【 日の傾く頃に 】
◆nlBeXpyhZw




49 :No.12 日の傾く頃に 1/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:39:46 ID:QDxDc4Ig
 田舎道のど真ん中で、僕はつっ立っていた。
 秋なのだろうか。頭の垂れた稲やススキの穂が、夕日に当たりながら風になびいている。
 背景にそびえる山の雄姿や風土の匂いが、母親の実家がある田舎に幾分か似ているような気がしたが、感覚がボヤけていていまいち掴みかねている。
 ふいに、道の向こうに僕以外の誰かが立っているのに気付いた。
 百メートル、いや一キロかもしれない。遥か遠方に見える人影は、バックに夕日を構えて僕を待ち受けていたかのようだった。
 新月の原理で、人間は影のようにしか見えない。おまけに遠く離れていては、たとえ遠視でもそう容易く他人を識別することはできない。
 だが、不思議なことに、僕は瞬時にその人の顔や服装まで視認してしまった。
 いや、見えないことには変わりない。
 “感じ取った”というのが適切だろうか。
 紛れもないじいちゃんが、そこには立っていた。
 僕は矛盾に一切の疑念すら抱かず、元気なじいちゃんの姿に歓喜した。
 そして何故か遠いところにいるじいちゃんに向かって、大きく手を振った。
 じいちゃんは小さく手を振って返してくれた。
 その動きは小さかったけど、僕には大きく映った。


50 :No.12 日の傾く頃に 2/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:40:19 ID:QDxDc4Ig
 記憶は、そこで途切れている。



 目が覚めると、丁度朝の五時を回ったばかりだった。
 十月の始め、既に日の出は遅い。外は暗く、早朝特有の静けさが、僕の周囲を取り囲んでいた。
 じいちゃんの夢なんて、久しぶりに見た。

 寝たきりになってから、昔のように遊んでもらうことはもう叶わなくなった。
 元気なときのじいちゃんの印象が強かったために、要介護者として家で預かったかのときの衝撃は計り知れなかった。
 足腰が効かなくなった上に認知症を併発していて、かつてのように饒舌に昔話や知恵を披露してくれることもなくなってしまった。
 母親も、食べ物は溢すわ糞尿は垂れ流すわのじいちゃんを介護するのに、相当疲れているようだった。
 昨年、定期的な膀胱洗浄とバルーンの装着を要するようになったため、じいちゃんは介護施設と一体化した病院へ入れられることとなった。
 介護に疲れていた母、それを見ていた父、受験を控えた姉。じいちゃんのいなくなり慌ただしさの消えた家の中で、家族全員がそっと胸を撫で下ろしているようだった。
 僕はそれが寂しかった。





51 :No.12 日の傾く頃に 3/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:40:53 ID:QDxDc4Ig
 日が昇り、僕は二度寝から醒めた。
 いつもなら、早起きの母が朝ごはんを用意してくれているはずにもかかわらず、今日はパンを焼いている音すらしない。
 どうしたものか、と僕は階下に下りた。

 リビングでは、母が朝っぱらから誰かと電話していた。父も、携帯電話でせわしく誰かと喋っている。唯一人暇そうな姉が日課の野菜ジュースをイッキ飲みしていた。
「何かあったの」
 飲み干したコップを置いて、隣に座った僕に、まるで何事も無かったかのような素振りで切り返した。
「おじいちゃん、死んだんだって」
「えっ!?」
 しばらく呆気に取られていた。
 覚悟が無かったわけではないが、それはあまりに唐突な出来事だった。



 その日は、学校を休んだ。
 尿毒症を起こしたらしい。深夜に容態が急変し、明け方亡くなったと、医者は言っていた。
 霊安室で、毎秒毎に冷たくなっていくじいちゃんの亡骸をじっと見つめていた。
 父と母は葬儀屋の手配などで忙しく、姉は途中で飽きて病院のロビーに行ってしまった。
 僕一人、誰もいなくなるまでじいちゃんの亡骸を見つめていた。


52 :No.12 日の傾く頃に 4/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:41:36 ID:QDxDc4Ig
 母親は「高校生にもなって、割りきりなさい」と言いに来たが、僕はその場を離れたくなかった。
 割りきるとか割りきらないとかいうことは問題ではなかった。
 ただひたすら、涙が出るのを待っていた。
 思い出の詰まったじいちゃんと過ごした時間に報いる為に、悲しみの証が欲しかった。
 だが、いつまで待っても、涙は出てこなかった。
 僕はそれが寂しかった。



 その日、地元のスーパーで母親が柿を買ってくれた。
 柿は大好物である。
 店先に並んでいる柿を見ながら、「もうそんな季節になったんだな」と呟いていると、「じゃあ、今晩剥いてあげましょうね」といって、四個詰の柿一袋をひょいと買い物籠の中に入れた。
 橙色の柿を見つめながら、僕はじいちゃんとの思い出の一場面を想起した。

「じいちゃん、畑で柿作ってくれよ!!」
「ばか。畑に柿は実らんよ」
「やだ!! 食いたい!! じいちゃんが作って田舎から送ってくれたら、もっとたくさん食べられるじゃないかよ!!」
「柿が好きなのかい」
「うん」
「そうかい。じゃ、じいちゃんが一肌脱いでやろうかね」
「ホントか!? 畑で柿作ってくれんのか!?」


53 :No.12 日の傾く頃に 5/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:42:23 ID:QDxDc4Ig
「畑に柿は実らんとさっきからいっとっるだろ。植えるんじゃ」
「植える!?」
「ああ。ただし桃栗三年柿八年。柿が実るまで八年しっかり待つんだぞ。柿が実のったら、それぜぇんぶおまえのもんにして構わんよ」
「やった!! ありがとうじいちゃん」

 東京に帰る前日の日暮れ時、僕はじいちゃんと約束した。次の日「芽が出たら場所を教えてやるよ」といって送り出してくれた。あれ以来、田舎には行っていない。
 約束の日からもう六年が経った。死に際に聞いてみたかったとも思うが、あそこまで認知症が進んでしまっては、場所はおろか約束すら覚えているとは考えにくい。
 じいちゃんと僕を繋ぐものが、何もかも消え去ってしまった気がした。
 僕はそれが寂しかった。



 二年経って、久しぶりに田舎の土を踏んだ。
 大学生になった僕は、既に夏休みは終わっていたが、授業をサボって田舎生活を堪能していた。
 親戚一同、昨日から実家に詰めていた。
 大学生にはなったものの、中年の大人たちと付き合うのは息が詰まる。
 僕はふと、散歩に出かけようと思い立った。
 かつて寄り道偏重に牛歩した田舎道を、道のりに沿ってどこまでも歩いてみようと思った。


54 :No.12 日の傾く頃に 6/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:42:44 ID:QDxDc4Ig
 正面に、山も夕日も捉えてやろうと思った。
 僕は山が取り囲む田舎道を、西へ西へと歩いた。
 空が若干赤く染まり始めると、足を早めた。
 西へと進んでいるのだから、どうあっても夕日を捕捉できるはずだった。
 しかし、それでは満足できなかった。
 歩き続けて、日の傾く頃に、ある風景にたどり着いた。
 そこは田舎の夕暮れ特有の静寂に包まれていた。
 頭の垂れた稲やススキの穂が、夕日に当たりながら風になびいている。
 僕は既視感に捕われた。
 幼いとき、ここまで遠出したことはないはずなのに、記憶の片隅から蘇る何かがあった。
 さらに先へ、一歩一歩踏み出して進み始めることにした。
 百メートル、いや一キロ。
 どこからともなく現れた数字だが、それだけ行けばどうにかなると思った。
 そして、僕は、一本の柿の木を見つけた。


 最初、柿だとはわからなかった。木の合間に見える橙は夕暮れ空だとおもった。
 柿の実はそれくらい夕暮れに同化していた。
 ふいに、その柿を食してみたいという激しい衝動に駆られた。
 手を伸ばして、柿の実を一個もぎ取り、口へ運んだ。
 柿は甘く、歯ごたえがあり、これまで食べた中で最も美味かった。


55 :No.12 日の傾く頃に 7/7 ◇nlBeXpyhZw:07/11/11 00:43:16 ID:QDxDc4Ig
 一瞬のうちに、「これは僕のものにしよう」と思った。
 同時に、何故だが、ほろりと、一筋の涙が頬をつたった。
 それは悲しさによるものでも嬉しさによるものでもない、安心から溢れ出た雫だった。
 僕は安心していた。
 明日は、じいちゃんの三回忌だ。



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