【 クシャクシャの紙切れ 】
◆YuLLKCNrcU




95 :No.21 クシャクシャの紙切れ 1/5 ◇YuLLKCNrcU:07/11/11 19:36:08 ID:5abG7Ca1
 大学の講義が終わって一息ついていた昼下がりのことだった。唐
突にかかってきた電話を取る。お袋からだった。
「優介。あのね……」
 電話口のお袋はずいぶんと疲れ果てていた。普段快活なお袋らし
くもなく、ひび割れた老人のような声だった。
「おじいちゃんが……倒れたの。お母さんとお父さんは今病院に居
るんだけど、もう長くないって、そうお医者様が……」
 ジジイが倒れた。お袋はそう告げた。
「はぁ? 冗談きついぞ。あのジジイがそう簡単にくたばるもんか
よ」
 なにせ、近所でも評判の意地悪ジジイだ。俺が地元を離れてア
パート暮らしをすることになったときも、ジジイは俺の見送りもこ
ずに柿を盗んだ悪ガキを裸足で追いかけてた、なんていう元気のあ
りあまった様子だった。そのジジイが死ぬ? 冗談にもほどがある。
俺は一笑に伏した。
「ううん、本当よ。おじいちゃん。本当に……」
 お袋はそこで言葉に詰まってしまったらしい。受話器の向こうか
らかすかにすすり泣く声が聞える。
 俺は頭を掻いた。まいった。そう素直に思った。
「わかった。すぐそっちに行くから」
 病院の場所と、病室を聞くとそれをメモして、大学を出た。

 俺が病室に着くと、ジジイは白い個室に備え付けられたベットの
上で外を見ていた。
 なんと声をかけようか。俺は悩んだ。実際ジジイは俺を嫌ってい
た。顔を合わせては怒鳴るジジイが、正直俺は疎ましかった。だか
ら、大学も地元から離れた場所にしたし、二度と実家には帰るまい
とすら思っていた。
「優介か? 優二も洋子さんも今はおりゃせんぞ」

96 :No.21 クシャクシャの紙切れ 2/5 ◇YuLLKCNrcU:07/11/11 19:36:48 ID:5abG7Ca1
 ジジイは外を見たまま、俺に親父とお袋が今は居ない事を告げた。
おそらく、着替えでも持ってくるのだろう。外を眺めるジジイの後
姿は、以前の記憶よりも一回り小さくなっていたようだった。
「んだよ。ジジイ、俺が帰ってきちゃいけないのかよ?」
 ジジイの言いようが気に入らなかった俺は、ついそう返してしま
った。
「クソガキが、少しは老人をいたわらんか」
 このジジイをいたわる自分など、想像するだけで反吐が出る。
「冗談! 死に腐る前に一言言ってやろうと思って来ただけだ。す
ぐに帰るさ」
 カッと頭に血が上る。
「お前は、変わらんの。すぐ頭に血が上って、怒鳴り散らす。そん
な事ではやっていけんぞ」
「大きなお世話だ。そりゃアンタもだろ? 俺の顔を見るとすぐに
お説教だ」
 死ぬ寸前にすら俺に説教するジジイが、どうしようもなく気に入
らなかった。
「そうかも知れん。お前はまるでワシの若い頃そっくりじゃな」
 そう言ってこちらを見ると、ジジイは笑う。以前の豪快な笑いで
はなく。今にも枯れそうな枝葉の笑み。それがあまりにも寂しくて、
俺は毒気を抜かれてしまった。
「しかし、変わらんというのも良いかもしれんのう」
「分かったような事言いやがって、俺とアンタは少しも似てねぇ
よ」
 一緒にすんな。俺はそう言った。

「そういえば、お前に何かをくれてやった覚えがないのう」
 しばらく外を眺めていたジジイがそう言うと、手に持っていた紙
切れを俺に渡した。
「あ? なんだこれ」

97 :No.21 クシャクシャの紙切れ 3/5 ◇YuLLKCNrcU:07/11/11 19:37:19 ID:5abG7Ca1
 それは写真だった。いまだ青々とした稲に囲まれたあぜ道が、
山々に続くように伸ている風景写真。
 おそらく、ジジイは外を眺めていたのではなく。この写真を眺め
ていたのだろう。
「それはな、ワシが取った写真じゃ。よく取れているじゃろう?」
 ジジイが写真屋だったのは、戦後の話だ。昔、亡くなったばあち
ゃんに聞かされた事がある。しかし、この写真はカラーだ。戦後の
写真であるならば、白黒写真だろう。
「人間はの、いろんなものを変えてしまう。そうしなくてはいられ
ん生き物なんじゃ。良いか悪いかは別にしての」
 ジジイはそこで一端区切る。
「じゃがの。写真は、その時間を切り取る。苦しい事も、悲しい事
も、その時その場所を変化することなくな。そういうもんじゃ」
 ジジイはそう言って、視線を遠くに向けた。
「だから……なんだよ」
 あまりに要領を得なかった。それを俺に渡す事になんの意味があ
るというのだろう。
「さて、後はお前が考えりゃいい」
 そういうと、ジジイはまた外を眺めた。その日、親父とお袋が来
ても、俺とジジイは会話をしなかった。
 それから1週間後、俺はジジイの法要を終え、アパートに帰る準
備をしていた。
 俺がジジイをたずねた日から2日後、ジジイの容態が急変し、あ
っけなく逝った。
 涙も出なかった。ただ、死んだという事実だけがあって、俺はそ
れを受け入れるだけのことだった。
 ふと、ポケットにあのときの写真を見つけた。一枚の風景写真。
「なんだったんだろうな。これ」
 これだけが疑問だった。なんとはなしに見ていると、ちょうどお
袋がそこを通りかかった。

98 :No.21 クシャクシャの紙切れ 4/5 ◇YuLLKCNrcU:07/11/11 19:37:59 ID:5abG7Ca1
「優介、どうしたの? あら、なつかしい」
「お袋、知ってんのか? これ」
 どうやらお袋はこの風景に見覚えがあるらしい。
「なにいってんの。アンタがよく遊んでいた場所じゃない。ここに
行っては、よく服をドロだらけにして帰ってきたものよ」
 記憶になかった。いや、おそらく忘れているだけなのだろう。
「だけど、この場所。アンタが大学に行ってから埋め立てられちゃ
ってね。ずいぶん変わっちゃったのよ」
 そういうこともあるだろう。俺は3年もここから離れているのだ。
少しぐらい様変わりするのはしょうがないと思う。
 しかし、なぜジジイはそんな場所の写真を俺に渡したのだろう
か。
「そういえばね。おじいちゃん。その埋め立て工事に反対してたわ
ね。座り込みをするなんて言ったときは、どうしようかと思ったの
よ?」
「はぁ?」
 俺は耳を疑った。あのジジイがそのような事をするような人間に
思えなかったからだ。
「でね。引き止める私達におじいちゃんがこう言ったのよ。あそこ
は孫の大切な場所だからって。あの人、アンタとケンカばかりして
たけどやっぱりアンタが好きだったんでしょうね」
 お袋はそう言うと、寂しそうに笑った。
「すまん。お袋、ちっと出かけるわ」
 俺は、そう言うと走り出した。目的地がどこかも思い出せず、ア
パートに帰る準備もホッポり出して。

 迷い、転び。服を汚しながらもがむしゃらに走った。走って、走
って、自分が今どこに居るのか分からなくなりながらも、ひたすら
に走り続けた。

99 :No.21 クシャクシャの紙切れ 5/5 ◇YuLLKCNrcU:07/11/11 19:38:26 ID:5abG7Ca1
「ここか」
 息を切らせ、肩を上下させながらも、ようやくそれらしい場所に
たどり着いた。そして、その風景をみて俺は驚いた。
 そこには、以前のような田んぼや山々など存在しなかった。ただ
冷たいコンクリートで固められた道路と、切り崩される途中の山々。
そこは血の通わぬ無機質でいびつな場所になっていた。
「は、ははっ。マジかよ。おいおい、変わるもんだな」
 無性に笑えた。こんな場所を守るためだけに苦労しているジジイ
の顔が浮かぶ。
「最後までわけの分からんねぇジジイだ」
 耐え切れなくなって、声に出して笑う。そして、頬を伝うものに
気づき、自分が泣いている事に気づいた。あとからあとから流れ出
る涙が、どうしても止められない。
「くそッ。俺、アンタに嫌われてると思ってた。いっつもケンカば
かりしてたし、しかめっ面しか見たことねぇっつうの」
 写真に滴が落ちる。
「なんだよ。持ってけよ。最後まで、大切なもんなら、自分の懐に
入れとけよ」
 クシャリと写真を握る。写された風景画歪む。
「クソッ、クソッ。渡すなよ、こんなもん……」
 俺は、記憶からすっかり変わってしまったその場所で、ひたすら
に泣き続けた。ただ、ジジイともう少し話をすればよかったと、そ
う思えた。
 それから、俺は普段の生活に戻った。朝がくれば講義に出るし、
金を稼ぐためにバイトもする。
 以前と変わったものといえば、俺の部屋の隅に飾られた一枚の写
真。クシャクシャになってしまってはいるが、その風景はいつまで
もかわらない。思い出と、時間を閉じ込めたその風景写真は、俺の
宝物になのだから。




BACK−君と歩く道 -stand by you-◆AouaI4MH8c  |  INDEXへ  |  NEXT−我ら姉妹は静かに祈る◆CoNgr1T30M