【 なにかのさなぎ 】
◆wDZmDiBnbU




41 :No.10 なにかのさなぎ 1/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:27:19 ID:5CIxgPsp
 高橋君は、えっちなDVDを見ていたようだ。
 高橋君だけじゃなくて、サカモト級長とヒロトも見ていた。三人でこっそり集まって、鑑賞
会をしていたらしい。正直、そんなことはまったく知りたくなかったのだけれど、でも彼らが
勝手にバラすのだから仕方ない。
 DVDを見るなら見るで、おとなしくそうしていればいいのだと思う。一体なにがどうなっ
たのか、彼らは鑑賞会の結果、ものすごいスピードでうちの田んぼに突っ込んだ。それは盗ん
だバイクで走り出したせいでもあったし、そもそもにして、お酒が入っていたということが大
きい。ヒロトの家は酒屋さんだ。
 無免許運転に飲酒運転、バイクの窃盗と、あと田んぼ荒らし。おまけにえっちなDVDを見
た罪が加わるから、中学二年にしては結構な前科だ。にもかかわらず、うちの親は寛容だった。
駐在さんを呼んだのも、別に彼らをどうこうしようとしてのことではなく、何か起きたらとり
あえず呼ぶのが普通だからだ。駐在さんは彼らを軽くたしなめて、その親に連絡して、あとは
バイクを片付けただけだった。
 そのあとはちゃんと、それぞれの親からこっぴどく叱られた、らしい。
 別にそんなことは聞きたくなかった。
「ごめん」
 と、高橋君が、私に打ち明けて謝る理由も、ないと思う。
 べつにいいよ、と、そう答えるのは三度目だ。そして高橋君が、それでも納得いかない、と
いったような顔になるのも、これで三度目。
 いつもより言葉の少ない、学校からの帰り道。それは昨日、彼らがバイクで走った道だ。そ
こから後ろを見上げると、小さな山が目に入る。沢山の赤とんぼが飛ぶ向こうに、ぽつりと一
見、白い家が見える。あそこは昔からずっと空き家で、そしてヒロトの秘密基地だった。それ
に昨日の晩には、鑑賞会場にもなった。
「あのバイク、よく動いたね」
 高橋君が喋らないから、私が話題を考える。思い出したのは、あの空き家に捨てられていた、
ボロボロのスクーター。昔ヒロトに案内されて、一度だけ見た憶えがある。あの頃からすでに
錆だらけで、とても動くようには見えなかった。直したのは、やっぱりサカモト級長だった。
「あいつ、もう進路も決まってるって。高専行って、ロボ作るとか」
 まだ進路なんて考えてもいなかったけれど、でも高専は叔父さんの母校だから知っていた。
国立で、頭のいい人の行くところで、そしてこの村からはとても遠い。なんとなく、サカモト

42 :No.10 なにかのさなぎ 2/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:28:23 ID:5CIxgPsp
級長らしいな、と思う。頭が良くて真面目で、でも何を考えているのか、ちょっとわからない
ところがある。別に証拠や目撃証言もないのに、年上の彼女がいるらしい、という噂がある。
 その級長と、高橋君と、ヒロトと。この三人がどうしていつもつるんでいるのか、私はちょっ
と不思議に思った。例えばヒロトは、級長と性格が全然違う。いつもうるさいし、子供っぽい
し、下品なことばかり言うから女子とは結構仲が悪い。高橋君だって、二人と全然違う。背が
高くて物静かで、ぱっと見は怖そうなのに、でも話してみると意外と優しい。
 この三人に共通するところなんて、全くないように思える。
 その辺のことを聞こうと思わなかったのは、どうしてなのか、よくわからない。
「級長の彼女は、高専の人なのかな」
 知らない、と、高橋君が答えた。そのあと、少し迷ったように、
「あいつ、そういう話、しないんだ」
 と、小さく言った。うるさそうな目で赤とんぼを見上げる、その高橋君自身、そういう話を
しないな、と私は思う。そういえばヒロトも、冗談を別とするなら、そうだ。
 それが共通点なのかもしれない。でもなんとなく、違うような気がする。
 わからないまま、家の前の坂で別れる。砂利道の向こう、屋根の上の空が赤くなる。夏休み
が空けてまだ二週間なのに、でもとんぼが飛んで、すぐに衣替えがやってくる。きっとまた雪
が積もって、それが溶けたら三年生。まだ想像のつかない受験勉強があって、この帰り道を何
度も往復して、いつか級長が高専に行く。高橋君やヒロト、それに私も、どこかへ行く。
 きっとそうなるのはわかっていて、でも、想像がつかない。
 私はどうなるんだろう、という、その質問自体が、ぼやけていた。

 衣替えの日は、いつも落ち着かない。
 服が替わったのに、中身が前のままだからだ。必要のないそわそわを感じるから、なんとな
く周囲を見回すことが多くなる。休み時間、目立つのはやっぱりヒロトだった。着替えたばか
りの学生服は、背の低いヒロトにはやっぱり似合わない。それを見ないように、窓の外に目を
向ける。そして私は、いつも通りの文句を思い浮かべる。
 中学に入って、やっとクラスが別々になったのに。
 二年にあがるときのクラス替えで、結局元通りになった。小学校の六年間、ヒロトとはずっ
と一緒のクラスだった。実際、仲も良かった。いつも一緒に帰っていたし、秘密基地も教えて
貰った。そこで一緒に遊んでいたのは、四年生の頃までだったと思う。ただ六年生のちょうど

43 :No.10 なにかのさなぎ 3/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:29:25 ID:5CIxgPsp
今頃、最後に一度だけ、二人でその場所に行った。
 初めてのキスをした。
 その日以来のことだった。なんとなく、ヒロトがよそよそしい。それはわかっても、なんで
そうなるのか、想像がつかなかった。よくわからないのに、でもはっきりとした不安だけはあっ
た。してはいけないことをしてしまったのかもしれない。その思いは、ヒロトを見る度に強く
なった。そして私は、もう近寄れなくなった。なにかが一つ、なくなった。
 いまでもわからなくて、不安になる。休み時間が過ぎても、一日の授業が終わっても、どこ
かに取り残されたような気持ちが消えない。鞄を手に教室を出て、できるだけ普段と同じ足取
りで帰路につく。きっと冬が近い、赤とんぼの数が減っている。それでもまだ、うるさそうに
それを見上げるのは、少し先で待っている高橋君。
 黒い学生服がよく似合っていて、そしてそのせいで、少し、息が詰まる。
「遅かったね」
 その一言と同時に、私と高橋君は歩き出す。いつものように、いつもと同じあの砂利道を。
いつの間にか、約束もないまま、繰り返していたこの帰り道。最初、隣にいたのはヒロトだっ
た。いまはそのヒロトの友達の、高橋君がそこにいる。
 どう思っているのだろう。ヒロトも、高橋君も。そして私も。
 ――服を替えたのに、少し肌寒い。
 替えたことがわかっているから、きっと余計に、寒い。似合っているかどうかなんて、余計
なことを気にしたりする。そんなことを聞けば、きっと高橋君は「似合うよ」なんて言うのだ
ろう。だから、聞こうとは思わない。なら、私は一体、どうしたいんだろう。
 答えが出るよりも早く、家の前の坂道に着く。いつも、道はここで終わる。「またあした」
と手を振って、坂道を登る。しばらく歩いて振り返ると、黒い学生服が見えた。立ち止まった
まま、控えめに手を振る高橋君。彼の家はもっと先で、その道半ばに、私を見上げる。
 この距離では大声になってしまうから、私は来た道を駆け下りる。
「雪が降る前に。あの空き家に、行こう」
 そう告げたことに理由はなくて、たぶんそれは、他に選択肢がなかったからだ。私にとって
は、幼なじみの秘密基地。じゃあ高橋君にとって、ヒロトや級長にとって、あの場所はなんな
んだろう。彼らが三人で進んだ砂利道の、終着点が田んぼだったのはなぜだろう。
 ちょっと驚いたような顔をしながら、でも高橋君は頷いてくれた。もう一度手を振って、今
度は振り返らずに、坂を登る。冬服の重みがはっきりとわかるほど、体は重くて、確かだ。玄

44 :No.10 なにかのさなぎ 4/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:30:26 ID:5CIxgPsp
関の扉に手をかけたあたりで、さっきまで肌寒く感じていたことを、やっと思い出す。
 たいしたことではないけれど。
 それでも。私はきっと、初めて、約束を交わした。

 雪が降る前に、という約束の通り。
 まだ一日しか経っていなかったけれど。でも高橋君が、いつもの道を、反対方向に歩く。わ
ずかに遅れてついていく、その私の影が前に伸びていた。向こうの山に見える空き家が、秋の
陽に赤く染まっている。しばらく歩いて近づくと、それは木々に隠れて見えなくなる。その木
々の中に踏み込んで、ようやく私の影が消える。
 薄暗いその道を、息を切らしながら登る。でも以前の記憶よりもずっと早く、私たちはその
場所にたどり着いた。
 玄関のドアは、固く施錠されている。過去の記憶を辿っても、中に入った覚えはない。でも
実は、裏側の窓から出入りできるのだと、高橋君が言う。
「散らかり放題で、汚いよ。制服が汚れる」
 気遣いは嬉しかったけれど、でも私は入りたい、と告げた。高橋君は拒まなかった。ほとん
ど雑草にしか見えないすすきをかき分けて、空き家の裏手に回る。小さな窓を、高橋君が思い
きり引いた。がきん、とおかしな音がして、それが外れる。
 その小窓はちょっと高いところにあったから、背の低い私ではそう簡単には入れそうもなかっ
た。それでも私は飛び上がる。後ろから高橋君に支えてもらい、そこまでして中に入るのは、
一体どうしてなのか私自身わからなかった。
 中は薄暗かったけれど、それでも見通せないと言うほどではなかった。降り立ったのは、廊
下の突き当たりのような場所。中はなんだかがらんとしていて、散らかっている、という言葉
から想像したのと違っていた。真っ直ぐに歩いて、すぐに右手の部屋を覗き込む。どうやらリ
ビングらしかった。板敷きの洋間は、古い家の多いこのあたりでは、珍しい。足が折れて斜め
になったソファーと、部屋の隅に転がっている毛布以外には、何もない。
「こないだは、ここで飲んでた」
 少しばつの悪そうな、その声。私は部屋の真ん中まで進んで、振り返る。入り口に高橋君が
いて、他にはなにもない。せいぜい天井と壁と、それの作りだす薄暗闇があるだけだ。
 その中で、私は。
 なにも、しなかった。

45 :No.10 なにかのさなぎ 5/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:31:18 ID:5CIxgPsp
 言葉に答えない。立ち止まったまま、動かない。だから、何もしていないはずだった。高橋
君が歩み寄ってきて、私の肩に手を触れても。そのまましばらく、何かを待つように固まって
いても。私は何もしなかった。ただ一つ、薄暗闇の中でもまだ見える、黒い学生服から逃れよ
うと、目を閉じる。
 触れていた手が、肩から首の後ろに回って。
 それが私にとって、人生で二度目の、キス。
 望んでいたことだと、そう思った。自覚はあった。好きだと、気付いていた。そうしたいと、
こうなりたいと、強く願うのも、きっと当然のことだ。
 触れていた唇が不意に離れて、初めてその温かさを知る。離れたことよりも、そう気付いた
ことの方が、怖かった。目を開けられずにいるうちに、もう一度重なる、その感触。今度ははっ
きりと温かい、人生で三度目の、矛盾したその不安。
 別にキスくらい、もう子供じゃないからと、普段なら思う。誰が誰と付き合っても、別にお
かしなことじゃないはずだ。なのに、それでも、怖かった。大きな背中に添えた指で、彼にす
がっていいのかどうかも、わからない。
 今は暗闇の中、誰もいない、誰も知らない。クラスメートも、親も、駐在さんも。高専に行
く級長も、ヒロトも、知らない。私は正しくできているのか、それを教えてくれる人間はいな
い。誰かを裏切っていないか、置いてけぼりにしていないか、それを知る術は、ない。
 この期に及んで、私はまだ、何もできない。
 身を離すような気配を感じて、でもそれを拒むことさえ、できなかった。どうにか頭を垂れ
て、彼の胸に、顔を埋める。手は背中に回したまま、まだ服を掴むことさえできない。寄せ合っ
ているはずの体の間で、制服が邪魔をしているような気がした。これが私の体ならいいのにと、
それが無理なら、せめて似合っていますようにと、願う。
 私が何もしないせいで、高橋君はきっと、戸惑っていた。しばらく身を寄せ合ったまま、で
も彼は、ぎこちなく、ゆっくりと動く。手のひらが、私の頭を、そっとなでる。
 順序が逆になったけど、と、囁きの聞こえたあと。
「付き合って欲しい」
 その言葉の意味を考えても、答えが出ないのはわかっていた。ただ私は、頷いた。胸に顔を
埋めたまま、この暗がりの中では見えないかもしれない。うん、と答えようとして、くぐもっ
たおかしな声が響く。そのあたりでやっと、指が学生服の背中を、掴む。
 力強く抱きしめる、その高橋君の、腕の中で。

46 :No.10 なにかのさなぎ 6/6 ◇wDZmDiBnbU:07/11/10 23:32:08 ID:5CIxgPsp
 帰り道を、想う。
 この空き家からの帰り道、いつもの学校からの帰り道。家の前の坂道も、高橋君の家も過ぎ
て、二つの轍に添って歩く。到達点が見えるよりも早く、この村にはきっと、雪が降る。
 道は白く染まって、轍が消える。
 田んぼも山も、たぶん、なくなる。全てが道になって、どこまでも続く。
 そのなかを歩く黒い影の、側に寄り添う冬服が、私であることの。
 その約束を。
 暗闇の中の秘密を。
 これからを。
 最初の一歩を。
 その、不安を。

 ――きっと。
 分け合って、いくんだ。

〈了〉



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