下がり、ようやく部屋に着いたようだった。
館の中は驚異的な広さだった。部屋も高級ホテルと何の遜色も無かった。大きなベッド、
真っ白なシーツ、見ただけでわかるほどしっかりとしたタンスと机。ただで宿泊させても
らえるか不安になった。だが、気づいたときにはひょろりとした男はいなくなっていた。
 俺は仕方なく、カバンとベースケースをベッドの上に放り出してから、荷物の横に寝転
んだ。
 何もすることがなくなった。連続性が途切れた気がした。俺は本当に少女に会ったのだ
ろうか。本当に都会から離れたのだろうか。不安が襲ってきた。天井が迫ってきた気がし
た。目を瞑った。音が無かった。耳鳴りが聞こえた。また、連続性が途切れた気がした。
俺は本当に音楽をしていたのだろうか。

112 :No.24 獣プラス1 3/5 ◇667SqoiTR2:07/11/11 23:05:36 ID:5abG7Ca1
 はっと気がついた。不安を解消する方法がある。ベースケースを空けて、ベースを取り
出した。演奏することさえできれば、全ての不安は無くなるはずだ。
 大きく深呼吸した。ゆっくりとベースの弦に指を乗せた。もう一度、深呼吸した。そし
て、弾こうとしたとき、ガラスの割れる音がした。音に振り向くと、割れた窓と、覆面を
した侵入者がいた。侵入者は飛び掛ってきた。
 とっさに反応できず、ベッドに仰向けに倒された。さらに、両手を押さえられた。手に
どれだけ力を込めても、びくともしない。俺はもがきながら、侵入者を蹴り上げた。する
と、少しだけ力が弱まった。それを見計らって、拘束から脱することに成功した。
 俺は立ち上がり、ベースのネックを両手で握った。無手の侵入者と武器もちの俺。五分
以上に有利になったはずだ。
 動こうとした侵入者の頭頂部めがけてベースを振るった。鈍い手ごたえ。覚えている限
り、人を殴ったことは無いはずだが、やったという実感があった。
 一撃で、侵入者は意識を失っているようだった。頭から血を流して伸びていた。それを
見ながら、今後のことを考えた。まずは少女に伝えるべきだろうか。
「やっちまったな」
 聞き覚えの無い声に振り向くと、知らない男が部屋の中にいた。さっきの侵入者の仲間
かと思い、ベースを握りなおした。
「俺は敵じゃねえよ」男はのどの奥で笑った。「そいつは吸血鬼の仕業だよ」
 聴きなれない言葉に、俺は面食らった。「なにをいってるんだ」
「吸血鬼伝説を知ってるか? あの姫様がその正体さ。といっても、そのままの吸血鬼な
んかじゃない。あの女ができるのは、手下を増やすことだけ。そして、縛られてるのは、
血を吸わなければならないことだけ。力が強いわけでも、日光で灰になるわけでもない。
だが、あの女と手下とは完璧な連絡法があるらしい。人間以上の連携を持った軍隊さ」
 俺は混乱した。「そんなの現実じゃない。どうしたら、そんな妄言を吐けるんだ?」
「残念だが、事実だ」男は飄々と言ってのけた。「地上にどれだけの生き物がいると思っ
てるんだ。世の中には、人間を超える生き物がいることくらい、おかしくは無いだろう」
 言われてもそうは思えない。「だったら、お前はなんなんだ?」
「俺か? 人間以上の二面性を持った、狼男さ。作戦を立てる人間の俺と、作戦を実行す
る狼の俺。良いコンビだろ?」

113 :No.24 獣プラス1 4/5 ◇667SqoiTR2:07/11/11 23:06:08 ID:5abG7Ca1
「ああ、そうか」俺はようやく思い当たった。カバンから、ビンを取り出す。
「ん? なんだそれは? ドラッグか? 飲むのか?」男は嫌な笑みを浮かべた。
 俺はため息をついた。「お前の存在が妄想だと思いたかったんだ。どうやら、それもな
いみたいだが」ビンの中には都会を出たときと同じ、二錠のカプセルが入っていた。
 もう一度、ため息をついて、男に視線を向けた。だが、初めからいなかったように、忽
然と消えていた。もしかしたら、カプセルを飲まなくても、幻覚が見えているのかもしれ
ない。
 バンドをクビになったときと同じだ。施設で禁断症状に苦しむ日々を送った。抜け出し
て、以前の自分を取り戻すたびを送った。ようやく治ったはずだった。
 扉を開けて少女が入ってきた。「何か音がしたようなので、来てみたのですけど」少女
は割れた窓を見た。「なんですか、これは!」
 窓に駆け寄ろうとした少女は倒れた。倒れている人に足を引っ掛けたのか。
「い、一体なにがあったんだすか」少女の声にはしっかりとした怯えが含まれていた。
 その行動はひどく喜劇じみていた。狼男と名乗った妄想の言葉が浮かんだ。
「君は吸血鬼なのか」
 一瞬、少女は固まった。それから、すぐに年相当の明るい笑みを見せた。
「なんだ、ばれちゃったんですね。せっかくお友達を使って、演技をしたのに、感が良い
んですね」少女は正体を隠しているときよりも、表情豊かに言った。
「そんなことよりも、血をいただけませんか? 痛いようにはしませんから」
 狼男の言葉は本当だった。それになにより、少女の赤い瞳は恐ろしかった。俺は一歩後
ろに下がった。
「ああ、そうですか」少女は悲しげに顔を伏せた。「でしたら、無理やりでもさせていた
だきます」
 ひょろりとした男が部屋に入ってきた。倒れてた男が立ち上がった。
 逃げることなどできない。この状況を打開するのは超人で無いと無理だ。だが、それを
呼ぶ方法を俺は知っている。握っているビンからカプセルを取り出した。
「観念してください」
 カプセルを口に含み、噛み砕いた。内容液を胃に送り込む。

114 :No.24 獣プラス1 5/5 ◇667SqoiTR2:07/11/11 23:06:29 ID:5abG7Ca1
 心臓がはねた。
 血/怯えた顔/振り上げたベース/脳漿/つぶれる音/肉/「汚ねえ殺しだな」/赤/
血の臭い/「お前は――」/振り下ろす。
 ぞわりと快感が背中を駆け上がった。じーんと頭の芯が痺れた。ぶるぶると手が震えた。
ぎゅんと腹の奥が縮んだ。どくんと心臓が脈打った。
 視界が赤く染まる。耳を流れる血液が聞こえる。空気の流れがわかる。
 できないことが世界から消え去った。俺はなんでもできる。
 手始めに、ポケットから二つピックを取り出す。手首のスナップを利かせて、投げつけ
る。ピックは当たり前のように二人の男の額に刺さり、糸の切れた人形のように倒れた。
 少女はぽかんと口を開けていた。「あ、あなた何者!」
「そんなとこはどうでもいいじゃないか」俺はベースを振り上げた。「殺そうとした奴は
死ね」
 振り下ろした。慣れ親しんだ感触がした。楽しくなってくる。
 振り上げた。振り下ろした。振り上げた。振り下ろした。
「相変わらず汚ねえ殺しだな」
 狼男の声が聞こえた。だが、周りを見渡すが誰もいない。
「まあ、いいんだけどな。取りあえず、お仕事ご苦労さん」
 ただの幻聴だ。きっとそうだ。カプセルを飲めば直るはずだ。
「だがな、お前が答えられなかった質問があるだろ?」
 俺は出入り口でない扉を開けた。そこは洗面所だった。これで水で嚥下できる。
「それを今、お前にいってやりたいんだ。お前は誰だ?」
 鏡に映った顔は、返り血で真っ赤だった。意識すると、気持ち悪くなってくる。
「ヒントは『過去も未来も嘘』」
 水を出して、念入りに顔を洗った。簡単に血が落ちるなんて思えなかった。
「オーケー。じゃあ、答えを教えてやるよ」
 顔を上げた。そこには狼男がいた。
「お前は俺だ」
 鏡を叩き割った。

<了>



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