【 僕の世界 】
◆AyeEO8H47E




56 :No.13 僕の世界 1/5 ◇AyeEO8H47E:07/11/11 00:44:29 ID:QDxDc4Ig
 聖火ランナーは聖火台まであと少しというところで突然方向を変えると、大勢の観衆が蠢く人垣へ突っ込んだ。
人々は猛然と突っ込んで来るランナーに驚き、クモの子が散るように逃げ惑った。
ランナーはそのまま路地へと走りこんで行く。
しかしオリンピックという世界の一大イベントでこのような暴挙が許されるはずはない。
会場に待機していた警備員たちがその路地に殺到する。
前から後ろから警備員がランナーの体に飛びつき、男をその場に組み敷こうとするが、
彼は眉一つ動かさず警備員たちを振りほどき、男はいとも簡単に会場の警備網を突破していった。
事態を聞きつけて警官隊が到着したが、行く手を遮る彼らを男の右手に握られた松明の炎がとぐろを巻いて彼らを燃やし尽くした。
その場にいた誰もが彼の暴走を止めることはできなかった。
男はどんどんそのスピードとパワーを人間離れさせながらひた走る。
壁を砕き、ビルを突っ切り、森を山を焼き払い進んでいく。彼は何が何でも目的地に向かって一直線に進むつもりらしい。
やがて海にたどり着いた。彼は尚もスピードを緩めることなく(それは車も追いつけないようなスピードだった)、
走り幅跳びの助走のようにポーン、ポーンとリズムをつけて二回、三回と跳ね、そして最後に大きく膝を曲げて踏み込むと、
空の彼方へジャンプして消えた。砂浜は隕石が落ちた跡の様に大きくえぐりとられ、そこで待ち構えていた軍隊は雨のように降り注ぐ
浜辺の砂を体に受けながら呆然と彼を見送った。
その後、人工衛星により対岸の大陸に着地して再び疾走中の男が補足された。
そして暴走を初めてから1週間目にしてやっと、男のスピードが落ち始めていることが確認された。どうやら目的地が近いらしい。
果たして男が向かうその先には、小さな村があった。

57 :No.13 僕の世界 2/5 ◇AyeEO8H47E:07/11/11 00:44:58 ID:QDxDc4Ig
 道の向こうから歩いてきた男は周りの草むらに火を放ちながらこちらにどんどん近づいてくる。
「やあ」
僕は男に話しかけてみることにした。
男は僕の声が聞こえたのか聞こえていないのか、黙々と持っている大きな松明を左右に振り振り、放火活動に余念がない。
僕の村は突然やって来たこの男によってもう四分の三が焼けてしまった。
四分の三の内には僕の大好きなミヨちゃんの家も含まれるし、ヨモギ山秘密基地も、ダイスケじじいの蔵も、ウヅラ座も、
トンボ公園も、化け猫集会場も含まれる。
全部燃えてしまった。
 昨日この村に軍隊がやって来た。村の入り口にバリケードが築かれ、何台もの戦車とヘリコプターと戦闘機が村中を行き交い、
小さな小さなこの村は騒然となった。僕たちには緊急事態なんだと言うだけで、何の説明もされずじまい。
わけのわからないままおろおろしていると、今日の早朝、村の入り口に松明を持った一人の男が現れた。
司令官がそれを確認すると、男に対してなんの警告もなく、戦車砲を発射した。一面に巻き起こる爆風と轟音。
それを合図に総攻撃が開始された。
攻撃は三十分以上にわたる激しいものだった。しかし結局、男は傷一つ負わず、現れた時と同じ姿勢で立っていた。
男は右手に掲げている松明の炎で一瞬にして軍隊を焼き払った。
そして男は歩いて門をくぐると、先ほど軍を滅ぼした時と違ってゆっくりと丁寧に、僕の村のあらゆる建造物に火を放ち始めたのだった。
 男は僕の背後にある村の残り四分の一を焼きにこの道をやってくる。
僕はそれを燃やさせるわけにはいかない。(そこには学校や、学校に近いのだけが取り柄の僕の家、ウツノミヤ神社も含まれる。)
だから僕は男にもう一度声をかけてみた。

58 :No.13 僕の世界 3/5 ◇AyeEO8H47E:07/11/11 00:45:38 ID:QDxDc4Ig
「やあ」
男は僕の五メートル手前の所で立ち止まった。しかし僕の声が聞こえているのかどうか今ひとつ確信が持てない。
男の視線が僕の顔をまともに捉える。仮面でも被っているかのような強烈な無表情。
「君のせいで僕の村のほとんどが燃えてしまったよ」
消火剤をばら撒く複葉機が二機、バタバタと騒々しい音を立てて僕たち二人の上空を飛び去っていった。
赤一色だった景色にもうもうと白い煙が立ち上る。
依然として燃え盛る僕の村と、男の松明。
「君が一体どこからわざわざこんな田舎までやって来たのか知らないけれど」
しかし男の顔にはどこかで見覚えがあるような気がした。
「こんな小さな村に用がある人がいたなんて、驚いたな。」
男は相変わらず話を聞いているのだかいないのだかわからない。右手の松明をつまらなそうにヒュンヒュンと振っている。
「よかったら聞かせてもらいたいね。なんの得があって君がこんなことをするのか」
僕は辛抱強く話しかけた。
男は松明をブラブラさせるのをやめると、僕の目をじっと見据えた。
僕は男と目を合わせているだけで体力を奪われていくような気がした。冷や汗が首筋を伝い、膝はガクガクと笑った。
僕はとても怖かった。
「君の世界は焼け落ちようとしている」
男はやっと口を開いた。そう、確かに僕の世界は焼け落ちようとしている。
「残念だが君の質問に答えてあげることはできないよ。正直言って私にもよくわからないんだ。」
男は左の手のひらを上にあげて、困った、といった感じのジェスチャーをしてみせた。しかしあまり困っている風には見えない。
「これは私の意思を超えたことなんだ。私は君にも君の村にも何の恨みもないよ。でも君と君の世界には消えてもらわなくちゃ
ならない。私も知らない誰かがそう決めて、そしてその仕事はなぜか私に任された。私にわかるのはそれだけさ。
理不尽な話だと思うだろ?(それはこの私にとってもだけどね)でもね、こんなのはそう珍しい話でもないんだ。
ここは全ての人に孫に見取られながらベッドで死ぬことが約束された世界ではないんだ。
この世の中は救いのない終わりで満ちているんだよ。つまるところ、君には運がなかったということさ。まあ、諦めたまえ」
話し合いは失敗に終わった。この男を打ち倒す以外に止める方法はなさそうだ。
僕は後ろ手に隠し持っていた野球のバットを震える手で握りしめ、へっぴり腰で体の前に構えた。

59 :No.13 僕の世界 4/5 ◇AyeEO8H47E:07/11/11 00:46:13 ID:QDxDc4Ig
 その時奇妙なことが起こった。
男はバットを見ると、氷のようだったその表情がなぜか少し緩み、口元に笑みがうかんだのだ。
その顔を見て僕はこの男が誰だったのか思い出した。
十年前に引退した世界的に有名な野球選手。僕に野球を始めるきっかけをくれた人。
人間離れした無表情と、どういうわけか現在五十代のはずなのにどう見ても二十代前半にしか見えないくらい若返っていたことのために
気づかなかったが、その印象的な笑顔は間違いなく彼のものだった。
僕は、十日前に見た今年のオリンピックの最後の聖火ランナーである彼が聖火台の直前で消えたというニュースを思い出していた。
僕は思わず彼の名を呼んだ。
しかし男はそれには何の反応も示さなかった。こうなる前のことは何も覚えていないようだった。
どうやら彼の世界もまた、誰かによって焼かれてしまったらしい。
「君はせめて自分の背後にあるものだけでも守ろうとがんばっているようだが」
男はまだ笑みを浮かべながら、言った。
「君は私に勝てない。私が君を蹂躙し、君の背後にあるものを燃やし尽くすのは時間の問題だ。だが君はそれでも最後まで私に抵抗しよう
としている。ガタガタ震えながら、それもそんなバット一本で」
たまらない、といった様子で男は松明を握っていない左手を腹にやり、クックックッ、と小刻みに震えだした。


60 :No.13 僕の世界 5/5 ◇AyeEO8H47E:07/11/11 00:46:44 ID:QDxDc4Ig
 僕も一緒になって笑い出したい気分だった。
もうミヨちゃんにも会えないこの世界。
大好きな野球も映画も友達も家族も犬も猫もお化けも、大事なものがほとんど燃え落ちてしまったこの世界。
憧れのヒーローが僕を殺しに来る世界。ここは酷い所だ。まるで誰かの悪夢のみたいに。
それを守るために僕は家から野球バット一本引っつかんでこんな化け物の前に飛び出してきたわけだ。 
 僕は実際に笑い出した。
僕たちはしばらくの間、とても仲のよい親友同士のように大声をあげ、腹を抱えて笑い続けた。
こんなに腹の底から笑ったのは久しぶりだった。
「勝負だ、少年。君の世界の存亡を賭けて」
どうやら彼は彼の世界に笑顔を取り戻したらしく、惜しげなくその素敵な笑顔を僕に振りまいた。
まるで僕を励ますかのように。
これから僕は彼と戦う。何分持つかわからない。いや、何秒持つかわからない。相手は強く、僕のヒットポイントは今や残り四分の一だ。
でも逃げるわけにはいかないのだ。男の中で、ほんの少しだけ息を吹き返した僕のヒーローが見ていてくれるのだから。
僕も笑って、男に答えた。
「ようこそ、僕の世界へ」
僕の残りの世界が、全力をあげてあなたをもてなすだろう。
松明の炎が大きく揺らめく。
僕はバットを振りかぶった。頼もしい僕の野球バット。
                                                   
おわり



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