【 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 】
◆lnn0k7u.nQ




4 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 1/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:09:10 ID:lil8p5S8
 山火事に気をつけろと言われても、何にどう気をつければよいというのだろうか。月に一度開かれる村役場の
会合で、上座に座った村長が山火事について注意を喚起したのだ。その心添えを真に受けて捉えた者など、ただ
の一人もいやしなかった。皆して、火の回りは速かろうな、枯れ木の山だかんな、ちげえねえ、ちげえねえ、な
どと囃し立てていた始末で、終いには当の村長さえその輪に混じっていたものだ。末席を汚す立場にあった私な
ども、やはり山火事など到底有り得ないだろうと考えながらその場に黙していた。もちろん山火事が起こる可能
性が一厘でもあるならば、私たちはいくら注意しても、しすぎることはないだろう。しかし、山間の農家にとっ
ての山火事とは、例えるならば、海岸の漁夫にとっての津波みたいなものだ。注意したところで防ぎようが無い
し、気にかけていては真っ当な生活も送れなくなってしまうだろう。
 結局、会合はその後いつもの通り、子供の上京話や縁談話で盛り上がり、夜も更けたところでお開きとなった。
私はその間いくつかの言葉を発したような気がしたが、家路をたどる途中には、すでに何も思い出せなくなって
いた。別に私は三十台半ばにして記憶の長続きしない可哀相な人というわけではない。私は土着文化を根源とす
る閉鎖的集団性に嫌気が差していたのだ。田舎くさい思想と都会に対する偏見はもう聞き飽きたし、娯楽の少な
いために生じる下卑た話題は苦痛以外の何ものでもなかった。月一の会合は私にとってもはや空白の時間と化し
ていた。同じような嫌悪感を抱いている農民も少なからずいるはずだ。皆、心のうちに秘めているだけなのだ。
口に出すと喜多川さんのように村八分にされるので、黙っていることにしているのだ。そうに違いない。然り、
そうに違いないのである。
 そういった所懐が道中、畦道をたどる私の脳内に渦を巻いて留まっていた。見上げれば夜空に歪んだ満月が浮
かんでいる。どうやら酒を飲みすぎたらしい。酒を飲む以外にするべきことがないのだから仕方が無い。思えば、
会合の帰り道はいつも満月だ。ああ――私はむせ返った――そういうことか。彼らはわざわざ満月の日を選んで
会合を開いていたのだ。私は今までにないほど滑稽な思いを腹に抱えながら、風に身を任せるようにふらふらと
足を運んだ。いったい彼らの風流心をどのように活かしてやるべきだろう。そんなことを勝手おかしく考えなが
ら、私は側溝に片足を取られて転倒した。
 会合が明けてから数日にして村では風邪が流行り始めた。九月に入ってから気温は下がり、空気も乾燥し始め
ていた。我が家でも嫁と息子が相次いで寝込んでしまい、収穫やら何やらでただでさえ多労なこの時期に、私は
広大な田畑を一人で担う羽目となった。
「あんまり無理しないでね。あんたまで倒れたら、近所の誰かに稲刈りを頼まないといけなくなる。そうなった
ら、私、嫌よ。絶対何か恩返ししないといけなくなる。その人に弱みを握られると言っても過言ではないわ。あ
なたは上手く対応できるかもしれないけれど、私は人付き合いが苦手だから、必ずボロを出すわよ。そうに決ま
ってるんだから。そうしたらきっと村中の噂になって、喜多川さんみたいに……村八分……そう、これはヒエラ
ルヒーよ……一種の階級闘争だわ……アンタッチャブル……」

5 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 2/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:09:29 ID:lil8p5S8
 妻は毎朝このような訳の分からぬことを言いながら、田畑に出かける私を見送るのだった。体の心配をしてく
れているのやら、ただ文句を言っているのやら、とにかく妻がこの村の環境に適応していないという事実だけは、
毎日忘れずに私の脳みその皺として刻み込まれた。彼女は元々村の外の出身であり、その考え方はどちらかと言
うと都会志向で、村社会には不向きであった。それらは排他的、内向型という点では共通しても、立ち位置が逆
であったのだ。彼女にとっては家の中だけが"内"であり、家の外つまり村全体が"他"だった。今回のことでそれ
はさらに浮き彫りにされた形となった。
 また、小学二年生になる我が子は熱にうなされながら、しきりに「ゲームボーイが欲しい」と訴えた。普通、
水が飲みたいだとか、体が熱いだとか苦痛を訴えるところを、彼はゲーム機が欲しいという願望を口にしたのだ。
テレビでそのCMが流れる度に彼が目を輝かせていたことを私は知っていたが、この地域一体にはもちろん売って
いなかったので、買ってやることはできなかった。息子も息子でそれを承知していたので、今まで私たちにゲー
ム機を強請ってくるようなことは一度も無かった。しかし、彼が風邪で寝込むことによって、その願望は初めて
訴えられたのである。つまり、それが彼にとって苦痛よりも何よりも訴えたいことであり、気の弱った心が吐き
出す真の嘆きだったのである。
 農家の暮らしに嫌気が差そうと、妻に小言を言われようと、息子にゲーム機の無い暮らしをさせようと、私は
家族の生活を支えるために働かねばならなかった。農家に生まれてきたからには、その宿命を負い続けるべきだ
と考えてきた。私は与えられた土地のために、なんとなくここを離れようとしなかった。現状維持こそが何事も
諍いや困難を引き起こさないための最良手段だと信じて疑わなかった。今は稲を収穫して、生活資金に還元する
べきなのだ。それが終わったら、また田植えをして、また稲を刈って……。都会へ出ようなどという気持ちは、
何かきっかけとなる出来事の起きない限り、決心を付けかねる重要懸案なのだ。山すそに住む喜多川さんが良い
例である。彼は村社会を憎み、会合を拒否し、実質村八分の状態にされているにも関わらず、都会へ出て行く金
が無いために村での暮らしを今も余儀なくされている。郷に入っては郷に従えという言葉を私たちは身に刻まね
ばならない。村で暮らすためには、我慢しなければならないことがたくさんあるのだ。
 そうして一週間が経とうとしていた。
 その日は、朝から焼け付くような陽射しが降り注ぎ、山からの乾いた強風が木々を吹き荒らす、何か異様に満
ち満ちた空気が感じられる日だった。
 いつものように私はガレージからコンバインで乗り出すと、まだ刈り取りの終わっていない田んぼへ向かって
畦道を進み始めた。横なぶりに吹く強風に煽られながらも、私は西方の山の一角から一筋の煙が上がっているの
を確かに見た。きっと栗でも焼いているのだろう。もしくは遭難者が助けを求めて緊急信号を送っているのかも
しれない。どちらにしろ私には関係の無いことだ。その時は適当にそう考えて、田んぼへ着くと同時に仕事に従
事し始め、煙のことなど疾うに忘れ去ったのである。

6 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 3/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:09:49 ID:lil8p5S8
 日中は木々がざわめくどころか、風自体が轟々と音を立てて村中を吹きまわした。雲があるわけでもなく、台
風も来ていないというのに、一体どういう風の吹きまわしだ、と一人で上手いことを言いながら、私は適当にコ
ンバインを右往左往させた。そうしている内に稲は刈り取られて、脱穀まで済まされてしまうのだ。今日で全体
の半分以上の稲刈りが終わろうとしていた。
 夕方、日の沈む頃になって作業を終えると、私はまたコンバインを畦道に移動させ、今度は家路をたどり始め
た。赤く染め上がった稲穂や木々、燃え盛るように西方の山へ落ちていく夕陽を眺めながら、今朝の煙はいった
いどうなったのだろうと目を凝らすと、どうやら未だに立ち上っているどころか勢いを増している様子であった。
きっと焼き畑でもやっているのだと思い、私は特に気にすることもなく、家に帰った。
 その日の夜分遅く、草木も寝静まる頃、外が騒がしくなり始めたことに我が家で最初に気づいたのは妻であっ
た。元々、その夜は風が窓を叩き、隙間からピューピューと鳴る音で私は寝静まれなかった。私は布団を被り、
耳を塞いで丸まりながら、コタツの中の猫の体相を成していた。そんな騒がしい中で風の音に混じった人の声を
聞き取った彼女の耳はまさに地獄耳と称するに相応しいだろう。私が妻に急かされて外へ様子を見に行くと、遠
くの方で幾つかの灯りがちらほらと見受けられた。どうやら数人の村人が何事かのために出動しているらしい。
どれ、事情を聞いてきてやろう。私はそう言って、心配そうに見送る妻と未だにぐっすりと眠っている息子を家
に残し、一本の懐中電灯を持って灯りの方へと駆け寄って行った。
「おーい。こんな時間に何をやってるんだ」
 私の呼びかけに振り向いた人影は、同じくこちらに駆け寄ってきた。近くで相対すると、それは三百メートル
ほど近くに住む吉岡さん家の旦那であることがわかった。
「何って、おみゃあ……あれを見てみいや」
 そう言葉を濁らせながら吉岡さんは西方を指差した。
 新月の闇夜に、山の端が赤く燃えていた。それは導火線に火が点けられたかのように、目に見えるスピードで
横へ横へと炎を広げていた。こんなに遠くからでもそれが見て取れるのである。勢いを増した火は風に吹かれて
一気に燃え盛っていく。私は呆然としながらその光景を見つめていた。
 朝になって臨時の会合が開かれた。全員が役場に集まり終えたのは七時を回ってからのことだった。その間も
山は燃え続け、西方の山の全て、つまり周囲の四分の一がすでに燃え盛る炎に包まれていた。そして、炎は山の
端だけではなく、じわじわとこの村の方へも近づいてきているのだった。
「こりゃ一体どうすんべきかねえ」
「どうって……どうしようもあるめえ」
「炎は来んのか? 非難せんでええんか?」
「消防は何をしとるんじゃい!」

7 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 4/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:10:17 ID:lil8p5S8
「あほう! 消防の力で消し止る炎じゃないわ!」
「なら、どげんかせんとあかん。集まってるだけじゃ、どうにもならん」
 集まっても議論にさえならければ、さらにどうしようもないと私は心の中で思った。いつものように黙ってお
くべきか悩んだが、今のこの状況は私にとっても死活問題である。物分りがよくない連中を相手にするのは相当
根気がいると覚悟した上で、私はついに口を開いた。
「まずは炎がどのように燃え広まるか予測するために、ここら一帯の地図を確認してみませんか」
 私が喋るのが相当珍しいのだろう。今まで騒いでいた連中は一瞬さっと静まり返り、その内の誰かがお前はす
っこんでろと言うまで、何か希望を抱いた瞳で私を見る者さえいた。だが、勇気を出して提案した意見も、単細
胞の拒否権の行使によって結局は否決されてしまった。これだから私は土人文化に嫌気が差すのだ。もうどうに
でもなれとふてくされていると、再開された喧騒のさなかで誰かが、神奈崎くんの言うとおりだ、と言うのが聞
こえた。神奈崎とは私の名字だった。私はすぐさまその声を発した人物を視線で捉えた。村長だった。喧騒は当
たりに分散して消えた。
「まず、地図で確認しよう。どこが燃えているのか。どのように燃え広まるのか」
 いつもと違う厳格な態度を持った村長に逆らえる者はいなかった。やがて村人の一人が地図を持って来て机に
広げた。私は村長に呼ばれて、地図を囲む一同の中心に座らされた。
「はてさて、いったいどこが燃えているのやら。君にはわかりますか?」
 ならず者たちが騒がないように、村長が代表して質問を行った。やけに神妙かつ一触即発の雰囲気で、居心地
悪いことこの上ない。
「おそらく、この辺りかと」
 私は地図を見る前からだいたいの地形を見積もっていたので、あとは頭の中の想像図と地図とを重ね合わせる
だけだった。
「ふむ、では、炎はこのままでは村の大半を呑み込みかねませんねえ」
 役場に集まった家長たちの間に小さなどよめきが起こった。しかし、村長の推測では信用ならないという人達
は、私の相槌を息を呑んで待ち受けているようだった。村長は正しい見解をしていたので、私は「そうですねえ」
と彼と同じ調子で言ってみた。そうしてようやく、一同には大きなどよめきが起こった。
 次に議論の話題は何故山火事が起こったのかということについて転換しようとしていた。ならず者の内の一人
であり、熊ヒゲを生やした大男がいきなりこんなことを言い出したのがきっかけである。
「きっと喜多原のやろうが復讐のつもりで山に火を放ったんだ! あいつめ、絶対許さねえ!」
 その意見に同調する者が多かったのは、連帯感が強いだとか、そういう風に褒められたものではなかった。私
は再度ここに村社会の片鱗を垣間見ることができた。

8 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 5/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:10:38 ID:lil8p5S8
「昨日から北西より強く乾いた風が吹いています。また、陽射しが強く、気温も高い。滅多に無いことですが、
条件は揃っている。発火は自然に起こったと考えてよいと思います」
 私の説明などすでに誰の耳にも入っていない様子だった。比較的まともに見えた村長すらも、喜多原陰謀説に
手のひらを返すように乗っかっていた。そもそも考えてみれば、喜多原さんを村八分にしたのは、この村長の判
断ではないか。理性は持っていても、やはり文化的な面では何も抜けきっていない。彼がこの村の全ての意見を
総べる首長なのだから、彼こそが諸悪の根源なのかもしれない。私は役場で湧き上がる村民たちの喜多原討伐ム
ードのために頭がくらくらしてきていた。何もかもが間違った方向へ進んでいる。
 昼頃になって、私は自宅へと進んで帰着した。炎は尚も勢力を強め、西南の山々を轟々と燃やしていた。村の
誰かの田畑に火がつくのも時間の問題だろう。村中の田畑は、ほとんど全てが隣接して繋がっていたはずだ。一
箇所に炎が点けば、一気に村全体へ燃え移っていくのは目に見えている。今のうちに何か対処法を練らねばなら
ないのだ。それなのに、村人たちの目に映る炎は、それとは違う意味での、つまり復讐の炎だった。村八分にさ
れている喜多原を山火事の首謀者として晒し上げ、村全体で彼の首級を挙げんとするようである。この緊急時に
までして、いったいどうしてそこまで愚かでいられるのだろうか。私はもう何も言わずまい、何も考えまいと決
めて帰ってきた。
 おそらく今夜中に――まだ刈り取っていない穀物や野菜、納屋の外に置いてある収穫済みの籾殻、いや、それ
どころか納屋まるごと――全てが焼却されるだろう。生活資金は得られず、この先も同じように生活していくこ
とが困難を極めるどころか、永遠の失墜を意味することは明白だ。後に残るのは黒焦げに焼かれた土地のみであ
る。私は今までなんとなく暮らし、現状を変えてくれる出来事をただ待ち望んできた。土地が焼かれてしまうの
なら、私をこの場所に縛り付けてきた何かも、きっと効力を失い消え果てるだろう。現状が変わるときが来たの
だ。それがわかったならば、一刻も早くこの場所から遠ざからなければならない。妻と子供を連れて、私はこの
村を出て行くのだ。
 私はそのような思考に耽りながら、夢うつつの狭間にいた。家に帰った途端、急に疲れが襲ってきたので、暫
し休息しようと寝椅子に横たわったのだ。そうして、瞬く間にこの狭間へといざなわれてしまった。この空間に
いる時、私はいつもぼんやりとして意識がはっきりしなかった。さらに時間は感覚を失い、思わぬ損失を生み出
す。しかし、自ら目覚めるためには、外部的要因が必要なのだ。それを待つより他は無かった。
 ふと、私は久しぶりに意識を取り戻し始めた。夢から目覚める予兆が鳴っている。それは我が息子の呼び声だ
った。
「おとん! おとん!」

9 :No.02 炎は牢獄の如く、又、地獄の如く 6/6 ◇lnn0k7u.nQ:07/11/10 11:10:55 ID:lil8p5S8
 目を開けると、すぐ傍で息子が私の名前を呼びながら、膝に泣きついていた。その後ろには妻の姿も見える。
私は記憶を繋げていく。眠りに落ちる前と同じ思考回路を組み立てなおす。数秒でそれが完了すると、私はいて
もたってもいられなくなった。いったいどれだけ日が傾いてしまったのか。いったいどれだけ火が迫り来ている
のか。私は寝椅子から跳ね起き、家の外へ飛び出した。そして見るも無残な光景を目の当たりにするのだった。
 炎は村を囲うこと牢獄の如く、民衆は発狂すること地獄の如し。
 四方の山々は赤く高らかに燃え上がり、村中の田畑や建物は炭も残りそうにないほど豪勢に燃え盛っている。
緑が一面に広がっていたかつての風景は、赤が一面に広がった火の海となっている。昼か夜かもわからなかった
が、どちらにしろ同じ炎の時間である。我が家付近、五棟ほどの建物は未だに魔の手から逃れているが、これも
どちらにしろ時間の問題である。全てが爛々と光を放ち、灼熱の息吹が入り乱れている。炎に包まれた村人が何
かを叫びながら焼け爛れていく。まさに地獄絵図である。目に映るもの全てが我が命の終焉を告げていた。
 どうしてこのような事態にまで陥ってしまったのだろうか。長い眠りに就いたからか、否。もっと早く立ち去
る決心をしなかったからか、否。復讐の炎である。民衆の目に燦然と輝く復讐の炎が田畑に燃え移り、山火事と
合流して隆盛を振るったのである。振りさき見れば、いつの間にか我が家は火災旋風に巻き込まれ跡形もなくな
っている。妻と息子を中に残したまま、消滅している。私はついに全てを失っていた。村社会に恐れを抱きなが
ら都会を夢見ていた妻を、最新のゲーム機で遊ぶことを夢見ていた息子を、決して肝胆相照らすことの無かった
村人たちを、引き継いだために足かせとなっていた家や土地を、何もかも――人生や生活、環境、私の生きた最
大範囲にあるもの全て、私にとっての全てを失っていたのだ。
 詰め寄ってくる炎から逃れようとしても、逃げ道などもう残されていなかった。私に生きる道など残されてい
なかった。成すすべも無く熱風に身を任せていた折、私は炎の薄いところから、一つの影が向かってくることを
知った。それが死神であろうと、ただの神であろうと、私はなんの疑いも無くそれを受け入れることができただ
ろう。しかし、現れた影は一人の平凡な人間だった。彼のことを私は知っていた。喜多原宗助。村八分同然の扱
いを受けた挙句、今回の山火事の首謀者として民衆に討伐されようとしていた、まさに彼である。彼は私の目の
前までやって来て、その細い腕を伸ばすと、私の頬を触ってにっこりと笑った。そして次の瞬間にはすでに目の
前にはただ猛然と火柱が立っているだけだった。私はなんだか全てを悟ったような気がして、今までの苦しみや
悲しみから解放されていくのを感じた。私はもう決して迷わずに、身も心も浄化して、この世にもあの世にも何
も残さないでくれと祈るばかりであった。



                              了



BACK−痛み◆EAnclcgLOw  |  INDEXへ  |  NEXT−道の白い木◆OlsmS4EvlM